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カーリド  作者: 扉園
7/12

Φ 6章 Φ


Φ Ⅵ Φ


 クスーフはヴァッフェを帯びて街を捜査していた。

 3体のカーリドを処理。芳しくない結果だった。半数のエクェスと区の全候補員を動員し、地理的有利なマラークを選び、ユドラ対策の為に警備の者を使って監視させたというのに。清純とは言えない欺きを利用したというのに。残りの奇形者を逃してしまった。

 公会堂(ホール)での攪乱(かくらん)の際、即座に侵入口を包囲したのにも関わらず間に合わなかった。カーリドは目を潜り抜け、姿を隠してしまった。多大なる一般者を傷付け、神聖なる場を穢した。クスーフは区の全ての建築物を調査し尽くすつもりだった。逃げ場を作ってはならない。遠方へ動かれる前に潰さねばならない。

 通信が入った。聴覚に直結している機器から副官セリニの声が響く。

 その声音は沈痛に沈んでいた。

「司令官、申し訳ありません。カーリドの一部を浄化、潜伏地の壊滅に成功したものの、大半のカーリドとユドラ保持者と思われる者を逃しました。予想より反応が早く、第二基地の占領を気付かれてしまい、スピラルで姿を消しました。現在行方を調べております。基地のコンピュータを調査した処、データが残っておりませんでした。予め読み込ませておいた何らかのコマンドを使って、カーリドが消したと思われます。第二基地のデータも同様でした。バーチャル・リアリティ機器や教育タブレット型コンピュータも置かれておりましたが、セキュリティが掛かっており、僅かに残ったデータ解析はまだ結果が出ておりません。ユドラ保持者ですが……ああ、恐ろしい姿でした。思い出すだけで身震いがします。あの者に違いありません。神を冒涜した姿。カーリドを超えた姿。――ああ、無欠の者よ。私達をお導き下さい」

 最後の一節は呟きに変わっていた。セリニの悔恨と怯えが此方まで伝わってくる。

 予想より遥かに下回った結果にクスーフは不満を覚えた。二つの潜伏地を潰したとはいえ、カーリドのみならずユドラの使い手すら逃してしまったとは。折角のチャンスがふいになったのは腹立たしかったが、過去を責めている場合ではなかった。先を見据えなければ進まない。クスーフは自らの結果を簡単に彼女に伝え、他に報告することはないかと訊ねた。セリニはもう一度謝罪し、冷静な声音に戻った。

「内部を調査したところ、ヴァッフェ、レーザナイフ、掘削機や加工機、カッター類などの工具、計測器、機械類の部品、それ以外にもヴァッフェを改造した器物が発見されました。また、大量のアルツナイとフェストも貯蔵されていました。私の判断で全て処分致しました」

 クスーフは頷いた。当然の処置だった。カーリドが使っていた物を残してはならない。例えまだ利用できたとしても、混沌に染まった物は消さねばならないのだ。

「またスピラルの――今、解析結果が出たようです」

 セリニはそう言ったまま、長らく口を噤んでしまった。クスーフが催促の言葉を掛けると、彼女は喉の奥から絞り出すような声を発した。

「……司令官、カーリドはパンセリノスを奪おうとしていた模様です」

「なんだと」

 思いもよらない言葉に、クスーフは捜索の手を休めてしまった。セリニは震える声で先を続けた。

「機器を解析すると、メインコンピュータとは異なる連結が成されていました。カーリド達はやはり異なるデータバンクを使用していたようです。イヨルティの情報や、ハラムへの道筋、アルカのフライトシミュレーションがデータ履歴から確認されました。また、カーリドが映したと思われる映像があり、その中でカーリドが〝新天地へ行く〟と明言しておりました」

 セリニは精神的な衝撃に耐えるように小さく神の名を唱え、続きを述べた。

「第二基地のスピラルの奥に、極めて巧妙に細工された扉がありました。調査したところ昇降機があり、そこにはアルカが係留してありました。機体識別番号はありませんでした。カーリドが製作したか製造段階で奪ったものと考えられます。アルカは整備してあり、いつでも使用できる状態にありました。調査の後、それは処分致しました。当初は単なる逃走手段として考えておりました。しかし……。――これらの事実を繋ぎ合わせると、カーリドはアルカを足掛かりにしてパンセリノスを奪い、祝福を与えようとしていた惑星に住み着こうと企てていたと思われます」

 クスーフはおぞましい事実に身震いがした。イエレアスが乗船する完璧の象徴たる宇宙船を奪う。考えるだけで忌まわしい。打撃を与えたとはいえ、カーリド達はまだ生きている。恐ろしい企てを回避したことにはならないのだ。エクェスの名に掛けて、混沌の落し子に触れさせる訳にはいかなかった。最も神聖で完全なる儀式を壊させない。カーリドを一体残らず無に還さねばならない。これは責務であり義務であった。

 クスーフは副官に指示を与えた。

「敵が公用のアルカを奪取する可能性がある。全地区に呼び掛け、アルカを惑星ハーディへ移動させる。――いや、万が一を考えノーフも視野に入れる。この処置は私が行う。作業が終わり次第、捜索を再開する。最も高確率なのは一般者の住居や公的施設に潜伏していることだ。副官は全ての建築物を調査せよ。区民の報告や不審な情報を見逃すな。スピラルにも注意しろ。二度と同じ間違いを侵すな。全力を上げて捜査に臨め。また連絡する」

「畏まりました。調査を開始します。詳しいデータが整いましたら、直ぐに送信致します」

 互いの成功を神に祈って、通信を切る。数学的に不規則性のない美しい世界。パンセリノスを見上げ、クスーフは何度唱えたか知れない祈りの文句を呟いた。



☩ ☩ ☩



「……リーダー、これからどうしましょう」

 隣に寄り添うように座る小柄な少年を、ヒラールは見つめた。カマルが涙ぐんだ面持ちで俯いている。アステリも沈痛な表情で黙り込んでいた。

 一同はエクェスの追跡から逃れて、名も知らぬファダーの住居に潜伏した。幸い家主は公会堂(ホール)かファクル、仕事場のいずれかに行っているようで不在であった。

 単体での暮らしを前提としている為、一般住居はハイマート基地と比べるとかなり狭い。外見と同じく殺風景な内部で、白い壁と生活用品を入れる棚、簡易な寝台、祈りを捧げる祭壇があるだけだ。全てが支給された品で、何処の場所でも均一化されている。ヒラールは背面の瞳で硝子窓から外を眺めた。切り取られた薄明るい通路。何体かのファダーが横を通り過ぎていく。公会堂(ホール)の騒ぎはまだ伝わっていないようだった。

