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さてアンリが納得したところでトウリの話も終わるかと思われたが、そうは問屋が卸さなかった。
「このあいだの面談では、魔法力検査の話ばかりになってしまったからな。ほかの話もしておくべきだったと思っていたんだ。どうだ、もうすぐ一年になるわけだが、学園生活で困っていることはないか」
「特に何も」
指導室という場所から解放されたかったアンリは、少しでも早く話が終わるようにと短く答えた。そんなアンリの心を知ってか知らずか、トウリの方は、話を終わらせるつもりが無いらしい。
「クラスの中では、上手くやれているか」
「まあ、はい。マリアとかエリックとかハーツとか、友達はいますし。楽しくやってます」
「……それは部活動の仲間だろう」
「部活動の仲間ですけど、クラスメイトです」
何も間違ったことは言っていないと、アンリは胸を張る。そもそもクラスメイトであるマリアに誘われたからこそ、部活動を始めたのだ。このメンバーは、部活動の仲間である以前にクラスメイトだ。
そんなアンリの理屈を無視して、トウリは小さくため息をついた。この指導室でアンリのためにトウリがついたため息は、いったい何回になっただろう。
「部活動の仲間以外とは、ちゃんと付き合えているのか?」
「……日常会話くらいはしますよ」
改めて問い直された言葉に、アンリはやや視線を逸らしながら答えた。
アンリは部活動仲間以外のクラスメイトと、ほとんど会話らしい会話をしない。トウリはきっと、そのことを知りながら言っている。
アンリを心配してのことなのだろうが、余計なお世話だ。それでもトウリは、アンリの心の声を無視して続けた。
「人付き合いが苦手なわけではないんだよな? 入学直後はもう少しほかの奴らとも話していただろう」
「そりゃあ、初対面で悪い印象は持たれたくないですし。最初は多少、頑張りますよ」
「お前にとって友達付き合いってのは、頑張らないとできないことなのか」
「そんなことはないですけど……まあ、いつものメンバーだと気が楽だっていうのは認めます」
アンリは口を尖らせた。クラスメイトとの会話が苦痛だということは無い。しかし部活動の仲間たちと違って普通のクラスメイトたちは、アンリが常識的な知識を持っていないことや、アンリが異常な魔法力を持っていること、そしてアンリに隠しておきたい身分があることを知らない。そのことに気を遣いながら会話するのが、面倒なのだ。
「今年で部活動は終わりにするんだろう? そんな状況で、今後どうするつもりだ」
う、とアンリは言葉に詰まる。どうするもこうするも、何も考えていなかった。
黙り込んだアンリに、トウリがたたみかける。
「部活動を解散すれば今の面子と集まる機会も減るだろうし、クラスが変われば新しい付き合いも生まれる。周りではお前の事情なんて、知らない人間の方が多くなるんだ。面倒くさがらずに、もう少し交友範囲を広げる努力をしろ」
「……皆で同じクラスになれれば…………」
「阿呆。クラスが変わって新たな友人ができるのは、お前だけじゃない。あまり甘えていると、取り残されるぞ」
マリアやエリック、ハーツたちにも、アンリ以外にもっと親しい友人ができるかもしれない。別の部活動に入ることにでもなれば、そこでの友人関係が優先されるだろう。
彼らとの友人関係が終わることはない。しかし部活動がなくなれば、関係性が薄くなることは確かだ。そうなったとき、今までと同じように周りとの付き合いを避けていたら、アンリは孤立してしまう。
「二年になったら魔法力だとかを隠して友人関係を築くことになるんだ。覚悟しておいた方がいい」
「……努力します」
余計な世話を焼くトウリの言うなりになるのは癪だが、言っていることはもっともだ。
反抗的な態度をおさめ、アンリは神妙に、いっそ悲しげな顔をして頷いた。
指導室から出たアンリは、丸一日授業を受けたこと以上の疲労を精神的に感じながら、皆がすでに勉強会として集まっている食堂を目指した。
興味のない科目の試験勉強にはとことんやる気の出ないアンリだが、それでもなんとか勉強できているのは、この勉強会のおかげと言える。
(でも来年になったら、これもできるかわからないんだよな……)
食堂に向けて歩きながら、トウリの言葉を思い出す。来年になれば、皆にそれぞれ新たな友人ができる。そうしたら、このような勉強会は開いてもらえなくなるかもしれない。
(開いてもらうじゃなくて、俺が開きたいって声をかければいいのか……いや、開いてほしい、かな……)
互いの苦手科目を補うための勉強会だが、苦手科目の多いアンリは、教えることよりも教えてもらうことの方が多い。勉強会を開きたい、などと偉そうなことを言える立場ではない。勉強会を開いて勉強を教えてほしい、勉強を教えてくださいと、願い出なければいけない立場だろう。
(でも来年は授業も真面目に受けるつもりだし。俺だって、少しは)
自分から声をかけるにしても、願い出るにしても。自分に対して少しは自信がほしい。
頑張ろう。アンリは意を決して、食堂への道のりを急いだ。
勉強会を終えて寮に帰ると、アンリ宛てに孤児院から手紙が届いていた。同室のウィルは親戚から食事に誘われたからと、学園を出たところで別れた。今夜は外泊予定だという。おかげでアンリは部屋で独り、静かにゆっくりと手紙に目を通すことができている。
サリー院長の流麗な字は、まずアンリの健康を案じ、学園生活を案じ、それから年末年始のことを尋ねていた。
『もうすぐ中等科学園もお休みに入るでしょう。年末年始のお休みは、どのように過ごすつもりでいるのかしら。孤児院で過ごすつもりなら、部屋の準備がありますから早めに知らせてくださいね』
年末年始の休みは二十日間ほど。多くの学園生は、この機会に帰省するものと聞いている。
アンリが帰省するとすれば行先は孤児院だが、そのつもりはなかった。というのもアンリはこれまで、年末年始に帰省する中等科学園生たちを迎える側だったのだ。大人を手伝って部屋の準備をする慌ただしさ、突然人が増える食堂の賑わしさと狭苦しさ。久しぶりに兄姉たちに会える喜びはあったものの、どちらかと言えば、大変だったという記憶の方が強い。
暮らし慣れた場所で久々にのんびり過ごしたい気持ちもあるが、弟妹たちの苦労を思えば、帰省しようという気持ちも萎む。特に魔法という移動手段のあるアンリは、長期休暇でなくとも孤児院に顔を出すことができる。わざわざこの大変な時期に帰る必要はない。
年末年始は寮で大人しくしていよう。アンリはずいぶん前からそう決めていた。
『もしもこちらに滞在するつもりがないのでしたら』
サリー院長の手紙は、アンリの心を読んだように続く。
『お休みの間に、一度くらいは顔を見せにいらっしゃい。そのときには成績表を持って来てくださいね。学園でのお友達のことやお勉強のこと、色々と聞かせてくださいな』
この一段がアンリにどれほどの絶望をもたらすか、サリー院長は書くときに少しでも考えただろうか。あるいはわかっていて、あえて書いたのかもしれないが。
(成績表、持って帰らなきゃいけないのか……)
誰もいない部屋の中で、アンリは人知れず頭を抱えた。




