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「まだつかないのか」
『ええい、煩い人間だ。そなたらが遅いのではないか』
那都の何度目かもかわらぬ問いかけに、いよいよ呆れはじめた烏天狗。
深水も深く、ため息をこぼした。
那都がこんなことをいうのも、ひとえに布癒という女のためであることは明らかだ。
女の足での山歩きは容易ではない。
男の足でさえ辛いことも多々あるのに、女の脚というものは華奢であるし、着物も歩きやすいとは到底思えない。
ただえさえ深窓の姫君を思わせる容姿をしている布癒のことだから、きっとすぐに歩き疲れるだろうと那都も深水も考えていた。
しかし、そんな男たちの予想を裏切り、彼女は弱音ひとつはかずに足を進めている。
ただえさえ、烏天狗の案内は横暴で、己は木々の枝から枝へひょいひょいと、とても人間の歩ける道ではない道なき道をゆくものだから、ついていくこちらはたまったものではない。
女でなくともぼやきたくなるのは、至極当たり前のことである。
けれど、先頭を行く那都ができるだけ歩ける道をつくって進んでくれるおかげで、随分楽である。
本当は深水が先陣にたって主の歩きやすいように枝を切ったりして道をつくっていくつもりだったのだが、那都の命令で彼は最後尾を歩いていた。
これも布癒がひとり遅れないための気づかいなのだろう。
一度、布癒の息が切れはじめたころ、那都が「おぶさってやろうか」と申し出たのだが、当の彼女は首を振ってきっぱりと「平気です」と言うばかりで、それ以上ものを言えなくなった那都はときたまチラりと後方を見やり気にしつつ進むしかなかった。
だから八つ当たりのように、すこし進んでは「まだか」とぼやいた。
どれくらい経っただろう。
延々とつづく木々の道を進むうちに、時間の感覚もおぼろげになったころ。
ふいに、烏天狗が動きをやめた。
「どうかしたか?」
『-―人間の気配だ』
途端、鋭い空気に様変わりしたなかで、耳をすます。
たしかに、声が聞こえた。
「……こども、か?」
じっと気配を押し殺すようにしてとどまる一行。
と、紅蓮が顔をあげ、ニヤリと笑みをつくった。
『-―器だ』
器?
何事かと尋ねる暇なく、その人の気配はがさごそと草木をかき分け、姿を現した。
「――ったく、のれぇんだから!こっちでいいんだよな……って!ぎゃーっ!」
……現した、かと思うと、突然大きな悲鳴を上げて飛びのいた。
その人物が悲鳴をあげたのは、なにも烏天狗を見たからではない。
那都を見て、だ。
そして那都のほうも、その人物を見て目を見開く。
「おまえは――薬師んトコの……薬ま」
「イモリだ!」
条件反射のように、現れた人物、もとい薬丸は声を張り上げた。
数年前――那都の屋敷にやってきた薬師の親とそのこどものひとり、薬丸。
以前より幾分背が伸びたが、どちらかといえばがっしりとした体躯をしており、拳でものを言わせそうである。
長く肩まで伸ばした髪は、昔同様橙色の組紐で結い、茶色の三段重ねの箱を背負い、腰には黒い紐で小瓶をくくりつけている。むき出しの手足は相変わらず包帯が巻かれ放題であった。
「ちょっと、はやいってば――」
続いて叢からひょっこり姿を現したのは、数年前には那都と時を同じくして高熱に倒れた、薬丸の双子の――龍楼である。
こちらはひょろりとすべて縦に伸びており、どちらかといえば貧弱そうである。
縹色の組紐で髪を高い位置で結い、こちらも昔と同じく筆記用具と和紙を入れているであろう灰色の背嚢を背負っていた。
