(18)
砦での仕事を終えると、アンリは急いでイーダの街に戻り、仲間たちが集まっているカフェテリアへと向かった。
テーブルがたくさん並んだ店内をきょろきょろと見回すアンリに、店の奥からハーツが手を上げて合図する。
「アンリ、こっち! 遅かったな!」
手を振り返し、アンリは仲間の待つテーブルへと向かう。
学年末試験に向けての勉強会。最初の約束は部活動のない日の授業後だけのはずだったが、当然のことながら、試験勉強がそれだけで足りるはずもない。
アンリたちは追加で休日にも集まることにして、今日は昼過ぎから夕方まで、このカフェテリアで勉強しようという話になっていた。
用があるから遅刻すると予め申し出ていたアンリだけが、こうして遅れて合流した形だ。テーブルではすでにエリックがマリアの面倒を見て、ウィルがハーツの面倒を見て、イルマークが一人で教本に向かう構図が出来上がっていた。
「おかえり、アンリ。仕事はちゃんと終わった?」
「うん、今日の分はね。次はまた来週」
ハーツのノートを覗き込んでいたウィルが、顔を上げてアンリを迎える。アンリはその向かいに座りながら、鞄から自分の教本とノートを取り出した。今日は歴史学。国の歴史を古代から、とことん頭に詰め込んでいく予定だ。
さて頑張るぞと気合を入れたアンリだが、斜向かいからの声に邪魔される。
「試験前に仕事なんて、大変だなあ」
どうやらハーツは、休憩の機会を狙っていたらしい。アンリが来てウィルが顔をあげたのをこれ幸いと、ペンを手放していた。
本心では試験勉強に向き合いたくないアンリは、ノートを広げたばかりにも関わらず、すぐに彼の話に応じた。
「仕方ないよ。忙しいときに仕事が重なるのは、よくあることだから」
「それってさ、断れないのか? 忙しいから今ムリとか、後にしろとか」
「……考えたこともなかった。でも、俺が学園に通っていることは上の人も知っているし。それでも回ってくるんだから、やらなきゃいけない仕事なんだと思うよ」
そもそもアンリの仕事は、隊長から下される「命令」の形でやってくる。命令を覆すなど、そう簡単にできることではない。
「それに、頼られているってのは嬉しいからね。少しくらいは頑張るよ」
「ふーん、そういうもんか。……いいなあ、アンリは。俺、こんな勉強なんかしてても、誰かに頼られるなんて一生無いだろうなあ」
ため息混じりに羨望の言葉を呟きながら、ハーツは自分のノートの上に突っ伏した。そんなハーツに、ウィルがやれやれと声をかける。
「アンリの邪魔ばかりしていないで、さっさと続きをやろうよ、ハーツ。とことん勉強すれば何かの役には立つかもしれないよ」
「たとえば?」
「……二年生になってから、後輩の女の子に勉強のことを聞かれて答えられるとか?」
後輩をわざわざ「女の子」に限定する必要は一切ないのだが。それでもウィルの思惑通り、ハーツはがばっと体を起こした。
「よし、やるか!」
俄然やる気を出して教本とノートに向かったハーツが、後輩の「女の子」に興味を持ったのかどうかはわからない。
しかしたしかに言えるのは、これでアンリも休憩の口実をなくし、歴史学の教本に向き合わざるを得なくなったということだ。
ため息とともに教本を開いたアンリは、まだほとんど書き込みのないノートにペンを走らせた。
寮の食堂での夕食後、ウィルは部屋に戻ってさらに勉強するという。その勤勉ぶりにアンリは辟易し、食堂の出口でウィルと分かれることにした。不審そうに眉をひそめるウィルに、隊長から通信魔法が入っている、と嘘ではない口実を告げて屋上へ向かう。
『悪いな、アンリ。手短に済ませるから』
「いいですよ。今日は時間があるので、ゆっくり話しましょう」
『時間があるって……試験勉強はちゃんとやっているんだろうな?』
「大丈夫です。今日は昼間にたくさんやりました」
『今日は砦に行ったんだろう? そんなに勉強の時間なんて取れなかっただろうに』