 バドルのユドラが途切れてから数時間が経った。行方不明になった仲間。基地へ呼び掛けても返答はない。第二基地や脱出予定地、思い付く限りの場所へなけなしのユドラを送り続けてもやはり無駄だった。こうなるとバドルが感知してくれなければ、此方からは手の出しようがない。闇雲に歩き回ってもエクェスに発見されるだけだ。

 ヒラールは右腕に視線を移した。上腕から断ち切られた器官。応急処置をして傷口を布で覆ったものの、絶えず激痛が襲っている。

 突然の襲撃によって3名の生命が失われた。一部も残してやることもできず、虚空へ散っていった仲間達。その喪失は大きな痛手であり、悲哀であった。

 ヒラールはゆっくりと口を開いた。

「アルカ工場へ向かう」

「此処からだと遠くはありませんね。タブレット型コンピュータで調べてみましょう。問題なのはID認証と監視塔ですね……」

 アステリは思案げに呟き、机上にある家主の機械に手を伸ばした。基地に配置してあるアルカを使うのは絶望的なので、奪うしかない。アルカを奪って上空へ飛んでしまえば敵の追跡も逃れられるし、仲間の捜索もし易くなる。今行える最善の策だろう。彼等が気を持ち直して工場までの道筋と内部の行動計画を練っていると、郊外に影が差した。

 彼等は、信じられない光景を目にした。

 硝子越しに唖然と空中を眺める。空へ浮かんでいくアルカ。全方位から何機ものアルカが示し合わせたかのように同時に飛翔している。その数は夥しく、銀の煌きが空を覆い尽くす程であった。

「アルカが……」

 アステリの絶望的な呻き。アルカを探してエスフェラ中を探しても無駄だろうということは漠然と感じられた。敵は此方の動向を見抜いている。全てのアルカを別の惑星に移動させようというのだ。

 基地は敵の手に落ちたのはほぼ確定的となった。順調に行っていた計画は破綻し、折角築いた抵抗の砦は崩壊した。実感が沸き上がり、彼等は恐ろしい程の不安に苛まれた。

 もしかしたら自分達以外、存在していないかもしれない。この広い排斥された世界で取り残されてしまったのかもしれない。

 カマルは絞り出すような声を出した。

「ノーフで惑星へ行き、アルカを奪えるかもしれません。俺、行きますよ」

 ヒラールは首を横に振り、無言で一端を指差した。アルカの影に隠れて単体用宇宙船が浮かんでいる。宇宙葬で使われるノーフですらラウフから離れて、エスフェラを離れようとしている。敵はあらゆる手段を封じるつもりなのだ。それらはそのまま上昇し、大気圏上へと消えていった。

 更に絶望の淵に沈んだ彼等を順に見て、ヒラールは語気を強めた。

「それが無理ならハラムへ行くだけだ。――10分後に出て、北へ向かう」

 アステリがそれに反対意見を出した。

「……待機している方が安全かと思います。家主を始末して、仲間の応答があるまで待ちましょう」

 礼拝の時間を考慮すると恐らく数10分後に家主が帰宅する。救援を呼ぶ前に殺害すれば、しばらくの時は稼げる。ヒラールもその案は考えたが、首を振って否定した。

「安全などない。発見は時間の問題だ。面倒を起こさず行方を晦ます方が痕跡を残さない」

 明朝になれば家主が礼拝に現れないことを疑問視され、家が調査されるだろう。こうなってしまえば敵の捜索範囲が狭まる。住居に留まるのは危険だった。

「違う住居に潜伏することはできませんか?」

 カマルの声には怯えが含まれていた。再び外で晒されることに恐怖を覚えるのだろう。その感情をヒラールは理解できたものの、頑なに否定した。

「いや。移動しておいた方がいい。移動手段がない分、時間が惜しい。容易には無理だが、リュヌがいればスピラルを使用できるかもしれない。ハラムへ近い処で合流できればそれだけロスが減る」

 スキャンデータが残っていれば、仲間が無事であれば、という言葉は喉の奥に呑み込んだ。彼等は必要以上に動かず潜伏している筈だった。バドルがいれば自分達をユドラで探しているだろう。アステリは尚も食い下がった。

「もしスピラルが使用できないなら、リスクが格段に上がります。合流が難しくなってしまいますよ」

「移動しないと間に合わない。イヨルティは始まっている。ハラムまでは遠くない。スピラルを使用しなくとも、5日かければ着くだろう。最終日まで日がない。――リュヌがいないなら、カマル。スピラルを操作できそうか?」

 確認というより強制がこもった響きだった。カマルは難しい顔をしながらも首肯した。

「……いけると思います。メインコンピュータをごまかして利用するだけは。でも、スキャンデータがないので長時間掛かりますし、エクェスには絶対知られます」

 それでは成功する確率が格段に低い。もし仲間達のデータが残っていないなら、再考する必要があった。アステリはまだ移動を渋っているようで、異なる案を出した。

「合流してからスピラルを利用するのは?」

「……集団で移動するのはリスクが高い。スピラルの利用が不透明なら尚更だ。ハラムの近くまで行き、仲間の移動を短時間で済ませた方が良い」

 アステリの言うことにも一利ある。だが、ヒラールは折れなかった。彼の計画に対する焦りが、目標の固執が彼を意固地にさせた。

 泣きそうな表情を浮かべてカマルがか細い声で言った。瞳には絶望が揺らめいている。

「リーダー。その、もし仲間が――連絡が付かなかったら……。計画は駄目になってしまうんでしょうか……」

 ヒラールは固い金属製の机に左手を付き、扉が仇敵であるかのように睨んだ。

「例え全滅していたとしても、俺達だけでパンセリノスを奪う。行くぞ」

 今度は彼等も何も言わなかった。ヒラールは内部にあった外套を被り、不具を隠した。カマルとアステリも同様の処置を行う。血痕やコンピュータ履歴などの証拠を消し、(はた)からは侵入した時と同じ様相にする。衣服やアルツナイ、医療品が減っているものの、奥の方から使用したので、そう簡単には気付かれない筈だ。

