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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第七部 鴉の末裔
86/100

一 鳥籠少女―ナツの陣―




おぼろげな魂が


あなたへと たどりつけるよう


蛍火ホタルビ






【一 鳥籠少女―ナツの陣―】



***


「ナ、ツ、さ、ま!」

わざと言葉を区切って声をあげ、従者は主を恨めしげに見やった。

けれど当のご主人は淡々と「なんだ」と返す。

顔には喜々とした色さえ浮かんでいた。

途端に従者は悟る――この男は本気なのだ!

「だ、だめですよ!なに考えてんですか!馬鹿ですか!」

顔を真っ青にしてぐいぐい腕を引く従者に、那都はとうとう顔をしかめた。

「止めてくれるな深水。男にはやらねばならぬことがあるんだ」

「いえいえ那都さま!この深水、皇子が犯罪の道へゆくのは断固反対でございます!引き止めるのは当たり前!いや、むしろ殴ってでもお止めしましょう!」

歯ぁ食いしばってくださいね、いいですかーと拳を握った深水。

那都はケラケラしながら内心大慌てでそれを阻止した。

「犯罪なんかしねぇって。ちょっとのぞくだけだ」

「だからそれがダメなんですってぇ!」

むしろ泣きそうな勢いの従者である。




我が儘主は今にはじまったことではない。

こっそり城を抜け出し、皇子という立場ながらも自由に動き回れるのは王である彼の父親の理解があるからだ。

しかし常に自分に仕事――主に那都のお守りという――が回ってくるというのはいただけないと深水は思うものの、すでに慣れてしまったから怖いものだ。

今回もそうだ。

なにやら噂を聞き付けた那都が「ちょっと近場を散策しに行こう」と言い出し、連れ出された結果『ちょっと』とは言い難い国境付近にまでやってきた始末。

しかもその噂というのが、『人里離れた土地にいる乙女』というもの。

森と呼ぶには小さい林を隔てた場所に一軒家があり、そこにきれいな娘が住んでいるというのだ。

最寄の村人に話を聞けば、なんでも数年前に元遊女がその土地を買い取りひっそりと暮らしているという。

ここでやめればいいものを、主は「じゃあ顔くらい拝んでいくか」と言い出す始末。

別にいい。

遊女を相手にしたくなるのも男ながらの好奇心なのかもしれない。

だれにだってきれいな女を抱いてみたいという思いはあるだろう。

深水だってとやかく言いはしない――我が主以外には。

もし、もし那都にその気がなくとも、相手がその気になったら?

研いた手くだで誘惑されたら?

皇子とばれて付け込まれたら……?

