ディグとミネルバ
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「ナイトリッチ一体が、あのミネルバ団長に──?」
一人の騎士が漏らした不安を色濃く宿した文言。ディグはその言葉を聞き流す事はなかった。だが、同時に触れることも無く。ジャンヌの横に立つなり、振り返り大軍を正義と自信に満ちた眼窩で呑み込んだ。
「アディル殿、そしてビーズ殿。事コレに関して、我々だけでは多くの人命を救う事が出来ない。利益のある死は誉だ。しかし、無利益な死は酷く悲しい。どうか、多くの命をその騎士道精神の元で救ってやってくれ」
慎重に、それでも芯の通った力のある声音。一言一句聞き逃す事のなかった二人は、互いの目を合わせる事なく、同時に頷いた。彼等の反応を見届けたディグは、余計な事を言わずに再び背を向ける。ビーズは、鎧を羽織った単なる骨に何かを思っているのか、生唾を飲み込み口を開いた。
「しかし、アディル隊長。彼は一体」
「良くは分からないが、だが、彼は男だよ。単騎で──しかも、皆の命を奪うことなく俺の元まで辿り着いたんだ」
「そんな事が……」
「故に、話を聞くのも悪くはないだろ」
「その話を信じたのですか?」
「信じざるを得ないだろ。こんな状況を見せられてわな。それに──」
アディルは、徐に腰に滑らせていた剣を二本抜き取った。
「ディグ殿。約束通り、剣は返す」
アディルの声にディグは、振り返るとゆっくり歩み寄り細長い指を軋ませ、剣を受け取った。
「剣は一本の筈だが」
渡されたのは、二本の剣。確かに、ディグは自分の命と引き換えという条件を提示し、信用をさせる為に武器を手渡していた。だが、その時点でディグが携えていたのは一本の剣だ。
しかし、目の前には微細な彫刻が柄に施された──正に宝剣と呼ぶに相応しい、美しくも圧巻される両刃の剣がもう一本と擦れ合い甲高い音を鳴らしている。
「俺は共に戦えない。戦えば間違えなく死ぬだろう。ならば、せめて気持ちは共に居させて欲しい」
アディルの熱き眼差し。覚悟の乗った声音。彼の想いを無下に出来るほど、ディグは例え魔族だとしても落ちぶれては居なかった。
それどころか──
「二刀流か。何故だろうか、とても懐かしい気がする」
長さも形も異なる二本の剣で空を、慣れた剣さばきで切ると、アディルを見たまま頷いた。
「では、しかと受け止めた」
そして、再び背を向けるとジャンヌに話をかけた。
「救出のタイミングはお前に任せる。私は出来るだけ、彼女をこの戦場から引き離そう」
「分かったわ。ディーちゃん?」
「なんだ?」
「死んだらダメよ?」
珍しく憂いたジャンヌの声に、ディグは浅い愛想笑いで応えた。
「ははっ。我が身は一度死んでるだろうに。だがまあ──リガル様を残して果てる訳にはいかないさ。では、行って参る」
切っ先を地に向け、脱力し、膝を軽く折り曲げ踵を数センチ地面から離し──駆けた。数百メートル離れていた敵との距離は、たった数歩、地に足をつけただけで辿り着き、ディグは右手で携えた剣の柄、先端でミネルバの鳩尾を叩く。
「まずは離れていただく!!」
勢いの乗った打撃はしっかりとミネルバの鳩尾を捉え、防ぐのが一歩遅れたであろうミネルバはくの字に吹き飛ぶ。この際、ディグは自分にディフェンシオ(敵意を一身に担う諸刃の技)を付与していた。
「ほら、受身はどうした!!」
吹き飛ぶミネルバの先を行き、待ち構えたディグは体を回転させ、遠心力とミネルバに加わった力を活かし空へと蹴りあげた。
「グルァァァ!?」
悔しさか、怒りか、猛々しく荒々しい鳴き声が絶叫と化す中で、ディグが感じていたのは痛みだった。
ミネルバの肌は硬い。多分だが、付与魔法が未だ健在故の事だろうが。それだけではない。ディグはその眼窩で捉えていたのだ。蹴りあげる直前、背から生えた蠢く触手が足に打撃を与え、同時にミネルバを守っていた事を──
「やはり、一筋縄ではいかないか」
膝を折り曲げ、高く跳躍しミネルバを追い越す。そして、二本の剣の切っ先を天に掲げる。降り注ぐ夕陽の光を、鋭い刃は切り、キラリと反射を見せた刹那。
ディグは背骨を軋ませ、体を反らして──言葉を、紡ぐ。
「渦潮」
体を縦に高速回転させ、ミネルバを襲う。青白い光を纏った剣は、空を切り鈍い音が鼓膜を満たし。回る視界、速い回転で──ただそれでも標的であるミネルバへの斬撃は、タイミングを的確に合わせる。間違いなくこれは、渦潮の最高を以てする一撃だ。
──だが。
「グルァァァ!!」
「なっ!?」
竜巻に呑み込まれたように、上空へ吹き飛ぶディグの攻撃は当然──かすりもしなかった。悔しさも畏怖も怒りもない。故に失意する事なく。逆に、吹き飛びながらも感じた感情は、異形の姿を成したミネルバへ抱いた思いは──
「このタイミング、私が背を向けた瞬間に咆哮したのだろ?」
体を回転させたとて、剣が体じゅうを回るわけではない。高速故に隙がないに等しいが、それは単に等しいに過ぎないのだ。詳しくいえば、背を捉える事が出来たのなら、ディグにとって不利にはなる。
「これが理性がないとしたのなら」
長年鍛え上げ体全身に染み付いた、戦いにおいての駆け引き。それが、本能にも似た動きを見せたのだろう。
「流石としか言えまい」
ディグから漏れた気持ちは、称賛だった。
「だがな、私が負ける訳にはいかないのだよ、ミネルバ殿」
上空で体制を立て直す(上空から地上を見下ろす形。ミネルバは、勢い衰え、先に堕ちつつある)。視界に広がる地上では、騎士達が迅速な行動をみせ、次々に負傷者を救出している。ミネルバも警戒を怠らない状態で魔力を高めているようだ。
ならば──と、ディグは大きく息を吸い込む。
「スーッ」
口の端から鋭い音を零し、柄を強く握った。腕力と魔力が向上(それでも、白魔道士や黒魔道士に魔力は及ばない)、次第に刃は深紅に染まり、その熱量を以て空気を歪ませる。最高潮の高まりを感じ、ディグは足を天に向けた。
リガルに予め付与されていた浮遊魔法を活かし、空を蹴り飛ばし──
「龍落とし」
墜落するスピードに、ディグ自身が乗せた勢いも合わさり空を切る音は甲高いものへとなる。景色が線へ変わる中で、一点に捉えたミネルバは、悟り触手を伸ばす。
ウネウネと波打ちながらも、先端を尖らせディグを襲うが──
「見切っていたよ、そのような駄撃」
体を数センチずらし、深紅に染まった刃で触手を割く。肉を削ぎ落とすような感覚を、柄を通し体が感じ、間もなくして刃は間合いへと入った。
同時にミネルバの体は、地面に辿り着き、激しい陥没音と共に砂煙が舞う。この際、ディグが感じたものは、全くない手応え。故に、すぐさま距離を取り剣を構える。やがて、砂煙が落ち着きを見せ姿を現したミネルバを見てディグは全てを納得した。
「そりゃそうだ。何故いままで、彼女が剣を使わないと、思い込んでいたのだろうか」




