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 防護壁が五十枚張られた、研究部の実験室。


 耳に取り付けた器具から届くはずのミルナの合図を待ちながら、アンリは目の前の「敵」と対峙していた。「敵」も戦闘部局の魔法戦闘職員らしいが、その顔は黒い仮面に隠れていて、窺い知ることができない。


 仮面をつけているのは、アンリも同じだ。互いの正体を隠し、より公正な戦闘を実現するための工夫だという。戦闘職員の支給制服に似た揃いの真っ黒な戦闘服も、制服であれば付いている所属部隊を示す印が除かれていた。


 もっともアンリは「敵」の体型や漏れ出る魔力の質から、だいたい相手の見当をつけている。だてに七年間も戦闘職員をやってはいない。よく仕事を共にする二番隊の職員くらい、顔を見なくてもわかるのだ。


 対する「敵」も、アンリが実験室に入った瞬間に、アンリのことに気付いたらしい。その身が一瞬驚いたように震え、それからやや及び腰気味に一歩下がった。今ではさすがに怯えをおさめて真っ直ぐにアンリを見据えているが、きっと心中では実験に参加することを決めた自分の選択を呪っていることだろう。そんなに怖がらなくても良いのに。


『それじゃあ、始めましょう。前にも言ったけれど、新しい戦闘服の性能テストだからね。好きなように動いていいけれど、できれば長時間の戦闘データを確認したいわ』


 五分以上というミルナの言葉に「敵」が身じろぎした。アンリは黙って頷いて、了承の意を示す。


『それじゃあカウントダウンの合図で。三、二、一、スタート』


 戦闘開始の合図と同時に、アンリは床を軽く蹴って素早く「敵」の懐へ潜り込む。




 観察室で先程の実験映像を観ながら、ミルナは不機嫌に口を歪めていた。


「ちょっとアンリくん。私、魔法戦闘を期待していたんだけど?」


「でも、好きなように動いていいって言ったじゃないですか」


 魔法器具で記録された映像が、観察室の白い壁に映し出される。映像の中のアンリは魔法を一切使わずに、相手の魔法を避け、掻い潜り、ときに接近して拳による打撃を仕掛けている。


 対する敵方は魔法による攻撃を繰り返す。アンリが近く遠くを行き来するので、照準を定めるのが難しいらしい。指先でアンリを狙いつつ、魔法が打ち出されないことも多かった。それでもなんとか打ち出した炎や氷塊を、アンリは踊るように軽やかな動きで躱す。


 この間、アンリは一切魔法を使っていない。


「なんのために魔法戦闘職員のアンリくんを呼んだと思ってるのよ」


「それならほら、このとき」


 嘆くミルナに対して、アンリは冷静に映像を指差す。映像の中では、ちょうど敵方の指から噴き出した炎が、アンリの目の前に迫っていた。右に跳んで避けるアンリを、炎が追う。追尾する炎。一瞬足を止めたアンリは、すぐに強く床を蹴り、前方へ跳んだ。


 いくら運動神経が良いとは言え、人間の通常の脚力ではありえない跳躍。


「ほら。このとき、ちょっとこれはまずいなと思って。魔法を使って加速したんです」


「そうそう。ここでアンリさんが突然魔法を使ったから、私もびっくりしちゃって」


 ともに映像を見ていたケイティが、当時の驚きを思い出したように、早口に呟いた。映像の中の彼女は迫り来るアンリと自分の生み出した炎とを前に、大きく一歩後退する。それからすぐに炎が消えた。ケイティが、自らの身を焼く前に炎を消したのだ。


 炎が消えたことを感じ取ったアンリは、ケイティの手前で急停止して、再び勢いよく後ろへ跳躍し距離を取る。


 追撃に備えて身の回りに結界魔法を張ったケイティとの間に、数瞬の間が生まれた。


「急に魔法を使ったから、このあと魔法で攻められるんじゃないかって警戒したんです」


「俺としては、追尾式の魔法さえ消してもらえればよかったんですけどね。あと、五分間は続けなきゃって思っていたので」


「魔法を使ったら私は五分ももたないって、わかっていたんですね……」


 ケイティが弱々しく言うのを聞き流しつつ、アンリは映像に視線を戻す。映像の中のケイティは、アンリが魔法を使う気がないと気付いたようで、結界魔法を解除して攻撃魔法を繰り出した。次は雷だった。炎と違い対象の動きに合わせて軌道を動かすことは難しいが、速度は段違いに速い。


