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三位決定戦に盛り上がっていた会場も徐々に落ち着き、アンリとアイラが会場に姿を現したときには、改めて温かい声援が湧き起こった。
声援の多くは、年齢無制限の部で決勝まで残った中等科学園生二人への励ましだ。それからあの三位決定戦を繰り広げた二人に勝って決勝まで残った二人の試合に対し、純粋に見応えを期待する声もある。
「アンリ君、がんばれーっ!」
「アイラ様、応援してますー!」
元からの知り合いや、ここまでも二人を応援してきた人々は、二人の名前を呼んで声援を送る。そうした声にはアンリもアイラも、手を振ってにこやかに応えた。
悪くない、とアンリは穏やかに考える。あの三位決定戦の後に出てきた若造に対して観客はどれほど冷ややかだろうと覚悟していたのだが、杞憂だった。誰もがこの試合を楽しもうと声をあげて応援してくれている。ならば、その期待に応えなければならない。
向かいに立つアイラにしても、アンリと思いは同じなのだろう。そもそもアイラは、力試しがしたかったはずなのだ。それでも観客のことを、そしてこの大会のことを考えて、自分の望みを他所に置いた。その気持ちにも、アンリは応えなければならない。
間違っても魔法一発で終わらせるような真似をしてはならない。それから先の試合の終わりには、ほとんど奇襲のようにしてエイクスに勝ったが、あれも駄目だ。観客を置き去りにしてしまう。
(ちゃんと見応えのある試合にしないとな)
アンリが心に誓ったのとほとんど同時に、試合開始の合図が鳴った。
手元で素早く魔法を練り上げたアンリは、わかりやすく見栄えがするように、空へ向かって細く炎の渦を巻き上げた。蛇のように身を捻りながら上昇した炎は、上空で頭をもたげると、急下降してアイラを狙う。
もちろんアイラも、ただそれを受けるほど馬鹿ではない。氷魔法で作った壁で難なく炎を防ぐと、むしろそれを利用して、白く曇った氷に身を隠した。足音は横へと動いているようだが、アンリからは正確な位置を見て取ることができない。
そうしてアンリのすぐ近くで突然姿を現したアイラは、そのままアンリに向けて、炎と風の重魔法を放つ。アンリが手加減して見世物の戦いをしているのに対し、アイラは本気でアンリを倒しにかかっている。ずるいとは思うがもちろん無駄口は叩かず、アンリは迫る炎の竜巻から飛翔魔法で上空へと逃げた。
逃げたアンリを追って上へと向きを変えた竜巻に対し、重魔法を叩きつける。細かい氷の粒を纏った風が、キラキラと輝きながら竜巻を押し返して消滅させた。
そのまま緩やかに地面へ下りながら、アンリはアイラに向けて十数本の氷の矢を飛ばす。アイラは難なく炎でそれを撃ち落とした。予想通り。アンリは着地と同時に横へ走ってもう一度、同じように氷の矢を飛ばした。これもアイラは炎で撃ち落とそうとする。
しかし、今度の矢はそれでは落ちない。勘の良さを発揮したアイラはすぐにそのことに気付いて、大きく後ろに飛びずさった。アンリは小さく舌打ちする。氷の中に、岩石魔法で作った石を混ぜたのだ。最初に氷だけの矢で油断させたので、上手く引っかかってくれると思ったのに。
「ちょっとアンリ、危ないでしょう!?」
「そんな大きな怪我するほどじゃないし、怪我したらちゃんと治してやるよ……っと」
会話に混ぜて魔法を飛ばすアイラもなかなか卑怯なものだ。飛んできた水魔法の攻撃を氷で受けて、そのまま砕いた氷をアイラに向けて発射する。とはいえ、対エイクス戦でも見せた戦法に、アイラがはまるはずもない。アイラの作った風で、氷は簡単に払われる。
攻防のたびに、観客からは大きな歓声があがった。重魔法も使ったし、なかなか見応えのある試合になっていることだろう。
しかしこのままではいつまで経っても似たような攻撃魔法と防御魔法とが続くだけだ。見ている方も、そのうちあきてしまうだろう。なによりも、アンリ自身があきる。
(そろそろいいかな……)
アイラが続けて撃ち出した炎魔法に、アンリはあえて水魔法を当てた。炎にぶつかった水が蒸気となって辺りに散るのに合わせ、水魔法の応用で、周囲に霧を発生させる。
観客の視界も、アイラの視界も、アンリの視界さえも遮る魔法の霧だ。視界の効かない中で、アンリは自分の魔力の気配を頼りに、アイラの腕輪に向けて小さな雷魔法を飛ばす。
(他人のことを言えないな……)
