(22)
どれほど複雑な魔法であろうと、三回目となれば慣れたもの。一、二回目よりもスムースに作業を終わらせて、アンリは魔力石から手を離した。
砦近くの国境沿いで、防壁に使われている魔法器具の応急処置。近日中に根本的な修理を予定しているため、これが最後の作業となるはずだ。
「おつかれさまです。ありがとうございました」
顔をあげたアンリに、案内役の事務職員から声がかかる。先日から案内してくれている職員だ。前回色々と話をしたのが良かったようで、今回は硬くなることもなく、自然体で話ができている。
「こちらこそ、案内していただいてありがとうございました。無事に修理が終わるといいですね」
「ええ。お会いする機会が無くなるのは残念ですが」
予定通りに進めば、数日後には防壁用の魔法器具は新しいものに交換される。そうなれば魔力の漏出もなくなり、魔力補充のためだけに呼ばれているアンリは、晴れてお役御免だ。
寂しそうに微笑む職員の先導で砦に向かう。それでも彼は、話題が自分の家族のことに及ぶと元気を取り戻し、饒舌に語った。来週には長期休暇で、家に帰る予定があるらしい。これまで通信具越しに聞いていた子供の泣き声をようやく直に聞けると、輝く笑顔で語る。
「良かったですね。でも、ずっと近くで泣いていると鬱陶しいかもしれませんよ」
「まさかそんな! 可愛い我が子ですよ。鬱陶しいわけがありません」
力強く語る彼を前に「休み明けのこの人に会ってみたいな」などとアンリは意地の悪いことを考える。
しかし、その考えを言葉として告げることはなかった。からかってやろうと口を開いたそのときに、背後から激しい爆発音が届いたからだ。ゴゴゴッと凄まじい地響きがする。
「なっ……なにが……」
震える声を漏らして左右を見回す職員の横で、アンリは耳と感覚を澄ます。最後まで何事も無く終わってくれればよかったのにと、心中でため息をついた。
「攻撃ですね。砦へ急ぎましょう」
「へっ……!? えっ……!?」
驚きに足が止まった職員の腕を引き、アンリは砦の方向へと足を早める。防壁の向こう側からの攻撃だ。魔力を補充したばかりだから、ある程度は保つだろう。その間にこの職員を、安全な場所へ連れて行く必要がある。
足早に歩くあいだにも、細かい爆発音と地響きが続く。
「ここでは攻撃を受けることが多いのでしょう? 何かあったときには、誰に連絡を?」
「と、砦の、し、指揮官に……」
「通信具は持っていますよね? 連絡をお願いします」
「は、はいっ」
緊張か、あるいは急いでいることによる息切れか、彼の答えは震えている。胸元から通信具を取り出す動きも怪しい。
しかしアンリは足を緩めずに歩き続けた。防壁の向こうに、魔法の気配が多数感じられる。想定よりもずっと早くに、防壁が破られるかもしれない。
「こ、こちら防壁魔法器具担当のテネック・ヤーデです! ぼ、防壁の外からの攻撃行動を、か、確認しましたっ」
「……防壁破壊目的の大規模爆発魔法が二回と、地面下からの侵入を試みる小規模爆発魔法が数十回。防壁の南側下部に亀裂を確認。伝えてください」
アンリの言葉に顔色を青くした職員は、慌てて通信具に向かってアンリの言葉を繰り返す。数度の言い間違いがあったが、概ね正しく伝えられているようなので口は出さなかった。
それよりもアンリは、防壁にできた亀裂に意識を集中する。相手が亀裂に気づき、集中的に爆発魔法を使ったら。おそらく防壁は瓦解する。
ちょうどその亀裂のあたりに、濃い魔力の気配が漂った。
「走って!」
腕を引く手に力を入れて、職員を引っ張るように砦へ走る。走り始めて数秒後、背後でひときわ大きな爆発音が響いた。追って届いた強い爆風に煽られ、隣を走る職員が足をもつれさせて転倒する。
立ち上がろうとする彼を地面に押さえ込むようにして、アンリもその隣に伏せる。すぐに次の爆発音が響いた。伏せた身体の上を、熱を持った強風が撫でていく。
爆風がおさまったところで、アンリは慎重に身体を起こした。
「……今のうちに、砦に戻りましょう。立てますか?」
「ひぃっ……」
か弱い悲鳴のような情けない声を上げながら、職員が震える身体を起こす。非戦闘職員であることを思えば、パニックになって暴れ出さないだけマシだ。
彼が立ち上がるのを手伝って、アンリは周囲に気を払いながら歩き出す。爆発は、防壁を壊すためのものだ。いったん防壁を壊してしまえば、魔力を大量に消費する大規模爆発魔法などそうそう使わないはずだ。