その人も悲鳴をあげはしないものの、那都を見るなりびしりと固まった。
やがて訪れた奇妙な沈黙を破ったのは、那都であった。
「久しいな、龍楼、薬丸」
「だからぁ!イモリだってぶふっ」
「これは北の皇子、那都さま。久方ぶりでございます。深水殿も、お元気そうで」
那都の声掛けに、やはり条件反射よろしく口走った薬丸の口を塞いで――というよりも顔面を片手で覆い隠して――龍楼は格式ばった礼をとる。
薬師のこどもであるこの双子は、兄が薬師を目指し、そして妹が建築の道を目指していた。
そう、この双子の片割れである龍楼は、実の性別は女であった。
初対面のころから今も変わっていないが、彼女は男の格好をしている。
というのも、建築を得意とする女子がすくなく、必然的に男のなかでもまれるうちにこれが彼女の定番となっていた。
そもそも、昔から双子として兄と同じ格好をしたがるこどもであったゆえ、男の格好をすることに苦労もなにもなかった。
今でも羽瑠は彼女を男だと勘違いしている節があるくらいだ。
そして彼女こそ――かつて両親たちが好き勝手に決めた許嫁であった。
もちろん、ふたりの間に甘い関係は皆無であり、互いに一線を引いた、友とも呼べぬ、けれど切れぬ絆があった。
数年前、建築の勉強をするために全国を回ると言って、ともに薬の勉強をするために全国を巡るという薬丸とともに国を出ていたから、会うのは本当に久々である。
それこそ、数年来の再会であった。
「相変わらず、おまえたちは仲が良いんだな」
「まあなっ!俺たちは昔っから――」
「いいえそんなことはございませんよ、気持ち悪い」
薬丸が答えるのを遮り、龍楼はきっぱりと言い切る。
兄ががっくりと肩を落とすのを無視して、彼女はつづけた。
「して、那都さま……そちらの方は……」
「ああ、これは――」
それからは互いの自己紹介がはじまる。
龍楼は自分たちがなぜか気がつけばこの山のなかをさ迷っていたのだと述べた。
やはり薬丸は己の紹介になると両の手を広げ大袈裟なまでに演説したのだが、烏天狗・紅蓮の登場にあえなく撃沈。
むしろ、彼をきらきらしたまなざしで見つめる始末で、しばらくすれば布癒も彼の扱いに慣れてきたようであった。
『それで?そなたらの目的はなんだ、器よ』
一通りしたところで、唐突に紅蓮が口を切った。
「器ぁ?」
「あなたなら、わかっているはずでしょう?」
薬丸はぽかんと口をあけ、龍楼のほうはキッと視線を鋭くさせて問う。
『ほほう、その通りさ。で、器よ。協力するなら、助力してやるが、どうする』
薬丸の問いは、無視された。
挑戦的な紅蓮のまなざしに、一瞬龍楼はひるんだが、ぐっと拳を握って見つめ返した。
「わたしは、那都さまの命に従います」
『……だ、そうだが?』
淡い銀鼠色の髪の毛が、風にさらさらと揺れている。
木の枝に下駄を引っかけ奇妙な安定を保ちつつ、烏天狗はにんまりと嗤った。
「……布癒は、どう思う?」
「そうですね」
まっすぐな那都からのまなざしに、賢明な彼女は柔らかい微笑を浮かべて口を切る。
ひどく上品で儚げなまま、こてりと小首を傾げて。
「『器』というものの意味をお教えくだされば、よいと思いますわ」
――昔話をしよう。
烏天狗は、ゆっくりと語りはじめた。
かつて、とある少年が鴉から伝えられ聞いた、その物語。
それよりもっと詳しい、物語の結末……
魔世という少女。
杜彦という少年。
呉蓮という名の『ヌシ』の守り人。
そして、マヨナカさま――
呉蓮は杜彦の魂を媒体とし、魔世の魂をふたつに切り裂いた。
清い魂は半分になった杜彦の魂とともに天界へ昇って“ある童子の魂”へ封じられ、闇の魂は“マヨナカさま”としてその土地へ封印された。
