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続いて会場では、三位決定戦が行われることになっている。アンリたちは試合を観戦すべく、観客席に集まっていた。
初等科学園生の部、中等科学園生の部では優勝と準優勝とを決めるだけで、三位を決定するための試合までは行われない。それが年齢無制限の部だけは一位から三位までを決定し、それぞれに賞品が与えられることになっていた。
ちなみに優勝賞品はココアだが、準優勝の賞品はパルトリチョコレート直営店での買い物券、三位は菓子の詰め合わせ。
「好きな物を買えるんだから、買い物券の方がいいわね」
「なに言ってるの、アイラ。いろんな味が楽しめるんだから、お菓子の詰め合わせがいいでしょ」
女子二人が勝手なことを話すなか、アンリはひとり優勝以外に価値はないと考えている。百歩譲って準優勝なら買い物券でココアを買えば良いのだが、手に入るココアの量には天と地ほどにも差がある。
「準優勝がいいならアイラにあげるよ。利害が一致するなら決勝戦をやる意味もない」
「あら、利害は一致しないわ。私は貴方に模擬戦闘で勝ちたいんだから」
賞品など意味がない、とアイラは言う。まあ、それはそうだろう。アイラの家の財力ならば、ココアにせよ菓子にせよ、欲しければ自分で手に入れられる。
「それよりアンリ。この魔法器具、決勝戦までに使えるようにしておいて?」
腕輪を投げ渡されて、アンリは深くため息をついた。魔力貯蔵用の魔法器具だ。今日一日、十分に魔法を使えるようにと昼に魔力を注いだはずなのに。なぜ準決勝までで使い切るような使い方をするのか。なぜ自分を倒すための魔力を、自分で供給しなければならないのか。
「なによ、その顔。協力するって約束でしょう?」
「……はいはい。やればいいんでしょ」
「二人とも、試合が始まりますよ」
イルマークの呼びかけに、アイラとアンリは会場の中央に目を向ける。ちょうどエイクスと仮面男とが向き合って、試合開始の合図が鳴ったところだった。
仮面男が重魔法を発動したのは、試合開始と同時だった。
準決勝まで魔法を一切使わず、ひとつ前の試合では魔法を使った途端に棄権した彼が躊躇いもなく魔法を撃ち放ったことに、観客は唖然として声を失った。しかもただの魔法ではなく、重魔法だ。氷を纏った風がエイクスを襲う。
「……ふざけてるわ」
アイラが小さく呟いた。たしかにアイラからすれば、馬鹿にされたと感じても無理はないだろう。もはやアンリもなだめる言葉が思い付かない。
放たれた重魔法は、エイクスの防御魔法に弾かれて周囲に散った。当たり前のように重魔法を撃つ方も恐ろしいが、それを簡単に防いでみせる方も常識外れだ。
防御の後に、エイクスはすぐに自身も重魔法を組み立てる。そうして両手から二種類の三重魔法が仮面男に向けて放たれた。
(三重魔法を二つ……俺も手加減されてたのか)
手加減する必要はないのだと示したつもりだったアンリは、胸にもやもやとした不快感を抱いた。これでは手加減されたから勝ったかのようだ。互いに本気でぶつかってもアンリが勝ったであろうことを示したかった。こうなると、仮面男に怒るアイラの気持ちにも頷けるというものだ。
エイクスの放った二つの重魔法は、仮面男の手にいつの間にか握られていた木剣によって斬り払われた。普通の魔法ならともかく、重魔法を斬るなんて……とアンリは驚愕したが、よく見ると木剣の周りをバチバチと雷電が覆っている。重魔法を打ち破ったのは木剣ではなく、この雷魔法の方だ。
同じ威力の雷魔法を使えば、わざわざ剣など出さなくとも、重魔法を退けることはできただろうに。剣を使うことにいったいなんの意味があるのか。
アンリが訝しんでいるうちに、相手のエイクスも魔法で木剣を生み出していた。二人は示し合わせたように剣を打ち合わせ、その後は剣技の応酬となる。仮面男の剣を覆っていた雷魔法も消えて、完全に魔法を排除した、純粋な剣の打ち合いだ。
目にも留まらぬ速さの剣技に観客席はざわついた。広い会場に、木剣の打ち合う音が振動とともに低く響く。木剣の打ち合いとは思えない。小さな爆発が延々と続いているかのようだ。
剣の速さは目で追い難く、向き合う二人の体の動きと重く響く音だけが、剣が打ち合わされていることを観客に教えてくれる。続けども続けども勢いの衰えない剣撃に、試合が永遠に続くのでないかとさえ思われた。