勉強勉強ってうるさいな……とアンリが口を尖らせた気配でも察したのだろうか。隊長はそう長く同じ話題に留まらず、すぐに本題に移った。もしかすると手短に済ませたいのは、隊長自身の都合なのかもしれない。
『トウリさんが正式に答えをくれてね。来年から、こっちの仕事に力を貸してくれることになった』
詳しく聞けば、仕事は新人職員の育成に関わることだという。戦闘職員という肩書きにはなるが、何番隊という所属を持たない特別職員の扱いになるそうだ。
もともとトウリは戦闘部局に籍を置いていた際、部下の育成に定評のある職員だったらしい。彼が面倒を見て、現在上級魔法戦闘職員になっている職員も少なくない。隊長もまさに、その一人だ。
『学園の教師と聞いて、天職だろうと思ったよ。でも、せっかくならこちらでもまたその力を発揮してほしいと思ったんだ』
「それで、兼職ですか」
『うん。俺は完全にこっちに戻ってきてほしかったんだけれど、トウリさんが学園を辞めるのを嫌がったからね。まあ、たしかに中等科学園に通うくらいの若い子にこそ、あの人は必要なのかもしれない』
トウリはどうやら戦闘職員と中等科学園教師とを比べて戦闘職員を選んだわけではないらしい。どちらかを選べずに両方を選んだのか、隊長の誘いを断り切れずに兼職ならと条件をつけたのか、中等科学園を辞められない事情があったのか。
理由はわからない。しかしアンリたちのことを完全に見捨てる選択を、トウリ自身が拒んだのだ。
『トウリさんを恨むなよ。あの人はあの人で、考えがあって選んだ道だ』
「恨みませんよ」
部活動の顧問を辞めると突然言われ、アンリはトウリから見放されたように思っていた。しかし彼は少なくとも迷ったようだし、アンリたちへの影響が最小限になるように、できる限りのことをしてくれたのだ。それを恨むのは、あまりにも心が狭い。
『アンリが仕事と中等科学園とを両立しているように、トウリさんも両立させたいと思っているんだ。応援してやってくれ』
生徒として中等科学園に通うアンリと、教師としての責任を持つトウリとを同等に扱うのは無理がある。そう思いながらも、アンリははっきりと頷いた。
トウリがなぜその道を選んだのかはわからない。今後どんな道を選んでいくのかもわからない。しかしきっとトウリなら、アンリたちを無視した選択は、絶対にしないだろう。
トウリが防衛局に戻ると聞いてからずっともやもやしていた心が、このときすっきりと晴れたようにアンリは感じたのだった。
年末年始には帰ってくるのかと、隊長にまで聞かれた。
「孤児院に顔くらいは出しますよ。院長先生にも、そういう手紙を出しました」
『それならこっちにも顔を出せ。俺はたぶん、年末年始も本部にいるから』
「普段は少しくらい家に帰っていましたよね? 忙しいんですか」
『どこかの上級戦闘職員が休職中でな。大変なんだ』
そうですか、とアンリは素知らぬ顔で相槌を打つ。元々、アンリを中等科学園に通わせるよう手配したのは隊長だ。いや、正確に言えば、中等科学園に通わせろと言うサリー院長の要望を退けられなかったと言うべきか。いずれにせよ、隊長がどんなに忙しくなったところで、アンリのせいではない。
そのうえアンリは砦に行ったりサニアの実験に付き合ったりと、なんだかんだで上級戦闘職員としての仕事もある程度こなしている。これで責められては割に合わない。
『……冗談はさておき。成績が出るだろう? 俺にも見せてくれよ、保護者なんだし』
「いやです」
笑い混じりの口調が明らかに冗談の続きであったため、アンリは即座に拒絶した。
「院長先生には見せますけど。普段は保護者らしいことなんてしないくせに、こういうときだけそんな肩書きを持ち出す人には、絶対に見せません」
そういえば隊長には、ちょっとした相談をトウリに告げ口された恨みもあった。
面倒を見ているだろうとか、相談に乗っているだろうとか、たまに様子を見に行っているだろうとか。そんな隊長の言い訳をことごとく無視し、改めて「隊長には成績を絶対に見せない」と言い切って、アンリは通信魔法を切った。




