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 砦で思わぬ戦闘に巻き込まれたその日、アンリが寮に戻ったのは門限ぎりぎりの時間だった。当然皆との勉強会には参加できず、もう試験も間近なのにとウィルには呆れられた。


「仕方ないだろ。緊急で仕事が入ったんだから」


「……まあ、僕たち国民は守ってもらっている立場だし、本来なら文句を言うところじゃないのかもしれないけれど。それにしてもさ」


「わかった、わかったよ。夕飯の後にちゃんと勉強する」


 こうして夕飯の後に半ば無理矢理机に向かわされたアンリは、隣でいつもの魔法訓練に励むウィルを羨ましく思いながらも、大人しく社会学の教本を開いた。政治、経済、宗教、社会情勢……やたらと学習分野が多岐にわたる社会学は、アンリの苦手科目のひとつだ。


 それでも今日は珍しく、少しだけ目的を持って教本を開いていた。


「あ」


 その目的が意外にも易々と達成されたことで、アンリは思わず声をあげていた。同時に後ろでぱしゃりとバケツに水の落ちる音がする。ウィルが魔法に失敗した音だ。アンリは思わず振り返る。


「ウィル、最近は上手くいっていたのに。珍しいね」


「アンリが急に声を出すからだよ。どうしたの?」


「ああ、ごめん。別に、たいしたことじゃないんだ」


 曖昧に誤魔化して、アンリは机に向き直った。教本に見つけた記載を指でなぞる。


『アトーネ信仰。アトーネ川流域に古くから根付く、川を神と仰いで祀る信仰』


 砦に攻めてきた彼らはアトーネ川を信仰の対象としているのだと、隊長は言っていた。それなら宗教のことが載っている社会学の教本に、関連する記載があるのではないか。そう思って探したのだ。


 その記載は、世界の様々な宗教や信仰をまとめた章の中にあった。思わず声をあげたのは、案外と楽に見つかったからだ。


 見開き一ページを丸々使って、アトーネ川流域の信仰と歴史のことが説明されている。もしかするとアンリが知らなかっただけで、隊長のような大人からすれば、常識といわれる範疇の話だったのかもしれない。


『人々は古くから度重なる川の氾濫を神の怒りと捉え、神の怒りを鎮めることを自らの使命として生きてきた』


 それならば。川を整備して氾濫しないようにしたのだから、良いではないか。砦を攻められる謂れはない。


 そんなアンリの心の声に応えるように、教本の記述は続く。


『戦後にアトーネ川の整備が進み、氾濫がなくなったことについて、アトーネ川を信仰する人々の多くは、古から続く神の怒りがようやく鎮まった証であるとして好意的に捉えている。一方で一部には、人為的に氾濫を抑えることは神の怒りを隠す行為であるとして、アトーネ川流域の急激な整備に反発する人々も残っている』


 そして教本の記載は、そうした一部の人々による過激なテロ行為がアトーネ川流域で多々見られることにまで及んでいた。


(一部の人々……アトーネ川を信仰している人の中では、川の整備に反対していない人たちの方が多数派なのか)


 あるいは表立って声をあげられないだけで、内心では反対しているのかもしれないが。少なくとも暴力的な手段を取らず、平和的に生きようとしている人々の方が多いということだ。


(どうりで昼間の攻撃も人数が少なかったわけだな……魔法攻撃なんて仕掛けられるのは「一部の人々」の中でも更に一部だろうし)


 アンリが捕らえたのは二十八人。砦に対するテロ行為を仕掛けるにはずいぶん少人数だと思っていたが、おそらく、彼らにはその程度の戦力しか用意できなかったのだろう。追い討ちをかけようとするアンリを隊長が止めたのも納得できる。隊長は相手の戦力がその程度であると、最初から予測していたのだ。


(……俺も、先に試験勉強していたら、ちゃんと判断できたかな)


 アトーネ川のことだけではない。アンリが仕事に出向く先は、当然、アトーネ川流域だけではないのだから。それぞれの地域のことを知っていなければ、正しい判断など下せない。


