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カーリド  作者: 扉園
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Φ 8章 Φ


Φ Ⅷ Φ


 不完全となった宇宙船はひたすら虚空に身を任せていた。

 周囲に近しい惑星もなく、操縦が直る見込みもない。バドルが良くなる気配も感じられなかった。長く昏睡状態が続き、いつ身体が機能を止めてしまうのかと、皆不安な日々を送った。行える最良の介抱をし、助かることを願うしかなかった。

 集めた物資は全て基地と共に潰えた。イエレアスのみの飛行を想定している為、パンセリノスに搭乗してあったものは僅かだった。乗せられていた命の糧は、二ヶ月分と少し。切り詰めても三ヶ月持たないだろう。これからのことを思うと不安な量であった。

 漂い始めてから数日後、事態に変化が起こった。

 宇宙に散在している隕石群。その中に突入したのだ。最初は小石程度だった隕石が、接近していくにつれてみるみる巨大化してくる。必死にパンセリノスに指令を出そうとしているカマルに、ヒラールは呼び掛けた。

「避けられないのか!?」

「無理です。抜けるしかありません!」

 操縦すれば難なく避けられる隕石。だが、直進を続けるだけの宇宙船にはそれができなかった。唯一映るモニターに巨大な塊が迫る。

 一同が接触を覚悟した時、騒音が轟き、大きな振動が襲った。一同は弾き飛ばされて身体を床や壁に打ち付けた。そのまま船が砕けて空間に放り出されてしまうのではないかと思える衝撃だった。ヒラールとカマル、リュヌは壁に寄りかかり、フォルはモントにしがみつき、ルーナは揺れるバドルの身体を懸命に支えた。子供達も互いに寄り添って互いを支え合った。

 推力が弱い宇宙船は衝突の力で向きをかえた。先には再び隕石が浮かんでいる。緩慢な接近の末に衝撃が襲う。また変化する向き。衝撃。繰り返す衝突に方向すら分からなくなってしまった。彼等は強い揺れに耐えることに専念した。

 それが永遠に繰り返されると思われた頃、震動は過ぎ去った。ヒラールが直立してモニターに目を凝らすと、隕石群は過ぎ去ろうとしている。どうやら抜けることに成功したらしかった。方向によっては何日も抜け出せない確率もあったが、悪循環を抜けることができた。皆は胸を撫で下ろしたものの、口を開く気にはなれなかった。

 再びパンセリノスは孤独で静かな進行を開始した。

 何処へ向かっているのかは誰にも予測が付かなかった。ただ、操縦が効かないといえども神の宇宙船は前進を続けていた。

 一度、大きな星を遠めに見た。

 白地に茶色の横縞模様が付いている星で、薄いリング状になった塵が周りを囲んでいる。その近くに四つの星と幾つかの小型の星が浮かんでいるようだった。だが、近付こうにもパンセリノスは思い通りに動かず、アルカの飛行距離では届かない位置にある。そのまま真円の宇宙船は星の横を通り過ぎていった。一定の比率で小さくなっていき、遂には掌に収まる大きさとなり、視界から消えていった。

 それから何事もなく、一ヶ月が過ぎた。

 徐々にアルツナイとフェストが減ってくる。バドルの容態は平行線を保ったままで、パンセリノスは星に接近する見込みもない。修理をしようとあらゆる手を尽くしたものの、無駄に終わった。パンセリノスの操縦は回復しなかった。この頃には全方位を見渡せるモニターもおざなりになり、前方ばかりを映していた。エスフェラでの時間軸で一日に数度周囲を確認し、溜息を付いてばかりいた。

 リュヌは痺れを切らし、ヒラールに何度目かの提案をした。

「パンセリノスを置いて、アルカに乗った方が良いんじゃない?」

「俺も乗りたいです」

 カマルもその案に乗じたが、ヒラールは首を横に振った。

「止めた方が良い。速度が出ないし、危険が多すぎる」

 搭載された燃料で行ける距離は僅かだ。レーダーがないので未然に予測もできない。もし何かに衝突でもしたら、微塵に粉砕されてしまうだろう。飛行圏内に星があって到達が確実となるまで、ヒラールはアルカに乗り換えるつもりはなかった。

「捨てなければいいよ。周辺を調査してパンセリノスへ戻ればいいじゃない」

 彼女の言い訳にも彼は「駄目だ」と一顧だにしなかった。

「だってさ……」

 不満げな顔をして呟くリュヌ。今後のことについて、彼等は何度行ったか分からない話し合いをしようとした。その時だった。

「うわっ!」

 一同は宇宙船の揺れによろめいた。突然、進路を変えたのだ。徐々にスピードが上がっている。パネルを懸命に押しているカマルに、ヒラールは問いかけた。

「何があった?」

「後退しています。何かに引き込まれているんです!」

 彼等の表情は青ざめた。それがブラックホールだったら一巻の終わりだ。眩い光源を放つ超重力に巻き込まれ、何もかも消滅してしまう。宇宙船は速度を上げて後退している。一定の場所に来たところで、速度が緩やかになったようだった。