しかし、やがて決着のときが来る。
何回目かで、二人の距離がやや離れた。それが瞬時にまた近づいたかと思うと、ガコッとひときわ大きな音が会場に響く。一本の剣が弾かれて高く飛んだ。
それまでの激しい打ち合いが嘘のように、二人が動きを止めた。一瞬の静寂。ガランと音を立てて剣が地面に落ちるまでの間に、エイクスの持つ木剣が、剣を手放した仮面男の喉元に突きつけられていた。
エイクスの勝ちだ。
アンリはぞわりと鳥肌がたつのを感じた。
隊長が自分以外に負けるところなど、アンリはここ一、二年見たことがない。ましてや剣術ともなれば、アンリでさえ勝てないのだ。彼が前に負けたのがいつなのか、アンリは知らない。
しかしそれも、所詮は防衛局内という狭い範囲での話だったということだろう。
(エイクスさんは傭兵だったと言っていた……強くないと生きていけない世界にいたんだ)
世界は広い。広い世界には隊長よりも強い人がいる。もしかしたら、アンリでさえ勝てない人も。
周りの観客が歓声をあげるなか、アンリは驚愕と興奮とで、息をするのさえ忘れるほどだった。
仮面の男もエイクスも本気で戦っていたようではあったが、これが見世物であることは十分に理解していたらしい。試合が終わるとそれまでの激戦が嘘であったかのように互いに握手を交わし、それからそれぞれ観客に向けて手を振って、声援に対して感謝の意を表した。
観客からの拍手は鳴り止まない。
椅子に座っていた客さえ立ち上がり、惜しみない拍手と声援を送るなか、アンリはその光景に徐々に不安を感じ始めた。そしてそれは、アイラも同じだったらしい。
「ちょっと、アンリ」
アイラがアンリの横に寄ってきた。その顔に浮かぶ焦燥に、アンリも同意して顔をしかめる。
「私たち、この後に決勝戦をしなければならないのよね……?」
「だな……」
派手な重魔法が連発され、見応えのある剣技の応酬があった。観客は興奮し、周囲はおさまることを知らない歓声の嵐。
この直後に行われる決勝戦が退屈でつまらない試合になったなら、きっと観客は期待外れだと言って失望するだろう。この大会の運営に不満を持つかもしれない。
まだ中等科学園生だから、などという言い訳が通用するはずもない。自身の立場と実力を承知の上で年齢無制限の部に挑戦したのは、アンリたちなのだ。
誘ってくれたサニアの顔に泥を塗らないために。そしてアンリたち自身が恥をかかないために。二人は三位決定戦と同じかそれ以上の盛り上がりをもって、この大会の終わりを飾らなければならない。
「アンリ。貴方、やっぱり戦闘魔法も使いなさい」
唐突に、アイラが言った。しかしアンリは驚かない。そうしなければならない、とアンリ自身が思っていたからだ。どんなにアンリがうまく立ち回ろうと、生活魔法しか使わない戦い方ではきっと盛り上がらない。特にアンリはひとつ前の試合で、戦闘魔法が使えることを観客に示してしまっている。
「いいのか? アイラ、勝ち目ないよ?」
「……手加減くらいしなさいよ。挑戦する甲斐のない試合なんて、つまらないわ」
「難しいこと言うね」
アンリは持っていた腕輪をアイラに投げ渡した。三位決定戦を見ながらせっせと魔力を込めて、満タンにしておいたものだ。試合ひとつにこれだけの魔力を使えるとなれば、アイラもそれなりの魔法を使うことができるだろう。
全力で戦えば一瞬で試合を終わらせる自信がある。しかしだからと言って、侮っていい相手でもない。
「貴方の腕輪の調整はしなくても良いの?」
「ん? ああこれ、前の試合で壊れちゃったんだ。今はただの飾りだよ」
壊れた経緯をアンリが簡単に説明すると、アイラはひどく不安げな表情を見せた。何を不安に思うのかとアンリが首を傾げると、アイラはいつもの自信ある態度とはうってかわって、小声で言った。
「……アンリ、貴方、全力が出せてしまうということ?」
「そりゃあ出せるけど。もちろんちゃんと加減するから、心配するなって」
「貴方の加減って……信用ならないわ……」
アイラは眉間のしわを深くする。そんなに信用ならないかと、アンリは心中でやや落ち込んだ。恨むなら腕輪を壊したエイクスを恨めと言うと、貴方がちゃんと加減をしてくれるなら誰も恨まないわと、恨めしそうなアイラに返された。
どのみちこればかりはどうしようもない。直すには時間も材料も足りないのだから。
やがて決勝戦の始まる時間になって、アンリとアイラはそれぞれの控え室へ向かった。