 意を固めて郊外へ続く扉をスライドさせ、3名は外を歩いた。一定の足取りで細道を選びながら、延々と歩く。時折数体の区民が通り過ぎるものの気付く者はいない。900年に一度の奇跡を観ようと、一般者の思考はパンセリノス礼拝へ向けられていたので、深く警戒する必要がなかった。

 厄介なのは警備員と巡回しているエクェスである。頼れるのは自らの研ぎ澄ました感覚。道が分かれる毎に敵がいないか確認し、スピラルや公共施設などの危険が潜む場所には決して近付かず、痕跡を残さないことを徹底した。

 神経を張り詰めながら入り組んだ街路を縫っていき、彼等はひたすらにハラムを目指した。可能ならばアルツナイを一つずつ奪って飢えを満たした。休眠は一日一時間交代で行えれば良い方で、休まない日もしばしばだった。途中何度かひやりとした瞬間はあったが、ことなきを得た。

 そして、追っ手に見つからないまま6日が経った。

 最大限の注意を払っていたので想像より日時が経過したものの、ハラムまで随分近く来ていた。パンセリノスは今にも降りかかってきそうな外観となっている。もうしばらくすれば区を抜けてハラムの領域となるだろう。

 だが、彼等は精神的にも体力的にも限界が訪れていた。足元がふらついて注意力が散漫となり、前進するだけでも全身の力を必要とした。

「あっ……」

 カマルはよろめいて身体を壁にぶつけた。手と(ヒィシ)を使って転倒は免れたが、摩擦で外套が(めく)れて彼の異常な身体のバランスが露わになる。

 丁度折が悪く、それを一体のファダーが目撃した。

「……カーリド!」

 ヒラールはすかさずヴァッフェを撃ち込んだ。一般者は驚きと恐怖を引き攣らせたまま、原子へと変化していった。アステリはカマルを支えながら鋭く見渡し、目撃者はいないことを告げる。完全に分解されるのを待つ間もなく、彼等は早足で歩き去ろうとした。

 その時だった。

 ――声が響いたのは。



☩ ☩ ☩



 バドルは必死で仲間達の気配を探っていた。

 意識を手放しそうになる苦痛を脇へやり、バドルはユドラを使い続けた。視覚を併用すると力が浪費されるので、感覚だけを地に漂わせている。

 居場所が明確なら疎通は容易い。リンクを繋げていれば移動しても追跡できる。だが、行方不明になった者を探すのは話しが違った。モントは元の場所にいたから発見できたのだ。スピラルが使えないから遠くへは行っていないと思われるものの、手掛かりは殆どなく、相手は動き回っていると推測される。彼等の消息が絶えたのはヴェルソー9・6区―499。その付近を全て視たが発見できなかった。9・6区はかなり広い。全部を調べようと思ったら途方もない作業となるだろう。散乱した無機質な情報から一抹の希望を探す。確率は極めて低かった。

 霞がかった意識を凝らしていると、割れるような頭痛が襲ってきた。胸が締め付けられるように痛み出す。あらゆる不調が全身に伸し掛かり、集中が途切れる。バドルは一旦ユドラを休め、蹲って発作が引くのを待ってから窓外の景色をぼんやりと見た。

 一時間前、上空にアルカが浮かんだ。一瞬仲間が乗っているかと錯覚しかけたが、違った。次々に空を埋め尽くしていく途方もない数のアルカ。無情にもそれは彼等を置いて高く上昇していく。それに伴って数多のノーフも飛来していった。敵はあからさまに此方の意向を知っている。基地にあるアルカが発見され、対策を取られたのは明白であった。希望がまた一つ潰れ、彼等はただ絶望的な眼差しでそれを眺めていることしかできなかった。

 自分が早く敵の奸計に気付けば、こんなことにはならなかった。予め知っていたら、大切な仲間を喪わずに済んだだろう。後悔の念がバドルを(むしば)んでいく。エクェスは付近にいないようだが、いつまで隠れ続けられるか分からなかった。早く仲間を見つけなくてはならない。バドルは酷くなる一方の体調を宥め、深い集中に入ろうとした。その時。

「あんたのせいだ!」

 部屋に叫び声が反響した。見ると、リュヌが憎しみの表情でモントを睨んでいた。

「あんたがヘテルを殺した!」

「私は何もしていない」

 きっぱりとした否定に、リュヌは益々声を荒げた。

「嘘だ! あんたが場所を敵に教えたんだ!」

「やめなさい。誰のせいでもないのよ」

 ルーナが彼女の腕に触れて首を横に振ろうとすると、リュヌはその手を払った。

「ルーナは誰の味方なの!?」

 彼女は半狂乱になってモントに詰め寄った。

「あんたが来たから、全部壊れた! 僕達の世界が死んだ! 返せ、返せよ!」

 激しい怒りとは対照的に、少しの戸惑いを滲ませながら静かな声でモントは言った。

「取り戻せない。――声。エクェスに見つかってしまうわ」

 リュヌは憎悪が混じる視線を残し、狭い隣室へ入っていく。その後をルーナが追った。幼い者達は手を引き合い、不安と恐怖に引き攣った表情で支え合っている。生まれて初めて肌に感じる、迫り来る白き外。ヘテル亡き今、非戦闘経験者が身を守らなければならなかった。幼い中での年長者ハイルは使い慣れないレーザナイフを握り締めていた。混乱の中で持ち出せた唯一の武器。モントは怯え切ったフォルを撫でながら、他の子供にも慰めの言葉を伝えていた。

「こんな惑星嫌。諦めるしかないの……?」

「死にたくない。新しい世界へ行きたかった……」

「怖いよ。もう無理だよ……」

 誰かの絶望の呟きが聞こえる。仲間達の誰もが積年の理想を諦めかけていた。

 ルーナが戻ってきた。リュヌはまだ個室に篭っているのだろう。子供達が不安げにルーナに抱き着く。モントは子供をあやしている彼女の隣へ行き、話し掛けた。

「彼女、本当に仲間を想っているのね。私はその感覚がまだ分からない。あんなに激しい感情を受けるのは初めてで……」

「リュヌも貴女が悪いとは思っていない。ただ、怒りの矛先を向けてしまっただけよ。正直、私も貴女を信用できない時もあった。貴女のことが本当に分からなかった。私は今では、貴女なりの距離の縮め方を理解しているつもり。――身を呈して子供達を守ってくれたこと、感謝しているわ」

