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カーリド  作者: 扉園
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Φ 4章 Φ


Φ Ⅳ Φ


「此処が貴方達の基地なの……?」

 モントは周囲を物珍しそうに見渡した。スピラルを抜けた先は、灰色の通路だった。彼女は少し前を歩く者の背中を見る。欠陥者のリーダー。

 モントは数分前に起こったことを思い返した。閑散とした工場の裏側。殺風景で平坦な景色。彼女は白に包まれた世界を見て茫然と座っていた。同じ場所に隠れたのは調査を終えた場所の方が安全だと思ったのが一つの要因だが、正直何処へ逃げていいか分からなかった。

 どの道モントは処理を覚悟していた。欠陥者を(かくま)うという、神に反した行為。この社会では生存は赦されない。もし完全体のまま消えたのなら、アサナト神はどう判定するのだろう。永遠の輪から外れ、混沌として魂すら消滅するのか。再び慈悲を与えて下さるのか。何度も自問自答した命題。彼女はフォルが生まれてから、全てに疑問を抱き続けてきた。

 ファダーとは何か、カーリドとは。完全体とは――。答えは一向に出なかった。

 モントは目を瞑り、息を吐いた。行き着く想いはいつも同じだった。

 真実が分からなくともフォルが助かればいい。自分が消滅しても、少しでも息子が長生きをしてくれるのならば構わない。

 その時だった。脳裏に声が響いてきたのは。

『待機していて下さい。助けが来ます』と。

 見渡しても誰もいない。柔和な声の主は何処にもいない。モントは自らの聴覚が信じられなかった。一種のユドラだと予想されたが、余りに明瞭で異質だった。どうしようもできずに息を潜めていると、奇形者が現れた。――始めて出会った者と同じだった。

 「来い」とだけ言われて付いて行き、エクェスと出くわさないままスピラルを抜けると彼等の潜伏地に着いた。その間、彼に問いかけてもずっと無言を貫かれた。

 通路を歩きながら、モントは前方の者に矢継ぎ早に質問した。

「――地下にあったのね。どのようにして作ったの? 酸素の供給やスピラルからの連結はどうやって? 何故見付からないの?」

 彼は背後の瞳で睨んだだけで何も言わなかった。一応は信用してくれているものの、気を緩めていない証だった。

「ごめんなさい。疑問に思うとつい……」

 彼は自動扉を通り、その後にモントも続いた。広い清浄な部屋。コンピュータが中央に配置されている白い空間。右側には幾つもの扉と、奥には二つの扉が並んでいる。メインルームだった。モントは不具者達の潜伏地と聞くと、暗澹で野蛮な印象を抱いていた。予想と全く違い、洗練されており満たされている。一般のファダーの住居より豊かに思えたくらいだ。

 新参者見たさに多くの者がメインルームに集まって来ていた。ざっと20名近くおり、若い世代が多かった。その者達の殆どが一目見て分かる異常を抱えていた。彼等はモントを興味津々に見ている。中には歓迎とは言えず、寧ろ拒絶的な視線が向けられているのを、彼女は敏感に感じ取った。

 リーダーが彼女に向き直り、此処へ来て始めて口を開いた。

「名は?」

「モント!」

 名乗る前に名前を叫んだ者がいた。息子だった。彼は満面の笑みを浮かべて拙い足取りで寄ってきた。

「フォル! また会えて良かった。本当に良かった……」

 モントが抱き上げて頭を撫でると、息子はぎゅっとしがみついて来た。また我が子に会え、生命が助かった。その実感が沸き起こると同時に急に疲れが襲ってきた。張り詰めていた気が弛緩する。鈍った頭で二日前に逃亡して以来、休眠をとっていなかったことを思い出す。そこで始めてモントは相手に礼を伝えていなかったのに気付いた。

「あの……助けてくれて感謝しているわ。フォルだけじゃなく、私を受け入れてくれるなんて――。でも、どうして……?」

 彼はそれに答えずに右側にあったスライドドアを開け、奥の部屋を指し示した。

「紹介や質問は明日だ。息子と休め」

 モントは物言いたげな表情をしつつも、何も言わずにその通りにした。

 親子があてがわれた部屋へ消えていくと、仲間達は各々の場所へ散らばっていった。救出の成功を喜んでいる者もいれば、複雑な表情を浮かべている者もいる。リュヌは無表情で左奥の椅子に座り、一心にキーを叩いている。モントが室内へ入った時にちらりとも見ようとしなかった。


 ヒラールは深く息を付き、一番隅にある椅子に座った。

 モントは欠陥者を嫌悪していない。侮蔑の目で見ない。それは事実だった。だが、彼女の興味に対する詮索には辟易せざるを得なかった。彼女から見たら全てが真新しく映るだろうし、フォルとのやり取りを見ると、他者と切り離して考えるべきだ。だが、次々と内部のことを問われるのにヒラールは苛立ちを覚えた。

 色々聞かれるのは不快だし、どうしても彼女を完全体として見てしまう。他の者も同じ心理に陥るのは想像できた。招いて正解だったのかと疑問が過る。彼は足を組み、何者かを探すように瞳を動かした。机を介して斜め前にいるカマルが察して答えた。

「今は寝ています。ユディウさんが看ていると思いますよ」

「そうか。無理させてしまったな」

 バドルから言い出したこととはいえ、親子の問題を片付ける為に容態を蔑ろにしてしまったことをヒラールは悔やんだ。軽い症状へ回復するのには時間が掛かるだろう。穏やかで物静かさの中にある頑なな一面。そういった処は(ヘテラ)の面影を思い出させた。

 小柄のせいで床に付かない足をぶらつかせ、カマルは声を落として言った。目線は対角線上にいるリュヌへちらりと動く。

「リーダー。俺、ちゃんと説明したんですよ。必死に説得したんです。でも、聞いてくれなくて……」

「ああ」

 正直なカマルのことだ。事実全てをリュヌに伝えたのだろう。完全体が来ると聞いた瞬間、彼女はその説得を無視し切ったに違いない。

 カマルは笑顔を浮かべて言葉を続けた。

「俺は仲間が増えて嬉しいです。だって、俺達の仲間を助けてくれたのに見捨てるなんて変じゃないですか? 新しい世界へ行く時は大勢で行った方が楽しいですからね」

「そうだな」

 ヒラールは楽観的な見解に頬を緩めた。17年前の多大な喪失をカマルは覚えていない。その年の生まれだからだ。事件について聞いて死と隣り合わせの境遇であっても、彼は死というものを実感していない。それが理由なのか、彼は他の者に比べて警戒心が薄い。

「早くリュヌが納得して欲しいです。もう直ぐ皆で力を合わせる時なんですから。俺、覚えていますよ。見せてくれた昔の映像で、前リーダーの言葉。〝存在を脅かされる不透明な未来。だが、私達は絶対に諦めない。全員でこの惑星を出て、私達だけの新天地を見つける〟……ええと」

「――〝皆と理想を共有し、僅かな可能性に掛けていきたい〟だろ」

 ヒラールはその先を引き継ぎ、立ち上がった。「そうでした」と笑いを零すカマルの頭に軽く手を置く。彼にとっては映像の中の存在でしかない者。しかし、ヒラールは映像を撮った時のことをよく覚えていた。その後、こう言葉が続く。

