プロローグ・始まりの日
朝、いつもと変わらない何気ない平和な日常が今日も始まるはずだった。
ーー『12月25日、朝のニュースです。昨日午後○×頃、埼玉県△×市の○○の交差点でで発生した無差別殺傷事件の続報です。被害者は軽傷7名、重傷18名、死者32名にも及び犯人は以前逃走中とのことです。近隣住民の方は外出する際は気を付けてください。
続いてのニュースです。一昨日発生したーー』
「うわー、マジかよ。これってうちの学校の近くじゃんか」
ここ、神城家のリビングで、テレビ前のソファに陣取り左手に持ったバターを塗った焼きたての食パンをもぐもぐも食べ、右手でテレビのリモコンを持ちポチポチとチャンネルを変えていた神城家長男の怜我は、あるチャンネルでやっていたニュースを見ると、嫌そうに口にした言葉とは裏腹ににこやかな表情でダイニングで行儀よく朝食をとっていた自分の姉である神城家長女、緋彩の方へと体を向けた。
「なあなあ姉貴、これって学校休みになるんじゃね?」
学校が休みになるかもという希望に目をキラキラとさせ緋彩に話しかける怜我だったが、緋彩はまるで何も聞こえていないかのようにもくもくと朝食の食パンにジャムを塗っていた。
怜我は少しムッとなるが、姉が返事を返さないのは珍しいことでは無いので気にせず別の要件を伝えることにした。
「前から頼んでたけどさ、今日発売のゲームの限定版、おひとり様1つまでだけどどうしても2つ手に入れたいから放課後付いてきてくれよな。」
「私....部活あるんだけど....。」
「1日くらいいーじゃん。どうせ姉貴以外誰も来ないんだし。」
「........まぁ....いいけど。」
「よっしゃ!じゃあ3時に駅で待ち合わせな!」
うきうきとはしゃいでいる怜我と、はーっと朝から大きなため息を吐きすでに疲れた様子の緋彩。
その2人の対象的な姿を見て緋彩の前で新聞を広げ優雅に紅茶を飲んでいた2人の父親である神城聖神はくすりと笑う。
「ふふっ、2人は仲良しですね。僕もお仕事がなければ一緒に行きたかったですよ。」
「............どう見たら仲が良さそうに見えるの?」
「父さん出張だもんな。今回は何処に行くんだ?」
「そうですね。大阪の方へ一週間程ですかね。今回も歌純さんが付いてきてくださるそうなので、すみませんが留守は任せますね。」
「またあのババア、父さんについて行くのかよ」
「誰がババアだって?」
ボソリと呟いた筈の怜我だったが、本人にバッチリと聞かれていたらしく、先程まで庭で洗濯物を干していた歌純の手に頭をガッチリと捕まれ、握力だけでギリギリと締めあげられる。
「いててててっ!!いってーよ!頭蓋骨破裂するわ!!」
「はっ!こんなか弱い乙女に締めあげられたくらいで破裂するわけねーだろ!」
「なーにが、か弱い乙女だ!ゴリラババアの間違いだろ。」
子供のように掴み合いの喧嘩を始める怜我と歌純。その様子を見て楽しそうにニコニコと眺める聖神。そしてそんな事など興味がないのかもくもくと食事を続ける緋彩。
それは至って平凡で平和な家庭の一コマだった。
*****
放課後、ゲームを買いに行く為に駅で緋彩を待っていた怜我だったが、なかなか来ない緋彩に焦れ始めていた。
そして、現在位置だけでも知っておこうと携帯を取り出した所で、前方からこの時期寒いにブレザーも着ずに寒さを全く感じさせない真顔で竹刀用バックを背負い、約束の時間をオーバーしているのにも関わらず全く焦った様子はなくゆったりとした足取りでこちらに向かってくる緋彩を見つけた。
「よぅ、姉貴遅かったな。てか何で上着てないんだ?」
「面倒な事に....また持っていかれたわ....。」
「あぁ、またか。なぁ、いい加減父さん達にその事言った方がいいじゃねえのか?」
「........それはそれで....色々あるじゃない。」
「まぁ、父さんは確実に怒り狂うだろうな。ババアは勝つまで家に入れねえって言うだろうけど。」
「........はぁ。」
とても面倒臭いとでも言うかのように深いため息を吐く緋彩。
