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カーリド  作者: 扉園
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Φ 5章 Φ


Φ Ⅴ Φ


 クスーフはハラム大聖堂にある礼拝堂の吹き抜け部分を早足で進んでいた。突き当りに設置された昇降機を使い、上階の通路を歩く。

 先には大型のスピラルがあり、彼はそこへ入り込んだ。多数の目的地へアクセスできる他のスピラルとは違い、これは一箇所しか接続できない。重厚な扉が閉まり、身体が浮遊する感覚が生ずる。

 クスーフは移動する狭間の中で、思いに浸った。

「確認を(おこた)るな。生じさせるな。生き延びさせるな。混沌の落し子を全て浄化せよ」

 先日、神の代行者に授けられた御言葉。寛容さの中に感じられた苛立ち。責務が果たせられない羞恥と焦燥が身を焦がす。ファダーは慎重で気長な種族だ。決して妥協せず、目的を果たすまでは何百年だろうと費やす。だが、そろそろ限界がみえていた。

 エスフェラでは900年に一度、重要な式典がある。それはイヨルティと呼ばれ、9日間に渡って大規模に行なわれる。

 創造神アサナトは太古の昔、混沌を排して宇宙を創った。親星エスフェラも創造した後そこへ降り立ち、自らを元型として9体のファダーを創った。そこから世界は形創られて発展をし、今に至っている。世界と種族をお与えになったアサナト神を賞賛する為、イヨルティを行う。それは神話の模擬を行う儀式だ。宇宙を形作った神に倣い、銀河へ飛び立って完璧な星を創っていくのだ。

 それ故ファダー達は900年をかけて〝パンセリノス〟という惑星型の宇宙船を造る。

 神の代行者であるイエレアスが9体の胎児を連れてパンセリノスに乗り込み、宇宙へ乗り出す。銀河を越える技術は既に開発されており、恒星間移動(アクサーエラ)を使ってイエレアスは銀河を旅し、アサナト神に導かれて洗礼が行われていない惑星に到達する。神の御心によって選ばれた惑星は代行者と胎児達が完璧なる秩序を生み出す。こうして世界創造を繰り返す。アサナト教が設立した時から、この儀式は行なわれ続けている。

 過去8回儀式は行われ、当代のイエレアスらはパンセリノスに乗って役目を果たした。暦は創造神が降臨したとされる年から数えられており、今はアサナト暦8099年の暮れであり、儀式の最終日に8100年となる。

 そのイヨルティが明日から行なわれるのだ。

 エスフェラでの一日は36時間で、一年は349日となっており、9ヶ月に分けられている。その内の7ヶ月は39日まであり、2ヶ月分が38日で終わる。63年に一度調節の為に一日増やす必要があり、3月が39日に変わる。

 イヨルティは決まって1月32日から9月1日の9日間行われる。今回、神聖な数の9回目を迎え、更にこの神聖なる儀式を清いものにしていた。故に139代のイエレアスであるルーヌラは九の栄光を得た神の使いとして、特別な崇拝を一身に受けていた。

 ハラムにはアサナト神から啓示を承れる神聖な間がある。

 救世の間(ソティラス)と呼ばれるその空間は固く閉ざされており、イエレアスでさえ900年に一度しか入れない。円の間(クルーク)と言う幾何学的で計算しつくされた広間の奥に救世の間(ソティラス)はある。イエレアスと大祭司以外のファダーは円の間(クルーク)さえおこがましくて入場できない。

 神の使いは救世の間(ソティラス)でアサナトによってイエレアスに着任する次代の者が告げられ、また完全体に生まれ変わるべき星の情報を与えられる。最も神聖なる間で得られた知識は、儀式の8日目と最終日に神の使いによって声高々と伝えられる。

 先日、9名の大祭司に見守られながらルーヌラは救世の間(ソティラス)へ入っていき、神の信託を受けた。円の間(クルーク)で控えていた大祭司達に彼女は恍惚とした表情でこう告げた。

 ――神は我等を祝福している。完璧であることのなんたる素晴らしいことか、と。

 クスーフは口の中で祈りの文句を呟いた。ルーヌラに仕えることは誇りであり、幸福だった。彼女はイエレアスの鑑。神の崇高な目的を果たせられる者。

 瞬間移動を終えたクスーフはスピラルを抜け、広い部屋に出た。そこは特殊な強化硝子張りのドーム状になっており、四方が展望できる。かつて此処で数多のファダー達が働いていたものの、今は最終点検をする少数の者がいるだけだ。会釈を受けつつ、クスーフはその者達の間を抜けて足を進めた。地上からだと灰色に覆われた空は、此処では面相を変えていた。暗黒の中の数多の星々。宇宙空間だ。此処は地面から1000キロメートル離れた地点。下方では薄い(もや)にかかった親星エスフェラが白い大地を見せている。

 クスーフは硝子越しに上方を見た。

 無数の星が散りばめられた銀河。その暗闇の中にぽっかりと白い球体が浮かんでいる。900年間掛って製作したパンセリノスだ。滑らかで傷一つない磨き上げられた表面は、地上からの光源を浴びて燦然(さんぜん)と輝いている。

 神の乗り物に相応しい姿。

 土台は同銀河にあった小惑星を利用した。中央が空洞になっており、活動を終えているものだ。まず宇宙船アルカをその地点へ飛ばし、引力を操作してエスフェラの近くまで引き寄せる。死者のカプセルや仕事を行う他船に影響を与えない空間に小惑星を固定し、重力や大気、表面温度を操作し、製作の際の危険を減らす。調査員が降り立って土地の高さを測定し、技術員が機械やレーザナイフなどを使って高い岩を切り崩したり、窪んだ部分を埋め立たりして凹凸をなくし、表面をならしていく。

 それを完璧な真球となるまで繰り返すのだ。

 加工が完了すると次は宇宙船へ造り変える段階となる。緻密な設計に基づいて表層の奥をくり抜き、内部を宇宙船として改造し、持ちうる全ての技術を注ぎ込む。推進はノーフやアルカとは異なり重力を利用している。平常の重力場が作るエネルギーとは反対の力を電磁力によって与えることで反発力を生み出し、推力としているのだ。それ故パンセリノスは推進剤を噴射する必要はない。船内の重力もその技法によってエスフェラと同程度の重力を得ている。