 リュヌは口を尖らせながら目を細めた。

「……ブラックホールじゃない。何処かの星の引力に引っかかったみたい。側部の映像を映せるかな」

 正面映像を示した不鮮明なモニターには、果てしない空間が映し出されている。リュヌは幾つかのパネルを押し、それが側部の情景を表した途端、一同は息を呑んだ。

 青い星がそこに映っていた。

 白を基調とした色褪せた世界に生きてきた彼等は、こんなに澄んだ青を見たことがなかった。深い青と水色、緑と茶色が存在する鮮やかな色彩。その表面に所々白い渦が覆っている。位置によってそれらがシャープであったり、グラデーションであったりしている。また、星の暗部の一角に、青緑や赤のヴェールのようなものが被さるように揺らめいている。白銀に輝くパンセリノスにも劣らず、それは宇宙内に静かな異彩を放っていた。

 思わずリュヌは嘆息していた。

「綺麗……」

「どのような星なの?」

 ルーナに教えようとカマルが口を開く。彼は現物の再現に苦労していた。誰がどんな説明をしても、この美しさを口頭で表せなかったのだ。

「抜け出せそうか?」

 ヒラールの言葉にリュヌは首を横に振った。宇宙船は後退しながらゆっくりと旋回をしていると思われる。どうやらこの星の引力に引き摺られてしまい、パンセリノスが公転と自転を始めてしまったようだった。

 重力制御装置の御陰で内部は重力影響を受けていなかった。引力と遠心力の拮抗を繰り返し、このままパンセリノスは惑星に衝突か、永年星の周囲を廻ることになる。離散する軌道を取るのは難しいだろう。

「どの道、アルカに乗るしかないと思うよ」

「――荷を纏めろ。パンセリノスを捨てる」

 ヒラールは即座に決断を下した。移動不可能になった今、乗船しているのは時間の無駄だった。彼等を此処まで(いざな)ったとはいえ、この宇宙船はエスフェラの者達が作ったものだ。一刻も早く抜け出したかったのも一因だ。

 彼等は頷いて脱出する準備を始めた。最も、僅かばかりの食糧と使えそうな資材以外は何もなかった。カマルは溶液に浮かぶ九体の嬰児を指差した。

「リーダー。これはどうしますか?」

「置いておけ」

 見向きもせずにヒラールはそう言い捨てた。アサナトに選ばれた完全体など連れて行く気はなかった。

 脱出する支度を進めながら、彼等の気持は大きく揺れていた。青い惑星を選ぶか、他の星を探すか。この距離ならばアルカの移動範囲内であり、無事に青い星に着けるだろう。

 だが、惑星へ降り立っても、パンセリノスが衝突してしまえば一巻の終わりとなるかもしれない。一方で軌道を抜けて別の星を求めてまた漂ったとしても、食糧は底を付きかけており、良い星が見つかる保証もない。燃料が尽きれば宇宙の塵となる。どちらを選択したとしても一度飛行へ出てしまえば、パンセリノスへは簡単に戻れない。

 物資を纏め、彼等は搭載された宇宙船に乗り込んだ。バドルは依然昏睡していたので、狭い寝台に身体をそっと横たえられた。故障でアルカがオート操作で飛び立てない状況にあったので、カマルはマニュアル操作に切り替え、パンセリノスの搭乗口を開けた。暗黒の宇宙へ飛び立つアルカ。操作するカマルの横でリュヌが計測器を読み、声を上げた。

「この軌道だと両バランスが釣り合っていると思う。変事が起こらない限り、パンセリノスは同軌道上を廻り続けるよ」

 そうなれば話が違った。美しい青い星は非常に魅力的に見えた。ヒラールは決心した。

「……降り立つしかないだろうな」

 意外にも、一番に賛成の意を表したのはルーナだった。

「行ってみましょう。どのような結果であれ、私は此処を選ぶ」

「私も異論はないわ」

 モントがそれに同じ、カマルも傍らで二度頷く。誰も反対を唱える者はいなかった。青い星へ行きたいと、誰もが一様に考えていた。

「ねぇ、なにがあるの?」

 フォルの無邪気な問いに、モントは「希望よ」とだけ答えた。その先に何があるのか、答えられる者はもういない。真実は直面するまで解らない。彼等の心の中で微かな恐怖と期待が渦巻いた。未知は魅力的だが恐ろしい。もしかしたら同じような文明を持った生命体によって追い立てられ、抹殺されるかもしれない。

