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(3)

 ぴかりと輝く銀色の器に、色味の異なる三種のチョコレートアイスクリームのボール。アイスクリームの上には、黒と見紛うダークブラウンのチョコレートソース。さらにその上から、小さく砕いた木の実が散りばめられている。


 ココアとチョコレートって何が違うの? と問われれば全く違うと力説するアンリだが、チョコレートが嫌いというわけではない。むしろ好物と言って差し支えない。


 テーブルに置かれたチョコレートの冷菓に熱い視線を送るアンリを、向かいで上級生のサニア・パルトリがにこにこと見つめていた。


「どうぞ、召し上がれ?」


「……ほんっとうに、いいんですか?」


「もちろん。そのために用意したんだから」


 念を押して許しを得たアンリは、手元のスプーンに手を伸ばす。ここまで来たら、ためらっても仕方がない。アンリは遠慮も警戒も忘れて、アイスクリームを頬張った。アイスクリームの冷たさが頬に痛い。冷感がチョコレートの甘さをきりりと引き締め、ソースのほろ苦い味わいを際立たせている。美味しい。


 パルトリチョコレートのイーダ支部に付設されたカフェテリア。二階に設けられた従業員専用スペースの一角で「試作品なの」とサニアから供されたチョコレートアイスクリームを前に、アンリはそれまで抱いていた警戒心の全てを忘れることにした。ひと口目を口に運んだ後はなおのこと、目の前の菓子のこと以外考えられなくなった。


 一方でアンリとともに呼び出され、こちらはバニラアイスクリームのベリーソースがけを前にしたアイラは、スプーンに手もつけずに向かいのサニアを睨み続けている。


「アイラさんも、溶けてしまう前にどうぞ」


 アイラの強い視線にもたじろぐことなく、サニアはにっこりと微笑んだ。


「大丈夫、それを食べたからって、無理なお願いをするつもりはないわ」


「……何かしらお願いはされるということでしょう?」


「あら。ここへ来るときに言ったはずよ、『話を聞いてほしい』って。私からのお願いはそれだけ」


「…………」


 アイラの強気な言葉にも、サニアは一切怯まない。一方でアイラはサニアの真意を探るべく、彼女の瞳をじっと見つめる。


 数秒、無言の時が流れた。


 その二人のそばにいて、アンリは殺伐とした空気をものともしなかった。シャリシャリと、アンリが遠慮無くアイスクリームを食す小さな音が響く。チョコレートのアイスクリームを口に運ぶたび、アンリは幸せに頬を緩ませた。


 隣に座るアイラはサニアから視線を逸らしてアンリを見遣る。視線に気付いたアンリは、悪びれた風もなくその視線に応えて顔を上げた。


「アイラも食べたら? 溶けちゃったらもったいないだろ?」


「…………」


 友人に声をかける一瞬の間さえ惜しむように、アンリは再びアイスクリームに視線を戻す。アイラは小さくため息をついた。


 一人で気を張っていても意味はないと思ったのだろう。アイラは黙ったまま観念した様子でスプーンを手に取り、目の前のバニラアイスクリームを小さく掬う。


 甘いアイスクリームを口に運んだアイラの目元がほんの少し緩んだのをみとめて、サニアはにっこりと微笑んだ。




 そろそろ本題に入りたいのだけれど、とサニアが改めて声に出したのは、アンリがアイスクリームをきれいに平らげ、アイラのアイスクリームが最後のひと口となったときだった。


 アイラは食べ進めるうちにだいぶ警戒を緩めていたが、サニアの一言にはっとして、厳しい目元を取り戻す。


 それでも最後のひと口をしっかり口に運ぶ様子から察するに、甘いもので懐柔しようというサニアの作戦はおおむね成功していると言えそうだ。


「交流大会ではありがとうね。おかげさまで、大盛況だったわ。……それでね、あの模擬戦闘を見ていた私の同級生たちが、貴方たちと話をしたいと言っているの」


「話?」


 さすがのアンリも訝しんで眉を寄せた。なんだろう。防衛局でもたまに優秀な新人が入ってくると「一年目のくせに生意気な」という意味のわからない陰口が発生したりするが、その類だろうか。


 しかし、サニアがわざわざそんなことを伝言するとも思えない。と思っていたら、サニア自身も、やや言葉足らずな言いぶりに気付いたらしい。慌てた様子で次を続ける。


「あ、話って、全然まずいことではないのよ。実はその同級生たちっていうのが、それぞれ部活動をやっていてね。貴方たちを、自分の部活動に勧誘したいらしいのよ」


「お断りします」


 さっさと結論を出したのはアイラだ。間髪入れない物言いに、サニアのみならず、アンリまで驚いて彼女を見遣る。


「ええと、アイラさん。まだどんな部活動かの話もしていないのだけれど?」


「何の活動であろうと、お断りします。サニアさん、私とアンリが魔法研究部に所属していることはご存知でしょう? 今、他の部活動にと言われても、お断りするしかありません」