 モントはフォルを抱き上げ、寂しげな面持ちでその背中をさすった。

「貴方達は一種の共同体なのね。とても強い絆で結ばれている。ファダーは社会の結び付きで一個の生命体となっているけれど、貴方達とは違う。ファダーは神を中心に据えていて、他の者には関心を示さない。私は嘗ての同僚が亡くなっても悲しまなかったでしょう。貴方達は互いに強い関係性を持っている。誰かが傷付けば、他の者が同様に感じる。……私はどちらにも属せない」

「いいえ。理解。貴女にはそれがある。私達を解ろうとしてくれている。私はそれが嬉しいのよ。だって――」

 ルーナが頭を抑え、苦しげに顔を歪ませた。モントが心配の言葉を掛けると、彼女は首を振って弱々しく微笑んだ。

「大丈夫。ただ音が頭から離れなくて……。生命が散る音。やっと頭から離れたと思ったのに」

ルーナは聴力が鋭い。視力を補おうと、他の者に聞こえない音が聞こえてしまうのだ。彼女はだって、と言い直し、先程の続きを言った。

「理解は関係に繋がっていくのよ」

 ありがとう、とモントは返す。その遣り取りを聞いて、バドルは自らの使命の重さを再認識した。一刻も早く仲間を見つけなければならない。その繋がりを、決して断ち切ってはならない。瞳を閉じ、バドルはユドラの深みに入っていった。

 あれから6日が経った。

 彼等はバドルの能力で敵を避けながら、住居を転々としていた。といっても近場を巡っているだけだ。2日前に家主が長期不在の住居を発見した。ラウフへ行ったのか、仕事場に居を構えているのかは知り得ないが、式典が終わるまでは住居者が来ることはないと思われ、彼等はそこに潜伏した。

 イヨルティも終わりに差し掛かっている。当初は誰もが仲間の再会を願い、希望を捨てないでいた。だが今では憔悴しきり、微かな希望が絶望にすり替わっていった。なけなしの会話が皆無になった。不安の顔が無表情になった。誰もが俯き、最悪の結果を頭に渦巻かせていた。

 だが、バドルは諦めなかった。幾つかの懐かしい意識を探して毎日ユドラを使った。押し寄せる不調と闘いながら混迷した情報群へと潜り込んでいき、平坦な知覚処理を続けた。延々とした作業に意識が朦朧とし、本来の目的さえも失いそうになる。9・6区は殆ど視尽くした。他の区も調査しなければならなくなりそうだった。

 慢性的な頭痛と眩暈。目を瞑っていても周囲が回転し、身体が揺れるのが分かる。吐気を催しても何も残っていなかった。極めて衰弱しているのが自分でも感じられた。無理をしないよう仲間に注意されたものの、バドルは発見するまで延々と行うつもりだった。

 今も数時間を通してユドラを使い続けていた。限界を通り越した不調。混濁とした意識が段々と遠のいてくる。一旦休憩をしなければ危険だろう。バドルが渋々ながらリンクを切ろうとした時。

 ユドラの片隅に、何かが触れた。

 はっとしてバドルは息を詰め、その箇所に集中を深めていった。ぴんと張り詰めた意思。しっくりと来る、よく知った懐かしい感覚。視覚を伴わなくても分かる。間違いない。

 バドルは思わず声を出していた。

「ヒラールさん!」

 仲間達の視線が一斉に注がれる。間の後、返答があった。

『……バドルか?』

 バドルは喜びで胸が一杯になった。相手はまだ信じられないようで、もう一度確認するように同じことを聞いた。返事をすると、ヒラールは長い息を付いた。ユドラを通じて、彼も同じ感情ということが知れる。

 バドルは他の意識を探った。彼の他に、2名の仲間。――カマルとアステリと思われる。――足りない。いるべき仲間がいない。3名の気配が感じられない。喜びが急速に灰色に褪せていく。そんな苦しみが伝わってしまったのか、ヒラールが矢継ぎ早に質問をした。

『仲間はどうなった? 全員無事なのか? 何があった?』

 次々に出される質問にバドルは答えようとしたが、向こうから打ち切られた。

『いや、いい。後で聞く。スピラルは使えるか?』

 つかえそうになる喉を懸命に動かして、返答する。

『……リュヌがデータの一部を持っています。時間は掛かりますが可能だと思います』

『分かった。9・9区―792で合流しよう。一旦ユドラを切れ』

『はい。また連絡します』

 バドルはユドラを断ち、深く息を吐いた。緊張の糸が切れてしまい、長時間の使用に凄まじい頭痛と息苦しさがうねりを伴いながら襲いかかる。全身が脈打ち、細かい震えが生じる。多くの感情が寄せては消え、思考は乱れて壊れたデータのようだった。俯いて深呼吸を繰り返し、バドルは苦労して面を上げた。

 眼前にリュヌを含めた全員が集まっていた。期待を込めた表情を誰もが浮かべている。体調を労わるように、遠慮がちにルーナは訊ねた。

「……皆は無事なの?」

 言葉に窮してしまった。しかし、真実を伝えない訳にはいかなかった。バドルは3名の意識が感じられないことを告げた。――余りにも辛い答えだったので、彼等ははぐれてしまったかもしれないということも言い添えた。仲間達の笑顔が悲しみに瞬く間に変化する。

 バドルは少しずつ言葉を切りながら、ヒラールとのやり取りを話した。ルーナは現実に打ちひしがれながらも頷きを返す。リュヌは口を結んで涙を零していた。嗚咽を必死に押し殺そうとしている。彼女の酷く取り乱した姿を思い返し、バドルは悲しみに心が捻れて自らの視界も滲んでいくのが分かった。罪悪感を覚えつつも、バドルは彼女の肩に優しく触れ、問い掛けた。