「青い星を目指します」

 カマルは緊張した面持ちで、アルカのスピードをゆっくりと上げた。徐々に新しい星が接近してくるように見える。

 リュヌは背部の映像を指差した。

「見て。クレーターが」

 彼等は遠ざかるパンセリノスの姿に驚いた。従来の磨き上げられた表面は跡形もなく、険しい凹凸となっている。進行方向が特に無残に抉られていた。隕石の衝突の激しさを見せつけられた。宇宙船としての機能を捨てられ、この不全と成り果てた完璧な真球は半永久的に廻り続けるのだろう。

 彼等は静かに、美しい彩色の星へ向かっていった。



☩ ☩ ☩



 惑星に近付くにつれて、彼等の感情は高まっていった。昂奮と喜びと不安と警戒が渾然一体となっている。大きさはエスフェラと同程度だが、全く異なる姿をした惑星。息を詰めて彼等は下っていき、大気圏へ突入した。暗黒の中に光が幾筋ものラインのように走り、闇と光が順に訪れる。目まぐるしく変化する明滅。流星の如く過ぎる閃光。

 そして、一気に視界が鮮明になった。彼等は思わず感嘆の声を上げてしまった。一面に澄み渡った青と、下方には白い無定形の物体が所々浮かんでいる。明度の高い鮮やかな色彩。暗黒の宇宙と白銀に慣れた目には、白と青に包まれた景色は沁みた。彼等はその泡のような極め細かい物を避けてアルカを下降させていき、遂に惑星の地表に到達した。

 そこにあったのは一面の青。深い青色の液体が遥か彼方まで地表を覆っている。緩やかに波打つそれは、異様な音を発していた。

「何だ? この液体」

「水……のようですね」

 不審げに呟くヒラールに、カマルが目を細めて答えた。

 平地加工されたエスフェラでは、水は必要最低限しか存在していない。水は惑星キエトで固形にして保存されており、生命維持に必要な分を持ち出して水に変換し、各々に支給されていた。一同は青い星の原因となっている水を見晴らした。モントは早口にルーナに現在の景色を伝えている。「此処は水の惑星だね」というリュヌの独言に、皆は納得した表情を浮かべた。

「空も青いです。水と違った、綺麗な澄んだ色」

 カマルは上空を見上げて嬉しそうに笑うと、思い付いたような声を出した。

「アルカにはサンプル採取と分析機能が付いていると思います。あ、これにはあるかな。――ありました。水に使ってみましょう」

 カマルは少しずつアルカの高度を下げていき、慎重にアーム機械を操作して水を掬い上げた。指程の試験管に入った液体が密閉状態で送られてくる。リュヌはそれを受け取り、よく眺めた。

「なんか不純物が入っているよ」

 白濁した粒子が所々に浮かんでいる。試験管の中身を彼女は分析機に掛け、モニターに表示されたリストを読んだ。

「やっぱり真水ではないね。様々な成分が溶け込んでいる」

「こんなに沢山? それじゃあ飲めないなぁ」

 横でリストに目を走らせ、カマルは眉根を寄せた。物質がひしめき合う濃度の高い水。それが惑星の大部分を覆い尽くしている。生粋の水しか馴染みがない彼等に、そのことは異様な感覚を与えた。傍らで様子を見ていたモントはあることに気付いた。

「マラークの養液の成分と似ている」

 彼等は顔を見合わせた。養液のような水に満たされた惑星。どうしたらこのような状態になるのだろう。モントは頬に手を添え、独白しているように言った。

「莫大な水を湛えた窪地……。嘗て、フォラーズとエスフェラにもこのような水の広がりがあったわ。タグイェルによってエスフェラのものは消滅させられた。生命体が生息する地には、本来存在するべきもののようよ」

「そうは言ってもなぁ。俺達には実感が沸かないです」

 操縦をこなしながらカマルは呟いた。数分飛行を続けていると、茶色の一点が果てしない水の中に現れた。

「リーダー。陸地が見えました」

「気を付けろ。何かがいるかもしれない」

 彼等は気を引き締め直し、カマルはアルカをほんの少し浮上させた。大地はみるみる内に全貌を表した。皆が想像していたのは乾いた平坦な大地。だが、この土地は全てにおいてエスフェラと異なっていた。

 切り立った断崖が水の中から迫り出している。起伏が激しい茶と灰の斑がある剥き出しの地面は、謎の緑の物体に部分的に覆われている。所々に深い割れ目が生じており、そこに光が射して強い陰影を形作っていた。驚嘆の念を呼び起こすその景色に、モントは茫然とした。