〝完全体は一定の数値しか出せないが、私達はそれ以上を出せる。肉体的不備はあろうと精神的限界はない。私達は制限を脱却して新たな社会を形作れる〟

 誰もが希望を抱いて意気込んでいた頃。その数ヵ月後に破滅は訪れ、彼は死んだ。頭から手を離してスライドドアへ歩み寄りながら、ヒラールは言葉を残した。

「心配するな。何があっても俺達の目的は変わらない。じきに答えが出るだろう」



☩ ☩ ☩



 モントは自動扉を開けてメインルームを見渡した。

 充満している神経質な空気。多くの者達が広間に集まっており、仕事の手を休めた幾つかの目が此方を見返してきた。机上はコンピュータが占領しているので、それを介して椅子が並べられている。一部が座り、残りの者は立っていた。フォルは不安そうにおずおずとモントを見上げる。彼女は安心させるように頬を撫でた。どうしていいか分からず立ったままでいると、組織のリーダーがモントに歩み寄り、何かを差し出した。

「食え」

 アルツナイとフェストを戻した真水。モントは礼を言ってそれらを口に運び、そのまま飲み下した。フォルにも気を付けて飲ませる。

 そこでモントは寝室へ通じる通路の奥にあった、大量の箱を思い出した。幾つも積み重ねられた箱にはアルツナイとフェストが入っていたようであった。食糧の種類は全て成体用であり、ざっと数えても十年分はあるように思われた。思わずモントは彼に訊ねていた。

「奥の部屋にあるアルツナイ、かなり常備してあったわ。こんなに溜めているのは理由があって?」

「質問は後だ。まずはお前の経緯(けいい)から話してもらおうか」

 彼は腕を組んで机に軽く腰掛けた。ヴァッフェとレーザナイフはホルスターに差したままだ。癖になっているのだろうが、モントにとっては微かなプレッシャーを感じた。それでも彼女は控えめに問いを発した。

「あの……貴方達のことをなんと呼べばいいのかしら。この――集団の総称。名があるの?」

 カーリドという言葉を喉の奥へ呑み下す。相手は再度の質問に気を悪くしたようだったが、答えてくれた。

「ハイマート」

 聞き慣れぬ単語にモントは口の中で復唱してから、これまでの経緯(いきさつ)を思い返しながら簡潔に伝えるよう心掛け、話し始めた。

「――私はマラークで働いていた。適齢期が来て、卵細胞を摘出した。当たり前のように。当時は無条件で神を受け入れ、信仰していたの。アポストルで与えられた知識を妄信して。だけど、偶然担当に私の子供がいた。私の細胞から産まれた胎児。殆どの者が我が子を知らずに生きる。私は自分の子供を見られることが嬉しかった。それなのに……」

 モントは話を区切り、フォルを撫でた。片足が生成できなかった息子。苦しみの記憶が蘇り、彼女は話を少し飛ばした。

「私はエクェスに知らせず、3年間フォルを匿い続けた。酷く悩んだ時期もあった。問題を堂々巡りし、精神が潰れそうだった。ラウフへ行こうと思ったこともあった。神や不全について考えた。最終的に私はフォルを育てていくことに決めた。しきたりを遵守しながらも神に背いていこうと。私はもう――貴方達と変わらないわ。だけど……2日前、密告されてしまったの。住居で同僚と通信連絡している際に見つかった。いつもは音声のみにしていたのに。映像がオンになっているのに気付かなかった。エクェスが来る前に私達は逃げた。工場地帯を通ってノーフ工場の裏側で座り込んだ。私はそこに隠れ続けた。半ば諦めていた時、貴方達が現れたの」

 リーダーは微動だにせずその話を聴き終え、一つ訊ねた。

「エクェスが出現する前に、容器を外したのか?」

「――ええ。警報が鳴り、私は聖軍団が来る前にフォルを隠した。その後マラークが襲撃された。ええと、ハイマートに。貴方達かもしれない。顔は見てないけれど。それからエクェスが到着したのだと思う。その当たりは知らないわ。私はフォルを連れて住居まで逃げたから」

「そうか」

 問いはこれだけだった。彼の中で合点がいったようで、その態度は幾分か和らいでいた。彼等もモントに対する睨めつけるような視線は止め、自らの仕事に集中し始めた。

 モントは思い切って彼に聞いてみた。

「私のことは話したから、今度は貴方達について教えて欲しい。名も知らないの。リーダーの方、貴方の名さえも」

 助けられてから一日経ったというのに、モントは彼等の会話中での推察でしか名前を聞いていなかった。彼は息を一つ付いて、名を告げた。

「俺はヒラール」

 モントは再度リーダーを注視した。最も年嵩であり、長身。瞳は鋭く細められて常に厳しい表情を浮かべており、引き締まった身体は隙がなく、威圧感を覚える。右羽(ヒィシ)は一本であるのに、左羽(ヒィシ)が二本ある。二つの内、背部から生じている(ヒィシ)は半分程の長さだった。

 モントは半ば駄目元で聞いてみた。

「その(ヒィシ)は……動くの?」

 ヒラールは何も言わず左側の(ヒィシ)を揺らし、隣でヴァッフェの整備を行っている者に目をやった。彼の視線を受けてその者は面を上げ、にこりとモントに微笑んだ。

「ヘテルです。ハイマートの副リーダーをやらせてもらっています」

 小さな瞳にシャープな輪郭をしており、淡い色の髪を中央から分けている。両瞳の色が異なり、右は金、左は青だ。リーダーとは対照的に柔和な雰囲気を纏っているが、内部には同様の頑固さを有していそうだった。

 モントは目ざとく彼が左手だけに指がないタイプの手袋をしていることに気付いた。布越しでも異様な形をしていることが見てとれる。指がないのかもしれない。気にはなったものの、モントはそのことに触れないでおいた。

 会釈をしてから、彼女は奥の椅子に腰掛けていた女性に話し掛けた。

「貴女は?」

「ルーナ。手当や子供達の世話をしているわ」

 モントと同年代くらいの女性だった。一目で物腰が穏やかな印象を受けた。胸まで伸びた髪を二つに分け、顎辺りで縛っている。ルーナは閉じられた双眸を薄く開けた。瞳が真っ黒だった。息を呑んだモントの様子をルーナは感じ取ったらしく、立ち上がって数歩歩み寄ってきた。

「皆の顔が見られないのは残念だけれど、さほど苦労はしないのよ」

 机に手を付いてはいても、足取りはしっかりしている。遠目から見たら盲目に思えないくらいであった。ルーナは机越しにいた少年を呼んだ。彼は愛想良い表情を浮かべ、ぺこりと頭を下げた。

