(17)
西の国境近くの砦。アンリは二度目の魔力補充のため、前回と同じ職員に先導されて、砦から魔法器具のある防壁横へ向かって歩いていた。
「ここの砦の職員さんたちは、近くに住んでいるんですか?」
沈黙を紛らわせるために。そしてトウリに言われたように、人と交流することに慣れるために。アンリは先導する職員に声をかけた。
突然アンリに話しかけられて、職員はびくりと肩を震わせる。思えばこの職員は、前回アンリの魔法を見て、怯えるような態度を見せていた。つい気安く話しかけてしまって、可哀想だっただろうか。
「は、はいっ」
アンリが後悔しかけた頃になって、ようやく緊張に裏返った声が返ってきた。
「あっ、も、申し訳ございませんっ。じ、自分は緊張しやすいタチで。こ、声が……」
「ええと。すみません、無理して喋らなくてもいいですよ」
「しっ、しかしっ……っ」
ガチガチの声を返していた職員は、そのまま咽せて咳き込んだ。先日もこうだっただろうか……あまり話さなかったからわからなかったと、アンリはそのときに交流を図らなかった自分を反省した。
ゲホゲホと咳き込む職員に合わせて、アンリは足を止める。苦しそうなので背中を撫でてやろうかとも思ったが、この様子では、そんなことをしたら心臓発作を起こしかねない。結局アンリは何もせずに見守った。
やがて落ち着いた職員は、眉を八の字にして、しょんぼりと口を開く。
「も、申し訳ございません……」
「いえ、気にしないでください。っていうか、そんなに緊張しなくてもいいですよ。俺、上級とは言ってもただの若造ですし」
彼の気持ちを落ち着けようと、アンリはあえて気楽な口調で言った。職員もどうやら一呼吸置いたことで気持ちに余裕ができたらしい。アンリの言葉を受けて、相変わらずの八の字眉毛ながらも、口元には少しだけ微笑みを浮かべた。
「いいえ。若くして上級魔法戦闘職員という最高職に就かれているから、すごいんじゃないですか。……お気遣い、ありがとうございます。すみませんでした、お見苦しいところを」
「いや……もう大丈夫ですか? 進みましょうか」
彼がしっかり落ち着いたのを見て、アンリは足を先へ進めるよう促した。慌てて駆け出す勢いで進もうとする彼に、足下に気を付けるよう声をかけつつ、アンリも進む。
「あ、あの、ええと」
アンリの半歩前を歩きながら、職員は控えめに口を開く。
「自分らの住まい、ですよね。この砦の東側で、アトーネ川を渡った辺りに、小さな町がありまして……まあ、町と言うか村というか、というくらいの小さな町ですが」
しどろもどろの口調は、まだ緊張が抜けていないからだろう。それでも誠意を持ってアンリの問いに応えようとしている様子だったので、アンリは下手に口を挟まず彼の言葉を待った。
「自分のようにこの砦で管理だとかの事務を担当する職員は、その町の役所から派遣されるんですよ。だいたいがその町に住んでいます。自分も町に家族がいまして……普段は砦に泊まり込みですが、まとまった休みが取れるときには、町に帰るんです」
「町にご家族がいるんですか?」
何気なく口にしたアンリの問いに、それまでどんよりと曇っていた職員の声が、ぱっと明るく輝いた。
「ええ、はいっ!」
よくぞ聞いてくれました、と心の声が聞こえるようだ。その声色の変わりようにアンリは内心で苦笑しつつ、相槌だけ打って続きを促す。
「妻と子供がおりまして。子供は先月、産まれたばかりなんです。まだ自分は一度しか会えていないんですよ。次の休みが待ち遠しくて……っと、す、すみません」
仕事中に休みが楽しみだなどと口走ったことを言っているのだろう。いいですよ、と軽く笑って流しつつ、アンリは話に乗った。
「町には奥さんと子供だけ? 大変ですね」
「そうなんです。妻の実家から義母に手伝いに来てもらっていますが、それでも大変だと思います。自分も一応、町の中心部での仕事への異動願いは出しているんですが」
「早く叶うといいですね」
アンリが声をかけると、彼はハッと我に返った様子で声を詰まらせた。しばらくモゴモゴと言い淀んだ言葉をうまく縮めれば「仕事中にこんな私事を、しかもこの砦から離れたいだなどとふざけたことを言って申し訳ない」といったところか。
しどろもどろに言い募る彼を前に、アンリは堪えきれずに吹き出した。
「気にしなくていいですよ。別に俺、貴方の上司でも同僚でもありませんから。それよりいい話を聞かせてもらえたし、ほら、もう着きましたよ」