「――凄い。これが加工される前の惑星なのね」

「これは一例だと思うけど。恒星との距離、自転、公転全ての要因で環境は変わってくる。異なる銀河なのだから。でも、あんたが言う何万年前のエスフェラは似たような景色だったかもね」

 リュヌはそう言って口元を綻ばせた。ゆっくりとした速度を保ちながら、アルカは上空を動いていく。突出した崖と大地を抜けると、丘陵とした場所に出た。緑色のものが一面を覆い尽くしている。少し進むとまた上下のある地となり、立体的な地面が続いた。そうかと思うと平坦で、所々細い水が通る湿潤な地となった。彼等はそのまま数時間飛行した。

 だが、幾ら目を凝らしていても、生物らしきものは見当たらない。文明の興りどころか、動いている物体さえ見付けられないのだ。

「他の土地は分からないが、此処周辺は何もいないようだな」

「僕達だけ? 僕達が最初なのかな?」

 リュヌの声には昂奮と喜びが滲み出ている。

「反対岸に着きました。何処へ進みましょう? 此処で着陸しますか?」

 カマルの問いにヒラールが目を凝らすと、確かに対岸があった。彼は数瞬考え、「着陸する」と告げた。アルカは減速し、なだらかな地に音もなく着陸する。

 訝しげに外を見つめ、ヒラールはカマルに訊ねた。

「呼吸は?」

「構成している大気の成分を見ると、殆ど変わりません。計測器は安全を指しています」

 そうは言っても、外気に触れるのは些か勇気がいった。彼等はしばらく無言のまま、異世界を眺め続けた。ヒラールは意識を失ったままのバドルへ背部の瞳を向けた。ルーナが傍に控えている。

「俺が行く。――防護壁を下ろせ」

 彼は搭乗口の前へ足を進めながら、カマルに指示を出した。少年は逡巡していたものの、再び声を掛けると手が動いた。頭上から白銀のシャッターが速やかに降りてきて、双方は完全に遮断される。機内と搭乗口を分ける強固な壁。これで自分以外は外気に晒されない。ヒラールは意を決めて、言い切った。

「搭乗口を開けろ」

 音もなく開かれる外界への扉。冷たい空気が抜け、温い大気がゆっくりと侵入してくる。ヒラールが大きく息を吸い込むと、肺は空気を取り込んだ。深く息を吐きながら彼は全面を見据えた。搭乗口で切り取られた外部。地面は壮麗で上空は青く眩しい。

 ヒラールは慎重に荒削りの大地に降り立った。裸足に固さとぬめった感触が同時に来る。周囲を見渡しても危険らしきものは見当たらなかった。安堵と喜びの感情が心の底から湧き上がってくる。

 仲間達から次々と安否を心配するユドラが届いたので、彼は『来い』とだけ伝えた。背後のシャッターがせり上がり、仲間達が神妙な面持ちで次々と現れ、ヒラールの横に並んだ。

「日差しが暖かい。不思議な匂いがするわ」

 ルーナの呟きが空気に溶け込む。モントは仕切りに感嘆の言葉を零し、リュヌとカマルは口を開けて場景に魅入っている。数分もすると彼等の興味は用心を上回り、カマルと子供達は気ままに周囲を探索し、警戒心の薄い子は水を突っついたり土を触ったりした。誰もが見慣れぬ現実に目を輝かせ、笑みを浮かべている。最も、どんな危険が潜んでいるか分からないので、ヒラールは仲間達に奥へは行かないよう注意した。

 リュヌは小走りに地面を進み、しゃがみ込んだ。岩の隙間には水が溜まっており、覗き込むと自らの顔がぼんやりと映っていた。彼女は生温い水に手を触れ、そっと掬い取った。指の隙間から滴る水を一心に眺める。それからリュヌはその両脇に付着していた緑の物体を(ヒィシ)で掻き取って、しげしげと観察した。

「これは生物の一種なのかなぁ……。この星の材料を使って、アルツナイと似たような成分が作れないかな。詳しくはないけど、栄養分析を行えば……」

 たまたま近くにいたモントが思い付いたかのように口を開いた。

「アルツナイの精製はどうやって行っていたか知っていた? ――私も先程知ったところだけど。工場の中央タンクは化学成分の培養を行っていて、それを無限増殖させていたの。特殊技術で増やし続けられたアルツナイ。それもメスィが確立した技術よ」