「えーと、俺はカマルです。主に機械をいじっています」

 見るからに身体がアンバランスだった。上半身の比率に対して下半身が成長しきっていないのだ。身長もモントの頭一つ分くらい小さい。赤く丸い瞳が彼女を見返す。

 モントは最初に疑問に思ったことを聞いてみた。

「此処の機械を手がけたの?」

「いや、俺の場合は操作専門です。コンピュータアクセスやフライトです。パイロットに憧れているんです。組み立てるのは苦手。あと、射撃も苦手です」

 明るい声で話すカマルに、聞いていたヒラールは呆れ声を出した。

「訓練を怠るからだ」

「すいません……」

 その遣り取りに何名かが苦笑いを浮かべる。カマルは屈んで、モントの足元にいたフォルに話し掛けた。

「ねぇ、一緒に遊ぼう。あっちに仲間がいっぱいいるよ」

 フォルはモントの顔を訴えるように見た。

「行ってきてもいいのよ。私は何処へも行かない」

 息子はカマルと親の顔を再三見比べた。モントが再び促すと、彼は「いっしょがいい」とぐずり始めた。

結局彼女は子供部屋へ移動した。内部には数名の子供達が集まっており、カマルが皆に自己紹介をするよう促すと、彼等は口々に名を言い合った。容器に入っている胎児はアフェアと名付けたと、カマルは聞かずとも説明してくれた。先日助け出したばかりだということも。

 一名の子供が持っていた物にフォルが興味を示した。掌を二つ合わせたくらいの大きさの四角い機械だ。モントはこれを見たことがあった。アポストルで使用される教育用タブレット型コンピュータだ。息子はその画面を一心に見つめている。思えばフォルは口頭学習を行っただけで、電子資料による教育は何一つやっていない。モントも横から覗いてみると、画面には角張った文字が順番に並んでいた。識字学習を行っているのだろうか。

「これはね、言葉を目でも伝えられるようにした〝文字〟だよ」

 カマルは分かり易い口調でフォルに教え始めた。フォルは目を輝かせて画面を眺めている。モントはそっと立って、息子の側面へ回り込んでみた。それに気付く様子はない。子供達に囲まれていても彼は不安げにはならず、場に馴染んで楽しげにしている。息子の速やかな順応に驚きを覚えたと同時に、深い安堵と少しの寂しさを感じた。モントは息子をカマルに任せ、メインルームに戻った。

 ――後日、この教育機器は彼等の都合で改造されていることを知った。アサナトの教義がごっそり抜けていたし、カーリドの説明も大幅に変更されていた。敵に遭遇した時の護身術や避難方法などのデータも入っていた。

 モントが周囲へ目を向けると、ルーナと誰かが話しているのが映った。

 その若者は背中が異様な曲がり方をしていた。重石を背負っているかのような姿勢。モントが控えめに名を聞くと、彼はその姿勢のまま会釈した。

「ユディウだ」

 礼を言って挨拶を返すと、ルーナが他の仲間を手招きして呼んでくれた。モントは現れた三名の名を聞いた。

 アステリはすらりとした女性で、はきはきした口調が印象的だった。最初は分からなかったものの、後にモントは彼女の両手の指が一本多いことに気付いた。体格が良いナグムという男性は頭を一度下げただけで何も言わなかった。寡黙という訳ではなく、どうやら話せないらしかった。スキアという少年から抜け出したばかりに見える若者は、余所余所しい態度を取り続けた。仲間と接している時は自然体であったので、警戒しているようだった。彼は左足の爪先が湾曲していた。

 彼等はいずれも戦闘要員であるようだった。戦いの心得のある者は腰にヴァッフェやレーザナイフを帯びており、終始身に付けたままであると思われた。モントは彼等との紹介を終えて名を聞いていない者を探し、複雑なコンピュータ画面に視線を注いでいる者を発見した。モントはその女性に近付いて声を掛けた。

「……あの、貴女の名は?」

 彼女はただ画面を見て、キーを打ち続けている。完全に無視であった。モントがもう一度聞くべきか迷っていると、ルーナが援助をしてくれた。

「リュヌ」

 その呼び掛けに小さく溜息を付き、彼女は椅子から立ち上がった。無表情で軽く会釈をする。

「リュヌ。エンジニアだよ」

 モントは心の底から信用されていないことを感じ取った。響きこそは柔らかいが、全面的な拒絶を漂わせている。彼女は両手を広げ、首を傾げた。

「どう? 見た目は完璧でしょ?」

 確かに欠陥一つ見当たらない。リュヌは腹部を押さえて自嘲気味に笑った。

「あなたと違って内臓がさ、足りないんだ。体調の方はそれ程心配ないけど、無理な運動ができない。だから此処に入り浸りってわけ」

 リュヌは机の脇を抜けながらモントを睨んだ。

「此処は僕達の基地。息子はともかくあなたには動き回って欲しくない。できれば追い出したいくらいだよ」

 そう零し、リュヌはスライドドアの向こうに消えた。茫然と立ったままでいると背後にいたルーナがフォローを入れた。

「気にしないで。まだ貴女のことに慣れていないのよ」

 モントは「大丈夫」と言って、首を横に動かした。事実、傷付くというより実感の方が大きかった。仕方がない拒絶。モント自身も拒否や偏見、恐れの心がまだ残っている。理解が必要だと思った。フォルを知ることで彼を受け入れた。だから、ハイマートを知ることでカーリド全体を受け入れることができるだろう。

 気を取り直し、モントは他の者達の名を訊ねていった。目に入る者は全て聴き終えてから、リーダーの元へ戻る。ヒラールは電子地図を睨み付けている処だった。その背中に、おずおずとモントは問い掛けた。

「質問してもいいかしら?」

「……なんだ?」

 彼女が口を開こうとすると、ヒラールは(ヒィシ)を軽く縦に振った。一度ではなく順番に話せ、という意味のようだ。彼女は質問を充分に整理してから口を開き直した。

「……設備が行き届いている。追われているはずなのに。基地をどのようにして作ったの?」

「此処を設計したのはフェガリだ。俺達は詳しくない」

「誰?」

「前リーダー。フェガリの設計に基づいて此処は作られた。地下を掘削して空間を広げ、コンピュータ類を設置した。元から設備は確立されていた。それを此方にも据え置いただけだ。材料と道具を使って」

 ヒラールは扉の向こうへ首を向けた。その先は通路で道具類は見当たらなかったと思ったが、きっと奥に倉庫があるのだろう。モントは質問を狭めた。

「酸素の供給や電子回路は?」

 ヒラールが苛立たしげに(ヒィシ)を動かしたので「彼が手掛けたとしたら、どうやって?」と付け加える。

「惑星ハーディで使用されている大気製造システムを利用している。アルカに用いられている空気循環装置の一部も使った。コンピュータは部品から組み立てた物もあれば、一般者の物を改造した物もある。プログラムは一からフェガリが手掛けた。システムさえ理解していれば材料には事欠かない。どのような物でも作ってみせる。――彼の言葉だ」

「じゃあ、スピラルからの連結はどのようにして?」

「――通常では不可能だろうな。メインコンピュータを騙して、データバンクに入れられた情報を使うとだけ言っておこう。詳しく把握しているのは今ではリュヌだけだろうな」

 聞くのは無理だと言っているような口ぶりであった。システムを多少たりとも知っている筈なのに話そうとしない。どうやら深い部分は言いたくないようだった。モントは試しに掘り下げてみた。

