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準決勝を始める前に、アンリは三重魔法まで使えるように腕輪の調整をした。そこまで使うつもりはないが、いざというときに腕輪を外すタイムラグだけは避けたい。
「うわあ。アンリ、本気出すのか? 大人気ねえ」
腕輪を調整したことを話すとハーツからそんなことを言われたが、アンリには気にするつもりもなかった。
「だって俺、子供だし」というのが理由だが、そもそも三重魔法程度では、アンリの本気にはほど遠い。相手が隊長も知るほどの実力者であるならば、このくらいがちょうど良い手加減になるはずだ。
アンリが会場に出て行くと、周囲から歓声が巻き起こる。午後の部に入っても相変わらず地味な勝ち方しかしてはいなかったが、それでも大人に混ざって勝ち進む中等科学園生というのは目立つらしい。いつの間にか、相当の数の人から「アンリくん、がんばれ!」と声援をもらえるようになっていた。
対するエイクスへの声援も大きい。前回優勝者として優勝を期待する声もあれば、今日の試合での活躍を見て応援する声もあるらしい。アンリはあまり見ていなかったが、炎系の魔法を使って華やかに勝ち進んで来たと聞く。
アンリとエイクスは会場の中央で向かい合い、試合開始の合図を待つ。
「やはり君は、魔法器具を着けて来たのだね」
「ええ、まあ。……調整して来たので、今回は戦闘魔法も使えますよ」
生活魔法しか使えないと思わせておくのは卑怯だろう。そう思って伝えた言葉に、エイクスは嘆くように眉を歪めた。
「先刻、私は忠告したはずだが。君には聞く気が無いのだね……これは、力で思い知らせる必要があるようだ」
そういえば、魔法器具で背伸びをするなと言われたのだったか。忠告を聞かなかったわけではなく、聞く必要がなかっただけだ。なぜならアンリの着けている魔法器具は、背伸びをするためのものではないのだから。
しかしそんなことを教えるつもりもないアンリは、ただ相手を挑発するように小さく微笑んだ。開始の合図とともに魔法を撃ち出せるよう、魔力を練って右手を構える。
アンリの意図を汲み、エイクスもそれ以上余計な口は開かずに、両手をアンリに向けて構える。重魔法か、そうでなくても複数魔法の同時発動で攻撃してくるつもりらしい。
二人が臨戦態勢に入ったところで、会場が急にしんと静まった。試合開始の邪魔をしない、マナーの良い観客たちだ。
やがて試合開始の合図が鳴った。同時にエイクスの右手から炎魔法が、左手から雷魔法が放たれる。
アンリは自分の前に氷の壁を作ってそれを防ぐと、攻撃に砕けた氷をそのまま氷の槍として相手に向けて放った。迫る無数の氷の欠片に対し、エイクスはさっと軽く右手を振るう。その腕から生じた炎で、氷はいとも簡単に溶けた。
もちろんその防御を待つアンリではない。氷の槍は囮だ。エイクスがそれに対応している間に、アンリは彼の近くまで走り寄っていた。元々武器を持っていなかったはずのアンリの右手には、いつの間にか木製の短剣が握られている。走り込む間に、樹木魔法で作り出したものだ。
「……くっ」
どうやらアンリは、エイクスの隙を突くことができたらしい。攻撃そのものは地面からせり上がった土の壁に阻まれたが、防御を組んだエイクスに余裕はなさそうだ。
左手で再度氷魔法を発動させて、氷の刃で土壁を崩し、右手の木剣を振るう。しかし土壁の向こうで、すでにエイクスは石で作った盾を構えていた。ちぇっと舌打ちして、アンリはその場から大きく後退する。
木剣を捨てて土に還すと、エイクスも石の盾を捨てた。互いに距離を取って見合い、隙を探す。おおっと観客席から大きな歓声と拍手が沸いた。
アンリは両手をエイクスに向け、躊躇うことなく炎と雷の重魔法を撃った。エイクスはやや目を見開くが、それだけだ。風と水の重魔法で簡単に防がれる。やはり、重魔法が使えるというのは本当だったのか。
遠距離にも強い、近接にも強い。厄介な敵だ。
「ちょっとは手加減してもらえませんかね。こっちは子供なんですが」
「たわけ。模擬戦闘で重魔法など使う相手を子供扱いできるわけがなかろう。……まったく、魔法器具というものは恐ろしい」
どうやら重魔法でさえ、魔法器具のおかげと思われたらしい。
エイクスの手から、今しがたアンリが撃ったのと同じ雷と炎の重魔法が放たれる。アンリは横に跳んで避けるが、追尾型だ。アンリを追って魔法の軌道も曲がる。仕方がないので、先ほどエイクスがやったように水と風の重魔法で受ける。
「……うわっ」
思わず間抜けな声が出たのは、魔法を受けきれなかったからだ。というよりも、重魔法の後ろに単独の樹木魔法がもうひとつ隠れていたのを見逃した。アンリが体の正面で重魔法を防いだ隙に、細く蛇のようにうねる枝が横から迫る。咄嗟に氷の壁を作ったが、枝はいとも容易く壁を破ってアンリの右腕に巻きついた。
脚でなくてよかった、とアンリが思ったのも束の間。パキッと小さく響いた音に、アンリはエイクスの狙いを悟る。
(弟子が弟子なら、師匠も師匠ってことか……っ!)