 なるほど確かに。他の部活動に参加するということは、魔法研究部の活動に参加できなくなるということだ。簡単に許容できることではない。


 強気なアイラの発言に勇気を得て、アンリも改めてサニアを見据えた。


 きっぱり断ろう。そう思ったのだが、口を開いたのはサニアの方が早かった。


「待って待って。今すぐに、と言っているわけではないわ。もうすぐ学年末試験だし、試験明け……二年生になってからでもいいのよ。魔法研究部との兼部でも構わないとも言っているし。話だけでも、聞いてみてもらえない?」


 兼部? と首を傾げたアンリに、アイラが呆れた調子で「複数の部活動を掛け持ちすることよ」と説明する。なるほど魔法研究部の活動は週に三日だ。活動のない日なら、別の部活動にも参加はできるだろう。


 それでもアイラは、硬い態度を崩さなかった。


「遠慮しますわ。魔法研究部の活動のない日は、家で勉強や魔法の訓練をしているんです。とてもではないけれど、他の部活動に参加する余裕はありません」


 そう、と残念そうに頷いたサニアは、それ以上アイラを強く誘いはしなかった。「無理なお願いはしない」という約束を忠実に守ってくれている。


 代わりに彼女は、アンリに目を向けた。


「アンリ君は? アンリ君なら、今さら訓練なんてないでしょう?」


「うーん。まあ、そんなに頻繁に訓練はしませんけど。でも仕事が入ることはあるし……」


「だめかしら」


 眉を八の字に歪めるサニアから、アンリは思わず目を逸らす。逸らした先には、自身が空にしたチョコレートアイスクリームの器。やや気まずくなって、アンリは小さく唸った。


「うーん……そうですね、話を聞くくらいなら」


「ほんとっ!?」


 アンリの承諾に食いつくように、サニアはテーブルへ身を乗り出した。輝くばかりの彼女の表情に、先程の残念そうな顔は幻だったに違いないと、アンリはやや後悔した。


「アンリ、貴方……懲りないわね」


 頭を軽く抑えるアイラの暗いひと言に、そういえば交流大会への参加もサニアにうまいこと乗せられて決めたのだったと、アンリは改めて思い出した。




 明後日の授業後の時間を空けておいてとだけ言われて、その場はお開きとなった。てっきりこの場にサニアの同級生とやらが現れて勧誘が始まるものと思っていたアンリは、やや拍子抜けした気分でパルトリチョコレートの支部を後にする。どうやらサニアは本当に、アンリとアイラの意向を確認するためだけに今日の場を設けたらしい。


 それだけのためにあんな高級菓子を用意してくれるとは、なんていい人なんだろう。


 アンリがそんな感慨に耽っている横で、アイラはぐっと強く眉を寄せていた。


「……結局私まで話を聞く羽目になったじゃないの」


「アイラが決めたんじゃないか。別にいいよ、俺はひとりでも」


「駄目に決まっているでしょう。貴方をひとりで行かせたら、ココアかチョコレートに釣られて簡単に魔法研究部を辞めそうだわ」


「さすがに俺もそのくらいは考えるけど……」


 歯切れが悪いのは、交流大会のことだとか今日のことだとか、ここ最近の出来事だけでも前科が積み上がっているからだ。


 そのうえアンリは今になって、トウリに言われたことを思い出していた。


「アイラはさ、二年生になっても魔法研究部を続けたい?」


「……当然でしょう。何よ、唐突に」


「実は、先生から言われたんだ」


 そうしてアンリは、トウリから言われたことをアイラに伝える。魔法研究部の当初の目的は果たしたこと、これからも活動を続けるのであれば新たな目標が必要であること、そして部活動としての体裁のこと。


 トウリは他のメンバーにも話すと言っていたが、クラスの違うアイラの面談は担当していないはずだ。おそらくどこかで話す機会を作るつもりだったのだろうが、案の定、アイラはまだこの話を聞いていなかったらしい。


 これ以上無いほど眉間の皺を深くして、アイラは呻くように言う。


「それなら、貴方が先輩の話を聞くというのは……魔法研究部を解散した後の行き先を見据えてということなの?」


「いや、そんなに深く考えているわけじゃないけど。でも、部活動が普通どういうものなのかを俺は知らないから、見てみたいっていう気持ちはあるよ」


 本当は何も考えず、ただサニアへの申し訳なさで決めただけだが。しかし後付けでもこうして理由を付けてみれば、なかなかサマになるものだ。


「だからアイラも、魔法研究部があるから参加できないなんて思い詰める必要はないんじゃないかな」


 明るく軽いアンリの発言に対し、アイラは不機嫌な顔で黙り込んだ。

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