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二日目の午前中に行われた試験は地理学、歴史学、魔法学の三科目。試験があると意識してからの一ヶ月、アンリは地理学と歴史学の勉強に特に力を入れていた。それだけ元々の苦手意識が強かったということでもあるが。
おかげで地理学、歴史学の試験の手応えは上々だ。少なくとも半分は点数が取れたのではないかと、アンリは自信を持って言える。
「……アンリ。半分って言うのはまったく自慢にならないからね」
「え」
「アンリは魔法学なら満点を取れた自信があるだろ? そのくらいじゃないと、自慢にはならないよ」
昼休みの食堂でウィルから厳しい指摘を受け、アンリは愕然とした。たしかに最後の試験科目である魔法学は、アンリにとって楽勝だった。そのくらいでなければ「できた」と自慢してはならないのか。
「半分はともかく、ウィル君の基準は厳しすぎるんじゃないかな」
苦笑しながら助け船を出したのはエリックだった。その言葉に救われたのは、どうやらアンリだけではないらしい。マリアとハーツまで、神仏でも崇めるような目をエリックに向ける。その視線にたじろぎながら、エリックは言葉を続けた。
「ええっと……八割? くらいできていたら、自慢してもいいんじゃない?」
「それなら、私は全科目できましたね」
エリックの隣に座るイルマークがぼそりと呟く。一方でマリアとハーツは一転して、裏切り者を見る目でエリックとイルマークを睨んだ。
「エリックの意地悪! そんな点数、私が取れるわけないのに!」
「イルマーク、お前は俺らの側の人間だと思っていたのに!」
二人の抗議の声を耳に入れながら、アンリは巻き込まれないように黙ってそっぽを向いた。アンリにとっては不満よりも、数学と構造学の試験ならその程度の点数は取れた、という安心感の方が強い。
なにはともあれ、勉強の成果を発揮する試験はこれで全てが終わったことになる。あとは午後に魔法力検査を残すのみ。魔法力検査は勉強してどうにかなるものではないので、今から慌ててもどうしようもない。昨日の昼には食べながら教本を読んでいたイルマークも、今日は落ち着いて会話を楽しんでいる。
「ところでアンリ、アイラとの模擬戦闘の日取りは決めたのですか?」
「うーん、次の部活動の日でいいんじゃないかな。アイラにはまだ言っていないけど」
「アンリ……次の部活動って、明日じゃないか。それは、アイラが怒るんじゃないか?」
「あら、私なら構わないわよ?」
ウィルの言葉に、ちょうど近くを通りかかったアイラが会話に割り込む。聞いていたのか、とウィルは珍しく慌てた様子で口を噤んだ。アイラは気にした風もなく、にっこりと微笑む。
「もう長期休暇までに日がないもの。いつにしたって同じことよ。でもアンリ、貴方、私の魔法器具に魔力を入れなければならないことを忘れないでね」
それだけ言って、アイラはそのまま友人たちと共に食堂を出て行った。過ぎ去るときに、アイラの友人たちはアンリたちを見下すように睨んで行く。アイラはずいぶんまるくなったが、友人たちまで一緒に変わったということではないようだ。
「……やば。忘れてた」
そんなアイラたちを見送ってから、アンリはぼそりと呟いた。え? と聞き返すウィルたちに、アンリは苦い顔で説明する。
「アイラの魔法器具に魔力を入れないといけないの、忘れてた。一昨日、仕事でけっこう魔力使っちゃったんだよな。間に合うかな」
元々身体に溜め込んでいる魔力量の多いアンリは、使った魔力の回復に時間がかかる。
さすがに国境を守るほどの巨大な防壁を維持するために提供した魔力量は、二、三日で回復するほど少なくない。アイラと模擬戦闘するだけなら問題ないが、アイラの魔法器具に十分な魔力を注いだ上でとなると、話は別だ。
馬鹿にする皆の視線をなんとか耐えて、アンリはなんとか魔力を補充する方法を考えた。
試験が終わると、午後には魔法力検査が行われた。
まずほかの科目の筆記試験と同様に、教室で机に向かう。申告書の記入だ。配られた紙には魔法の名称がずらりと並んでいて、その横に、自分がその魔法を使えるか否かを記入していく。
書き始める前に、アンリは申告書を最初から最後までめくり、記載されている魔法の種類を確かめた。
(……さすがに重魔法はないか)