「リュヌ。ポイントを聞きました。それを使って、スピラルを起動できそうですか」

 彼女は固く握りしめていた右羽(ヒィシ)の先を開いた。

 矮小な端末が乗っている。基地から唯一持ち出せたデータの一部分。技術の結晶体だった。銀色の希望をぎゅっと握り締め、彼女は答えた。

「……やってみる」

 その後、彼等はファダーの住居を離れた。

 最寄りのスピラルまで早足で進んでいく。ユドラでファダーがいない時を見計らったので通りに何者もいないが、彼等は周囲を警戒しながら慎重に歩いて行った。怯える子供達をルーナが引率し、モントが行先へ導いた。彼女の腕にはフォルが抱かれている。消耗を強いたバドルは仲間に支えられなければ歩けなかった。激しい運動ができないリュヌも慎重に後ろに続いた。

 大通りから外れ、建物が密集した通路。その間を縫い、裏側からスピラルへ到達した。これは9名以上が転送できる大型の装置だ。シャッターが開き、子供達を優先して入れて中に待機させる。ルーナはリュヌの傍に控え、バドルとモントは外側に立っていた。

 リュヌは早速スピラルの解析に取り掛かった。ファダーの住居から持ち出したタブレット型コンピュータに端末を嵌め込み、コードを入力して慣れた手付きでパネルを打っていく。――既に住居でセキュリティを解除していた。バドルは壁にもたれて瞳を閉じ、今一度ファダーが周囲にいないか確認する。

 リュヌは薄い唇を尖らせながら呟いた。

「……うん、さっき調べた通りだ。ID認証は突破できるし、スキャンデータも殆どが残っているから補助すれば復元できる。そう時間はかからないよ。……いや、駄目だ。履歴削除のプログラムが欠損している。気付かなかった。連結させるとデータが残る。敵にばれる。復元させなきゃ……」

 目にも止まらぬ早さで打ち続けたものの、彼女は手を止めて絶望の呻きを零した。

「復旧できない。プログラムが思い出せない。もっと注意して覚えれば良かった。どうにかして――」

 尚もパネルを叩こうとするリュヌに、モントは声を掛けた。

「仕方がないと思う。転移すべきよ」

「もう少しやる」

 彼女がモントをきっと睨んで押す指に力を込めた時、バドルが身動(みじろ)ぎして素早く言った。

「一般者が向かって来ます。此処を利用するようです」

 戦闘に心得のある者なら事態を収束させることが可能だが、如何せん非経験者の集まりでヴァッフェも持ち合わせていない。見つかったら直ちにエクェスを呼ばれてしまうだろう。時間的猶予はなかった。ルーナはリュヌに触れ、諭すように言った。

「このまま起動させなさい。彼等は言うと思うわ。それでも来い、って」

 リュヌは微かに頷き、移動装置を起動させた。シャッターが閉まっていく。バドルはヒラールにユドラを送ってから、身体を固くして起こる事象に身構えた。これでスピラルを通るのは五度目。装置に携わると酷い拒絶反応が起こるのだ。電子音が低く唸り、燐光が発せられる。浮遊感が生じ、意識が白濁する。奇形が歪み、個が解体されていく。バドルは自らが分解されていくのを自覚する。

 身体は極小のデータとなっていった。



 分子が現れた。それは数を増やしていき、一つ一つが集まって繋ぎ合わさり、絡まり合い、個を構成していった。指令されたデータに基づいて完璧に不具の姿を形作っていく。

 意識を取り戻した途端、凄まじい眩暈が襲いかかって来たのをバドルは感じた。壁に手を付き、胸を抑えて屈む。仲間達は既に転送を済ませていた。モントに支えられながら這い出るようにバドルは郊外へ出た。途切れる不明瞭な視覚で空を仰ぎ見ると、そびえ立つ大聖堂ハラムの頭上には後光のようにパンセリノスが輝いていた。

 回転する視界の中で、バドルの能力は恐怖を捉えていた。

「……敵が間もなく来ます」

 近い気配。やはりエクェスに探知されてしまった。幾らかもしない内に現れて包囲網を張ってしまうだろう。彼等は早足で792地点へ向かった。

 リュヌは焦ったように周囲を見渡す。

「いないよ」

「一旦隠れる場所を探しましょう」

 モントが子供達を集めて右へ進もうとすると、ルーナが呼び止めた。

「待って。呼び掛けてみる」

 彼女は仲間へユドラを送ったようだった。数瞬の沈黙の後、呟きを発す。

「一つ先を左……」

 彼等がその方位へ頭を向けた時、鋭い声が上がった。

「此方だ! ついて来い!」

 見ると、ヒラールが曲がり角で立っていた。反射的に一同はそちらへ足を向け、合流した仲間と共に細道を北に数10メートル走った。ヒラールは足りない仲間達を見て顔を強ばらせたものの、何も言わなかった。バドルはカマルに支えられて進み、アステリは最後尾を走っていった。街中は静まり返っている。ふとバドルは先頭を行くヒラールの右腕を見て、息が詰まった。――上腕が断ち切られている。

「ヒラールさん、腕が……」

「構うな。現状を優先しろ」

 心配に胸が詰まったが、バドルは行動に集中した。動悸と不調を押し退けて身体を動かす。彼等は尚も街道を進み、ある建物へ到達した。変哲もない住居。だが、家主は不在なのだろう。カマルがID認証を解除して建物の扉を開き、ヒラールは戸口に立って仲間達を奥へ入れた。

「此処にいろ」

 リュヌは焦燥を含む声をリーダーに向けた。

「ねぇどうするの。直ぐに捜索の手が伸びる」

 このような中途半端な逃走では、数分もしない内に発見されてしまうだろう。と言っても、ユドラを使って逃げ切るのは難しい。スピラルで移動も行えず、この集団では長距離を短時間で動けない。

「考えがある。――バドル、エクェスは何処にいる? 散在しているか?」

 矢継ぎ早にされた質問にバドルは的確に答えた。

「三箇所。南東200メートル、西南120メートル、北東160メートル辺り。数十体で分団しています」

 次にヒラールはリュヌが持っている小型コンピュータを指した。

「リュヌ、それでスピラルを遠隔的に操作できるか?」

「え? ――地点が分かれば、さっきと同じようなことは可能だよ。足跡は残るけど」

「それでいい。此処で待機しろ。カマル、アステリ、行くぞ」

 彼等は息を付く暇もなく郊外へ出ていった。何も解らないまま屋内で待っていると、ヒラールからユドラが届いた。バドルは発せられる問いに次々に答えていった。

『西南は?』

『北東に約60移動』

『分離した少数がスピラル付近にいるか?』

『――はい。ポイント988。二体』

『そこへ向かうルートは?』

『右側の路地を抜け、979を通って左へ曲がって下さい』

 ヒラールは右へ向かい、言われた道へ進んだ。カマルとアステリがその後を追う。彼の思惑が検討付かなかったものの、バドルは内容を訊ねなかった。彼を全面的に信頼していたし、何より時間が惜しかった。何があろうともサポートするつもりだった。