 また、パンセリノスは恒星間移動(アクサーエラ)が行える。装置間の転送であるスピラルとは原理が異なっており、三次元のデータを打ち込むことで任意の場所へ転移されるのだ。目的地への距離を瞬時に計算し、周辺の宇宙空間を歪ませて到達距離を失くす。その穴へパンセリノスを通すことで何億光年掛かる場所でも短時間での転移が可能となる。

 空間を縮ませる際に時間軸がずれないような計算が成されており、惑星付近で行うと危険が伴う為、距離をとって実行しなければならない。最も、それらは全て自動で行われるので、イエレアスの手を煩わせることはない。移動の際は振動も起こらず、快適な転移を約束する。9体の胎児の生命維持装置、子船の離着陸なども自動化されている。

 恒星間の転移装置を製作するのに極めて難しい技術が必要とされるものの、アサナトに授けられた知識に基づけば不可能なことではない。これは連綿と受け継がれてきたデータによって製作されており、8000年以上前から確立している技術なのだ。彼等は既にある技術を模倣しているに過ぎない。

 中の改造を終えれば後は最終段階となる。他惑星から運搬された白い特殊な石を敷き詰めていき、表面を熱して融解させて継ぎ目をなくしていく。覆う作業を終えると長時間それを丹念に研磨していき、白く輝く球体を形作る。搭乗口の切れ目も解らない程滑らかで美しく、白銀に光る大地は下を向けば自らの姿がうっすらと映る程洗練されている。

 9回目を迎える今年は最も巨大な船であり、歴代のデータと比べると三倍も異なっていた。

 クスーフは巨大宇宙船を見つめ、感嘆の溜息を付いた。視線を保たせたまま強化硝子の窓沿いに歩いていく。

 約30代に及ぶ同志たちの集大成。崇高な芸術。制作に携わった多くの者は神の元へ召されている。パンセリノスの周囲を彩っている細やかな光源に目を移す。宇宙葬となった者らの輝き。この日が来ることを夢見て仕事に従事した同士も喜んでいることだろう。

 儀式イヨルティは通常行われている礼拝から始まる。全ファクルで祭司の説法と祝辞が話され、全美の(ケファリ)と呼ばれることを行う。――自らの頭頂から足先までを順番に触れていくのだ。触れる箇所によって唱える言葉が異なり、9つの過程がある。それを終えると同一な姿であることを神に感謝し、祭司と信者が一体となって賛歌を謳う。次にイエレアスが区の九箇所を巡り、法話を行う。

 それが終わると、旧時のイヨルティの映像が18時間に渡って流される。過去八回のイヨルティは公のデータにあり、誰でも閲覧可能であるが、今回は非公開の映像も流されるようだ。クスーフは是非とも観たいものの、仕事を優先させなければならなかった。

 一般者は儀式の2日目から7日目に渡って此処への入場が許可され、パンセリノスを礼拝することができる。明後日からはこの場に神拝者が溢れるだろう。

 ただ、全区民に日時が指示された招待状が送られるので、混雑や混乱が起こることはない。彼等は平等に神の奇跡を目の当たりにできるのだ。また、この期間は新年を迎える為に完全を再確認する。即ち、住居や仕事場、その他全ての場所を清掃し、整備し、磨き上げるのだ。この惑星は塵や傷や穢れ一つない完璧なものであると、彼等は再認識するだろう。

 8日目になると儀式は上層部のみの参加となって一般者はモニターでの拝見となり、最終の2日間は労働が免除され、全ての者が儀式の行方を見守ることになる。まずは9時間に及ぶ電子楽団による交響曲が催される。神聖な日にしか演奏されない美しい旋律の後には、9名の大祭司による祝詞が朗読される。アサナト教の教えを声高らかに読み上げてから、この日の真骨頂であるイエレアスの任命式が行われ、次代の神の御使いが宣言される。

 このイエレアスは神によって任命された者として、パンセリノスに搭乗する者の次に栄誉ある選出とされる。

 通常、次代への譲渡はイエレアスがラウフへ行くことを決定した時に行われる。ハラムに隣接するマラークで、最も無欠な肢体を持つ胎児――Ⅲの段階の中で厳密な審査が行われる。このマラークは特に神に奉仕した優秀者の生殖細胞を集めている。よって、惑星全土の中で最も完璧な者がイエレアスに選ばれるのだ。

 選出された胎児は容器から出されて出産となり、任命の儀式を経て神の代行者としての権利を委任される。そして、嘗てのイエレアスは祝福に包まれて生涯を終えるのだ。

 今回は特別な神事の為、ルーヌラは余命を残しながらの譲渡となる。救世の間(ソティラス)で選ばれたイエレアスに権利が渡されるのは任命式を終え、パンセリノスが飛翔した後だ。新年を迎えて先代が惑星を離れて始めて、新生児はイエレアスとなる。大祭司に抱かれた継ぎなる者は大切に育てられ、後に先代の渡来先の惑星の誉れを称える賛歌を作る。それが未来で謳われることになるのだろう。

 最終の9日目はアサナト教の基盤である『世界創世』『ファダー創成』『神託』をイエレアスが暗唱し、祈りの文句を唱える。共に乗船する九体の胎児が大祭司に抱かれて登場し、各々が祝福を授けられる。イエレアスが公表する神の御告(おつげ)――星の行先はコンピュータによって座標がパンセリノスへ送られ、子船であるアルカにイエレアスと9体の胎児が乗り込み、自動でそれは親船へ到達する。

 そして御使い達を搭乗したパンセリノスは恒星間移動(アクサーエラ)を行って空間を飛び越え、新たなる祝福の土地へ(いざな)われてゆく。

 空間の突き当りに到達し、クスーフは頑丈な金属扉を押した。

 閉塞的な小部屋に通じており、中央には緊急用に用意されたノーフが停まっていた。他の場にも二台のノーフが置かれている。傍らに立っていた整備士に会釈をし、クスーフはそれに乗り込んだ。無重力対策の為に身体を操縦席に固定し、羅列するパネルを軽く見渡す。今回は船周辺の点検と惑星の警備を行うつもりだった。半円柱の先を細めたような形をしているそれは僅かな振動と浮遊感の後、暗黒の宇宙へ滑らかに発進した。

