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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第六部 鴉の少年
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******




『……き』


――呼んでいる。


『……ぁ……き』


――ああ、だれが。




『あき』




――きすけ。






暗闇に、迎えがきた。

光がひとつ、あたたかな光がひとつ、ふりそそぐ。

少女はこのあたたかさを知っていた。

だいすきなぬくもりなのだ。

――やっと会えた。

だから、彼女はめいっぱいその光を抱きしめた――。




姫が目をあけて、いちばんはじめに見たものは、漆黒の涙に濡れた瞳であった。

なにが起こったのか、状況もつかめず、けれどそのあたたかさに安堵して、抱きしめる腕に力を込めた。

『姫……』

喜助が、少女を抱きしめていた。

腕にかかえ、病人を労るように、赤子をあやすように、彼女の顔をのぞきこむ。

周りはやはり、闇だ。

だが、あたたかな闇だ。

感覚でそれは察知できたものの、まだ完全に身体に力は入らず、彼女はどこかぼんやりとしていた。

辺りをながめる。

闇のなかにはなにもない。

あとは喜助が自分を抱いているだけだ。


――マヨナカさまは?


姫はゆれる視界に、異変を捕らえた。

「き……すけ……」

いやだ、と思った。

理解したくなかった。

「いや……ひとりにしないで……」

姫の声は震えている。

力なく伸ばした指を、彼の頬に触れさせた。

喜助は――闇に呑まれつつあったのだ。

身体のところどころが、黒く変色し、まるで蝕むかのようにわさわさとうごめいて闇が侵食していく。

顔の皮膚が剥がれ落ちた箇所は黒い闇で、彼の存在自体を飲み込もうとしているようだ。

それが怖かった。

喜助が闇に喰われてしまうことが。

喜助はそっと自身の手を彼女の伸ばされた手に重ね、軽く口づける。

『姫……お別れなんだ……』

「いや……どうして?喜助はわたしの兄でしょう?」


――たったひとつの、大事な、家族でしょう?


すがるように紡ぐ言葉も、闇をとめる効果にはならない。

「ずっと一緒でしょう?喜助は不死身なはずでしょう?!」

黒い瞳は静かにゆれる。

『ああ……けれど、もう鴉の力はない――オレは今、ただのニンゲンよりも脆い存在だ』

喜助は容赦なかった。



いつだってそうだ。

彼はあまえることを許さない。

妹に緩いようでその実、真実に対してはどこまでも厳しかった。

自分はニンゲンであると、さらわれてきた童子なのだと――喜助の本当の≪きょうだい≫にはなれぬのだと知ったときですら、彼はあまい嘘は言わなかった。

けれどやさしい真実を口にしてくれた。

『それでも、姫はオレサマの妹だ』

――と。



ぽとり、と一粒の雫が、喜助の瞳から姫の頬にこぼれた。

『もう終わったんだ……だから姫――おまえに本当の名をかえそう』

握られた手が熱くなる。

姫は歪む視界がうっとうしく、彼を引き止めることができない自分が憎かった。

認めたくなかった。

「いらない!わたしは姫だ!鴉の姫だ!喜助の妹……それで充分だ!」

涙が次から次へとこぼれてくる。

胸が熱く苦しくてたまらない。


ああ、これが感情か――涙とは、なんとうつくしいのだろうと、姫は場違いにも思った。

最後に泣いたのはいつだったろう。

喜助の涙など、それこそはじめてだ。


本当に彼はもう、鴉ではなくなったのだ。


『姫……』

喜助の声が響く。

腹にわずかなぬくもりが宿る。

彼は彼女を抱きしめ、ささやいた。

『おれ――生まれ変わったら、姫の子になりたいな』


姫の、命の繋がりになりたいな。



「喜助――」

目を見開く。

黒い瞳が黒い瞳を捕らえた。


彼の身体はもうすでに、半分以上が闇に喰われていた。


「きすけぇ」

だいすきだ。

一緒にいたい。

今まで、そばにいてくれた存在。

『姫、おまえの黒髪、好きだったよ』

フ、と目を細め、彼はバラバラな長さになった彼女の髪に触れる。

目をとじ、喜助がさっと手を闇に絡ませ伸ばすと、ややあって姫の髪が元のうつくしい長さになった。

『俺のことを、忘れないで』

視界が潤む。

もう、なにも言えない。

言葉が出てこない。

姫は、彼の在る身体にすがりつく。

それでも、時は残酷で。

彼の存在の大きさに、胸からせりあがる感情があった。



兄は、にっこりと満面の笑みで告げる――



『今までありがとう、鴉姫アキ





風が吹き抜けた。

伸ばした腕は空を切る。


闇はひと呑みで彼を喰ってしまったのだ。

そして同時に、悪意と狂気に満ち満ちていた闇の気配は消え去り、ただあたたかく、やさしい闇ばかりが残った。

なにかが弾けるように飛び、ぶわりと勢いをもった風が弱まり、穏やかだと錯覚するほどの心地よい気配に満たされる。

すべては一瞬のうちに終わったのだ。


彼が名をかえした、そのときに。





「……喜助……ありがとう……」


つぶやいた声は、届くだろうか。

だいすきな彼に、届いただろうか。


鴉の姫は――鴉姫はひとつ涙を流し、唇を噛みしめた。



闇が、やさしく、少女を包み込んでいた。

慈しむように、愛おしむように。

まるで、鴉の羽のように。








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