「バンクはメインコンピュータの? 私やフォルを転移させたけど、相手に知られていないのは騙したからね? どうやって?」

 ヒラールは肩を竦めただけで何も喋らなかった。仕方なくモントは質問をかえた。

「どうしてアルツナイとフェストがこんなに蓄えてあるの? 十年分はあるのでは?」

「いつ奪えるか分からない。生命維持の為に備蓄するのは当たり前だ」

「此処にいる者は貴方達が救出したのよね?」

「一部を除けば」

「マラークからよね?」

「ああ」

「どうやって仲間を助け出すの? エクェスから逃げていられるのはどうして? それに……どうして私達を発見できたの?」

 ヒラールは首を振って呆れたように息を付いた。

「よくそんなに質問が出てくるな……。確かに一般のファダーと違うようだ」

 皮肉の篭った言い方だったが、モントは気にならなかった。

「何でも知りたくて。フォルが生まれてから疑問に思う様になった。アサナト神は確かに存在する。けれど、此処まで完全体にこだわる必要はないのではないか……。昔はそう思わなかったのに。知ることによって、何かが変わりそうな気がして。時間があったらハイマートの歴史も教えて欲しい。私はあの……アポストルで得た知識しかない。偏った大まかな内容しか知らないの。貴方達の――」

 彼女が言葉を続けようとしていると、軽い音が響き、背後の扉が開いた。ヒラールは振り返らずに訊ねた。

「もう大丈夫なのか?」

 ええ、と相手は答える。モントは何気なくその者を見て、強く目をみはった。

 彼女にとって、想像を超えた者だった。

「その姿……」

 唯のカーリドでは有り得ない。枠から外れた不良体ではない。何か、もっと異様で異質な存在。種族から完全に逸脱した存在。どう考えても彼女には非現実的な姿に映った。

 その者は軽く一礼し、微笑んでみせた。

「はじめまして。バドルです」

 澄んだ声が室内に通る。モントは驚き以外の何の反応も見せられなかった。呆気に取られて相手を見つめ続ける。これまで彼女が築いてきた常識の域を超えていた。一歩後退り、モントは無意識の内にアサナト神への祈りを呟いた。

 まず目に付くのが容姿だった。平坦さが感じられない彫りの深い目鼻立ちに、はっきりと膨らんでいる唇。それらが深い陰影を作っており、髪は頭部全体を多い、背部の瞳は確認できない。体色も違う。右の(ヒィシ)もない。右肩がその器官があることを忘れたかのように、名残すらないのだ。

 それらはファダーの姿を見慣れた者にとって、強烈な違和感を引き起こした。

「あの……ごめんなさい。待って。貴方は、どうして……」

 何かを言わなくてはと思い、口を開いたものの先が出てこなかった。モントは不具である息子を理解し、受け入れた筈だった。社会にとっては重大な違いであるが、不全者でもファダーと極めて近い姿をしている、筈だった。未知への恐怖が心に徐々に染み出してくる。彼女の理性が叫んでいた。この者はファダーですらないと。

 酷くうろたえるモントに、その者は寂しそうな笑みを浮かべて、こう言葉を紡いだ。

「私は……カーリドの間から産まれたカーリドなんです」

 不完全者から産みだされた不完全者。

 有り得ない話だった。彼女は呆然とした状態のまま問い掛けた。

「それなら、マラークは……」

「利用していません」

 首を横に振るバドルに、益々モントは驚愕した。摘出された生殖細胞を受精させ、マラークで育てる。8000年以上もファダーはそれを繰り返してきた。それ以外の方法を彼女は知らなかった。

 バドルは手近の椅子に座った。一つ息を付き、顔を上げる。ヒラールとヘテルは苦々しげな表情を浮かべてモントを見ていた。今やこの遣り取りを殆どの者達が聞いている。モントはそれに気付かずに口を開いた。次々と疑問が頭にもたげて来ていたのだ。

「基地で受精を行って、マラークと同じ容器で育ったの?」

「いいえ。(ミテラ)の胎内で育てられ、産まれました」

「何?」

(ミテラ)。女性の片親のことを指します。男性は(ヘテラ)です」

 ファダーには父母という単語がない。そのような概念がないからだ。ハイマートの者の造語だった。モントはアポストルで得た知識を塗り替えようと努力した。

(ミテラ)の胎内に9ヶ月もいたの?」

 頷きを返すバドルに、彼女は頭を軽く振った。生命養育機を通さずに9ヶ月の妊娠期間を経て、この者が産まれたというのだ。女性の胎内で。確かに原理的には技術的援助がなくとも生成は行える。だがそれはリスクが高く、8000年以上行われていないことだった。モントは悲鳴に近い言葉を発した。

「だとしたら……どうして産まれたの? DNAタイプはどうなっているの? 理屈が分からない! 貴方はどのタイプにも見えない!」

「どういうことだ?」

 ヒラールは眉間に皺を寄せ、横から口出しした。バドルを含めた仲間達も意味を図りかねた面持ちで彼女を見る。仕切りに手を動かしながら、彼女は答えた。

「ファダーの遺伝子タイプは九種類しかいない。全く同じDNAなの」

 今度はハイマート側が驚く番だった。ヒラールは疑いを隠さずに言った。

「構成する遺伝子が九種しかないだと? 数十億の個体がいるのに?」

「そう。マラークで務めると閲覧できるのだけど、遺伝子データがあるの。9種の遺伝子タイプが予め決められていて、それを元にして異常がないかを調べる。9種の内、5が男性で4が女性。――始めからそうなっていた。そのようにできていたの。ファダーはそのように創られている。遥か以前、9体のファダーをアサナト神が創られた。そこから8000年以上遺伝子は変化していない」

 仲間の救出にマラークを襲撃したことは幾度となくあるのに、彼等はその事実を知らなかった。遺伝子について調べた者は誰もいなかったのだ。

「男女では遺伝子が違う。異なる両親から産まれて、全く同じDNAが出てくるだなんて、変に思うけれど……」

 ルーナが遠慮がちに会話に入ってきた。モントはその質問に答えた。

「ファダーの生殖細胞は完璧なDNAが刻み込まれていて、二つを受精させた時、卵子か精子のDNAのどちからが優勢になる。つまり、情報が全て一方の内容に書き換えられる。遺伝子操作によってそのようにプログラミングされているの。どちらが優勢になるのかは、先天的に決められているようね。私達はなんの付加もしない。ただ与えられたデータをもとに二つを受精させるだけ。そうすれば、9種のタイプが平等になるように割り振られる。数千年間、総数は平行線を辿っている。それこそ神がなせる技。アサナト神がファダーを創成した証拠よ」

 ハイマート側は顔をしかめた。モントはやはり完全体だった。思想がまるで違う。彼女は尚も早口に喋り続ける。視線は全員に向けられていた。

「私と同じDNAを持つ者は数え切れない程いる。けれど、環境要因で個体は変化していく。同遺伝子と言っても何もかもが同じとは限らない。容姿やパターンが近しいだけ。極めて似通っていて、異なる個体がファダーなの。ただ、合一化を社会基盤として据えているから、教育によって9種全てが同じ思想の元に成り立っている。永遠の不変性の崇拝という思想。ファダーは遺伝子の相似と社会体制によって、極めて長い間完全な世界を形作っていた。貴方達が現れるまでは」

 その言葉にはどんな悪意も込められていなかった。事実としてモントは喋っていたに過ぎなかった。

「貴方達のDNAは基本と著しく近しいにも関わらず、何処か異なってしまった。突然変異が起きてしまい、身体の変質が起こった。九種に割り振ることはできるけれど、変化は均衡を崩すことになりかねない。……だから、ファクルは否定した」