 雷撃を避けるために横に跳んだアンリの行き先には、その動きを予測したかのように、空間にぱっくりと穴が空いていた。雷魔法の直後にケイティが仕掛けた空間魔法だ。勢い余って穴に飛び込んでしまったアンリの身体が、雷魔法の進路の先に現れた。


「このときもちょっと焦りましたね」


「そのわりには、魔法も使わずに避けちゃったじゃないですか」


 避けてはいない。映像の中、アンリは向かってくる雷魔法を迎え撃つように、体の前で両腕を交差させた。アンリの腕が……正確には、腕を覆う戦闘服の袖が、魔法を受け止める。


 雷撃は戦闘服に吸収され、アンリの体に痺れが走ることはなかった。しかし魔法の勢いを正面から受け止めた体は、そのまま後ろへ吹き飛ばされる。


「さすがアンリくんよねえ……」


「人間業じゃありませんね……」


 映像を見つめる女性二人が思わず呟いたのは、その後のアンリの動きに対してだ。空中で身を捻り体勢を整えたアンリは、吹き飛んだ勢いのまま壁に着地するように両足を着けると、そのまま壁を蹴って跳躍し、宙返りして床へ降り立った。間髪入れずに頭を床すれすれにまで下げ、襲ってきた炎魔法を躱す。


「これを避けられるとは思いませんでした」


「うーん。まあ、自分ならどこを狙うかなって考えたら……」


 避けるにしても動きの限られる空中か、咄嗟の反応が難しい着地点。どちらかで狙われるだろうとアンリは予測していた。ちなみに空中で狙われた場合には、仕方がないので魔法で防ぐつもりだった。


 攻撃を避けたアンリは体を低くしたままケイティに駆け寄り、低い位置から蹴りを繰り出す。突然の攻撃に足をとられてひっくり返るケイティ。しかし、そこは流石に二番隊の戦闘職員だ。背中から床に落ちながらも受け身をとって転がると、アンリから距離をとって立ち上がる。


 見つめ合ったのは一瞬。互いに一歩踏み込んだ二人は、接近戦となった。魔法のために魔力を練るほどの余裕はない。もはや格闘技だ。


「だからぁ。見たかったのは、こういうのじゃないのよぉ」


 ミルナが盛大にため息をついた。おそらく戦闘が行われていたそのときにも、実験室内を見ながら同じようにため息をついていたに違いない。いや、呆れて頭を抱えていたかもしれない。


「でもほら、このあたりでそろそろ五分かなと思ったんで」


 アンリが言いさした、まさにそのとき。胸を突くアンリの右の拳をケイティが左掌で受け止めたその隙に、アンリはケイティから見ると体の陰になる位置で、左手を大きく広げていた。


「ここで魔力を溜めて、こう」


 解説するアンリの声に合わせるように、映像の中のアンリが左手をケイティに突き出す。直前の右拳と同じような、胸を突く打撃に見せかけて。しかしその威力は、ただの拳の比ではない。ケイティの体は面白いほどに吹き飛んで、遠く実験室の壁に背中から激突した。


 壁から床へとずり落ちたケイティが、震える右手を挙げて降参の合図をする。追撃しようと踏み込み掛けていたアンリは、その動きを見て足を止めた。


「死ぬかと思いました」


「すみません。久しぶりに動いたら楽しくなっちゃって、ちょっと調子に乗りました」


 調子に乗って殺されてはたまらないとのケイティの小言に、アンリは肩をすくめる。打撲の痛みに悶絶していたケイティに魔法で治療を施したのもアンリなので、強く文句を言われることはない。しかしケイティの顔には、もう二度とやりたくないと書いてあった。


「……これじゃあ、魔法戦闘のデータが少なすぎるわ」


 映像が終わり静かになった観察室に、ミルナの嘆きが虚しく響いた。

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