アンリの予想は正しく、歩き始めても周囲で爆発は起こらない。小規模な攻撃音も聞こえず、逆に不気味なほどだった。
「ア、アンリさん……ま、魔法で反撃などは、な、なさらないんですか?」
静けさに耐えきれなくなったように、横を歩く職員が震える声で言う。その目に怯えと焦りの色を見てとって、アンリは彼を落ち着けるべく、できるだけゆっくりと話した。
「反撃はしません。でも、いざとなったら魔法で防御くらいはできます。ちゃんと守りますから、安心してください」
なぜ反撃しないのかなどと聞かれたらどう誤魔化そうか……とアンリは警戒したが、不安と緊張で思考が狭まっているのか、彼がアンリの危惧する疑問を抱いた様子はなかった。
むしろ「守る」という言葉で、だいぶ落ち着いたようだ。この職員は防壁でアンリの異常なまでの魔法力を見ている。その魔法で防御すると約束されて、安心したのだろう。
「……とにかく急ぎましょう」
震えのおさまりつつある職員の手を引いて、アンリは足を早めた。
砦へ戻ったアンリは職員をほかの事務職員たちと合流させてから、指揮官のいる部屋へと向かった。指揮官は部屋に入ってきたアンリに、ほっと表情を緩める。
「お戻りでしたか。助かります……防壁の崩壊を確認しました。緊急時防衛計画に則り応援戦力の要請をしたところですが、応援が到着するまでは、この砦にいる全戦闘職員で防衛に当たります。ご協力いただけますか」
問うてはいるが「助かります」などと言っているあたり、アンリが断るとは思ってもいないのだろう。
しかし、指揮官の認識は甘い。
アンリは彼の襟元の徽章を確認していた。十五番隊の一般戦闘職員。最下位の位を示すものではないが、上級戦闘職員ではない。彼には上級戦闘職員であるアンリに協力を要請する権利があるかもしれないが、協力を命ずる権限は持っていないはずだ。
「……その防衛行動に、敵に対する反撃は含まれますか?」
もちろん協力の要請を無下に断るつもりはない。だからこそアンリは、慎重に尋ねた。
しかし指揮官には、アンリの意図が伝わらなかったのだろう。何を馬鹿なことを聞くのだと言わんばかりに、彼は眉をひそめた。
「当然です。この砦における防衛行動は、他の砦におけるものと概ね同一です。結界魔法による防御行動のほか、敵を退けるための攻撃行動を含みます。……敵の攻撃を防ぐだけでは、いつまでも攻撃が続きますから。反撃し、敵を退けて初めて防衛が成功したと言えましょう」
「……その攻撃行動に参加しろ、と。それは貴方の指示ですか? それとも貴方の上官から?」
アンリの問いに、指揮官は眉間の皺を深くした。上級戦闘職員とはいえ若造が、作戦行動にケチをつけようとしている……彼の目にはそう映ったのかもしれない。しかしアンリにとって、これは大切な確認だった。
アンリの問いの意図を理解できない指揮官は、苛立ちを含んだ低い声音で言う。
「攻撃行動への参加を要請します。この砦での緊急時の作戦行動の指揮権は、指揮官である私にあります」
つまり上官からの指示ではないということだ。
さすがに防壁が壊れるほどの一大事だ。指示を仰ぐつもりがないということではないだろう。まだ連絡が取れていないか、上官の側で指示内容を検討しているのか。
いずれにせよ、彼は指揮官ではあるが、上級戦闘職員ではない。その彼の要請であり、上級戦闘職員からの命令ではない。
「……では、俺の協力は保留となります。元の戦力で頑張ってください」
「なっ……」
指揮官が顔色を変えた。当然だろう。しかし、アンリの答えは変えられない。
「俺の戦力をあてにせず、作戦を実行してください。それができるだけの戦力は元々割り振られているはずでしょう。急いだ方が良いですよ。もう防壁は崩されていますから、いつこの砦が攻撃されてもおかしくは」
「ふ、ふざけるなっ! ……貴様、それでも上級……っ!!」
指揮官が怒りの言葉を止めたのは、地震のような床の揺れと、それが地震でないことを示す爆発音のためだった。砦のすぐ近くでの爆発だ。砦の周囲に張り巡らされた結界魔法を破ることを意図した攻撃だろう。
「……俺と言い争いなんてしている場合ではないと思いますが」
「……っ! もう良い! 作戦に参加しないなら、この部屋から出て行けっ!」
わかりました、とアンリは肩をすくめて扉に向かう。しかし、流石にこのままではまずいかと思い直して、部屋を出る直前で振り返った。
「条件が整えば、俺も協力します。最終的にはどうにかなると思いますよ」
指揮官からの強い嫌悪の視線を受けて、アンリはそのままそそくさと退室した。