生活魔法と言われる魔法の名称はほとんど網羅している。それから、初級の戦闘魔法。氷魔法、火炎魔法、風魔法の名称もある。これなら魔法研究部の面々は、全員戦闘魔法が使えると認めてもらえるだろう。
中級以上の戦闘魔法の名称は全てではなく、通信魔法や転移魔法、隠蔽魔法など代表的な魔法のみとなっている。生徒が使えるかどうか確認するというよりは、こういった名称の魔法があると教えることを目的にしているのかもしれない。
(さて、そろそろ始めようかな)
真正直に使える魔法を申告するならば、この申告書に書かれている魔法全てに「使える」と書くところだが。そんなことをして目立つつもりはない。
申告書にかけられた「嘘を見抜く魔法」を解除する。もちろん、魔法を使っていることがばれないよう隠蔽魔法を用いながら。
監督教師は担任のトウリなので、魔法を使っていることがばれても問題はない。しかし不正行為に等しい魔法を隠蔽もせずに使ったら、ほかの教室の教師に気付かれてしまうかもしれない。
難なく魔法が解除された申告書に、魔法のできる、できないを記入していく。どの魔法を使えることにするか、慎重に選んで書くことを忘れない。
(皆に合わせて、氷と火炎と風の魔法が使えるって申告しておけば良いのかな)
生活魔法は全てできることにしておいていいだろう。戦闘魔法は、友人たちと同じ水準になるように三種類だけ「できる」と記入する。
(入学のときにはなんの魔法もできないって申告してあったんだから、これだけでも随分非常識な成長ぶりなんだろうな……まあ、皆同じだからいいか)
元々魔法を使うことのできたウィル以外は、入学検査で「魔法が使えない」と申告していたはずだ。それが少しとはいえ戦闘魔法が使えるようになったのだ。書類の上ではアンリの成長と同じ程度ということだ。
(皆に戦闘魔法を教えたおかげで、俺の非常識ぶりは目立たなくなるかな)
アンリが来年一組になるであろうことが教師間で話題になっていると、いつかの面談でトウリが言っていた。体験カリキュラムやら交流大会やらといったこれまでの活動で、アンリはなかなか目立ってしまっているのだ。
皆に戦闘魔法を教えたことで、多少目立たなくなるのなら。これは予想外の利点だ。
(……よし、こんなもんか)
記入を終えた申告書を見直し、おかしいところがないことを確認してから、アンリは最初にかかっていたのと同じ魔法を申告書にかけ直す。この魔法の都合の良いところは、魔法がかかった状態で書かれた情報の嘘は判別するが、すでに書かれている情報の上から魔法をかけても、その情報の嘘には反応しないことだ。だからこういう不正ができる。
作業を終えて、アンリは教室の前方にいるトウリをちらりと見遣る。アンリの魔法にも視線にも気付いた様子はなく、監督教師らしく教室全体を見渡していた。
(そういえば、アイラはこの一年でどのくらい魔法が成長したんだろうなあ)
貯められる魔力の量は確実に増えている。使う魔法の威力も強くなった。重魔法の訓練も進んでいるようで、精度は徐々に上がっている。けれど、使える魔法の種類は? この申告書で「できる」と書ける魔法の数は、この一年でどれだけ増えたのだろう。こればかりは、見せてもらわないとわからない。
(模擬戦闘のときに俺の知らない魔法なんて出てきたら怖いな……)
ぼんやりとそんなことを考えているうちに、トウリが申告書記入時間の終わりを告げた。
申告書の記入が終われば、次は魔力貯蔵量の検査。体内にどれほどの魔力を貯められるかの検査で、簡単に言えば、各自の魔力の器の大きさを測るものだ。
専用の魔法器具に触れるだけ。この検査は簡単だ。トウリが教室に持って来た魔法器具に、一人一人が手を触れていく。その場で出た数値をトウリが記録用紙に書き取って終了となる。
どうせほかの同級生たちには見られないのだし、この機会に自分の魔力の器の大きさを正確に測ってみようか……一瞬そんな考えが浮かんだが、検査器具の前に立つとその考えは凋んで枯れた。馬鹿なことをするなとトウリが睨んでいるし、検査用の魔法器具は明らかに安物で、とてもではないがアンリの本来の魔法力に耐えられそうになかった。
こうして面談でトウリに約束したとおり、魔力の器の大きさはウィルを参考とした水準に合わせて偽装し、魔法力検査は難なく乗り切った。