『“ある童子”は現在の屋敷の主のこと』
力を失った少女の身体はさ迷うように村を出てゆき――毒つくりの祖先となる。
それが廻り巡り、加世という毒づくりの一族の最後の生き残りとなった。
そして、彼女の血を引く者が――件の双子である。
『魔世という女の血は、身体に宿る微弱な魂とも呼べる代物だ。その血は代を追うごとに薄まっていった』
しかし鴉の王の魂を媒体として、身体の血を受け継いだ魂が目覚めた。
つまり。
鴉の王の魂の欠片に影響され、器が力を得た、ということ。
双子であるが故に、母体でともに感化しあったということ。
「えっと……つまり、なんだ?よくわかんねぇ……」
ひどいしかめっ面で頭を抱えるのは薬丸だ。
薬学のことになるとだれもが舌を巻くほどの知識をもっているのに、それ以外はからっきしダメなところが、この男のおかしな部分である。
烏天狗が思わず空を仰いでため息を飲み込むほど、だ。
はーっ、と深く深く息を吐いて自身を落ち着かせたあとで、龍楼が静かに教えた。
「だからね、わたしが『鴉の王の魂の欠片をもつ者』で、あんたが『魔世という少女の血肉という魂を目覚めさせた者』ってこと」
「……要するに……?」
「……要するに、あなたも、あなたの妹君も、わたしたちと行動を共にするべき、ということですわ」
だれだこりゃ、と本気で呆れる那都と深水、それから殺気をにじませる紅蓮と龍楼に代わり、静かな声で、しかしはっきりと布癒が告げる。
薬丸はふむ、としばし考え――たような素振りをみせた――あとで、にっこりと笑って大きく頷いた。
「よし、わかったっよ。俺たちも、あんたらと行こう!」
「……苦労するな」
「まあ、慣れました……よ」
「那都さまより、大変そうですね」
『こんな人間はじめてだ』
「要は結論だけを述べればいいのよ」
それぞれが、それぞれの感想を述べるなか、なぜか布癒はにこにことして、自分を荒らげることなく薬丸の扱いを習得したのであった。
とにもかくにも――こうして、双子を加えた一行は、鴉の屋敷を目指して進む……
そこに待ち受ける、終焉のために。
『ああ、見えたぞ』
相変わらず、愉快そうに目を細めて、人間ではないその生き物は声をあげた。
山奥に聳え立つ、うつくしいその屋敷は――
「あれが、鴉の屋敷……」
だれがともなくつぶやいたそれは。
「――羽瑠?」
那都の声を、空へと吸い上げた……。
★おさらい★
◎鴉の王(いわゆる喜助)の魂の欠片をもつ
→那都、龍楼
◎魔世の血をひく(加世のこども)
→龍楼、薬丸
◎呉蓮(つまりは呉)の血をひく
→紅蓮
◎成彰のこども(なので、喜助の呪いを継いでしまった)
→布癒
…という、なんだかややこしいような感じです。
わかりにくかったらすみません。
急いで書き上げたので、回収し忘れた伏線とかないか…心配です←
ちなみに、もうお気づきかもしれませんが、
紅蓮は呉と黄祈の子なので烏天狗。で、名前にも色を入れたり、響きを同じにしたり。
加世の旦那さんは翠冷。瞳の色とか、声の特徴とか、こどもに引き継がれているのです…^^
加世がサソリ、翠冷がトカゲという異名をもっていたりするとことかも。。
ついでに、お忘れの方もいるかもしれませんが、喜助の少年時代は建築が大好きだった設定なので、龍楼に引き継ぎました。
彼女は最初、ホントに男の子のつもりでした…笑
そしてこの一行のなかでガチでおまけな従者深水くん。笑
彼は高安の息子ですね。
長々とすみません、久しぶりのあとがきを書けて楽しかったです。
もうちょっとつづきます。
よろしくお願いします。