 ヒラール達は素早く指定された場所へ到達した。物陰から覗くと、二体のエクェスが住居を厳しい目で詮索している。その向かいにはスピラルが設置してあった。ヒラールは地を蹴り、レーザナイフを振り被った。エクェスは咄嗟にヴァッフェを握ったが、間に合わずに首が断ち切られる。アステリが他方の心臓部をナイフで突き刺した。

 二体のエクェスが絶命したのを確認後、ヒラールはわざと大声で叫んだ。

「スピラルへ!」

 カマルは即座に移動装置の手続きを開始した。ユドラで声を掛ける前にリュヌがそれを起動させる。

『どうする?』

 ヒラールは絶命しているエクェスを掴みながら、バドルに話し掛けた。

『リュヌに伝えろ。――こいつを転移させる。何処でもいい。但し、俺達が移動したかのように見せかけるんだ。時間稼ぎになるだろう』

 一体をスピラル内へ運び、一方の者を装置付近へ配置する。仕掛けを終えたと同時に、バドルの警告が響いた。

『エクェスが到着します』

 カマルは素早くパネルを押し、起動させてから自分は外へ出た。彼等はシャッターが閉まって転移が開始されるのを見届けずに、そこを後にした。



☩ ☩ ☩



 ヒラールは重く息を吐いた。

 重い境遇ながらも和気藹々としていた当時の雰囲気は、微塵もない。カマルの啜り泣きが聞こえる。ルーナは茫然自失としており、リュヌは気鬱な面持ちで黙りこくっている。幼子達は恐怖に震え、嗚咽を零していた。バドルは能力の多用で昏睡に近い眠りに入っている。身体の著しい変調は今の処ないようだ。これからバドルの力が多分に必要になってくるだろう。ただ回復を願うしかなかった。

 まやかしの転送は成功した。エクェスはスピラルを用い、指定先を調査しに行ったと思われる。向こうで事態は発覚するだろうが、情報をあやふやにさせたから留まっているのか転移しているのか解らないだろう。その間にハイマートは長距離の移動を行い、潜伏を終えた。短時間で場所を突き止められることはない筈だ。

 彼等は大聖堂ハラムに隣接しているラウフに潜伏していた。

 死者をカプセルに収容し、送別の儀を行う狭い一部屋。敵に発見されずに潜伏できたのは、バドルのユドラの御陰であった。ハラム周辺は全警戒態勢となるだろうと予測し、郊外へ出ることなく聖堂へ繋がっているラウフを選んだ。連絡通路に敵がいても、入口からよりは侵入がし易いだろう。

 間近に見たハラムは、今までに見たどのファクルより広大だった。白石で造られたそれは完璧なるシンメトリーを構成しており、中央部は半円状となっている。身廊付近と連絡通路の繋ぎ目には尖塔が建てられていて、円を重ねたデザインのステンドグラスは透明に輝き、精緻な模様を浮かび上がらせている。鈍色の空とパンセリノスを従えたその姿は、完全を嫌う彼等でも嘆息を誘う程だった。

 いつの間にか日付は変わり、年が明けていた。イヨルティは佳境に入っている。最終は18時間前に迫っていた。だが皆は疲弊し切っており、ヒラールでさえも直ぐに行動する気になれなかった。今はとにかく休息が必要だった。

 ヘテルを喪った。このことを知り、ヒラールは眼前が真っ暗になる思いだった。聡明で冷静沈着な副リーダーであったヘテル。彼がマラークから救出された光景も未だに覚えている。フェガリに抱かれた胎児。うっすらと開いた両目の色合いが異なっていた。左手の損傷は17年前に負った傷だった。多視点で物を見るタイプだったので、ヘテルは計画に疑問を投げかけた時期もあった。だが、本心では誰よりも新しい土地へ行きたかったのだろう。共に宇宙へ出られなかったことが悔しくて、哀しかった。

 喪われた仲間達の顔が思い出される。若いソクとシュルク。名付けたばかりのアフェア。最も幼い命が消えてしまった。ナグム、スキア、ユディウ。誰もが掛け替えのない仲間であった。年長のヒラールは最も多大な喪失を体験していた。今では生存者より散っていった者の方が多いくらいであった。

再会の喜びより、喪失の悲しみの方が大きかった。

「どうしてばれたんだろう……」

 リュヌがぽつりと言った。モントは彼女をちらりと見たが、フォルに視線を戻した。誰も答える者はいなかった。

 沈黙がしばらくの間辺りを支配していたが、ルーナが静かな声でリュヌに話し掛けた。

「そう言えばリュヌ。先日貴女は何を調べていたの?」

「……僕だって言うの?」

 みるみる顔が険しくなる彼女に、ルーナは首を横に振った。

「いいえ。でも、あの時コンピュータが一瞬暗くなったとヘテルは言った。普通じゃない」

 亡き者の名が出た途端リュヌの顔が曇った。彼女は目を逸らしながら、小さい声で話し始めた。

「イヨルティのこと。パンセリノスの行き先がふと気になって……。僕達が行く場所。ほら、儀式前にイエレアスが特別な間でアサナトに告げられる。そうでしょ? ちょっとだけなら大丈夫だと思って調べてみた。それでメインコンピュータを覗いていたら、突然大きな波長があった。別のところから。……巨大なデータバンクみたいだった。セキュリティがなかったから慎重に侵入してみたら、膨大なデータが入っていて、その中にイヨルティの情報があって……。もっと踏み込もうと思ったら画面が暗転して、アクセスできなくなった。ううん、そのバンクは消えた。メインコンピュータに足跡が残った形跡はなかった。それは確認したよ。ちゃんといつも通りの手順で行ったんだから。だから絶対にばれていない!」