 モントはフォルがいる部屋をちらりと見る。決められた遺伝子に基づきながらも、片足が欠けた息子。視線を動かし、バドルを正面に見据えながら彼女は喋り続ける。

「貴方はどのタイプでもない。私は貴方のような者を見たことがない。九種から外れた遺伝子体系。それは、マラークを介さなかったから……」

 ふと考える表情になり、独り言を漏らす。

「でもDNAは刻み込まれているはずよ。ファダーの遺伝子情報に書かれている。例えマラークを介していなくても、タイプは受け継がれる筈では……。伝達がされなかったということ? やはり両親共に不完全だったから? 全てが変質してしまったということ?」

 モントはバドルを注視した。今度は異常な部分以外も確認できた。身体の線は服で窺い知れないが、酷く痩せている。細身の体型を特徴とするファダーでさえここまで痩身ではない。はっきりとした顔立ちだが粗くなく、逆に繊細で優しそうな印象を受けた。伏せがちの瞳は時折何かに耐えているように閉じる。華奢な肩に、しなやかな細い指。身長は男と女の平均――203から186センチの中間あたりだ。男女の差異があまりないファダーでも区別は困難ではないが、この者はどちらとも言えなかった。

 確認するつもりでモントは聞いた。

「貴方は男性よね?」

 バドルは目を伏せ、口ごもった。

「いえ。私は……」

 どのように表現すれば良いのか分かりかねているようだ。モントが訝しげな表情を浮かべると、その者は困った表情のまま言った。

「男性でも女性でもありません。〝両性〟です」

 モントは反射的に否定の言葉を発した。

「有り得ない!」

「いい加減にしてっ!」

 キーを乱暴に叩く音。視線が一斉にそちらへ向けられる。リュヌだった。目は釣り上がり、激しい怒りの形相でモントを睨み付けていた。彼女はいきり立ちながら叫んだ。

「おかしいのはあんただよ! 遺伝子がどうだこうだ言っているけど、僕は僕だ。バドルは実際にいる。否定するな。一緒にするな。僕達はお前とは違う!」

 モントが冷静になって周囲を見ると、ハイマートの者達は敬遠した目を向けていた。隔たった厚い壁。生じた深い溝。彼女は口を噤み、小さく呟いた。

「ごめんなさい……」

「質問は終いだ。奥の部屋へ行け」

 ヒラールが昨日あてがった部屋を指すと、モントは何も言わずにそれに従った。バドルは申し訳なさそうな視線を彼女の背中に向けたが、聞えよがしにリュヌは言葉を吐いた。

「ふん、僕はアサナトなんて信じない! あんたなんかいても役に立たない。何も喋るな、邪魔だよ! 僕達は忙しいんだから」

 彼女は気難しい顔をしてコンピュータを睨み付け、始終キーを叩き続けていた。



☩ ☩ ☩



「心配するな。絶対に助かる。私は後から行くから待っていてくれ」

「あなたは私達の希望の光。全員で未踏の地へ。約束よ。だからヒラール達と一緒に行きなさい」

 17年前の事件の頃はまだ幼く、恐怖しかろくに覚えていない。力強い手に抱かれ、ただ震えていた。叫び、悲鳴。交差する透明な光。分解して崩れていく建物と仲間。痛みと苦しさに押し潰され、意識を失った。それを最後に両親とは二度と会えなかった。

 心の喪失を思い出して、バドルは胸が締め付けられた。ファダーで両親を知る者はいない。親は次代を繋げる為の媒体でしかない。子は切り離され、同様の社会に埋もれてゆく。だが、バドルは鮮明に脳裏に焼き付いていた。(ヘテラ)の笑顔、(ミテラ)の優しさを。

 モントはバドルの存在を有り得ない、と言った。その表現に妙に納得している自分がいた。慣れた仲間達といることで時々自分の異常性を忘れてしまう。だが、自分は違う。不具とされて排斥される者達からさえはみ出ているのだ。頭の奥がきりりと痛み、バドルは目を強く瞑った。

 ――お前はこの星に適応できないのかもしれないな。

 過去に(ヘテラ)に言われた言葉。思いやりと優しさに溢れた声音だったのに、酷い孤独を感じたのを覚えている。他の仲間達は社会的こそ虐げられているが、体調の変調は起きていない。自分は星にさえ受け入れられない存在。それを痛切に感じた。

 時刻は日の半ばに差し掛かっていた。もう皆は各々の仕事を行っているだろう。睡眠を取ったので少しはまともな体調となっていた。バドルはのろのろと強ばった身体を起こし、メインルームへ足を進めた。

 気に入っている壁側の椅子に腰を下ろす。視線を上げると、モントが仕切りに動いて様々なものに興味を示しているのが見て取れた。昨日(さくじつ)の出来事を引き摺っていないようだった。彼女はコンピュータに表示された地図を熱心に見やり、壁沿いに歩いていった。手前の扉を開いて覗く。そこは銀色の机だけがある狭い部屋。――ユドラの集中力を高める場所だった。次は寝室へ通じる通路。その突き当りにはアルツナイとフェストが保管されており、更に行くと工具や武器類が一緒になって置かれている倉庫がある。

 メインルームの北側には子供部屋があり、その奥には非常用のスピラルが隠されていた。広間の反対、南側の扉を抜けた通路の先は外界へ通じるスピラルがある。

 モントは扉の一つから出て、隣へ移動した。寝室の通路の横にあるスライドドアが滑る。この部屋は、銀色の空間に椅子と巨大な機械が設置してある。バーチャル・リアリティを体験できる特殊な間だ。

「何をしているの?」

 モントの問いから少しして、カマルの声が聞こえてきた。

「フライトシミュレーションです」

 頭部全体を覆う特殊装置を付けた彼の姿をバドルは思い浮かべる。開閉式になっており、操作一つで付け外しが可能な機器。軽い高音が聞こえたので、それを額まで引き上げたのだろう。

 この装置は、無線で主となる機械と連結している。椅子に座り、頭部の装置を着用。機械を起動することで、現実的なバーチャル世界を体験することができる。

 何もかも脳内で行われるので、座席にもたれているだけでどんな行動も必要ない。視覚、聴覚、触感、嗅覚にさえにも働きかけて、現実に限りなく正確な世界を創る。ただ、偽物には変わりないので違和感は拭えない。

 カマルが行っていたのはフライトであり、小型宇宙船に乗って銀河を飛行することができる。宇宙船の種類を選択し、コックピットに乗り込む。実際と同じ配列のパネルを操作して船を操るのだ。マニュアル、セミオート、オートの三種類の操縦がある。基本設定はエスフェラからスタートとなっており、離陸して宇宙へ飛来する。行ける範囲は同銀河であり、三つの惑星に着陸も可能だ。宇宙船から降りることはできないが、フロントガラスから見える景色は忠実に再現してあるらしい。

 間違った操作をすれば警告音が鳴り、無視して進んでいると強制終了となるので、どんなに異なったことをしても墜落にはならない。失敗する以前のデータに戻されるだけだ。現実でも自動制御装置が付いているので、墜落することはまず有り得ない。このフライトシミュレーションはパイロットの育成に使われるデータであり、ハイマートはこれを盗んだのだ。