 クスーフはフロントガラス越しに、球形をしている神の乗り物へ目をやった。

 しめやかで優雅。美麗で細やか。間近であっても傷一つ見当たらない。クスーフは益々この船に満足を覚え、深い吐息を漏らした。最高の儀式が約束されるだろう。パンセリノスは子船に反応して内部を見せる。その入口が開かれるのは儀式の最終のみであり、誰であっても以前の入場は赦されない。

 彼は仕事の顔付きに戻り、三つの惑星――キエト、ハーディ、シュティルへ向かうべくノーフを操作した。今までカーリドはこれらの惑星に進出していないが、可能性が零とは言い切れない。危険と思われる因子は早めに潰しておかなければならない。

 眼前に円形の転移装置が現れてくる。近隣と言えど、それらの惑星へ真面に行こうと思うと数ヶ月から数年掛かってしまう。短距離で到達できるように宇宙空間内に大型スピラルが設置してあるのだ。公転運動で何処かへ行ってしまわないよう、エスフェラや惑星の引力を利用して空間へ固定している。クスーフは慣れた手付きでスピラルへ入り、ノーフから行先の情報を送ろうとした時、通信が入った。

 副官からだ。セリニという有能な女性に彼は信頼を寄せていた。聴覚に直結している小型の通信機から落ち着いた声が響く。

『カーリドが潜伏していると思われる場所を突き止めました。ヘミニスとユゾの二箇所の地点に不審な空洞が発見されたのです』

 クスーフは即座に移動をキャンセルし、ノーフを方向転換させて地上へ向けた。

「直ぐに戻る。情報を転送しろ」

『畏まりました』

 しばらくの後、細やかな電子資料が届いた。

 ルーヌラが救世の間(ソティラス)で啓示を受けた日、メインコンピュータに出処不明の情報が送られてきた。技術員がそれを解析したところ、二つの座標が浮かび上がった。場所はヘミニス4・1区―655とユゾ2・3区―582。座標上には建築物はない。付近の工場や公共施設は至って正常な運営を続けている。

 故に、彼等は地下に何かがあると考え、内部空洞の調査を行った。――これはパンセリノス制作の際に使用された技術を応用した。結果は極めて高い可能性で黒であった。二つの座標の下には、加工されたと思しき空洞が検出された。付近を調べ続けていると地下にスピラルの存在が明らかになり、解析こそできなかったものの謎のデータが行き交っていることが判明し、彼等はそれをカーリドの潜伏地ではないかと予測した。

 クスーフはもう一度資料に目を走らせた後、船の速度を上げた。出処こそ不明瞭だが、信憑性がある情報だった。先を急いでいると指示を仰ぐ声が聴覚へ入った。

『どうなさいますか? 技術員は転移可能だと申しています。合流次第攻め込みますか? 進撃できる準備はできております』

 あちらには未知のユドラの使用者がいる。このまま単純に攻め込んでも逃走されてしまうだろう。それでは過去の二の舞となってしまう。

「待て。敵を二分する。戦力を有する者を誘き出し、私が始末する。ユドラの使い手はそちらに気取られる筈だ。その間にセリニ副官がカーリドの基地へ潜入、速やかに排除。ユドラの使い手を確認次第、優先的に処理しろ。作戦の為に準備がいる。私が今から指示を入力する。作戦に適した場所を探していてくれ。潜伏地を割り出したことをカーリドに知られてはならない。詳しい作戦は戻り次第話す」

『畏まりました』

 通信を切り、クスーフは別の部下に連絡して、三つの惑星を素早く調査するよう言い付けた。引き継ぎが完了したのを確認し、彼は薄く微笑んだ。喜びが湧き上がるのを感じる。アサナトの御力で敵の居場所を割り出せた。正に神の思し召しであった。

 かねてから考えていた策。カーリドを殲滅する為の手口を今一度思い返す。

 これは正常に反する騙しだ。小賢しい混沌に対する欺き。裏がある手口を使うのは神の意志に反している。沸々と罪悪感が湧き上がるが仕方がなかった。それだけ厄介な相手なのだ。ユドラの所持者を欺き、成功へ導かなければならない。

 クスーフは祈りの印を結び、アサナト神へ(こうべ)を垂れた。

「全ては揺るがぬ御光の為。偽りの所業を御許し下さい。今こそ全ての混沌は排斥され、完璧なる秩序が築かれる」

 白く清らかなエスフェラの大地。その上部に浮かぶパンセリノスと円形の礼拝堂。輝きに満ちた建築物が近付いてくる。

 神の力は絶対なり、ユーラティオー。彼は口の中でそう呟いた。



   ☩ ☩ ☩



「イヨルティが始まったね」

 リュヌは机に寄りかかりながらモニターを見ていた。興味深げにカマルが隣で眺めている。数時間前に行われた大聖堂ハラムの内部映像。イヨルティの最初の場面だ。

 一般者が有するデータを足掛かりに悟られないように横領した為、5分間しか得られなかった。画面には静かで盛大な儀式が行われていた。信者達が頭を下げる中イエレアスが法話をしており、天井近くの透明ステンドグラス越しにパンセリノスが浮かんでいる。

 カマルは身を乗り出して目を輝かせた。

「うわぁ、凄い! パンセリノスってあんなに大きいんだ!」

「実際だともっと巨大なんだろうね。想像が付かないや」

 遥か上空にあるものでも、放たれる確かな存在感。磨き上げられた表面は美しい輝きを発している。

 彼等が産まれた時から製作途中のパンセリノスは存在している。だが、彼等の基地はハラムから程遠い処にあるし、地下に潜っていたので実感が沸かなかった。戦闘要員の者でさえ眼前の目的に集中していて、ろくに姿を見ていなかった。仮想現実の上空を見上げるとハラム方面に静かに浮かんでいる掌大の円。そのような印象しかなかった宇宙船。それが今や画面一杯に映っている。礼拝するファダーと比べるとその巨大さが一目瞭然だった。

 ヘテルは二つ離れた椅子に座り、ぼんやりとその様子を見ながら呟いた。(ヒィシ)は神経質そうに揺れている。

「いよいよか……」

「まだ早いよ。イヨルティは9日間だからね」

 リュヌの言葉にヘテルは苦笑いをして、分かっていると返した。

 明日になればハラムから一般者のコンピュータへ招待状が届く。モニターには参列者が規律良くスピラルの前に並んでいる場景が映し出されることだろう。ハラムへ行き、専用の移動装置に乗ると宇宙空間に浮かんでいる施設に到達する。そこから神の船パンセリノスを眼前で眺めることができるのだ。

