頼っていいから
春に入学したと思ったら、汗が止まらない季節……夏になってた。大学の教室は蒸し暑いけど、全学部が揃う大講堂だけは冷房が完璧。自分自身は特に親しい友人がまだいなく、自分から話しかけるような積極性は皆無だった。
周りを見回せば、どいつもこいつも友人か、男女の集まりがすでに出来ている。自分に関して言えば、初動で失敗したと言わざるを得ない。春に入学し、高校までと違っておなクラという概念は存在しない。
大学の場合は同じ学部の連中とつるむことが多い。違う学部の奴とは、部活かサークルかセミナーとか、とにかく違う場所で知り合うしかないというのが自分の先入観。
それがそもそもの失敗。人見知りも関係してたけど、誰かに話しかける行為そのものを面倒くさがった自分のせいであって、他人のせいじゃない。
広くて見渡しのいい講堂なんかは、ぼっちは割と目立つ方。後ろに座ればそういうこともないけど、後ろは大体がつるむ連中で固められているのがオチ。仕方なしというべきか、自分のようなぼっち……あるいは、講義の時に、誰かと話をしたりしたくないって人はわりかし前の方に座る。
さすがに自分は一番前には座らないけど、かなり前の方の席なのは確かだ。その自分よりも前に座る人のことを何故か気になり、講義そっちのけでチラチラと見ていたりする。
彼女のことが気になり出したのは、まさに前の席の人を観察し出した時のことだ。彼女は一人真面目にノートか、タブレットに講義の内容をメモしていた。果たして一年目の夏の手前で真面目に講義内容を書き写す人なんているのだろうか。
そう思っていたら、自分は席を一つずつ前に座るようになり、そして気付いたらその彼女の真後ろに移動していた。これはたぶん無意識の行動。周りだって別に怪しい行動をしているように見ていないし、そもそも興味の無い人間のことをいちいち気にもしないだろう。
誓って言うが、俺は彼女を追いかけ回していない。嫌がられてもいない。そもそもまだ、話しかけても居ないのだから。
「へぇ~真面目に書いてたんだな」
独り言のつもりが、彼女の斜め後ろに座っていたせいかバッチリ聞こえてしまった。
「……何ですか?」
「あ、いや、それって講義の内容だよね?」
「まぁ、そうですけど」
「真面目だなっていつも見てた」
「いつも?」
「いやっ、毎日とかじゃなくて講堂の時くらいで、別に俺はそんなつもりじゃ……」
「そうですか」
てっきり変な目で睨まれて、そのまま別の席に移動するかと思ったら、そのままだった。いきなり見ず知らずの奴から話しかけられて、しかも少しばかりバカにしたようなニュアンスだったにもかかわらず、彼女は何も言ってこなかった。
こうなると、どうにか彼女の心か何かをこじ開けたくなるのが俺の悪い癖。本音は寂しがり。だから、独り言がきっかけだったとはいえ、自分から話しかけたのをそのままで終わりにしたくなかった。
冷房がガンガンに効いている広い大講堂。だとしても、真夏は全体が涼しさを共有出来るわけでも無くて、好んで座る一番前の席はさほど涼しさを感じることが無かった。
それでも、そこには彼女がいて俺がいた。俺は彼女が座る席の斜め後ろに座ることが、ルーティンのようになっていた。どういうわけか彼女も特に気にせず、俺が話しかけて来ることもうざがったりしなかった。
もしかして俺のことが? なんて思うのは俺の勝手な妄想であり、彼女は相変わらず真面目だった。少なくとも、大講堂の講義の時というのは他学部も交じって受ける時でもある。たぶん、彼女は別の学部なのだろう。それ以前に自分の学部の連中すら話しかけたことの無い自分だ。どっちでも変わらないことでもある。
夏休み突入まであと一週間くらいになった頃、彼女は珍しく? いや、初めて他の女子と隣合わせで座り、楽しそうに話をしていた。それもどうやら留学生らしき人と。
これはさすがに近付いてはいけないよな。そう思って後ろの席を探していると、意外や意外。彼女の方から声をかけてきた。これには俺も心の中で飛び上がるしかなかった。
「志緒くん、こっち、座らない?」