実は現在、緋彩はクラスで物を隠される等のちょっとしたいじめを受けている。本人は、自業自得の所もある為あまり気にはしていないのだが、この事が両親にバレると確実に父親である普段は温厚な聖神はキレる。聖神は自身の愛する家族が傷付けられるのがどうしても許せないからだ。
その為、面倒臭いのもあるがあまり聖神に心配をかけたくない緋彩は怜我以外にこの事を伝えていないのだ。
因みに母親である歌純にまで黙っているのは心配をかけたくないとか言う理由ではなく、血気が盛んな歌純に言うと、勝つまで家に入れてくれない為である。
「そんなに面倒臭いんなら、いじめられないように話し掛けられたらちゃんと返事くらいしてやったらいいじゃねえか。」
「........中身のない会話になんて返事をしたらいいのよ、面倒臭い。」
「全く、面倒くさがりもここまで来たらいっそ清々しいな。もういいや、さっさとゲーム買いに行こうぜ。姉貴が来んの遅いからゲーム売り切れてたら姉貴いじめてる奴らボコってやる。」
「何それ....絶対にやめてよね。面倒臭い....。」
「だったらさっさと行こうぜ。マジでゲーム売り切れる。」
そう言うと緋彩の前に行き先導する怜我。緋彩は先程怜我が言ったことを本当にされたら面倒だと、ここに来る時のようなゆったりとした歩みではなく、急ぐために少し早歩きになっていた。
駅から地下に潜り、シャッターの目立つ通りを少し歩くと目的地であるゲーム店が見えてきた。
そこには既にかなりの人が並んでおり、これを見た怜我は少し焦っていた。
「うわー、もう結構並んでんじゃん。これ買えるのか?」
「買えるにしろ買えないにしろ並ばなきゃならないんでしょう........だったら早く並びましょう。」
「何だよ、姉貴が来んの遅かったのが悪いんだろ。」
「............。」
「ったくよー。」
当然のように無視する緋彩にブツブツと文句を言いながらも列の最後尾に並ぶ怜我と無言でその後にスッと並ぶ緋彩。
そしてそのままお互い特に話すこともなく数十分が立ち、怜我の目的のゲームが売り出され途中で売り切れることもなく無事に2つのゲームが手に入った。
「よっしゃー!!」
ゲームが1つずつ入った紙袋を2つ掲げ高らかに勝利の雄叫びをあげる怜我。その怜我の様子を横目で見る緋彩の表情はいつもの真顔ながら何処かホッとしているようにも見えた。
「じゃあ帰るか?それともちょっとどっか寄ってくか?」
「今日、夜お母さん達居ないから........。」
「ん?あぁ、晩飯の買い出しな。ここの近くにあるスーパーでいいよな?」
「うん........そこでいい。」
「りょーかい。じゃあこっちだ、すぐそこにだから。」
そう言って怜我が指さした先は先程まで緋彩達が並んでいたゲーム店の3つ先の小規模なスーパーだった。
店内はこじんまりとしており、客もほとんどおらず、店員もバイトなのかやる気のなさそうな若い男が1人レジに居るだけだった。
店内に入ると緋彩は真剣な表情で商品を色々と物色し、怜我はそんな姉の後ろを商品を入れるカートを押しながらうんざりといった雰囲気で付いていく。
「父さんとババア、今頃大阪でうまいものでも食ってるのかな....」
「............。」
「なぁ、今日の晩飯何にするんだ?」
「........肉じゃが。」
「お!マジで、やったー!!」
緋彩の口から自身の好きな食べ物が出てきたのを聞いた怜我は嬉しさのあまり、まるで子供のように声を上げて喜んだ。そんな弟の様子を見た緋彩はと言うと、フッと鼻で笑うと引き続き商品を物色して回った。
そんな時だった。
「ん?なぁ姉貴、なんか悲鳴見たいなの聞こえないか?」
「............ほんとだ。遠いけど........聞こえる。」
どこか遠くから聞こえてくる悲鳴のような声に怜我と緋彩は気付くとそれぞれ持っていた商品とカートをその場に置いて走って、この店唯一の入り口へと向かい、声が聞こえてくる方へ顔を向けると、こちらの方へ逃げる様に走って来る沢山の人が見えた。
「なんだあれ?」