 カマルは群を抜いてパイロットの素質を持っており、彼に勝る者はいない。

 装置の別の使い方としては、土地データと組み合わせることで現実に忠実な区を創り出せる。敵の遭遇がない安全な世界を歩けるのだ。不変を尊ぶ概念が幸いして区の構造は殆ど変わらず、多少遅れた情報でも問題は余りない。

 本番を実行する前に目的の区を呼び出し、仮想で歩く。スピラルから地点への距離、何処に死角が生じるか、どれが効率的な移動かが分かるので重宝する。外界を知らない子供達の教育にも役立ち、ないことを願うが、基地が襲撃された場合の逃走経路にも利用できた。

 また、設定を切り替えることで射撃の訓練も可能だ。こちらも移動や道具なしで座っているだけで、実体験をしているような感覚を得られる。単純に的を撃ち抜くモードと、実際に銃撃戦を想定したモードに分けられており、的は距離や大きさ、数を変更できる。室内や屋外など環境も設定可能だ。銃撃戦モードでは勿論、エネミーが攻撃を仕掛けてくる。障害物を利用して撃ち合いをし、相手に攻撃を受けた時点で終了する。此方も敵の数と位置を変えられる。

 これはエクェスの訓練用データを横領したものだ。初期設定では黒い物体――カーリドが的となっていたが、フェガリがエクェスに改良した。本格的に修正し、手を加えたのかが分からない程の出来栄えとなっている。ヒラールは暇さえあれば腕に磨きを掛け、戦術を考えている。

 但し、これはあくまでヴァッフェ使用を前提としたもので、他の手段を用いることができない。レーザナイフや体術、投擲武器を使用する臨機応変さは(つちか)えない。他にも連結装置が一つしかなく、データ更新もままならない為に一名しか参加できないという欠点がある。現実は仲間と合図を送って連携したり、場合によっては護りながらの戦いとなったりする。実戦と訓練ではやはり大きな差が生まれてしまうのだ。

 仮想区を歩く時のシミュレーションにしても一名ずつしか体験できず、団体で行動する計画を立てる際には苦労してしまう。区の内部データにしても足りない部分が多々あった。ハラム内部は極秘事項となっており、どうしても入手することができなかった。過去の者が入手した地図とバドルのユドラで曖昧とした情報は持ってはいても、深部は不確かな領域となっていた。

 バドルは微かに苦笑いを浮かべた。一度この装置を試してみたところ、自身のユドラに影響したのか体調を酷く崩してしまい、打ち切りになったのを思い出したのだ。

 白銀に反射する壁が一部見える。モントは首を巡らせてから、部屋の中へ入っていった。早速カマルに機械のことを訊ねているのが聞こえる。仕事の知識以外を知らない彼女にとって、物珍しい装置なのだろう。カマルはごく簡単に説明して、彼女に体験を勧めた。

 モントの返事は聴覚に届かなかった。奥へ行ったようで、感知式扉が閉じられてしまったのだ。好奇心がある彼女のことだから、装置を試してカマルを質問攻めにするのだろう。

 バドルは視線を横へ転じた。奥の部屋ではルーナとユディウが話している。

 内容は聞き取れないものの、机上には生活用品がきっちりと置かれている。ヘテルが医療具を腕に抱えて彼等に近付き、それも机に並べていく。先日工具を整頓していたので、今度は必要備品の再確認をしているのだろう。その左側では子供達が仕事の邪魔にならないように戯れている。その中にフォルがいた。小型の情報端末を見る子の手元を一心に見つめている。何かの映像を見ているか、計算を解いているのかもしれない。(ミテラ)が来たことで彼は随分安定し、あっという間に子供達の仲間入りを果たしていた。

 ヒラールは休眠する為に奥へ入っていったようだった。ファダーの平均睡眠は6時間だが、彼は2時間しか休まない。皆が起きている時に休み、皆が休眠する時に彼は起きていた。バドルは10時間以上睡眠を取らないと体調を崩すので、頭が下がるばかりだった。

 リュヌは一番隅の椅子に座って、何もかも拒絶するようにコンピュータを睨んでいた。あれ以来ずっと機嫌が治っていない。バドルが知る限り、完全者が基地にやって来たのは始めてのケースであった。彼女の感情はハイマートの誰もが理解できた。永遠の輪から外れた者として、不具者は産まれた時から完全者に否定される。その摂理は崩せない。だが、どうにかして和解して欲しかった。

「――少し、いいかしら?」

 唐突の声にバドルは我に返った。

 焦点を合わせるとモントが正面に立っていた。近付かれたことに全く気付かなかった。了承の頷きを返すと、彼女は隣に座った。

「昨日はごめんなさい」

 いえ、と返す。仲間と溶け込んで欲しいとは思っていても、正直バドルは彼女が苦手であった。奇異の目で見られ、存在を否定された時には心が傷んだ。しかし嫌いではなかった。完璧の神話に潜らず、事実を受け入れようとしてくれている。不具者を侮蔑したり排斥したりせず、認めようと努力してくれている。全てを追求しなければ気が済まない彼女は、ファダーの中では若干特殊なのかもしれない。

「あれから色々と考えてみたけれど。両方の性だなんて……。アサナト神は男女を創った。男女を創ったのよ。混沌が入り込んだとしても、性が合わさるなんて。考えられない。遺伝子の問題もそう。貴方の存在を否定するつもりはないけど、理性では有り得ないと思えてしまう」

 どう返していいか検討が付かなかったので、バドルは頷いて困った顔をしてみせた。モントは脈絡もなく話題を変えた。

「バーチャル・リアリティを体験してみたの。私の職種では使わない装置だから驚いたわ。本当に現実のようだった。ノーフに乗って惑星キエトへ行ってきた。知識がないから、オートに頼りっぱなしだったけれど。外観も凄いわね。岩肌の質感やフェストを製造する工場も良く表現されていた。思わず周囲を旋回してしまったわ。接続を切った時、自分が一瞬何処にいるか分からなかった」

「あれは私達にとって貴重な装置です。操縦だけではなく、様々な体験ができますから」

「そう、カマルが言っていた。土地探索から射撃まで何でもできるって。またやらせてもらいたいわ。カマルは賢くていい子ね。装置に付いて訊ねなくても、色々教えてくれた。――ところで、私がマラークで働いていたことは聞いた?」

 首肯するバドル。内心、話の流れが掴めず軽く困惑していた。彼女の過去についての大体の内容はヒラールから聞いていた。モントは視線を此方に向けたまま話し始めた。同様の話であったものの、バドルは口を挟まず静かに聞いた。

「私の所にハラムから生殖細胞の提供の通告が来て、通例に従って卵細胞を摘出した。偶然、担当に私の子供がいた。個体情報を閲覧したら見覚えがあったの。私の個体番号が記されていた。勤務するマラークで摘出したからかもしれないけれど、年に約九百件の手術が行われている場所よ。片親は分からない。遺伝子こそ相手のものだった。私の胎内から摘出されただけの小さな生命体。でも、紛れもない自分の子供。私は嬉しくなった。自らの子供を育てる。それは他のファダーでは体験できないようなことだった」

 間を置いて彼女は小さく呟いた。

「結果が、フォルだったのだけれど」

 モントは微笑みを浮かべる。それには自嘲が含まれていた。

「発見したのは私。警報が鳴って、確認したら私の子供だった。私の子供だったの。まだⅠの段階で未分化だった。絶望と拒否と理性が一度に押し寄せて、適例通りエクェスに消してもらおうと考えた。でも、子供の命を消すことができなかった」