「そうなの? その技術が此処でもできたら生存に困らないね。でも、それは僕達の手に負えない。それに永久に同じ物ができるなんてもう真っ平だよ」

 リュヌは冗談混じりの否定を返して指に付いた湿った緑を払い、周囲を見渡した。

「まずは栄養源に変換できるような物質を探さないと。あと、この水はフェストに利用できないかな。――あぁ。これを飲む気にはならないな」

 足元に溜まっている水を一瞥し、リュヌは表情をげんなりとさせる。底には軟泥が沈殿していた。モントはその水溜りの横にしゃがんだ。

「真水に濾過しないと駄目ね。フィルターか電気分解を行えば飲めるようになると思う」

「僕もそう思うんだけど……。方法と材料がね。キエトにある浄化場のデータを横領していれば良かった。そこまで思い付かなかったなぁ。これからは必要なものは自分達で創り出していかなきゃ」

 周囲の大気が動き、髪や服をそよがせる。子供達はその不思議な事象に両羽(ヒィシ)を広げて笑った。ルーナも黒い瞳を頭上に向けながら微笑んだ。

「空気の流れが面白い。それに、恒星の光が暑いくらい照っている。この力でエネルギーが作れないかしら」

「何それ。奇抜な発想。でも、そのアイデア良いかもね。これからエネルギーが問題になるから。アルカやコンピュータが、ね……」

 リュヌの言葉をカマルが引き継いだ。

「パンセリノスが正常なら、自動的にアルカへエネルギーが供給されると思うのになぁ。今はアルカに残っているエネルギーから充填できるけど、きっと尽きちゃうよね。コンピュータが使えるように工夫した方がいいか」

 リュヌは「考えることがいっぱいだよ」と笑い声を立てた。彼等は今後に付いて様々なことを論じ合った。ヒラールは搭乗口に座り、その様子を眺めていた。

 ふと彼が見上げると、空が灰色に変化していた。心なしか光が褪せているように感じる。それは見間違いではなく、数分後には傍目にも分かるぐらい薄暗くなっていた。

「……暗くなってきたな」

「〝夜〟が来るのよ」

 モントの返答に、リュヌが反応した。

「そっか、この惑星は手を加えられていないから……」

 嘗てエスフェラで生じ、これから生じるであろう事象。自転する際に恒星の影となる為、暗闇が訪れるのだ。

「一旦戻った方がいいな」

 景色の異変に小さい者は怯えだした。彼等はアルカに戻り、内部で固まった。搭乗口は一旦閉じることにした。やがて世界は暗闇の帳に覆われた。体験したことのない暗さ。数歩先が見えない恐怖。まるで宇宙空間へ無防備で放り出されたようだった。灯りは船の照明だけが頼りだった。ルーナが胸を抑えた。

「少し息苦しい……」

「慣れない土地だからな。無理はよそう」

 ヒラールも微かな息苦しさを感じていた。胸を圧迫されるような鈍い痛み。その痛みは微かだったので、取るに足りないことに思えた。

「見て。僕達が乗って来たパンセリノスが見える」

 リュヌが興味深そうに明窓から見える(そら)を指で示した。皆の視線がそちらに向けられる。

宇宙船は細い湾曲した姿になっていた。恒星の光を反射して白銀の光を降り注がせており、その御陰で闇が幾分か軽減していた。

 カマルが訝しげに返した。

「真ん丸じゃないよ。どうして?」

 リュヌは唇を尖らせる癖をしながら観察して、言葉を紡いだ。

「恒星の光の向きによってパンセリノスの大部分が影になっているんだよ。ほら、よく見ればあるでしょ。多分――数日したら完全に影に入って、見えなくなると思う」

「ふーん。リュヌって頭良い」

「そうでしょ」

 感心するカマルの背を彼女は軽く叩く。その傍らで、ヒラールは腕を組んで独白した。

「こうやって見たら綺麗なもんだな」

「……この素晴らしさを、皆に感じて欲しかった」

 ルーナの悲しさを含んだ声に、彼等は頷いた。志半ばで倒れてしまった仲間達。この壮麗で雄大な景色を見たら、彼等はどう反応するだろう。きっと笑顔を浮かべるに違いない。リュヌは両羽(ヒィシ)を顎に乗せながら、そっと口を開いた。

「これは宇宙葬の連中じゃないんだよね。凄い星の数」

 暗闇の空を彩る星々。夜が訪れないエスフェラでは輝きが曇っていた。宇宙空間を移動していた時では、同様な煌めきがあったと思われるが、あまり目に入らなかった。だが、この惑星の頭上の星々は全てが主張し、今にも落ちてきそうな輝きを放つものさえいた。