 900年に一度の祭典。滅多にあることではない。最も聖なる宇宙船と儀式を見られずに世を去った者の方が多いのだ。現在を暮らしている者は幸福だった。激しい感情をあまり表さないファダーでさえも昂奮を抑えきれない様子で、異様な熱気に包まれているのが分かる。

 イエレアスが説法を終えて聴衆に祝福を与えようと口を開いた瞬間、映像が切れた。リュヌは軽くキーを押し、基本画面に戻して大きく伸びをした。

そこでカマルが思い付いたように、離れた処に座るヒラールに向き直った。

「アルツナイはどうしますか?」

「そうだな……。工場は難しいだろう。イクトスで奪う。目標値は200。2日か3日後を予定」

 イクトスは生産されたアルツナイやフェスト、生活用品を配る場。最近手を付けていない為、此方の方が警戒の光が薄いと思われた。

「了解。検索してみる」

 リュヌが作業に取り掛ろうとすると、ヒラールはふと思い詰めた表情になり、首を横に振った。

「……いや、止めだ。リスク回避を優先する」

「予定より一ヶ月半足りなくなるけど?」

「切り詰めればいい。実行まで待機する」

 不思議そうに返した言葉にもヒラールは撤回を止めなかった。彼らしくない消極的な意向。疑問には感じても反論を唱える者はいなかった。どれだけ必要になるか分からない未来では余裕を持った方が善策かもしれない。だが、物資を奪うにも生命が掛かっている。多少基準を満たさなくても危険が軽減されるなら、それに越したことはない。実際予定数を多めに設定してあり、今でも備蓄は優にあるのだった。

「じゃあ、それまでは待機だね」

「ああ。明日もう一度検証を行う。データを準備しておいてくれ」

 了解、とリュヌはコンピュータに目を戻す。カマルは小走りに子供部屋へ入り、ヘテルは射撃の訓練を行いに仮想現実の装置がある部屋へ入っていった。ヒラールは目を瞑り、何かを考えているようだった。

 その様子をモントは眺めていた。最大の儀式イヨルティ。ハイマートの者達が祭典を意識しているのは瞭然だった。今までは遠慮の為に口を閉じていたが、知りたい感情が沸き起こってきた。意を固めて、モントはヒラールに以前と同じ質問を繰り返した。

「教えて。貴方達の目的は何?」

 その声はやけに大きく響き、メインルームにいる全ての者達は彼女を注視した。ハイマートリーダーは彼女の顔をじっと見据えた。一度目を横に逸らし、脚を組み換える。

 そして、簡潔な答えが彼の口から発せられた。

「パンセリノスを奪う」

 モントは反射的に否定の言葉を漏らした。

「有り得ない」

「何故そう言える? 900年に一度だ。機会はない」

 ヒラールは一旦言葉を区切り、敢えて蔑称を使った。

「カーリドも隠れているだけではない。宇宙船で銀河を渡り、他の惑星を見つけて新天地を手に入れる」

 静かに語るその瞳は本気だと語っていた。至高の宇宙船を奪う。モントから見たら、それは狂気の沙汰に思えた。彼女は疑問をそのまま口に出した。

「何故パンセリノスなの? アルカは警備も手薄だし、奪える可能性はまだある。それに、同銀河の三惑星もあるわ。そのような危険を侵すことは……」

「燃料は持つか? 移動距離は? 背後から他の船が追撃してきたら? そこに俺達が住めるとでも思っているのか?」

 そう言われ、モントは言葉に詰まってしまった。アルカは数名の者を乗せたり物資を運んだりしているもので、できることは同じ銀河内を巡るだけだ。ノーフに至っては一名しか搭乗できない。それらは結構な日数を飛行することができるが、パンセリノスの比ではない。推力はパンセリノスに比べると庭を移動しているようなものだった。

 また、通常タイプでは乗船者も限られているし、背後から多数の追っ手が来たら一巻の終わりだろう。どの宇宙船にも攻撃装置は装備されていないが、衝突や包囲などは行える。

 近隣の三つの惑星は遥か昔に調査し尽くされた。生物が生息した形跡もなく、非常に厳しい環境だった為にファダーが住むには不適格とされ、一つは老廃物の処理場が建てられ、一つはフェストの保存場所とされ、一つは資源調達に使われて荒らされた。

 その資源はエスフェラの建築物や機械類、パンセリノス製作に利用されている。前者二つは全て自動で作業が行われており、数日に一度の点検は宇宙船内かシェルターの中で行われた。後者は技術員が頻繁にやっては来ても、厳重な防御シェルター越しに機械の力を利用して仕事に当たっていた。故に、多分に隠れる場所はあるにしても、それらの環境状態で彼達が生存できないのは明白だった。

 パンセリノスは遠距離を移動する為に創られる存在だ。それに自動移動装置を備えており、神の御告によって進路は決められている。生存に有利な環境へ行ける可能性が高い上に、待っているだけで目的地へ連れて行ってくれるのだ。もし行き先が不満なら、操作次第でおそらく進路を変えられることもできるだろう。恒星間移動(アクサーエラ)が可能な船はそれ以外ない。

 巨大さと頑丈さ、移動距離を誇る宇宙船は、パンセリノス以外に思いつかなかった。

「異なる銀河にも行けない船に用はない」

 利益面を見ると確かに彼の言う通りだった。だが、それだけリスクも高かった。不完全を害すアサナト教の中心地ハラム。パンセリノスはその頭上に浮かんでいるのだ。

 モントは首を振って、釈然としない気持を表した。

「貴方達の気持は解るけれど……成功するとは思えない。だって、その場所へ到達するにはハラム大聖堂の内部にあるスピラルを通過するしかない。ハラムはアサナト神の聖地よ。イヨルティも行われている。厳しい警備の中で、どうやって侵入するというの?」

「他の方法がある」

 反射的に「それは?」と聞く。辛抱強く答えを待っていると、彼は渋々口を開けた。

小型宇宙船(アルカ)。――パンセリノスの入口は特殊なアルカしか反応しない。儀式の最終にイエレアスが乗るものだ。二つは母船と子船の関係だ。イエレアスは目的地へ到達したら、それで惑星へ降り立つ」