 今はいい。アンリの行動についての判断は、隊長が正しく下してくれる。しかしいつかは、自分で自分の行動を決め、判断しなければならない日が来る。アンリはもう十五歳。その日は決して遠くない。


(……ちゃんと勉強しよ)


 アンリは昨日よりもほんの少しだけやる気を出して、教本のページをめくった。





 試験を間近に控え、勉強会の緊張感も高まっている。


 とはいえ勉強に集中すればするほど、休憩時間と決めた短い合間には会話が弾むものだ。


「皆、長期休みはどう過ごすんだ?」


 試験後に待つ楽しみを話題にあげたのは、ハーツだった。


 試験が終わると一週間ほどで、学園は年末年始の長期休みに入る。ほとんどの生徒はこの休みで実家に帰るが、家族旅行や友人と出かけることに休みを使う生徒も少なくない。


「私は家に帰りますよ。旅に出ている祖父母も、年末年始には帰ってくる予定なんです」


 こう答えたのはイルマーク。旅人に憧れを持つ彼のことだから、てっきり年末年始は祖父母と合流してどこかへ遠出をするかと思っていた。そんな感想をアンリが素直に伝えると、イルマークは苦笑する。


「本当は私もそうしたいのですが。普段から旅を続けている祖父母からすれば、年末年始くらいは家でゆっくりしたいようです。アンリは年末年始、どうする予定ですか?」


 問い返されて、アンリは一瞬顔を歪めた。


「だいたい寮で過ごす予定だけど……成績を見せろって言われているから、一度は首都に戻ると思う」


 嫌なことを聞いてしまったという顔で、イルマークだけでなくハーツやマリアも顔をしかめる。苦い顔をつきあわせる四人を外から眺めて、ウィルとエリックが笑った。


「別にいいじゃないか、成績くらい」


「そんなことを言えるのは、ウィル君が成績良いからだよっ!」


 マリアの威勢の良い反論に、ウィルはますます面白そうに笑う。


「まあまあ。ところで、休みの話だったよね? 僕は家に帰るよ。そんなに遠くはないけど、いつでも帰れると言うほど近くはないからね」


 ウィルの家はこのイーダの街から馬車で半日ほど離れたところにある。往復だけで丸一日かかってしまうので、長期休みでもない限り、家に帰ってもゆっくりする暇がない。この一年でウィルが家に帰ったのは、アンリの知る限り一回だけだ。


 ちなみにアンリの移動魔法で連れて行こうかという提案は、家族に驚かれるからと却下された。


「ふーん。意外と皆ふつうなんだなあ。大都市の学園生って、もっとぱーっと派手に年末年始を過ごすイメージがあったけど」


 そう言うハーツは、休みに入ったらすぐに家に向けて出発するらしい。馬車で一日揺られ、船で川を下り、さらに二日間馬車に揺られたところにハーツの故郷の村があるという。さっさと出発しないと、家でゆっくり休む時間さえ取れないそうだ。


「話には聞いていたけれど、そんなに遠いんだね」


「まあな。エリックは? 休みはどうすんの?」


「僕は例年通り……ええと、マリアちゃんとかアイラちゃんも一緒だと思うけれど、首都にある本邸に行くよ。新年を祝う大きなパーティがあって、それにはたいてい参加を」


「ああーっ!!」


 エリックの言葉を遮るように、マリアが両手で頬を押さえて叫んだ。人の集まる食堂でのことだ。一時的に周りの視線が集まるが、だいたいの人が「またあの子か」という様子で目を逸らす。


「そうだ……ダンスの練習もしないといけないんだった…………」


 消え入りそうな声で呟くマリアの背を、エリックが苦笑しながら撫でて宥めた。一方でアンリとハーツは「さすが貴族」と目を輝かせ、イルマークは興味深そうにマリアの話の続きを待っていた。


 そんななかで、ウィルだけが冷静に、話を現実に引き戻す。


「とにかく、試験が終わらないと休みは来ないんだし。勉強の続きを頑張ろうか」


 時計に目を向ければ、ちょうど休憩時間と決めた時間の終わり。正確すぎるウィルの声かけに、アンリとマリア、ハーツの三人は深くため息をついた。

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