 最後の語気は強く、言い訳めいていた。ヒラールとしては、リュヌが無断で第二基地に行ったとしかヘテルから聞いていなかった。

「巨大バンク? メインコンピュータしかバンクは存在しない筈だ」

「知らないよ! 実際にあったんだから」

 彼女は苛立ちと不安を含んだ声音をヒラールに向け、尚も弁明じみた声を上げ続ける。

「とにかく変なバンクだった。沢山のデータが綯い交ぜになっていて、僕が儀式のことを知りたいと思った瞬間、イヨルティの情報が出てきた。直ぐに消えたから閲覧できなくて、ヘテルとルーナが来た。だって、僕はそれから第二基地へ――」

 無表情になり、口を噤むリュヌ。敢えて考えないようにしていた共通点が、彼女の心に纏わり付いたようだった。そのデータを覗いたのが第二基地。第一のみならず第二基地も暴かれ、占領されてしまった。モントは第二の座標を知らない。第一のコンピュータから座標を割り出すにもパスワードが必要である。

 もし、謎のデータバンクにアクセスの証拠が残っていたとしたら、それがメインコンピュータに流れていったとしたら――。二箇所とも居場所を暴かれてしまうだろう。彼女は愕然とした顔付きのまま、掠れた声で呟いた。

「僕が、居場所を漏らしたの……?」

 仲間達は首肯も否定もしなかった。可能性としてはないとは言い切れない。だが、真実は誰にも解らなかった。

「だって、今まで同じ手順で侵入してもばれなかった。そっちのバンクにも同様の処置をした。気を付けていた。僕はやってない……」

 頭を抑えて横に振るリュヌ。自らに言い聞かせているような口調で呟き続ける。もしかしてという恐怖がその心に燻っていた。顔は青ざめ、僕はやっていない、という文句が段々と弱々しくなってくる。やがて小さく蹲り、彼女は泣き崩れた。

「あれは誰のせいでもないわ」

 慰めようとルーナが背中を撫でるも、反応はない。彼女はただ身体を丸めて涙を零し続けた。その様子をヒラールは苦心げに眺めた。全身に重く伸し掛る後悔の感情。彼の脳裏に、17年前の出来事が再起される。心の奥へ埋葬していた事実。できれば一生打ち明けたくなかった過去。だが、彼は仲間達に話そうと決心した。

 ヒラールはリュヌの傍らに座り込んだ。

 彼女は俯いたままだった。視線を宙にさまよわせて、ヒラールはぽつりと零した。

「17年前の事件を起こしたのは俺だ」

 顔を起こし、涙に濡れた瞳をリュヌは見開いた。恐らく彼女の目に映ったのは厳しいリーダーの顔ではなく、辛苦に打ち拉がれた者の顔だろう。

「基地が暴かれ、多くの仲間を喪った。俺が勝手な行動をしたから」

 仲間達もその告白に動揺を隠せないようだった。無理もない。話したのは始めてだったから。ヒラールはちらりと部屋の奥にある寝台に目を動かした。バドルはまだ眠りから目覚めない。彼は淡々と口を動かし始めた。

「フェストが不足していた。翌日の分もないくらいに。俺達はイクトスへ向かった。だが、エクェスが網を張っていた。フェガリは諦めた。困窮していても物資より生命が大事だ。そう言って。……俺は納得できなかった。糧がなくて全員死んだら元も子もない。そう思った。前回も失敗してフェストを奪えなかった。その焦りもあった」

 一度区切り、話を再開する。

「俺は引き上げる仲間から抜けて単身でフェストを奪おうとした。案の定エクェスに見つかり、諦めざるを得なかった。俺は敵を撒いたつもりだったが、三体のエクェスがスピラル内まで追い縋ってきた。ナイフで一体を切ったが、残りには対処しきれなかった。フェガリが救出してくれなければ殺られていた。フェガリが二体を撃ち、俺達は直ぐに転送した。数時間後、基地が襲撃された」

 しんと静まり返っている。呼吸音すら掠れそうな静寂。ヒラールは深く息を付き、ことを説明した。

「……最初の一体にまだ息があって、基地の座標を見たのだろう」

 閉まるシャッターを破り、死の間際でエクェスは転送先を見た。情報が消される前に。実際に確認したことではないので推測の域を出ないが、ヒラールはそう思っていた。

「俺がフェガリの言葉を聞いて余計なことをしなければ、敵に止めを刺していれば、こんなことにはならなかった。多くの者達を同時に喪うこともなかった。驚異に気付いていれば少しは変わったかもしれないのに、それすらできなかった。事実が恐ろしくて拒絶した。俺はフェガリ達に顔向けができない」

 空になった右腕を持ち上げようとしてヒラールは息を付き、左手を彼女の肩に置いた。

「リュヌ、過ぎたことを悔やむな。生き延びて、パンセリノスに乗ろう」

 彼女は長い間視線を宙に漂わせ、やがて僅かに頷いた。ヒラールは立ち上がって扉付近の壁にもたれ掛かった。皆は身動ぎせず、しばらく無言を保っていた。

 数刻の後、彼に向かってルーナが口を開いた。いつになく厳しい面持ちを浮かべている。

「――ヒラール。止めた方がいいわ。また隠れられる場所を探しましょう」

 その反対にヒラールの表情は険しくなった。

「何年も話し合ったじゃないか」

 彼女は隣に寄り添う子供の頭を撫で、養護する者の顔で話し始めた。

「ええ。私も行きたかった。皆でエスフェラから出られたら、どんなに幸せなことか。でもこの状況を見て。蓄えもない。データも対抗する力もないし手段は絶たれている。どう考えても成功するとは思えない……。小さい子達もいるの。生き延びていれば次がある。私達は無理であっても、また九百年後に繋げられるかもしれない」

 ヒラールは息を付き、その言葉を噛み締めた。嘗て成功の望みの薄い計画に、彼女は反対していた。保護者的立場として、小さな生命の代弁者として。よく話し合って納得してくれたものの、今の状況では反対意見を出すのは無理もなかった。

「いいや、それこそ可能性の低い未来だ。此処からスピラルを使って逃げ延びられたとしても、潜伏する場を探して新たに基地を造るのに何年かかる? 生きる糧も得られずに全滅する確率が高い。此処まで来たんだ。パンセリノスを奪うしかない」