 それはモントも知っていた。第一回目のイヨルティから行われていることだ。イエレアスを乗せたアルカが接近するまで、パンセリノスは何があろうとも決して内部を見せない。それらはメインコンピュータではなく、パンセリノスに内蔵されている回路で行われる。だが、それは親船を奪う説明にはならない。

「それで、どうやって?」

 モントの催促に、彼は苛立たしげな言葉を返した。

「――つまり、子船を奪うか別のアルカを使って、パンセリノスが開かれた瞬間を狙って侵入するしかない」

「……子船を奪うの?」

「別の方がリスクは低い」

「じゃあ、別のアルカを奪う?」

「いいや」

 ヒラールの端的な返答の意味をモントは汲み取れなかった。

「どういうこと? 貴方の考えが私には分からない」

「工場や施設へ出向けば危険がある。それなら此処から直接パンセリノスへ向かえばいい」

 遠回しな言い方だったものの、今度は言わんとしていることが理解できた。

「基地に……アルカがあるって言うの?」

 彼は肩を竦めただけだったが、肯定と読み取れる反応だった。

 モントは顎を撫でて考えた。

「それを使うのね。最終日にイエレアスの子船の隙を狙い、パンセリノスへ侵入する」

「一つの手段だ。別の計画もある。ハラム内部のスピラルを通過して子船を奪う。それならば八日目に行った方が無難だ。前日だろうがアルカに反応して入口は開く」

 ヒラールの言葉にモントは混乱した。

「だって、さっきリスクが高いって……」

「状況が変われば計画も変更せざるを得ない。手段は幾通りもある。一つに限定すれば容易く計画は破綻する。物事に確定はない」

 彼の臨機応変さがモントには理解できなかった。ハイマートの者達も当たり前という風に話を聞いている。様々な境遇に置かれる彼等だからできる行為だ。

「エクェスの目を掻い潜ってスピラルやアルカを使って、パンセリノスを奪う。貴方達全員が? 大勢では直ぐに発見されてしまう。どうやって?」

 モントは食い下がりながらも、思考が堂々巡りをしていることに気付いた。まだ彼女は納得しきれないでいた。手段を聞いても現実的に実行できるとは思えなかったのだ。

 埒が開かない、とヒラールは腕を組んで黙ってしまった。もう話すつもりはないようだ。いつの間にか後方に座っていたバドルが代わりに口を開いた。

「私が誘導します」

 ようやくモントは彼等の気概が飲み込めてきた。バドルは周囲の状況を把握することができる。この能力を利用してエクェスの目を掻い潜ろうというのだ。

 尚も彼女が言葉を考えていると、バドルが先に声を出した。

「幾ら論じても危険性は否めません。それでも私達はパンセリノスへ搭乗したいのです。その為に最大限の努力を払い、的確な手段を選ぶつもりです」

「僕達がどれだけ考えて結論に達したか、完全体なんかに分かる筈がない。文句を言うなら出て行ってよ」

 刺々しい嫌味と拒絶がリュヌの口から発せられる。途中から広間へ戻っていたヘテルも冷え切った目を向けた。

「同意見です。そのような反論をして状況を乱すのなら、同行して欲しくない」

 辛辣な言葉にモントは黙った。彼等のことを知ろうとすればする程、壁が厚くなっていくように思えた。ヒラールは腕と脚を組んだまま、憮然と言った。

「俺達はこれを目的に生きている。行く気がないなら邪魔なだけだ。分かれてもらう」

 ハイマートがいなければ抹消されていた命。このまま放り出されても行く処がない。行先は死のみだ。フォルと共に新天地へ行けるというのなら、モントの腹は決まっていた。

「行くわ。――私もパンセリノスの先の世界が見てみたい」

「なら反復するな。先を見ろ」

 彼女が首を縦に振った、刹那。


 高音の電子音が鳴った。皆は一斉に注意をそちらに向けた。壁に備え付けられた通報灯が点滅している。

マラークでカーリドが発見されたサインだ。

 バドルの能力の御陰で先手を打て、格段に成功率が上がった仲間の救出。ユドラで探知した者は全て成功している。だが、ユドラとて全てをカバーしきれる訳ではない。

 カーリドを発見する従来の方法はマラークで鳴った警報を探知し、直ぐさま救出に向かうことだ。ユドラで感知されなかった者はこうして電子音で知らされる。この方法だとどうしても時間との勝負となってエクェスと遭遇してしまい、リスクが非常に高い。救出率は10パーセントに満たないものの、どんなに可能性が低くても見過ごす訳にはいかなかった。他の部屋にいた者達も中央に集まってくる。

 リュヌは即座に警報があった場所を割り出した。

「ヴェルソー9・6区―499のマラーク。ナンバーは191」

 ハラムに隣接している区だった。ヒラールは返事をしてバドルを見た。その者は俯き、深い集中に入ろうとしていた。もう周辺を調査しているのだろう。

「必要以上には使うな」

 痩せ細った肩に触れても反応はない。心配が募るが必要な能力だった。ヒラールは6名の仲間を呼び、副リーダーには別の指示を出した。

「ヘテルは残れ。合図まで待機」

「分かりました」

 状況によっては胎児をスピラルへ置き、仲間達は別の移転装置を使う場合がある。敵がそちらに気を取られている間に一名が基地からスピラルへ転移し、胎児を護衛する。スキャンを終わらせた胎児はその者と共に基地へ移転する。迅速な行動が迫られる時には様々なシチュエーションが考えられる。最善の選択をする為に、一名は基地に待機していた方が良いのだ。ルーナが憂心の表情で彼等に呼び掛けた。

「気を付けて」

「ああ」

 最大の目標を前にしての救出。絶対に失敗する訳にはいかない。仲間に見送られながら、六名の者達は転送されていった。



☩ ☩ ☩



 バドルは強く両指を組んだ。胸騒ぎがしている。同類の救出が気掛かりなのか、もう直ぐイヨルティが始まり、変革が訪れるからなのか。妙に落ち着かない。

 意識を集中すると、俯瞰の情景がぼんやりと浮かび上がった。ヒラール達の姿が目標地点へ向かって移動している。規則正しく立ち並んだ建物を縫って進んでいく。異常はないようだ。

