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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第七部 鴉の末裔
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五 フユの舞



【五 フユの舞】



***


父というものを、布癒は知らない。

生まれたときから、そういう存在はいなかった。

ただ。

知っていた。

『彼』が父親だと気づいたのは、この世に生を受けてから幾年も過ぎたころだろう。


幼きころより、夢をみた。

輝く金色の髪に、空色の瞳をもつ男の夢だ。

ひどく横暴で、けれどどこか健気な彼の姿をなぜか布癒はみていたのだ。

彼を、布癒はゆっくりと知っていく。


彼には前世の記憶があるらしい。

前世の彼は理の大罪を犯した――いや、犯すことを強要されたとでもいうのだろうか?

永久の命に似た、けれどひどく残酷な罪。

前世の記憶を否応なしに子孫へと受け継がなければならない、罰だ。

男は『鴉』に呪われたのだ。

呪いは脈々とつづいていく。

そして……

とてもゆったりとした夢の時間。

布癒は彼を父だと知った。

母が、彼とともに寄り添う姿をみたとき、ああ、これは夢などではなく『記憶』なのだと――己が受け継いだ呪いの記憶なのだと、知った。

だが、おかしい。

布癒は『布癒』という人格をもっている。

決してあの夢の男のように、己を『成彰』か『師実』かと葛藤し思い悩む苦しみもない。


ああ、父さま――

あなたはわたしを、護ってくれたのですか?


呪いは、形を変えたのだ。

鴉の屋敷、”マヨナカさま”という存在の力を父は利用したのだろうか?