 第一基地の製作に少なくとも20年以上の歳月が掛かっている。それも過去のハイマートリーダー、ハガルから受け継いだ基盤があったからできたことなのだ。一からやり直すというのなら、再建するのに恐らく百年近くは掛かる。

 ルーナの意見を選んでも勿論間違いではないのだろう。確率的に見ればパンセリノスを奪うより可能性があるかもしれない。

 それにも関わらず、ヒラールは引く気がなかった。彼は何としてでも新天地へ行きたかった。完全体のいない世界へ。フェガリが目指した約束の地へ。

「考えがあるというのね」

「ああ。残らず新天地へ連れて行ってやるつもりだ」

 ルーナはこれ以上言っても平行線を辿るだけだと悟ったのか、身体を震わせる子供を抱き上げ、表情を緩和させた。

「これだけは覚えていて。子供達もいるということを」

 ヒラールがそれを容認した時、寝台に横たわっていたバドルが身動(みじろ)ぎしてゆっくりと上半身を起こした。

「……すみません。意識を失っていました」

 憔悴しきった顔。痩せた頬が更に削げてやつれ、隈が縁っている。バドルは仲間達を見渡し、あからさまに足りない数に悲しそうな面持ちを浮かべた。ヒラールは成るべく通常通りの声音で呼び掛けた。

「約十三時間後に行動する予定だ。そこに座っていろ。話し合いを行う」

「いえ、大丈夫です」

 緩慢な動作で立ち上がり、バドルは仲間達の輪に入った。

 ヒラールはふと思い出し「一時間毎でいい。今は休む時だ」と言い添えた。そう言っておかないと、エクェスの接近を警戒してユドラを使い続けるかもしれない。バドルは小さく微笑みを返しただけだった。

 リュヌが護った情報に地図の一部が残っていたので、彼女はタブレット型コンピュータにそれを表示させた。ハラム内部の地図は蓄積したデータとバドルのユドラで大雑把には把握していた。彼等は壁にもたれ掛かるヒラールに目をやった。基地が制圧されてアルカが奪われた今、パンセリノスへ続くスピラルは最大限の警戒がされている。それなのにどのように行動するのかという共通した疑問を、彼等は抱いていた。

 ヒラールは扉に注意を払いながら仲間達の近くへ進み、問い掛けた。

「――リュヌ。データに自壊(ヤトレフ)プログラムはあるか?」

 頷きを返すリュヌ。彼は続けてこう言った。

「ハラムのメインコンピュータを制圧する。データを不能にさせ、敵が混乱している最中にスピラルへ行く」

「制圧する? 破壊するの?」

 モントの質問にヒラールは言い切った。

「いいや。自己消滅させる。プログラム中に自壊(ヤトレフ)というものがある。その指令を送り込む」

基地のデータ削除にも使われたプログラム。これをコンピュータにプログラミングしてコマンドを発動すれば、データは徐々に自己崩壊していく。一度発令されたらどんな手続きも効かず、全てが空となるまで指令は続けられる。

 メインコンピュータはファダー全体のIDやスキャンデータ、マラークやアポストル等あらゆる施設のデータ管理を行っている。これを壊せば、社会全体を麻痺に陥れることができるだろう。モントは考え込む動作をして、首を横に振った。

「データを壊したら、貴方達もスピラルが使えなくなるのでは?」

 リュヌが一定調子の声で答えた。

「それが担っているのはIDとスキャンデータだけ。問題ないよ」

 ルーナが口を挟んだ。

「ハラムに侵入した時点で察知されるわ。メインコンピュータがある場所まで子供達を連れて、処置を行えるとは思えない。何か対策は?」

「分かっている。二手に分かれるつもりだ。俺とカマルとアステリ、リュヌが中央制御室へ行く」 

 名を呼ばれた三名が表情を引き締める。彼は地図の一端を指差しながら、説明を始めた。

「ルーナ達は此処で待機しろ。プログラムを起動した後、俺は分かれてお前達を内部用スピラルまで誘導する。そこで待て。――転移は行わない。カマル、アステリ、リュヌは実行が成されているのを確認後、南の扉を使用して下ってこい。先に俺がその場所の敵を片付けて待機している。こうすれば挟み撃ちにされることはないだろう。合流後、南の礼拝堂からスピラルへ行く」

 広大なハラムは北と南を結ぶ対向線上に、移動のショートカットが目的のスピラルがある。一部の敵はそこから現れ、自分達を包囲しようと思うに違いなかった。ヒラールはそれを利用して敵を撹乱し、一気に礼拝堂の側廊から吹き抜けへ登り、上階のスピラルへ向かおうと思っていた。だが、と彼は付け加える。

「やはり状況次第となる部分が多い。エクェスの位置を認知した上で経路を決める」

 敵の配置が不確かな状況では逆に混乱を引き起こしかねないので、具体的なルートは後回しにすることにした。ヒラールは口を閉じて仲間達を見渡した。彼等は神妙さと不安が入り混じった面持ちを浮かべている。モントは気難しく地図を見やり、自分なりに経路を考えているようだった。彼女は低く唸り、呟いた。

「……難しいと思う。戦える者も武器も少ない。数が圧倒的に不利だと思うわ」

 戦闘に心得のある者は三名。エクェスから奪った二梃を合わせても、所持しているヴァッフェは5梃。レーザナイフは4本しかない。エクェスはその何十倍もいるのだ。

 ヒラールは9歳になったばかりのハイルとモントにヴァッフェを差し出した。

「数で不利なら補えばいい。ユドラでも予測は難しい。俺達が離れた時に現れたら撃て。――ハイル。教えた通りに使え。モント。お前も持っていろ」

 あどけなさが残る少年は顔を強ばらせながらも、それを受け取った。モントは突きつけられた武器を前にして後ずさった。

「無理よ。使い方が分からない。それに、貴方達が余分に所持していた方が良いと思う」

「持つんだ。アステリかカマルに聞け。武器は必要なら奪う」

 渋々ながら彼女はそれを受け取る。ヒラールは仲間達を見渡し、腕を組み直した。

「上策ではない。だが、他に方法が見当たらない。何かあれば言ってくれ。今が余裕の持てる最後の時だろう。行動に移す30分前に経路を決定する」




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