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 よい気分で順調に仕事を終えた翌日から、アンリが心中でずっと逃げ出したがっていた試験が始まった。科目ごとの筆記試験と魔法力検査とが、二日間かけて行われる。


 一日目最初の筆記試験。生物学の試験問題を前にして、アンリは頭を抱えていた。


(生物学は昨日勉強しようと思っていたのに。隊長と副隊長のせいだ…………)


 最近は仕事が少なかったのに、なぜ試験前に限って緊急案件など回してきたのか。しかも試験の前日にまで、朝から夕方までかかるような仕事を。


 勉強せずに済んでラッキーだ、などと考えていた昨日の自分を無かったことにして、アンリはただひたすら他人を恨む。


 そもそも普段からしっかり勉強していれば。せめて試験前の期間に、平均して全ての科目を勉強しておけば。つまり、生物学の勉強だけ全て前日に取り組もうなどという無茶な計画を立てなければ、なんとかなったのではないか。


 そんな常識的な後悔も頭には浮かぶが、試験中に後悔したところで、目の前の問題に答えられるようになるわけではない。


(零点は嫌だな……どれでもいいから解ける問題ないかな……)


 生物学は、歴史学や地理学などに比べれば、どうしても嫌いというわけではないのだ。授業も寝ずに聞いていることが多い。その生物学の試験がこんななら、ほかの科目はどうなってしまうのか。


 絶望的な気分を抱えながら、アンリは試験問題の冊子をめくった。





 生物学の後には数学、構造学とアンリの得意な科目が続き、アンリの心中はやや穏やかに落ち着いた。三科目が終わって、昼休み。食堂に集まると、皆なかなか疲れた顔をしていた。


「ううー。数学わかんなかったよぉ」


「わかる……どれも全部わかんなかったけど、数学は特に……」


 疲れた、というよりもほとんど絶望的な顔をして、マリアとハーツとが呟く。その横で、過去を嘆く二人をまったく無視して、イルマークが午後の試験科目である社会学の教本を読みながら、黙々と食事を続けている。


「イルマーク君、せめて食事が終わってからにしたら……?」


 イルマークが取り損ね、こぼれそうになったスープの器を支えながらエリックが言っても「ああ、すみません」と形ばかり口にするだけで、教本を読むのはやめなかった。


 そんなイルマークを見ながら、ウィルが呟く。


「……アンリもあのくらい熱心に勉強していたら、少しはできるかもしれないのに」


「俺、数学はけっこうできたと思うよ?」


「得意科目の話はしていない」


 午後の社会学の話だ、と言われてアンリは視線を逸らす。逸らした視線の先に、遠くの席で自分の取り巻きたちと和やかに食事をとるアイラの姿を見つけた。魔法研究部の面々で共に行動することは増えたが、アイラは今でも、同じクラスの取り巻きたち……もとい、仲の良い友人たちと過ごしている姿の方がよく見かける。


「アイラって意外に社交性あるよな。友達多いし」


「なに言ってるの、アンリ君。アイラは可愛くて魔法ができて勉強もできて、すごいんだよ。ちょっと意地悪だけど……ううん、かなり意地悪だけど、それでもすっごく人気者なんだから」


 従姉妹自慢に胸をそらせるマリアを尻目に、アンリはウィルに目だけで問いかける。ウィルは深く頷いて、マリアの言葉を支持した。


「元々、社交性は十分にある子だよ。貴族であることとか、魔法ができることとかを鼻にかける性格ではあるけれどね。そういうのも最近はずいぶん控えめになったし、アンリよりよほど友達は多いと思う」


「……え、今、俺を引き合いに出す必要あった?」


「アンリがこの話を始めたんじゃないか」


 ウィルの言葉に、マリアやエリックが笑った。落ち込んでいたはずのハーツや教本に集中していたはずのイルマークも、なぜか笑い話だけは耳に入るようで、にやにやと笑い顔を見せている。


 皆に笑われたアンリは「どうせ俺は友達が少ないですよ」と、ふてくされて食事に戻った。





 皆との会話で緊張をほぐし、前向きな気持ちで臨むことのできた社会学の試験。


 しかし、もちろん気の持ちようだけで問題が解けるようになるわけではない。まったく理解のできない問題群を前にアンリは「来年はもっと頑張って勉強しよう」と、気持ちを新たに決意した。


 心を入れ替えたことが、幸運を招き寄せたのだろうか。一つでも解ける問題がないかと問題冊子をめくるアンリの目に、覚えのある地域の地図の絵が飛び込んできた。


(あ、アトーネ川の地図だ……解ける……救われた……今回の仕事に感謝しないと……)


 生物学の試験のときとは正反対のことを考えながら、アンリはすらすらと回答用紙に答えを記入する。もっとも、答えられるのはアトーネ川とその周辺の信仰や、近年の情勢に関することだけだが。


 そういえばあの砦の事務職員たちも、アトーネ川を神と仰いで暮らしているのだろうか。一部の過激な仲間たちに頭を悩ませながら、それでもアトーネ川への信仰は捨てずに、平和的な暮らしを目指してあの土地に住み続けているのだろうか。


 聞きそびれてしまったが、新たな防壁が出来上がり問題なく稼働を始めた今、おそらくアンリがあの砦に向かうことはもうないだろう。


(俺が前からちゃんと勉強していれば、そんなふうに話題を広げることもできたんだよなあ。もっと、ほかの人とも仲良くなりたかったし。本当に、来年はもっとちゃんと勉強しよう)


 こんなふうに試験中に思索に耽ることができるのも、そもそも解ける問題が少なくて時間が有り余っているせいだった。

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