 何万光年離れている星の姿。中心にいるのはパンセリノス。この広大な大地にいるからこそ宇宙が美しく感じる、と彼等は漠然と思った。

 カマルは夜空を見上げつつ、リュヌに問い掛けた。

「ねぇ、此処って俺達の一日、一年と違うのかな」

「当たり前だよ。規模、位置、環境全部が違うのだから」

「どれくらいなんだろう」

「それは調べなきゃ分かんないよ」

「分からないことがいっぱいだね」

「ゆっくり考えていけばいいよ。僕達しかいないんだし」

 それから彼等は未来の話に専念した。アルカの燃料は三分の一残っており、食糧は切り詰めれば20日は保ちそうだった。それまでに生きる糧を探さなければならず、問題は数え切れない程あったが、バドルの容態が安定するまで此処に留まることに決まった。惑星の探索はそれからでも遅くはない。

 彼等が宇宙船の中で話し続けていると、やがて光が差し込んだ。広き液体の向こうから、巨大な光を纏った恒星が立ち上って来た。暗闇が明りに取って代わられていく。彼等は目を細め、神秘的な光景を眺めていた。

「此処は不思議な処ね」

 モントは安心して眠るフォルの背に手を当てながら呟いた。リュヌとカマルがそれに口元を綻ばせる。

「面白いよね。大きな恒星の影響を受けて、次々と姿を変化させている」

「これから全体が明るくなって、また時間が来たら暗くなるんだ。凄い!」

 闇で見えなかった部分が姿を現し始めた。恒星の光を受け、大地全体が反射して輝いているように見える。色で溢れ、目まぐるしく、魅惑的な世界。

 横たわったままの者にカマルは話し掛けた。応対はないと知りつつも。

「バドル、見てよ。俺達の星はびっくりする処だった。早く目覚めて。一緒に新しい世界を見ようよ」

 陽光は宇宙船の硝子に反射し、青白い顔に降り注いでいた。



 ☩ ☩ ☩



 バドルの容態は日が経つにつれて良くなってきた。

 意識こそ戻らないが、怪我はみるみる内に回復し、完治に近い状態となった。頬にはほんのりと赤みが差し、目に見えて苦しげな表情が和らいでいる。喘ぐような呼吸は今では穏やかな寝息となっていた。

 それに比例するように、皆の体調が悪化していった。

 胸が息苦しくなって身体がだるくなり、頭痛が頻発し、眩暈が起こった。吐気を催し、食は喉を通らなくなった。回復不能の不調。それはバドルの症状に酷使していた。

 バドルの容態を鑑みれば、理由はどことなく察しが付いた。

 澄み切った青い空。処々に白いものが浮かんでいる。そこを宇宙船は静かに進んでいる。彼等は動向を変え、9日間アルカを上空に飛ばしていた。何かを探す為に。だが、幾ら見下ろしても大地には生物らしきものはいない。同じような景色が続くばかり。日によって空模様が変化することはあったが、広大な地はただ荒々しく、未知で神秘的な様相を提示し続けていた。

 アルカの燃料が厳しくなり、彼等は捜索を諦めて最初に発見した平地へ戻った。

 彼等は思いつく限りのパターンを想定した。それにも関わらず、此処は想像から掛け離れていた。この静けさは予測していなかった。余りにもエスフェラと異なった世界。全くの手つかずの改変が成されていない惑星。生粋の空気、大地、水源。彼等の前には、圧倒的な自然が立っていた。

 リュヌは剥き出しの大地に腰掛け、呟いた。

「ないね。文明も、造形物も、支配も。……いるのは僕達だけ」

 憔悴して痩せた面を上げて、彼女は視線を空に向ける。ヒラールはその様子を一瞥し、瞳を閉じた。

 何もなかった訳ではない。調査した所、液体から細胞体が発見された。モントはそれを進化の初期段階の生命体と推測した。大地に付いていた緑の物体もれっきとした生物だった。生命は僅かだが根付いていた。

 また、真水を補給する方法、アルツナイの代替となるような物質を抽出する方法を見つけ、生きる糧は当面心配なくなった。恒星の光を使ったエネルギーの利用も進められている。エネルギーが活用できれば小型コンピュータが容易に使え、情報の整理がし易くなるだろう。

 だが、彼等には常に不調が付いて回った。

 外界の空気を遮断してアルカの空気循環装置を使用しても体調は好転しなかった。その装置は乗組員が排出した不要物質を排除し、船内の酸素と窒素を再利用する仕組みとなっている。この惑星はエスフェラと大気の成分に殆ど差異が見られない。外の空気に晒されてしまった船内。感知できないような変異であるのか、循環装置は稼働しても用を成さなかった。根源が掴めず、どんなに改善しようと思っても彼等の努力は無駄に終わった。