「なんか皆........顔が強ばってる。」
そしてそのまま呆然とこちらに向かってくる人を見ていると、戦闘を走っていた男性がそちらを見ている緋彩と怜我に気付いたのか、焦ったように驚きの言葉を叫んだ。
「お、おい!そこのお前ら逃げろ!!ぞ、ゾンビが人を食ったんだ!!!」
「「....................は?」」
男性の言った言葉に思考がフリーズする緋彩と怜我。
そうしている間にこちらの方に向かって走ってきていた人達は通り過ぎていった。
「........ぞ、ゾンビ?」
「................。」
やっと頭が動き出した緋彩と怜我は顔を見合わせると先程の人達が逃げて来た方へと再び顔を向けた。
人が居なくなり、クリアになった2人の視界には足を引きずるようにこちらに歩いてくる何かが見えた。
その何かは顔は左半分が陥没しており、足も有り得ない方向へ向いているのにも関わらず引きずるようにして歩いていて、とても生きている人間のようではなかった。
その何かは残りの右半分についている目で緋彩と怜我を視界に捉えると嬉しそうに呻き声を上げて、足がまともで無いためスピードは無いが緋彩と怜我へ向かって走ってくる。
「........な、なんだあれ?」
「................。」
有り得ないものを見た怜我は思考がついて行かないのか、ゾンビがこちらへ迫って来るのにも関わらず固まって動けないでいた。
だが、緋彩は無言で背負っていた竹刀用バックの中から居合刀を取り出すと、嬉しそうに口を開けながら走ってくるゾンビにみずから向かっていき、鞘から刃は出さずに振りかぶってゾンビの首に叩き付けた。首に鞘の部分を叩き付けられたゾンビから、バキャッと何かが折れたような音が聞こえそのまま横へ吹っ飛んでいき、閉店した店のシャッターに突っ込むと動かなくなってしまった。
「は?へ?」
「.............私達も早く逃げましょう。」
「に、逃げるって何処に?」
「........取り敢えず....家に。」
手慣れた様子で腰に居合刀を帯刀した緋彩は未だに惚けてる怜我の頬を軽く叩くと逃げようと促す。
怜我も、まだこの状況に頭がついて行ってないが緋彩のいつもと変わらないようで、だが何処か鬼気迫る表情を見て回らない思考を無理に動かし取り敢えず一度家に帰ることにした。
「なあ、電車で帰るのか?」
怜我と緋彩の家はここから電車を使って30分の所にあったので、ここからどうやって帰るのか、今の自分の回らない頭では考えても無駄だと思い、この疑問を怜我は緋彩に聞いてみた。
「........走行中の車内でさっきのやつが出てきたら逃げ場がないわ。............歩くか....。」
そう言うと辺りをキョロキョロし出す緋彩。
「どうかしたのか?」
「........この辺に自転車屋とか....ない?」
「チャリで帰るのか?」
「それがいいと思う........。」
「だったらこっちだ。確か上にあった。」
そう言って緋彩の手を引き走り出そうとする怜我だったが、手を引いても緋彩は動かなかった。
「どうしたんだよ!」
「静かにしなさい。」
「は?」
「いいから。」
そう言われ、緋彩が何を考えているのかはわからないが大人しく静かにする怜我。
緋彩は耳を澄ましているが、怜我には特に何も聞こえず疑問に思うばかりだった。
「何か聞こえるのか?」
「............いいえ、何も聞こえないわ。........だからおかしい。」
「どういう事だ?」
「........この騒ぎが起きてから....まだ5分と経っていないわ。それなのに........ほかの人の声が聞こえない。」
「何だよ、そんなのもう逃げたんだろ。俺達も早く逃げようぜ。」
「................ええ、道案内お願い。」
何処か歯切れの悪い緋彩の様子に少し不安を覚える怜我だったが、取り敢えず走って帰るにしろ、自転車に乗って帰るにしろまずは地上に出なくてはいけない。
なので怜我と緋彩は、地上に上がるための階段に向かうのだった。