「あ、うん。もちろん座るよ」
名前だけは教えていたからというのもあったけど、まさか呼ばれるとは思わなかった。相手は日本語の厄介な部分だけはよく聞かないと理解出来なかったらしく、そういう意味でも一緒にして嫌だと思うことは無かった。
「美也は、留学希望……? とか?」
「んーん、どうかな。ターニャの国には行ってみたいとは思うけどね。あ、この子、ロシアから来てるの」
「ターニャさん、こんにちは」
「ハイ、ドウモ」
なんだ、簡単な日本語を言えるんじゃないか。だとしたら、内心は穏やかになれないな。俺自身の気持ちを分かられる恐れがあるからだ。密かに想う美也のことを。
「志緒くんは夏休みは?」
「未定かな。そういう美也は?」
「……」
目を逸らしたように見えて、思わずもう一度聞き直した。気になる人の気になる仕草。こうなるともう、俺が解決してやりたいと思うようになっていた。
「や、何と言うかね……夏休みに入ったら休学しようかな、と」
「え」
耳を疑った。それと同時に、美也の表情を眺めてしまっていた。これには留学生のターニャさんもすぐに気付き、言われてしまった。
「志緒、美也がスキデスカ?」
「えっ? えーと、ど、どうでしょうかね」
「……」
「チガイマスカ?」
「えっと、えーと……はは」
俺だけが戸惑い、冷や汗を掻いているのに美也は変わらずに視線を落としたままだった。この際、ターニャさんにどう思われてもいい。そう思って俺は身を乗り出して、美也に告白とも取れる言葉をかけていた。
「あの、さ……俺が何をどう出来るかなんて言えないけど、美也は俺を頼っていいよ。てか、頼って欲しい。美也の頼みなら、俺が聞くから……だから、そんな、その……」
「あー……何か、気を遣わせたね。ごめん」
「いや、いいよ」
「んと、ありがと。でも、たぶん、私は……」
それ以上は聞けなかった。視線を落としたままの彼女を追い詰めるようなことは言えないし、頼れ頼れとしつこくするのも嫌だったから。でも、今思えばしつこくして嫌がられてでも、それでも深く突っ込んで聞いていれば、状況は変わっていたかもしれない、そう思えた。
夏休みに入り、休みの真ん中位に講習で出て来た時があった。その時、彼女はいなかった。本来、夏休み中に好き好んで大学に来ること自体が無いけど、俺はそれを選択していた。
夏休み前にあんなことを言っていた彼女だ。来てはいないだろうと思ってはいたけど、それでも少しは期待をしていた。話をしただけの仲であっても。そして密かに想っていた彼女だからこそだ。
「ごめん、ちょっと聞いていい?」
話したことも無い女子に、思い切って聞いてみた。その女子は美也とたまに一緒に歩いていた女子だったから、もしかしたらという期待があった。
「もしかして、美也のことですか?」
「あ、うん」
「美也は、その、休学しました。これって何というか、やめたって言ってもいいかもです……」
「そ、そうなんだ……そっか、ごめんね。ありがとう」
「い、いえ」
あぁ、そうか。やっぱり初動って大事なんだな。春からずっと気にして見かけて、真面目な女子がいるんだなではなくて、もっと早くに話しかけて仲良くなって、彼女のことをもっと知っていれば……なんて、たらればではあるけど、それでも俺には後悔だけが残った。
好きだった? いや、想っていた。想い始めていた。ずっと前の席で真面目に講義を受けていた美也。だけど、本当にそうだったのか? アレも彼女なりの誰かへのメッセージだったのかな。
フラれた訳でもない。だけど、想っていた人が来ない、来なくなった。やめてしまった。そんなに深く親しかったわけでもないのに、どうして俺はこんなにも涙を流しているんだろう。あぁ、切ないな。
俺のことを頼ってもらうどころか、それすらも叶わなかった。話をした彼女、美也を想いながら俺はまた誰かを想い、恋をすることがあるだろうか。好きだった、好きだったのに……俺を頼って欲しかったんだ。
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