アンリは氷魔法で作り出した刃を左手に持ち、右腕に繋がる枝を斬り払う。しかし元々仕込まれていたのだろう。根元から切り離されても、巻きついた枝は腕を締め上げるのをやめなかった。そして。
バキリ
アンリができれば聞きたくないと思っていた音が小さく響いた。役目を終えたと言わんばかりに枝がボロリと崩れる。アンリは腕を押さえて、その場から大きく一歩退いた。
「どうかね、模擬戦闘中に魔法を使えなくなった気持ちは」
余裕を見せて語りかけてくるエイクスを、アンリは不機嫌に睨む。押さえた腕に怪我はない。ただ、はめていた腕輪……つまり魔法器具は、樹木魔法によって壊され、完全にその機能を失っていた。
エイクスのやったことは簡単だ。樹木魔法で枝を伸ばし、アンリの腕輪を破壊しただけ。
簡単とはいえ重魔法の発動に加え、同時にアンリが咄嗟には防げないほどの魔法を高度に隠蔽したうえで発動する必要があったのだ。それを成し遂げたことを思えば、エイクスの高い魔法力が伺える。
「さあ、どうする? 君自身は魔法器具無しに、どれほどの魔法が使えるのだ。それを見せてくれるのか、はたまたこれで降参……」
エイクスの言葉が終わる前に、アンリは走り出していた。魔力を込めて加速し、誰の目にも留まらぬ速さでエイクスの背後に回る。
エイクスが驚きの声をあげるよりも早く彼の体を組み伏せた。氷魔法で作った剣を右手に構え、彼の首筋に突きつける。
突然の攻撃に、観客はしんと静まり返っていた。当事者のエイクスでさえ、何が起きたのか分からずに呆然と、言葉を発することができない。ただアンリだけが、不機嫌に唇を歪めていた。
「……これで降参、しますよね?」
ようやく突き付けられた刃の意味を理解したエイクスが降参を宣言し、派手な魔法で盛り上がっていたはずの試合は、観客の理解を置き去りにして幕を閉じた。
控え室に戻ったアンリは、自分の右腕を点検する。怪我はしていない。魔法器具のみを狙った綺麗な攻撃だった。
魔法器具は完全に壊れてしまっている。試合で最後の魔法を行使する前に、不審がられないよう見た目だけは元の通りに直したのだが。
「……君は、それがなくても魔法が使えるのか」
問いかけられて、アンリは不機嫌に振り返った。憮然として立つエイクスに、アンリは舌打ちする。わざわざ反対側の控え室まで来るとは、よほど不可解だったに違いない。
魔法器具が機能していないことに気付いているのだろう。見た目だけ直したところで、この人の目は誤魔化せなかったということだ。それなら最初から、この魔法器具の効果にまで気付いていれば良いものを。
「別に俺、魔法を使えるようにするための魔法器具だなんてひと言も言っていませんからね。これ、作るの結構大変だったんですよ」
「……作った?」
「全く、どうしてくれるんですか」
アイラとの対戦で使うつもりで作ったのに、まさかその前に壊されるとは。魔法器具無しの手加減でも、アイラは許してくれるだろうか。
アンリのため息があまりに深かったからか、エイクスはやや慌てた調子で言った。
「すまなかった。いったいどういう魔法器具なんだ。かなうなら弁償しよう。そうでなければ、腕の良い魔法器具職人を紹介する」
「……いりませんよ。これ、魔力の放出を抑えるための魔法器具なんです。こんな大会でもなければ使い道もないから、弁償されても困ります」
は? と固まったエイクスを見て溜飲を下し、アンリはさっさと控え室を出ることにした。壊れてしまったものは仕方が無い。次の試合を見ながら魔法器具を直せるか試してみよう。そもそも次の試合でアイラが勝たなければ、この魔法器具にも意味はないのだ。
最低限の礼儀として、テントを出る前にアンリはもう一度エイクスに向き直った。
「弁償とか、本当にいりませんから。戦闘は楽しかったし、次は魔法器具無しでちゃんと試合しましょう」
次の試合が見たいので失礼しますと頭を下げたアンリは、エイクスの返事を待たずに足早に立ち去った。