明るい話題のお陰で歩く時間も短く感じた。実際には彼が咽せて立ち止まっていた分だけ時間は余計にかかっているのだろうが、もともと大した距離ではない。気持ちの問題だ。
アンリの言葉に職員もどうやら落ち着いたようで、アンリが作業をしている間は慌てた様子も見せず、静かに近くで待っていた。
二度目にもかかわらずアンリの作業の短さに腰を抜かしそうなほどに驚愕した職員だったが、行きの道中に色々と話した甲斐あって、帰りは相当気を楽にしてアンリの話し相手になってくれた。
そして彼の話してくれた意外な砦事情に、アンリは思わず目を見開いて声をあげる。
「え、この砦って、上級戦闘職員はあまり来ないんですか?」
「え? ええ、はい。自分たちのような事務職員のほかに、普段は防衛局から十五番隊の方々が交替で詰めてくださっていますが、隊長さんクラスの方がいらっしゃるようなことはありませんよ」
「でもここって、隣の国からたまに過激な集団が攻めてくるって聞きましたけど。有事のときにはさすがに」
「いえいえ。たしかに、過激派集団って言葉にすれば怖いですけど。でも、十五番隊の方々の戦力に比べたら、そんな。本格的な軍事行動として攻めてくるわけじゃありませんから、上級戦闘職員様に応援をお願いするほどでは」
そうだったのか。隣国からよく攻められる砦と聞いて、アンリは当然しょっちゅう上級戦闘職員が出入りする砦なのだろうと思っていた。
アンリの予想と裏腹に、この砦にアンリのような上級戦闘職員が出入りすることなど年に数回あるかどうか。案内してくれている彼に至っては事務職員として三年ほどこの砦に勤めているにも関わらず、上級戦闘職員とまともに話をするのはこれが初めてであるという。
「そりゃあ、緊張もしますね」
「そ、その件は、大変お恥ずかしくっ」
思わず漏らしたアンリの言葉に、職員は改めて過剰に恐縮した。しかしここまで会話を積み重ねてきた成果か、固まってしまう時間はそう長くない。
「比較的平和な砦なんですよ、ここは。とはいえ敵が小さな集団だからこそ、いつ攻めてくるかがわからないという不安はあります。砦にいるときはまだ良いのですが、魔法器具の様子を見に防壁まで行くときなどは……」
「いつもはどうしているんですか? まさか、事務職員だけで砦の外に出るわけではないでしょう?」
「十五番隊の方が一人か二人、護衛についてくれます。心強いですよ。……だめですね、守ってもらっている立場で、不安など口にしては」
護衛がついたところで最前線であることには違いない。不安なものは不安、ということなのだろう。
口走った言葉を後悔するように項垂れた職員は「誰にも言わないから大丈夫ですよ」というアンリの言葉に幾分か救われたようで、顔を上げて弱々しく笑った。
「すみません、ありがとうございます……十五番隊の方々は本当に頼もしいんですよ。自分も何度か砦を攻められる経験はありますが、いつも十五番隊の方々に守っていただいて。砦を守って我々を護衛してくださる方と、外へ出て反撃する方とに分かれて、すぐに敵を追い払ってしまうんです」
駐在する十五番隊の戦闘職員の中で、最初から防衛と反撃との役割分担が決まっているのだろう。小規模とはいえ戦闘行為が頻発する砦だ。非常時のマニュアルくらいはあるに違いない。マニュアルに則りスムースな防衛行動が取れているのだろうと、アンリは推測した。
「それにしても、先ほどの魔法は見事でしたね。……上級戦闘職員様であれば、防衛も反撃も、一人で全てこなせるのではありませんか」
職員の目にはいつのまにか憧れの輝きが浮かんでいた。期待のこもった目で見つめられて、アンリは苦笑する。どうやら彼は「上級戦闘職員」という普段は見ることもない存在に対して、過度な期待を持っているようだ。
「……俺だって人間ですから、一人で全部は無理ですよ。もちろん俺がいる間に何かがあるようなら協力はしますが、そんなに期待はしないでください」
過度な期待を捨ててもらうため、アンリは慎重に言葉を選びつつ言い切った。
力だけでいうならば、この砦を守りながら反撃することもできる。相手が万の軍勢であろうと、殲滅する自信がアンリにはある。それでもアンリがそうして力を振るう機会は、きっとここでは訪れない。
細かく説明することを嫌ったアンリは力不足を装うことで、目の前の職員の期待を封じることにしたのだった。