 親子の絆ではなく種族全体の結びつきを選んだファダー。彼等は慈悲深いが、冷徹な無情さを持つに至った。集団からはみ出す者を排し、同一の信仰を持つことにより結束を強めていく種族。彼等の知らない太古の感情がモントに宿ったのかもしれない。

 彼女は両手で顔を覆い、くぐもった声を出した。

「私は……ああ、嘘を言ったのよ。エクェスに! 聖なる軍団に背いたのよ! 神を冒涜する恐ろしいことをしたの! 同業者が別室で待機している間、私はフォルを容器ごと取り外して備品室へ隠した。エクェスから守ろうとしたの。でも先にマラークへ来たのは貴方達、ハイマートだった。私はフォルを抱えて逃げた。それからどうなったかは知らない。同業者は全員無事だった。その後、エクェスに聞かれたわ。胎児がカーリドに奪われたのを見たか、と。――私は頷いてしまった。全てを貴方達の仕業にしてしまったの」

 バドルは出来事に思い当たりがあった。

 3年前に起こった救出が甦る。失敗に終わった救出は幾つかあり、殆どは眼前で胎児を殺されてしまったが、一件だけは行方不明になっていた。通報灯が知らせた時は確かに居た存在。それが、救出直前で忽然とマラークから容器ごと消えてしまったのだ。エクェスの仕業だとばかり思い込んでいたが、それはモントが持ち出したからだった。

 バドルの能力にも限界はある。同類を探せる範囲は限られていて、マラーク周囲に絞られていた。なので、住居で隠されて生きていた者には気付くことができなかった。あの時ユドラで視た場所にモントとフォルが偶然いたから、突如現れたように感じたのだ。

 モントは相手を見ずに訥々と喋っていた。

「部屋でフォルを匿った。3年間誰にも見つからなかった。それなのに、私の不注意で密告されてしまった。隠れるだけでどうしようもできなかった。貴方達が発見してくれなかったら、私達は消されるしかなかった。そのことは本当に感謝している。フォルが助かった。それだけでも嬉しいのに」

 話し終えたモントは深く息を吸い、遠慮がちに言った。

「……私はフォルの(ミテラ)なのね」

 本来なら存在しない単語。バドルは微笑み、はいと答えた。お互いが沈黙して静かな時が流れる。仲間の声が混ざり合い、聴覚を優しく撫でた。無言を苦としないバドルには心地良い時間だった。モントはやわに口を開いた。

「ユドラって具体的にどうするの?」

「え?」

 聞きそびれではないが飛躍した質問だったので、思わず間の抜けた返事をしてしまった。こういう突拍子もない問いにはまだ慣れない。

「ユドラはどうやって使用しているの? 私が隠れている時に声が聞こえた。それは貴方よね? 声が似ているから。貴方はユドラを使ってこともなげに話し掛けた。それって普通ではないわ。ユドラは混沌の能力として消滅するのが望ましいとされている。ユドラは殆ど使えない筈だわ。他の者達もユドラが使えるの? 昨夜フォルとやってみたけれど全然駄目。受け取り辛いし、単語がやっと」

『……そうですね。皆が使えるのは貴女と同じ程度のユドラです。私だけに……私だけにこのような能力が身に付きました。詳しくは言えませんが、精神を集中させ――なんと言うか、狭間に漂うイメージを持ってその者の付近に意識を向けることによって相手のユドラに繋げることができます。貴女が伝えたいと思って発したユドラは、全て受け取れます』

 バドルはユドラで話しかけた。隣で息を呑む声が聞こえる。

 彼女の目には、両眼を閉じて俯いている姿が映っているだろう。体調と距離で鮮明さは変化するが、隣で話し掛けているのと変わりない程明瞭な声が届けられる。彼女はユドラを使って質問をした。

『凄い。他には何ができるの?』

 自分の能力について掘り下げられたことのないバドルにとって、難しい問いだった。深い集中を必要とするユドラをモントに断って止め、考えながらゆっくりと口で話した。

「ユドラを使用しながら意識を周辺に漂わせると、場所の状況が認識できます。ぼんやりとした視覚イメージが浮かび上がり、意識すると俯瞰、仰視など視点を変えられます。意識の転換によって道筋や相手の数、転送機の位置などの把握が可能です。リンクを繋げたままですとリアルタイムに状況を仲間に伝えることもできます。最も、全てを把握することはできません。限界があります。意識外のことは知り得ませんし、リンクを絶って遠方へ行った者を探し出すのは困難です」

「嘘でしょう……?」

 唖然とした声を出すモント。ファダーとしての価値観というより、驚くと否定の言葉を出すのは癖のようだった。受け入れる準備段階の否定。どことなくそう思えた。バドルは彼女が口を開くまで何も言わなかった。次に出たのも全く違った話題。

「貴方は両親を覚えているの?」

「ええ」

「両親の名は?」

(ヘテラ)はフェガリ、(ミテラ)はクラロです」

 モントは少し考える動作をした。

「フェガリ――昨日聞いた名だわ。前リーダーで、基地を手掛けた者ね。両親はどのような方だったの?」

(ヘテラ)は行動力があり、どのような境遇であろうと希望を捨てず、悲観的にならない方でした。不可能はないと言い、多くの改変を行いました。(ミテラ)も強い方で、リスクがありながらも私を産んでくれた勇気を持ち、逆境を乗り越える力を持っていました。(ヘテラ)の助手も行っていたそうです。彼等は自分より仲間を優先する方でした。私にとって掛け替えのない存在で……」

 バドルは先を続けるのを止めた。過去形を使っている自分が嫌だったのだ。モントは次の質問に切り替えた。

「ハイマート、かしら。――は何年前から存在しているの? 誰が作ったの?」

「……約100年前だと思います。どのように成立したかは聞いていません。逃げ延びた同類が集まり、協力し合った結果だと思います。(ヘテラ)の前はハガルという方がリーダーであったようです。私がほんの幼い頃に亡くなってしまったので、記憶はありませんが……。ヒラールさんがよく知ってみえると思います」

「100年間、此処を使用しているの?」

「いいえ。此処は知っている限りでは二番目です」

「元から設備は確立されているって、そういうことだったのね……」

 バドルは意味が掴めずに聞き返したが、モントは「独り言よ」と言って質問を進めた。

「――聞いていい? 両親はエクェスに? 最初の基地はなくなってしまったの?」

 遠慮がちであっても深く探ろうとする問いに、バドルは身を固くした。悲嘆に満ちた過去が甦る。欠陥を赦さぬ社会が引き起こした喪失。何年経っても語りたくはなかった。

「すみません。今は話したくありません」

 きっぱりと断ると、モントはそれ以上追求しようとはしなかった。代わりに彼女はこのような質問をした。

「そのような姿に生まれて……貴方は両親を恨んでいる?」

「まさか」

 バドルは愕然として首を横に振った。孤独を感じたり苦しいと思ったりしたことはあっても、決して恨んだことはなかった。そんなこと考えもしなかった。質問に淡い不快を覚えながら、バドルは言い切った。