 バドルは視点を変化させ、仰視した。彼等の頭上には荘厳な白銀に輝く球体が浮かんでいる。パンセリノス。今まで上空に浮かぶ姿を見ていても、此処まで近付いたことはなかった。天上を覆う巨大な真円。まるで一つの星だ。バドルは思わず輝きに見とれた。形容し難いほど美しい。(ミテラ)が言うには、バドルの名はパンセリノスと由来を同じにしているという。詳しいことは聞けずじまいだった。

 何度も重ねた思考が再起される。これに乗って仲間だけの星へ到達できたらどんなに良いだろう。不完全という烙印を押されず、生命を奪われず、無条件で存在が容認される世界。宇宙の果てには、そのような想像し難い夢のような星があるのだろうか。異常な自分を容認してくれる星が。

 自我に没頭しそうなのを押し止め、慌ててバドルは俯瞰に戻して仲間達に焦点を合わせた。ハイマートの者達は鋭い目で注意深く辺りを見渡し、足を進めていた。集中を深め、周囲の状況を鮮明に認識しようとする。

『エクェスはまだ現れていません』

 通常なら動きがあってもおかしくない頃合だ。また、マラークの周囲には少なくとも6体の警備員がいる筈だ。それなのに誰もいない。警報が鳴ったのなら、より一層防御を固めると思われるのに。

 バドルは不審に感じて眉根をひそめた。意識を動かしていき、マラークの内部に視点を変えた。硝子越しのようなぼんやりとした景観が浮かぶ。数多くの胎児達が浮かんでいる。運営者達は一つの部屋に固まり、異常事態にうろたえた様子を見せている。

 違和感。視点を絞っていき、容器に注意を充てる。200番だったので左に視点をずらしていき、警報が鳴った装置――ナンバー191を確認する。

 入っていない。

 バドルは愕然とした。胎児がいない。ただ溶液で満たされた容器だけがあった。一瞬、手遅れという言葉が過ぎったが、エクェスは出現していない。一般者は不具者を処理することを学んでいない。エクェスが現れるまで待機する筈だ。

 バドルは目まぐるしく回転を始めた視界を自制し、事態を把握しようとした。

『どうした?』

 訝しげな問い掛け。困惑の感情が流れ込んだのだろう。ヒラール達はマラークの近くまで来ていた。その時、バドルは唐突に思い至った。

 この警報は罠であることを。始めから不具者などいないということを。

 数多くのスピラルに、異変があった。

 全身の血の気が引く。バドルは咄嗟に叫んだ。

『逃げてください!』

 一斉に全員の身体が硬直する。エクェスは瞬く間に現れ、味方を取り囲んだ。仲間の数の数倍はいるだろうか。的確な指示を出さなくては危ない。

 バドルが集中を深めようとした時――。

 思わず、振り向いた。変わらない壁。怯えを浮かべる自分の表情が微かに映る。静けさが漂う現実。だが、バドルは異様な空気を確かに捉えていた。

 呼吸を止めて立ち上がり、一歩、進む。手が細かく震えていた。心拍が増し、頭が脈打つ。外で戦う仲間のことも気掛かりだったが、此方も恐怖と緊張が蔓延していた。混迷している脳裏の中で、信じられない現実を捉える。伝えなくてはならない。

 バドルは壁に寄りかかりながら個室からメインルームへ出た。

「どうしたの?」

 緊迫したリュヌの声。ヘテルが厳しい顔で歩み寄ってきた。放棄しそうになる意識を掻き集め、バドルは鋭く叫んだ。

「エクェスが来ます!」

 けたたましく警報が響いた。発見のサインとは比較にならない音律。悲鳴のような高音。スピラルが無許可に作動したのだ。仲間達が一斉に立ち上がる。アサナト神への賛美の呟きが壁越しから微かに漏れる。扉が開かれ、奥からエクェスが現れた。

 無機質な表情をした神の使いが、銃口を向けている。

「浄化せよ」

 瞬間、閃光が発せられる。反射的に皆は床に伏せった。

 机が抉れ、コンピュータが床に落ち、破壊の火花が散る。分解途中の粉塵が舞い上がる。起き上がろうとするバドルをヘテルが抱き起こした。

「スピラルへ!」

 部屋の奥にいたルーナは震えている子供を抱き留め、走った。モントもフォルの元へ駆けていく。

 リュヌは小さな端末を引き抜いて掴み、はっと思い付いたような表情をしてコンピュータキーを強く押した。コマンドが指示され、数字がモニターに羅列となって表れる。

「そんなことをしている場合か!」

 ヘテルはリュヌの腕を強く引っ張った。

「これがないと計画が駄目に……うっ!」

 横壁が穿たれ、破片が分解されて虚空に散る。彼女の手から端末が転げ落ちた。

「データが!」

 彼女は恐怖によろめきながらも(ヒィシ)を伸ばして端末を掴み取り、ヘテルの導きに従った。直ぐ近くをバドルが走る。

 スピラルから次々にエクェスが現れ、数を増していく。

「カーリド……! ああ、神よ!」

 聖軍団の衣装に身を包んだ者はアサナトへの祈りを叫んだ。視線はバドルに注がれている。向けられる銃口。ヘテルはバドルを押し退け、矢継ぎ早にヴァッフェを撃ち込んだ。二体の敵が吹き飛ばされる。その隙に彼等は机の陰に飛び込み、態勢を低くしながら子供部屋へ入った。モントがフォルを抱えながら、ルーナの手を引いている。子供達はルーナの周りに集まって震えていた。

「第二基地へ!」

 誰かの声が聞こえる。バドルは素早くユドラで全員に意志を送った。

『駄目です! 罠です!』

 朧気ながら視える第二基地。既に敵に占領されていた。規律よく並んだ無表情な者達が待ち構えている。暴かれてしまったのだ。仲間達は絶望の表情を浮かべ、立ち竦んだ。

 バドルは息を付く暇もなく伝えた。

『カンセル17―275へ!』

 緊急脱出の予定地は決められていたが第二基地も暴かれた今、向かうのは危険だ。咄嗟に思い付いた場所。確証はないものの、漠然とそこは安全だと感じた。彼等はその指示に従おうとスピラルへ続く通路へ向かった。

 その時、扉が破られた。不可視の光が放たれ、火花を散らす。逃げ遅れた者の中から凄まじい悲鳴が上がる。仲間の一名が腰を撃たれ、倒れ込んだ。もう一名の肩に光弾が当たる。その者は叫んで抱えていた容器を取り落とした。胎児を入れた装置は鈍く音を立てて床を転がり、凶弾に晒された。無慈悲な光はそれを捉え、容器内の胎児――アシェアを消し去った。