アンリが狙ったのはアイラの右腕の魔法器具。魔法器具破壊に動いたスグルやエイクスを非難したアンリだったが、やはりこれが一番有効な手であることは疑いようがない。
しかしアンリの予想に反し、アイラはアンリの魔法を避けた。目で見えたはずはない。魔力を感じ取っているのだろう。
(目が良いのかと思っていたけれど……そうではなくて、感覚が鋭いのか)
アンリは再び雷魔法を、今度は自分のできる全力の隠蔽をかけて飛ばした。これで気付かれるなら、負けを認めても良いと思えるほどの全力だ。
対するアイラは、先ほどの魔法からアンリの位置を悟ったのだろう。風魔法によるカマイタチが飛んでくる。アンリが同じ風魔法でそれを追い払うと、その余波で、周囲の霧が綺麗に晴れた。
しかし問題はない。もう目的は果たしたのだから。
「……あら」
アイラは右の腕輪を見遣って驚いた声をあげた。避けたと思っていた魔法が当たっていたことに驚いたのだろう。正確には、避けた魔法の次の魔法なのだが。さすがに本気で隠蔽した魔法は、気付かれなかったようだ。
「ひどいわね。魔法器具を壊すなんて」
「いいだろ。俺の作った物なんだし」
アイラは恨めしそうにアンリを睨む。これで彼女はもう、アンリの渡した魔力を使うことができない。攻撃魔法の威力増大も防護魔法の強化も望めない。残っているのは元々アイラの持っている魔法力と、重魔法を作り出すための魔法器具のみ。
「どうする、降参する?」
アンリが意地悪く問うと、アイラは眉を強く寄せ、両手をアンリに向けて構えた。
「するわけないでしょう」
その手から放たれたのは、アイラの魔力によって練られた重魔法。炎と風とが合わさって、強い炎の竜巻となってアンリを襲う。そうこなくっちゃ、と笑って呟いたアンリは、迫り来る竜巻に向けて、右腕を突き出す。
アンリの手から放たれたのは、単純な水魔法。しかし大きな魔力が込めて撃ち出された水はアイラの作り出した炎の竜巻を簡単に呑み込み、すぐに蒸気となって会場に四散した。
そのままアンリはアイラへ歩み寄る。重魔法により魔力を切らし、ついでに全力を尽くし終えて緊張も切らしてへたり込んだアイラに手のひらを向けた。何の魔法も撃つつもりはない。アイラは無抵抗だ。
「……負けよ。私の負け」
深いため息とともにアイラが降参して、決勝戦は終了した。
優勝は、アンリのものだ。
魔法研究部の面々のもとへ戻ると、全員が呆れた顔でアンリを迎えた。
「アンリ君、生活魔法しか使わないんじゃなかったの!?」
「いや、試合前にアイラと話して……言ってなかったっけ?」
「言っていませんよ。しかも重魔法を使うなんて……凄まじい試合でしたね」
どうやら驚かせてしまったらしい。一方で、驚いたというよりも、心底呆れ果てたという目でアンリを見る友人もいた。
「アンリ……さすがに最後のは大人気なかったと思うけど」
ウィルが言うのは最後の魔法器具破壊のことだろう。だってあのままではいつまで経っても終わりそうになかったから、と肩をすくめてみせると、驚いた様子でハーツが横から口を挟む。
「じゃあなんだ、アンリ。腕輪をしているアイラには勝てなかったのか」
「え、そういうことでは……」
言い繕おうにも、アンリも一瞬そのとおりなのではないかと思ってしまったために、うまく言葉が続かない。その横で、アイラがやや勝ち誇った様子で微笑んだ。
「そういうことよね。あら、私、上級魔法戦闘職員様を相手になかなか良くやったのではないかしら」
「いやいや。手加減なしなら、魔法器具を壊さなくたって勝てるから!」
「アンリ君、それって生活魔法しか使わないっていう元の条件だったら勝てなかったと言っているようなものだよ」
あまりにも真っ当なエリックの指摘に、アンリは再び言葉に詰まる。その様子を見て、ますますアイラが得意になった。
「今度、元の条件でも模擬戦闘をしてみたいわね。そのときまでにこの腕輪、直しておいてちょうだい。もちろん、貴方の腕輪もね。……思ったよりも上手く加減をしてくれたから、安心したわ」
アンリは苦い顔で腕輪を受け取った。なぜこんなに上から物を言われなければならないのかと不満には思うが、大人気なくも魔法力で勝負をしてしまったのはアンリなので、強気に出ることができない。特にアイラは気付いていないかもしれないが、腕輪を壊す際に使った隠蔽魔法は、加減もしない本気の魔法だった。
こうして念願のココア一年分を手にしたアンリではあったが、この日の試合を思い返すと、いつも飲むパルトリチョコレートのココアに比べて苦い味がしたという。