ぶるりと震える。

皇子の従者として、なんとしても色恋沙汰の面倒事は避けたかった。



ちょっとだけ、もうすこしだけ、とどんどん言い募り、冒険好きかつ好奇心旺盛な若者は、ついに娘の住まう屋敷へたどりついてしまった。

従者不覚の極みと嘆くが、主はまったく気にしていない。

「驚いたなァ」

しげしげと屋敷を見渡し、首をのばして那都は言う。

広い敷地だった。

建物自体はきらびやかではないのに、杉の木でできた屋敷はうつくしく品性に富んでいる。

黒塗りの瓦屋根、竹でできた塀、磨かれた敷石に、こじんまりした庭には上品な花が咲いている。

ふむ、と那都は唸り、なにを思ったのか裏口へ回り出す。

あわてて深水はあとを追う。

ここまでくればあきらめるしかない。

「若さまなんですからね、あなたは。一国の王族なんですからね、自覚あります?」

「ない」

きっぱりと言い切る男に、深水は目眩がした。

張り倒して連れ帰ろうか、などと物騒なことを考えている彼に、那都がささやく。

「でも気になるだろ。こんな人里離れた場所に女ひとり。それも屋敷ときた」

ふつう、ひとりじゃ住まねえよなぁ、と不敵に笑んだ男。

その眼がぎらりと赤く光り、深水は一瞬身じろぎした。

主が興奮したりするとその瞳に赤いきらめきが走るのを知っている。

しかしいつ見ても、ぎくりとさせられることまちがいなし、なのだ。


「那都さま~」

「ほら、はやく来い」


突然だが、那都は深水を気に入っている。

彼はやるときには父親譲りの冷静沈着さを惜しみなく発揮するのだが、常には口煩く注意しながらも結局一緒になって那都の希望を叶えてくれる。

その希望が害のないものであると知っているから。

あまいのではなく、見極めがうまいのだ。

従者にしておくにはもったいないほど有能で、那都はついつい彼を試したくなるのだが。

そんな彼らは今日も今日とて、今回も常時と変わらず那都の我が儘を遂行する。

裏口は茂みの先から早々に発見された。

屋敷はだれもいないかのごとく静かで、やや不気味さをかもし出している。

「なんつー近寄り難い雰囲気……」

「それなのに嬉々として近づくあなたにがっかりですよ」

那都のどうしようもない独り言に律儀に突っ込みつつ、深水もあとを追う。

まるで獲物をまえにした肉食獣のごとく目を爛々と光らせ進む主を見つめる様は、ある意味達観していた。


やがてひらけた場所に出る。

どうやら庭のようで、縁側が見えた。

人の気配はない。

「ほほう、これは趣深い」

ニヤリと那都は八重歯を見せて笑う。

たしかに屋敷の住人の感性は優れているらしい。

きれいな岩に置かれ、そこから小石が道をつくるように並べられている。

草木を両手に構えた路には清水が流れ、まるでちょっとした川のようだ。

咲いている花色は強すぎず淡めに統一されており、屋敷の縁側からながめる風景は実にすばらしそうだ。

小さな庭は小さな世界を演出していた。

しばし見入っていたふたりだが、やがて深水がそろそろ潮時だと主の肩をたたく。

しかし。

那都は目を見開いてほうけていた。

なんだ、と怪訝に思いつつ彼の視線を追い、そして深水も気づいた。

縁側に、ひとりの少女が現れたのを。


まず、目を引いたのはその髪色だ。

黒ではない、うつくしい鋼のまじったような金色。

ほっそりした青白い肌は雪のように溶けてしまいそうなくらいなめらかだ。

薄紅色の唇が艶やかにさえ映る。

淡い白の着物からのぞく手足も見とれるほど白い。

帯は対照的に赤く、妖艶でいて無垢な、そんな矛盾のうつくしさを見せている。

那都はしばし彼女の横顔から目が離せなくなった。

きりりとした眼だとわかる。

柔らかさとは無縁な、厳しい、されど冷たいうつくしい冬を思わせる顔だ。

なぜか胸がぐっと苦しくなる。

思わず顔を歪めた。

彼女の顔立ちはうつくしい。

うつくしいから見とれた。


けれど……。


那都は、気づく。

自分は、うつくしいと思う前に苦しくなったのだ。

彼女の容姿ではなく、存在に引き付けられたのだ。

この胸の違和感は、なんだ。

憎しみのような悲しみのような、懐かしい、それは。

ここから離れよう、と理由もなく後退りしたそのとき、ついつい彼らしくもない失態をおかす。

はっきりといえば――こけたのだ。

当然音がするわけで、気配を消すことすらかなわないわけで、屋敷の娘に見つかるのも至極当たり前のことであった。

深水はぎょっとしたあとすぐさま蒼白になったが、那都はといえば痛みに呻き、そのままこちらに顔を向けた娘と目をあわせる。



「何者です」

表情を厳しいものにして娘は言った。

声には一切のあまえを許さない響きがある。

まなざしには強い拒絶と孤高の意志がきらめいている。

那都はしばし、まるで為政者……それも覇者の道をゆく人間と対峙しているような、そんな奇妙な感覚に陥った。

「……おれは那都……ちょっと噂を聞いてやってきたんだ」

「抱ける女ならだれでもいいと?」

ぴくりと娘のきれいな眉が動いて皮肉的な笑みを浮かべた。

那都は彼女がなにを言い出したのかわからず、怪訝に顔を歪めたが、それを肯定と受け取ったのだろう、娘が嫌悪の色を瞳にありありとのせていた。

「汚らわしいそなたたちがこの屋敷へ足を踏み入れることは赦さぬ。即刻立ち去れ」

なんと高飛車な物言いか。

呆気にとられ言い放つ娘を見つめていた那都だが、しかし次の言葉でさっと顔色を変える。

「その魂を近づけてくれるな……わたしは、絶対に受け入れない……!」

意味がわからない、はずだった。

脈絡のない言葉に、おかしな娘だと笑ってやればいいだけだ。

だが……。


「貴様……!」


那都は言いようのない、激しい怒りに苛まれる。



素直に受け取ればいい。

己が罪を認めたならば、赦しを受け入れればよい。

それなのに、この魂を受け継ぐ者はなんと頑固なことか……!



そんな、よく考えれば自分でもわけのわからない怒りが込み上げてきて、那都は顔をしかめた。

眼に、赤い光が帯びる。

「那都さま!」

ハッと我にかえったとき、那都の右手は娘の首へ伸びていた。

はた、と動きをやめ、那都は自身の手と少女の顔を困ったように見比べた。

自分がなにをしようとしたのか、よくわからなかった。

無意識だったのだ。

女はしばし沈黙していたが、ぼそりと声を落とす。

「……いっそ殺してくれればいいのに。鳥籠から出して、自由に――」

目を奪われる。

なぜか、惹かれた。

「おい、それはどういう――」

――意味だ、と尋ねようと声をあげたところで、深水があわててさえぎる。

「ちょっと険悪な雰囲気はやめてくださいよ。それからえっと、お嬢さん?俺たちは別に変な『噂』目当てにきたわけじゃないんですよっ」

眉間にしわを寄せ怪訝な顔をした那都に、深水は「元遊女が土地を買ったって聞いたでしょ?」とこそりと耳打つ。

そこでようやく合点がいった。

目の前の女は、どうやら那都たちが女を抱くために屋敷へきたのだと勘違いしたのだ、と。

ふん、とそっぽをむく女に、那都は肩をすくめつつ声をかける。

「……ひとりで暮らしているのか」

一瞬こちらに目を向けたが、女は再びそっぽを向いて無言を貫き通す。

那都はチッ、と舌打ちし、「帰るぞ」と深水に声をかけ踵をかえした。

どうもいけすかない。

不愉快だ。

けれど――


「母さんと、ふたりよ」


背に女の声がかかった。

はじかれたようにふり返った那都に、女はすこしだけ困ったような顔でこちらを見ていた。

「名前は?」

「――布癒フユ

反射的に問うと、向こうも反射的に答えた。


不愉快だ、けれど、なぜか心惹かれる。

腹立たしいほど狂おしいのに、なぜか。


無意識のうちに口の角が引きあがり、満たされたような錯覚がうまれた。



これが、ナツとフユの出逢い。




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