「くそっ!」

 ヘテルは唯一携帯していた投擲用武器を投げ付けた。それはメインルームの中央部まで飛び、そこで弾けた。閃光が溢れてエクェスの何体かが虚空へ散っていき、部屋の三分の一が抉れて岩盤が露わになる。仲間達は泣き叫ぶ子供達を連れて通路の奥へ入っていった。通路の入口からリュヌとバドルが叫んだ。

「ヘテル、来て!」

「来て下さい!」

 彼は単身部屋に残っており、後退しながら影に隠れて迎撃を繰り返していた。ヘテルはレーザナイフを振り被り、足元で閃いた光を消滅させた。

 しかし、次の攻撃の反応が遅れた。

「っ!」

 彼は反射的にヴァッフェを投げ付けた。それに光線が当たり、凄まじい光が炸裂した。壁や床などの破片が飛び散り、舞い上がる。

 一瞬の隙を付いて、ヘテルは通路に滑り込んだ。リュヌが防御用の強固な扉を降ろす。それも直ぐに破られてしまうだろう。彼等は非常用の転移装置へ続く長い通路を走った。バドルは言うことをきかない身体で懸命に進んだ。最後尾にいたヘテルが叫んだ。

「スピラルへ!」

 既にルーナは準備を終えていた。このスピラルは9名までしか転移できない。弱者を優先して入れ、リュヌが震える手で装置を作動させる。子供達は転送されていった。背後で物音がした。扉が破られたのだ。装置を壊されたら終わりだ。

「全員転移しろ!」

 ヘテルはリュヌの背中を押して、道を戻っていった。刹那、敵が現れる。彼はレーザナイフを一体に突き刺し、撃とうとする者を蹴り上げた。

「ねぇ、入って! 早く!」

「ヘテル!」

 仲間達の呼び掛けにも、彼は振り向かずに叫んだ。

「行けっ!」

 ルーナが残りの者達を内部へ入れ、起動パネルを押した。走り出そうとするリュヌをモントが抑える。

「離せよ!」

「貴女までやられる!」

 装置は稼働し、シャッターが降りていく。バドルは必死にユドラで呼び掛けた。

『ヘテルさん! まだ間に合います!』

 リュヌは閉まりゆく断絶越しから叫んだ。

「ヘテルっ!」

 光が閃く。それは彼の胸を捉えた。分解されていく姿。再度、彼の名を呼ぶ甲高い声が上がる。

 シャッターは閉じられた。



 ☩ ☩ ☩



 頭上を見上げると、荘厳な姿が浮かんでいた。

 白銀に輝く球体、パンセリノス。美しい星の形体をした宇宙船。悠久の存在が彼等を(いざな)っている。或いは拒絶しているのだろうか。

 ヒラール達は(まば)らにいる一般者を避けながら早足で先を急いだ。マラークまではもう直ぐであった。成功はごく僅かの救出。必ず成就させて最終目的へ繋げたかった。

『エクェスはまだ現れていません』

 遅いと思ったが、バドルの能力に狂いはない筈だ。ヒラールがマラーク周囲の状況を訊ねようとした時、バドルの動揺が伝わってきた。モントを発見した折より酷い、緊張と恐怖が入り混じった動揺。身体が硬直するような感覚。

 ヒラールは立ち止まり、低く問うた。

「どうした?」

『逃げて下さい!』

 鋭い悲鳴のような声。全員に届いたらしく、反射的に一同は身を固くした。瞬間。

 幾筋もの光線が、此方に向かって飛んできた。事前の構えがあって避けることができた。もし予告がなければ直撃をしていただろう。

『バドル!』

 無意識に指示を仰ぐ。ただ伝わってくるのは雑音のような感覚。他の仲間からの連絡もない。凄まじい不安がヒラールを襲ったが、確認をしている余裕はなかった。

「避けろ!」

 彼等は本能的に姿勢を低くして建物の影へ飛び込んだ。周囲の状況に全神経を注ぐ。後方には何体もの白装束。左右にも敵の気配が感じられた。ざっと概算しただけで20数体いる。こちらの三倍以上だ。

 息を付く暇もなくヴァッフェが撃ち込まれ、彼等は道を折れて逃げる。左背部から不可視の光が飛ぶ。ヒラールは右に跳んで反撃し、一体のエクェスを捉えた。仲間達も走りながら迎撃しようとする。だが、右手で走っていた者が倒れた。

「スキア!」

 名を叫ぶも、彼は声を上げる間もなく消えていった。激しい怒りが沸き起こったが、どうすることもできなかった。激情に駆られて真っ向から挑んでも死ぬだけだ。このままでは全滅となってしまう。

 道で出くわした数体の一般者が悲鳴を上げる。逃げ遅れたのだろう。敵は目的を果たす為なら、区民を巻き込むのも厭わないことをヒラールは知っている。エクェスの放った光弾が区民に当たっても、罪はカーリドにあるのだ。ヒラールは一般者を無視し、直感に従って走った。

「粛清されるがいい、不全の混沌」

 背後から聞こえる低音。エクェスの一体が銃口を(もた)げている。装いから判断する限り、この者が司令官のようだ。ヒラールは距離を計って左へ飛び退こうとした時、左手前に潜んでいる敵を目にした。手前の敵へ即座に撃ち込んで移動したものの、一歩遅かった。

 右手首に燃えるような激痛が襲う。

「ちっ……!」

 武器が地面に転がる。見ると、手首は吹き飛んでいた。徐々に腕が分解してくる。敵は間髪入れず二撃目を入れようとしている。避けられない。だが、敵は攻撃を中断して飛び退いた。その足元に光が弾ける。カマルがヴァッフェを構えていた。

「リーダー!」

 ヒラールは躊躇うことなく腕にレーザナイフを入れた。上腕が切断される。激しい痛みが走ったが阻止できたようだ。ヒラールは痛みと失血に眩暈を覚えながらも、武器を(ヒィシ)で拾い上げ、カマルに射撃しようとしている司令官目掛け撃った。標準が外れて壁を貫いたが、気を逸らすことはできたようだ。