 日が経つにつれて容態は酷くなっていく。拒絶反応は身体を蝕み続ける。

 燃料を開発してアルカの飛翔を蘇らせ、再度宇宙へ飛び出すことは不可能ではないだろう。だが仲間はその提案をしなかった。惑星を離れる気はなかった。なけなしの確率で宇宙へ漂うよりは時の限界が訪れるまで、この美しい青い星に留まることに決めたのだった。

 ヒラールは仲間達に罪悪感を覚えながらも、この選択は間違っていなかったと思っていた。やり遂げた満足感があるのは確かで、この未来を予知していたとしても彼はこれを選んだであろう。ただ、幼い者達を巻き込み、バドルの目覚めまで命が繋がる保証がないことが悔やまれた。現実にやり切れない思いを抱きつつも、ヒラールはリュヌに努めて平静な声を掛けた。

「俺達が最初の飛来者だ。変えていけばいい」

 リュヌは小脇に抱えたタブレット型コンピュータを手に持った。

「うん、分かっている。僕達だけの世界なんだから。できる処まではやるよ」

 アルカ内部ではハイルが甲斐甲斐しく子供達の世話をしている。多くの者達が身体の辛さに横たわっていたが、地上で小石を床に並べて静かに遊んでいる者もいた。黒く虚ろな瞳を天に向け、ルーナは満足そうに口元を綻ばせた。

「此処は最高。心が静か。神経を張り詰めて怖がって生きるより良いわ。穏やかになれる。それに、視界が少し明るい気がする。ずっと一定だった視界に光が浮かぶのよ」

 それにつられ、隣で立っていたモントが微笑んだ。彼女は苦しそうな呼吸をしているフォルを抱きかかえている。

「完全や不完全の明確な区別なんてない。私達ファダーが作り出したまやかしの境界線。そうよ。カーリドは不完全じゃない。変異体なの。アサナト教が唱えていた転生は科学的に仕組まれていたサイクル。此処では新しい可能性が産まれるかもしれない。忌むべき変化は普遍の現象。きっと、私達は過去にそのように〝進化〟してきたのよ」

 モントは背後の瞳をアルカの方へ動かした。

「この問題はただ、適応という言葉。バドル以外、私達は――……」

 そこで彼女は言葉を区切った。誰もが苦しい程に理解していた。社会的ではなく生物故の障害。彼等は漠然と感じていた。此処で生存できるのは、長くないと。

 カマルは残念そうな面持ちで溜息を付いた。

「綺麗で良いところなのになぁ。……もっといたかった」

 それは全員の気持を代弁していた。ヒラールは静穏に眠り続けるバドルのことを思った。唯一順応した者。せめてこの世界を共有したい。一言でも構わないから、星の美しさを伝えたかった。

 純粋な大気の流れが砂塵を舞い上がらせる。水が断崖に当たって跳ね返り、飛沫となる。何処までも壮大な眺望。

 彼等は寄り添って、色鮮やかな景観を眺め続けた。



☩ ☩ ☩



 たゆたい、泡立つ水。揺れ動き、漂う細胞。

 浮かび上がり、沈んでいく命。緩やかに流れる満たされた空間。

 (ミテラ)の胎内にいるような安らかな感覚。全身を預ける安息。

 宇宙と水中が混ざり合う。中央に凝縮されていく。無が有にすり変わる。生命の息吹。微弱な脈動、鼓動を感じる。生が脈打っている。生が動き、分裂し、新しい姿を産み出そうとしている。生が渦巻き、廻転し、溢れ返ろうとしている。生がひしめき、うねり、ほとばしり、突き上がり、変化しようと――……。

 バドルは目覚めた。

 白濁とした意識の中で、バドルは横たわったまま目を動かした。柔らかな薄闇が辺りを包んでいる。複雑な配線が絡んだ覚えのない壁面。窓はなく、簡易な寝台があるだけの狭い部屋。認識できない状況にバドルは双眸を閉じ、癖で慎重に深く息を吸い込んだ。そこで、胸の圧迫感がないことに気付いた。バドルは時間を掛けて強ばった身体を起こし、呼吸を繰り返した。

「……苦しくない」

 頭痛も気分の悪さもない。呼吸も楽で、気分は清々しいくらいだった。余りにも不調がなく、自分の身体ではないようだった。視界内に映る手足や胴は紛れもない自分。試しに頭を軽く降る。眩暈は起こらない。身体の至るところに潜んでいた苦しみは消え去っている。こんな体調は初めてだった。

 右の(ヒィシ)に違和感を覚え、触れてみると肩口から下が欠落していた。痛みは殆どない。まるで始めから存在していなかったかのように、傷口は薄い皮膚に覆われている。遂に両羽(ヒィシ)ともなくなってしまった。

