(21)
翌日の授業後は、部活動がないので皆で勉強会。ここ一週間ほどで、部活動のある日は魔法訓練を、それ以外の日には食堂で勉強会をという過ごし方が板についてきた。
皆と一緒なら仕方がないと、アンリも大人しく教本とノートを開く。
「地理学って苦手なんだよなあ……」
「意外ですね。アンリは仕事で国内各地飛び回っているのでしょう? 地理には詳しそうですが」
アンリのぼやきに、イルマークが首を傾げた。そんなことはない、とアンリは正直に首を振る。
「だいたい移動系の魔法で飛んでっちゃうから、位置関係がわからないんだよ。自分がどこにいるのか知らないで仕事してることもあるくらいだし」
「……よくそれで仕事ができますね」
「皆が助けてくれるからね。……でもたしかに、似たようなことはよく言われるなあ」
任務中、東西南北もわからずに呆れられたこと。集合場所として近くの大都市を指定されたが迷い、迎えに来てもらったこと。報告書に記載する町の名前を間違えたこと。
どんなことでもたいてい乗り越えてはきている。しかし、同僚から「またか」と言わんばかりのうんざりとした目を向けられることも多い。欠点をを補って余りある魔法力を有しているから許されているだけだ。
「イルマークは? 地理学できるの?」
「地理学は好きですよ。歴史学も。私が苦手なのは、数学とか構造学とかです」
口をへの字に歪める彼の手元を見ると、なるほど広げられたノートには何やら数学の計算式らしきものが羅列されている。よく考えれば、イルマークは将来旅人になりたいと言っているのだ。地理学が苦手なわけがない。
「いいなあ、二人とも。得意科目の試験があって」
アンリとイルマークの会話に口を出したのはマリアだ。頭を抱えるようにして天井を仰いでいる。
「なんで国語学は試験がないのよぉーっ」
ここ数日散々聞かされた話によると、マリアの得意科目は国語学らしい。文章を読み、言葉を学び、自分の意見を伝える術を知る。自分の意見をまとめてレポートを作成したり、スピーチとして発表したりすることは得意なのだとマリアは言う。
しかし残念ながら、国語学は学年末試験の科目には含まれていない。じっくり文章を読み、自分の意見をまとめる。その過程を重視する国語学に、試験という形式はそぐわないという理由らしい。国語学の成績は、日々の提出課題によってのみ決まり、試験は行われない。
「うぅ……せめて国語学が試験にあれば、試験勉強がんばれたのに……」
「得意科目の勉強ばっかり頑張ってたらだめでしょ、マリアちゃん」
いつものとおり、隣からエリックがマリアを宥め、教本に向かわせる。マリアが今取り組んでいるのは、歴史学のようだ。わかりやすくひとつひとつ説明して聞かせるエリックには、苦手科目がないのだという。試験に向けて特段勉強する必要もない彼が勉強会に参加しているのは、マリアの面倒を見るためだ。
「アンリ、ちょっとここ教えて」
アンリの方には隣に座るウィルから声がかかる。ウィルの前には計算式と図表が几帳面に書き込まれたノート。意外なことに、ウィルは数学をやや苦手としている。「やや」くらいであって、マリアやハーツが苦手とするレベルに比べれば相当上をいっているのだが。地理学や歴史学などの暗記科目に比べると、という意味だ。
「それは前の問いの答えが0であることを使って、こっちの式をこうして……」
「ああ、そっか」
ウィルの問いに答えながら、アンリも無駄話を切り上げて勉強に戻る。イルマークも手元のノートに戻って、かりかりと数式の続きを書き始めた。
試験まであとわずか。残念ながら、雑談に花を咲かせている場合ではない。
勉強会を終えて寮へと帰る途中で、アンリは見知った人影を遠くに見つけた。先に帰るように言って皆と別れてから、近寄って彼女に声をかける。