「カマル、逃げろ!」

 彼は後退した。ヒラールも建物の陰へ走った。背後や側面から敵が現れ、破壊の光が飛び交う。仲間も逃げようと迎撃を繰り返した。ナグムが敵の凶弾を受けて倒れた。視界の端で成す術もなく虚空へ消えていく。

 幾つもの銃口が此方を狙う。ヒラールは左手を強く握り締め、一体の敵目掛けて走った。一気に間合いを詰め、至近距離へ飛び込む。敵は怯んでヴァッフェを持ち上げた。ヒラールは喉元をナイフで切り付け、(ヒィシ)に持っていた銃で背後の敵へ撃つ。的にならないよう敵と重なるように動いた。

 その時、ある建物が目に入った。

『上だ!』

 ユドラで皆に叫び、ヒラールは手近の建築物へ走った。壁に撃ち込んで内部へと侵入する。後ろからカマルとアステリ、ユディウが付いてきた。きちんと整頓された幾つもの箱が目に入る。生活品を支給する場、イクトスだ。月の終頃であるので、多数の品が置かれていた。

 彼等は物資を足場にして一気に上段へ登り、更に上に続く自動移動階段(リーネアノクタ)を駆け上がった。背後から敵の気配が迫ってくる。破壊の光が閃いても、手摺や物品が盾となって彼等を護った。6階まで走って、彼等は硝子を割って上空へ跳んだ。

 ユドラを使って高距離を移動する。――飛距離が限られたヴァッフェでは上空にいる者を狙えない。俯瞰から場所を見極め、彼等はスピラル付近へ降り立った。ヒラールは朦朧とする意識の中で走り寄って勢いを緩めないまま内部へ入り、基地の者に承認してくれるようユドラで叫んだ。カマルがキーを乱暴に叩き、起動を待つ。

 だが、仲間達へ幾ら呼び掛けても応答はない。スピラルは無反応で、IDを打つことを強要したまま佇んでいる。次にヒラールは第二基地へ意識を飛ばした。沈黙。脱出予定地の場にもユドラを向けたが、無駄に終わった。

 やはり何かがあったのだ。

「畜生!」

 ヒラールはスピラルを殴り付け、街中(まちなか)を走った。バドル達が心配だった。それ以前に何処へ姿を隠せばいいのか。周囲は住宅街が散在しており、一般者の住居に潜り込む以外方法はないだろう。

光線が壁を貫いた。

 見ると、道の一角から敵がヴァッフェを構えていた。追い付かれたのだ。

()くぞ!』

 ユドラを送り、ヒラールは角を曲がった。完全に切り離さないと、建物内に隠れても即座に発見されてしまう。どうにかして行方を晦まさなければならない。追い縋ってくる敵に撃ち込み、彼等は不規則的に道を進んだ。それぞれがユドラで連絡を取りながら中距離を保って脱出路を探す。だが、どの通路を選んでもエクェスに出くわす。幾ら離れようと思っていても、徐々に遭遇率が高まってきた。

『囲まれています!』

 アステリが悲鳴に近い言葉を発した。ヒラールもそれを実感していた。逃げ場が段々となくなっており、四方から危険が迫っていく。全面を塞がれる訳にはいかなかった。

『此方です!』

 鋭い叫びに首を巡らして駆け寄ると、片足で壁に寄りかかりながらユディウが立っていた。左足が失われている。彼の右で一体のエクェスが散っていく処だった。血に塗れながらも、ユディウは道の右側を示した。

 先にあるのは公会堂(ホール)。数千体のファダーが収容できる大型の建築物で、巨大モニターが設置してあり、儀式の中継などで使用される。イヨルティが行われている現在では多数の一般者が利用をしている筈であった。公会堂(ホール)の先の市街を抜けると入り組んだ地となる。撒くには恰好の場所だった。

 ヒラールは首肯して他の仲間を探し、意向をユドラで呼び掛けてユディウの後ろに続こうとした。だが、ユディウは左を見て顔を歪ませていた。エクェスが銃口を向けていたのだ。ユディウは咄嗟にヴァッフェを擡げた。

「くそっ!」

 互いの銃が不可視の光線を吐く。

 ヒラールもほぼ同時に敵に撃ち込んでいたが、数瞬遅かった。

「ユディウ!」

 相打ちだった。膝が崩折れ、ヴァッフェを握り締めながら彼は散っていった。エクェスに対する憤怒がヒラールの全身を貫き、悲嘆と後悔、焦燥が込み上げる。一瞬の隙を付いてヒラールは走った。直ぐ横を破壊の光が過ぎる。絶望的な面持ちをしたカマルとアステリが後に続く。立ち止まったら終りだ。

 彼等は公会堂(ホール)の眼前に到達した。九箇所の入口全てがID認証もなく開け放たれている。此処は今まで襲撃を起こす理由がなかった。その為に教会側はマラークやイクトス以上に警戒をしていなかったのだ。扉越しにモニターに注視するファダー達が垣間見える。

 彼等は公会堂(ホール)へ侵入し、規律良く座っている区民の真只中へわざと飛び込んだ。突然のカーリドの出現に一般者は大恐慌に陥った。悲鳴がそこら中で上がる。

 巨大モニターには過去のイヨルティの場景が映し出されていた。何代目かのイエレアスかは知らないが、その者がアルカに搭乗して今にも出発しようとしている。大祭司の祈りの文句が周囲に響く。

 カーリドの襲来に殆どの区民が立ち尽くしたり右往左往したりし、神の救済を一心に祈っている。恐ろしさの余りに気絶する者もいた。

 ヒラールは群れを薙ぎ倒して進んだ。画面内のアルカは真円の船を目指して宇宙を進んでいく。パンセリノスの入口が開かれ、イエレアスを乗せた船は内部へ吸い込まれていく。ヒラールはユドラで仲間との距離を測り、対向線上から右寄りの扉を目指した。恐怖に囚われた集団を掻き分け、彼は向こう側へ突き抜けて公会堂(ホール)を出た。

 素早く見渡すと、幸いにも敵の包囲網は成されていなかった。出口を包囲されていたら逆走して二階から屋根伝いに飛来しようかと考えていたものの、必要なさそうであった。辛うじてカマルとアステリが追いついてくる。

 ヒラール達はユディウが示した通りの道筋を目指した。思い描いていた軌道が音を立てて崩れていき、失われていく。濁る未来。陥る絶望。誰も口を開かなかった。

 パンセリノスが照らす中を、彼等は走り続けた。




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