「両親には感謝しています。私を産んでくれたのですから。例え他と異なる姿でも、そのような感情はありません。外観に囚われるな、私はそう教えられました」

「……そう、良かった」

 ほっとした表情をモントは浮かべた。そこでバドルは彼女の心情を察し、不愉快になった自分を恥じた。気を使ってバドルは言葉を付け足した。

「フォルも――貴女の息子も同じだと思います」

 モントは微笑し、礼を言った。再び長い沈黙が双方を取り巻く。去る様子はまだない。彼女は何かを考え込んでいるようであった。まだ聞くことがあるのだろうか。

 此方を注視し、彼女はこう言った。

「貴方達の目的を知りたい」

 バドルは言葉に窮した。ハイマート達の究極の目的。彼女は薄々感付いていることだろう。だが、自分には話す権利がないように思えた。やんわりとした断りの言葉を考えていると、ヘテルが横から口を挟んだ。

「放してあげて下さい。バドルは体調が優れないんです」

 口調は穏やかにも関わらず、その声は断固とした響きを持っており、少し苛立ちが含まれていたのをバドルは感じ取った。

「ごめんなさい。――色々話してくれて感謝しているわ。また聞かせて」

 そう言ってモントは立ち上がったが、まだ話し足りない様子であった。歩み去る彼女の背にバドルは声を掛けた。

「私達はただ、生き残りたいだけなのです」

 彼女は返事として背後の瞳を三回瞬かせ、息子のいる子供部屋へ入っていった。

 内心安堵の溜息を付き、バドルはヘテルに視線を移した。彼は苦々しげな表情を浮かべていた。(ヒィシ)が微かに揺れている。

「今が大事な時だと言うのに。こうなるのだったら俺も反対だったよ。彼女は思考が違いすぎる。計画の妨げになるようなら、切り捨てるべきだと思う」

 壁にもたれ掛かり、ヘテルはモントが居た場所へ目を細める。バドルは首を振って意見を述べた。

「――思考が異なるからこそ彼女は知ろうとしている。此処に適応しようとしています。私達は生れ付き此処にいます。彼女は一般者と同じ生活を暮らしながら、フォルが産まれて変化を選んだ。異なる者を排除するやり方は社会と変わらない。私は共生を望みます」

「俺だって受け入れたい。ただ問題なのは俺達にとってリスクがあると言うこと。必要ない詮索によって足並みが揃わなくなる。物事には優先順位がある。この調子だと害悪になって足を引っ張りかねないんだ」

「しばらく待てば彼女は馴染んでくれると思います。寄り添うまでに時間が掛かるだけなのです」

 ヘテルは口を開こうとして、ふと部屋の奥に視線を移した。

「リュヌは?」

 先程まで座っていた場所におらず、忽然といなくなっていた。メインルームから出たようだった。子供部屋にはモントがいるから恐らく入らないだろう。個室で休んでいるのかもしれないが、ヘテルは気になったみたいであった。彼は壁から背を離して広間を横切ろうとした。バドルも起立しようとしたが、手で制された。休んでいてと早口で言い、彼はリュヌがいたコンピュータへ進んでいった。モニターを一瞥し、各部屋を確認する。

 殆どの部屋を回りかけたところで、ルーナが淀みのない足取りで壁伝いに歩み寄ってきた。

「ヘテル? 先程スピラルが起動した音が聞こえたの」

「リュヌがいなくなったんだよ。どの部屋にもいない」

 双方の話を照らし合わせるとおのずと答えが出た。

「あの子、第二基地に行ったのかもしれないわ」

 第二基地は万が一此処が襲撃された場合の代用、非常用として造られたものだ。土台は20数年前から存在していたものの、17年前の混乱で計画が頓挫した。――この頃までは第三基地と呼ばれていた。混迷から落ち着くと彼等はフェガリの設計図を元にして制作を再開し、5年前に完成させた。

 面積こそ半分の広さで窮屈に感じるが、同様のコンピュータが設置されており、第一基地と同程度の仕事は行える。第一とは独立したデータバンクを使用していて、第一の情報が消失したとしても、此方は無傷でやり過ごせる。移行されたデータには強力なセキュリティがかけられており、何重ものパスワードを打ち込まなければ閲覧できない。パスを知っているのは限られた者だけで、必要なら全データを一瞬にして消滅させることもできる。

 リュヌはたまにメンテナンスやアップロードを行いに第二基地へ行く。敵のコンピュータに繋ぐ必要がない為、パスワードを入力する以外は、転移の際に複雑な操作はいらない。行こうと思えば誰でも行けるが、やはり安全性の為に転移の際は誰かに伝えることが義務化していたし、孤独を厭う彼等は必要以外に行こうとしなかった。バドルは完成披露と避難経路の確認の二度しか行ったことがなかった。

 リュヌが黙ったまま基地に行ったのなら、始めての出来事だった。ヘテルは手で顎を触り、ルーナの言葉に首肯した。

「そうかもしれないな。行ってみるよ」

「私も行くわ」

 彼は同じ部屋にいたユディウに第二基地へ行くことを伝え、ルーナと共にスピラルへ続く扉へ消えていった。耳を澄ましても装置の起動音はバドルに届かなかった。

 ユディウは身の回りの製品の点検を続けている。アステリがそこへ歩み寄って彼の助力を申し出た。バドルはそれに乗じて手伝おうかと考えたものの、諦めた。彼等も断るだろうし、此処で無理したら後まで響いてしまう。今は安静の時だった。特殊能力を持っているのは自分しかいない。仲間達の為にできることは、それしかないのだ。

 バドルは目を伏せ、顔を両手で覆った。皆と同じことができない。どうしても悔しさと一抹の寂しさを感じてしまう。

 急に頭が締め付けられるように痛み出し、吐気が込み上げてきた。両手が震え、視界が回転する。横になった方が楽かと考えたものの、頑なにじっとしていた方がましだろう。懸命に苦痛と闘いながら蹲っていると、やがて発作は収まった。深呼吸をして余韻を治そうとしている時、扉がスライドしてヘテルとルーナが戻ってきた。リュヌはいない。

 ヘテルが此方に近付いて来たので、問い掛けた。

「どうでしたか?」

「いたよ。向こうでコンピュータを触っていた」

 喋りながら隣の椅子に座り、彼は腰に手を当てる。

「俺達がスピラルを抜けた時、うわって聞こえた。急いで行ってみたら画面が一瞬ブラックアウトしていたんだ。直ぐに通常画面には戻ったけどさ。――最新データを入れて、過去のものを整理していたって。本当かな。メインコンピュータには繋いでないって言っていたけれど」

 (ヒィシ)の指を組んで顎に乗せ、ヘテルは思案げに言葉を紡ぐ。

「リュヌ、あいつがいるから此処にいたくなかったって言ったよ。ルーナと説得したから戻って来てはくれると思う。――俺達と異なる存在がどうしても許せられないんだろうな。仲間と一緒にいたい、役に立ちたいという気概が誰よりも強いから」

 扉からリュヌが姿を現した。不満が前面に表れた表情をしている。ユディウとアステリが手招きし、ルーナが笑顔で彼女を出迎えた。輪に加わるリュヌ。

 その様子を眺め、ヘテルは呟いた。

「リュヌがこんな状態だと。やはり出て行ってもらう方がいいと思う」

 身体の違い以上に埋められない深き溝。世界に引かれた境界線。

 子供部屋に通じる扉を、バドルはぼんやりと見た。



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