「キャロルさん」
「あら……アンリさん、こんにちは」
驚いた様子も見せずおっとりと微笑んだのは、魔法工芸部にアンリを勧誘した二年生のキャロルだ。部室のある特別教室棟から出てきたところを見るに、どうやら部活動の帰りらしい。
「こんにちは。もうすぐ試験ですけど、部活動やっているんですね」
「ええ、自由参加だから。試験前だとずいぶん人は減ってしまうけれど。アンリさんは、図書室で勉強でもしていたのかしら」
食堂で同級生たちと勉強会をしていた。そうアンリが答えると、キャロルは感心した様子でため息をついた。
「試験前にちゃんと勉強をするなんて、えらいわねえ」
「……キャロルさんは勉強しないんですか?」
「私は……」
「キャロルーっ!」
微笑みをやや陰らせて言いかけたキャロルの言葉を、遠くから響いた高い声が遮った。声の主が駆け寄ってくる、軽い足音が聞こえる。
「キャロルッ! 貴方、また勉強会サボったでしょうっ?」
聞いたことのある声だと思ってアンリが振り返ると、近寄ってきたのはサニアだった。強い口調でキャロルに迫ろうとしていたサニアは、キャロルと一緒にいるのがアンリであったことに気付いて意外そうに首を傾ける。
「あら、アンリ君じゃない。どうしたの、こんなところで」
「キャロルさんを見かけて、ちょっと話をしに。サニアさんこそ、どうしたんです?」
アンリの質問には、サニアがなぜここにいるのかということ以上に、なぜそんな剣幕でキャロルに駆け寄ってきたのかという意味が込められている。その意味を正確に理解したサニアは「聞いてよっ」と頬を膨らませた。
「キャロルがあまりに試験勉強をほったらかしにするから、ちゃんと勉強しようって勉強会に誘ったのよ。それなのに、キャロルったらサボっちゃって……貴方のために開いているようなものなのに! しかも、もう三度目よ!?」
「私は頼んでいないわ。言ったでしょう? 今さら勉強したって意味ないのよ」
感情のままに声を荒げるサニアに対し、キャロルは淡々と言う。まったく動じない彼女の様子に、サニアが地団駄を踏んだ。
「キャロルったら! そんなことを言っているから、魔法学以外の成績がぼろぼろなのよっ!」
「別に、私は魔法さえ学べればそれで良いもの。成績なんて知らないわ。アンリさんもそう思わない?」
「ちょっと! 後輩を巻き込まないのっ!」
アンリがキャロルに対して同意の言葉を口にする前に、サニアが厳しくキャロルを責め立てた。感情的になるサニアに対し、キャロルはあくまで涼しい顔で応じる。
「私は意見を尋ねただけよ、そう怒らないでちょうだい。……それよりアンリさん、私に何か話したいことでもあったかしら?」
どうやら彼女は友人に何と言われようと、我が道を行く性格らしい。それでも強いて更生させようと努めるサニアの、なんと情熱的なことか。
そんな彼女の矛先がこちらへ向かないうちに、アンリは早口に自分の用件を済ませることにした。
「実は、やっぱり魔法工芸部に興味があって話をしに来たんです。試験が終わったら、また見学させてもらえないかと思って。もちろん試験が終わったら、で! 俺も勉強しないといけないし。試験が終わったら人が増えるんでしょう? 楽しみにしていますね。それじゃあ、俺はこれで!」
試験が終わったら、という言葉を強調しつつ用件を告げ、「ええ、ぜひ」とにこやかに応じるキャロルの返事さえろくに聞かずに、アンリはその場を足早に去った。これ以上、二人の口論に巻き込まれたくはない。口論と言うよりも、サニアが一方的に怒っているような図になってはいたが。
それにしても。成績に興味を持たない人もやはりいるではないか。
アンリが成績に一切興味を示さないからといって過剰に心配する隊長のことを、アンリは心中で罵った。