ともかく呪いは『前世の記憶』としてではなく、『記憶を夢みる』ことへと変わっているようだ。

そこまで気づいたとき、ふいに夢のなかで布癒は己を自覚した。

今までは物語の世界をのぞきこむようなみかたであったのに対し、己を自覚し認識した途端、布癒は夢のなかで自分の身体を手に入れた。

そして、状況を知る。


そうか。

父はわたしを鳥籠に閉じ込めたのだ。

そうして呪いから守り、世界をと遮断したのだ。


ああ、けれど。

もうあなたが苦しむ姿は見たくない。

この呪いが枷というならば、わたしはそれを解き放ちたい。


母に、父の話をせがむ。

そのたびに、解放の願いは募っていった。



そうして、日々夢に父をみながら過ごしていたころ――那都という男と出逢った。

すぐに感じた。

彼が、父に――父のもっていた『記憶の男』に呪いをかけた張本人であると。

いや、ちがう。

張本人の『魂の断片』である、と。

すぐに布癒は嫌悪した。

だが、同時に惹かれた。

なぜだ。

この人は父の仇ではないのか。

いや、そもそも最初に悪事を働いたのは師実という記憶の男だ。

けれど彼だって人間で、権力に近づいたがために欲望に呑まれた哀れな男に過ぎない。


――結局。

だれが悪いのだとか、どうすればいいのだとか、わかるわけもなく。

布癒は惹かれるままに、己の名を名乗っていた。


彼の瞳が色づくたびに、どくりと感情が蠢く。

一等に大事にしたい愛しい想いと、ひどく落ち着かない憤然たる激情とか交互に、同時に、布癒を支配する。



数日が、一瞬のごとく過ぎ去ったあと――



布癒は現在、鴉の屋敷と呼ばれるものの前にいた。

ひしひしと肌に感じるのは、歪な空気。

そして那都が対峙する奇妙な男の雰囲気。

布癒の前には那都がいて、彼の横には深水がいつでも飛び出せるように構えている。

そして対峙する男――黒髪の、一見柔そうに見える青年の背後には、那都と対照的で、けれどそっくりな少女。

すぐに彼女が彼の妹であると気づく。

真っ黒い髪に瞳をした少女は、とても冷めた雰囲気で、どこか己と似ていると布癒は思う。

けれど彼女を冷めている雰囲気だと感じたのは、彼女の表情が乏しいところで、内に秘めている感情は那都のように激しいのかもしれない。

自分だって、那都に会ってはじめて震える心を知ったのだ。

やはりこの男は、那都という男はおもしろい、と布癒は思う。


さて、対峙する青年――名を暗紫と名乗った男は、とても友好的な物言いと表情である。

一方那都は威嚇し、すぐにでも襲いかからんばかりの形相で、刀の柄に手をかけて警戒を解こうとはしない。

触発された従者深水もそれに倣い、場は険悪な気配に満ち満ちていた。

案内役としてやってきた鴉天狗の紅蓮は呆れたようにため息をつき、早々に屋敷の烏と見物を決め込み木の上から見下ろすばかりだ。


那都の妹・羽瑠と思しき少女は、そんな兄たちには目もくれずにこちらを――つまりは布癒を凝視していた。

眼が離せなくなった、といったほうが正しいのかもしれない。

だから布癒もそちらに目を向け――はてさてどうしたものかと、思案する。



鴉の屋敷と呼ばれる敷地。

その敷居を跨いだ途端に感じた歪な空間に、顔をしかめたのもつかの間。

「――羽瑠?」

そう、弱々しい声がしたかと思えば、前を行く那都が駆け出していた。

あわてた深水とともに追えば、黒い立派な屋敷のまえにふたつの人影があった。

そのときにはすでに那都は暗紫と名乗った青年をにらみつけていた。

きっと、彼は妹がなぜここにいるのか訝っているのだろう。

そして大切だから、妹が心配だからこそ、目の前の青年を警戒し、にらんでいるのだ。


「はやかったね。きっと君たちも来ると、思っていたんだよ」


とても穏やかにそう告げた暗紫に、警戒する気持ちもわかる。

けれど。

那都という男なれば、飄々とやり過ごすことも可能ではないか。

取り乱し、今にも切りかからんと緊張の糸を張り巡らせるのは、羽瑠という妹の存在故。


「妬いてしまいそう……」


ふとつぶやいた声は、だれにも聞き取れないだろうほどか細くて。

そんな自分に苦笑して、布癒は改めて息をついた。



緊張の糸が張りつめるなか、困ったように首を傾げる暗紫という男は、ふと、脇にいる少女に声をかけた。

「どうやら、なにか――誤解を、しているみたいだよ」

声をかけられ、はっと我に返ったのだろう、布癒から視線をそらし羽瑠はぱちくりと目をまたたいて男を見返してから、やがてゆっくりとまなざしを兄へと向けた。

ぱちくり、とまたまばたく。

「那都、兄……」

「羽瑠、どうしてここに……?」

呼ばれ、いささか冷静さを取り戻したのか、居住まいを直し、那都は問いかけた。

視線を妹へやったものの、神経はいまだ暗紫に向け、威嚇しつつ。


布癒は軽く苦笑をもらすと、そっと那都の肩に触れた。


「怒りを鎮めて。話を、聞かなくちゃ――」

ふわり、と父親譲りのきれいな瞳と、母親譲りの蠱惑的な表情を総動員させて、布癒は那都に笑みを見せた。

「お話、聞いたでしょう?」


烏天狗から聞いた話を思い出すよう促せば、那都はバツが悪そうに目を背けたが、幾分落ち着いたらしい。

と、突如呑気な声がした。


「で、えーと、久しぶり?」


空気が再び凍る。

すっとぼけた顔で空気を読まない、否、読めない男・薬丸は、羽瑠に向けてあげた手をそっと下ろす。

先ほどまでの緊迫した空気に耐えきれなかったのだろうが、龍楼がため息をつきたくなるのも仕方のない話である。

最初からいたのにいたたまれない空気のなか、息をひそめていたのだろう。

ようやく周囲に己の存在を認識させることができたようであるが、如何せん、空気の読めなさは人一倍だ。



しかし凍った空気をものともせず、屋敷の主・暗紫はにこやかに一笑して溶かした。


「そう、どうやら話は聞いたんだね?ありがとう、紅蓮」


頭上に向けて暗紫が言えば、フン、と照れ隠しの鼻息が聞こえてくる。

くすくす笑いつつ、彼はつづけた。


「じゃあ、さっそくはじめようか……」



マヨナカさまという存在は、魔世という少女により生まれたが、それを大きくしたのはヒトの憎しみだ。

人間の恨み辛み憎しみを喰いものにして莫大な力を蓄えこんでいたのだ。


それを現在封じているのが、屋敷の主である暗紫。

彼は言う。

この封印された力をつかい、鴉の王のかけた呪いを解こう、と。

すでに彼の憎しみはなく、連鎖は必要ないのだから。


だから。


「その媒体は――ぼくだからね」



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