 そこまで来て、バドルはあらゆる記憶を取り戻した。現れるエクェス。放たれる破壊の光線。それを受けて自分は意識を失ったのだった。仲間達はどうしているのだろう。あれからどうなったのだろう。様々な想いが駆け巡り、バドルは寝台から降りた。

 ひやりとした床をまだ覚束ない足取りで歩き、扉をスライドさせて次の空間へ出る。見覚えがある場所。どうやらアルカ内部のようだ。ぼんやりとした船内には誰もおらず、しんと静まり返っている。その中で一部、仄明るい光が漏れていた。自然とそこへ足を進めると、搭乗口に誰かが背を向けて座っていた。姿はまだ窺いきれない。

 更に近付こうとしたら、その者は立ち上がり振り返った。

「バドル……!」

 驚きの表情を浮かべているのはヒラールだった。薄光に照らされた頬は削げ、見るからにやつれている。引き締まっていた肩や腕も肉が削げ落ち、その衰弱した姿は今にも倒れそうだった。右腕に巻かれた包帯は黒ずんでいる。余りにもの変わり様にバドルは言葉が出てこなかった。

 ヒラールはとても穏やかな表情に変わり、何も言わずに左手を差し出した。バドルは(いざな)われるがまま、彼の隣へ向かった。右手にそっと冷たい手が添えられる。ヒラールは前方を見ながら、掠れた声を発した。

「綺麗だろ。これが、俺達の世界だ」

 バドルはその美しさに息を呑んだ。大地が広がっている。地面は高低差があって荒々しく、眼前の地は途中で断ち切られたようになっていた。空は満天に星々が輝いている。断崖の遠景には水が一面に張られており、それは空気の流れによって絶えず小波が立ち、生物の如く流動している。そして。

その水平線の中央に、暗闇を裂くように一条の光が立ち表れていた。

 眩しい光は夜空を照らし、それを受けて水面がきらきらと(またた)いている。大地の隆起にも光は届き、深い陰影を生み出しており、徐々に光が昇っているのが感じられる。やがて、一本の光は世界全体を照らし出すだろう。生まれて初めて見た、形容し難い美しさを持った光景。バドルは視線を逸らすことができなかった。

「さまよった末に見つけた。青い星だった」

 世界に焦点を向けたまま、ヒラールはぽつぽつと言葉を紡いだ。

「何もない地だ。だが、俺達は見つけたんだ」

 聞きたいこと、話したいことが沢山あったのに言葉が出てこなかった。ただ、眼前の得も言われぬ光景と現実の状況に呑み込まれ、バドルは傍らに立ち竦んだまま黙っていた。ヒラールは訥々と話を続ける。

「俺はお前を此処に連れて来られた。新しい世界を見せられた。フェガリとクラロの理想を果たせた。俺達は、エスフェラから出て行ったんだ」

 彼の横顔をバドルは見る。微光に当てられたヒラールの顔は、諦めと受け入れ、悲しみと満足が綯交ぜになったような表情をしていた。このような顔を嘗て見せたことがなかった。強い恐怖に襲われて、バドルは景色へ目を戻した。

 背中を丸め、彼は掠れた声で呟いた。

「症状が表れた。お前のものと似た不調が。俺達は此処で適応できないようだ。――お前を除いては。だが、後悔はしていない。新天地へ来て、脅かされることのない自由があった。皆、喜んでいたよ」

 バドルの全身は震えた。眼前の美しさが色褪せていく。仲間達の行方が怖くて訊ねられない。現実を認識したくない。空白を埋めたくない。

 ヒラールはただ、握る手に力を込めた。

「傍にいられなくて、すまない」

 彼は此方に視線を向け、微かに微笑んだ。

「お前が助かって、良かった……」

 手の力が抜けていく。離れていく。バドルは離さまいとしたがその手はすり抜け、ヒラールはうつ伏せに倒れた。

「あ……」

 何も考えられなかった。

 バドルは搭乗口の前でただ佇んだ。痩せた背中。閉じられた瞳。繋がりの切れたユドラ。幾ら心の声を掛けても返答はない。喪失感が忍び寄る。その傍らに座り込み、バドルは茫然と目をさまよわせた。大気の流れが頬を撫でる。果てしなく美しく、広大な大地。一筋の光は今や全てを包み込み、辺りを照らしている。

水を湛えた青い星。計り知れない沈黙の世界。

 この環境に、自分だけが選ばれたのだ。自分だけが、ファダーの中ではカーリドだったのだ。バドルの頬に、生温かい雫が流れる。

 静寂に包まれた世界に、慟哭が響いた。




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