第二章 暗闇
【第二章 暗闇】
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ぼくは知ってる。
喜助ってヒトのこと。
加世の弟の空弥と一緒に護然僧侶のところに預けられていたとき、会ったんだ。
ぼくはそこで獅子のような髪をした男の人を見た。
あまりにも珍しい髪色だったから、きっと喜助も思わず追いかけてきたんじゃないかな。
だけど喜助は、ぼくを見るなり追いかけるのをやめてしまった。
信じられない、そんな様子でこちらに手を伸ばしてきた男のヒトを見て、ぼくは不思議な感覚に陥った。
なぜか、ずっとまえから知っていたような……そんな感じがしたんだ。
空弥は彼のことを「お兄」と呼んでいて、とてもうれしそうに笑った。
だからぼくもつられて笑ったら、喜助はびっくりしたみたいだった。
喜助ってヒトは、不思議な感じだった。
人間みたいなのに、どこか触れてはいけない神秘な雰囲気があって……
とても残忍なようで、とてもやさしい笑みを浮かべていて。
ぼくは戸惑ったけれど、それ以上に彼は困惑しているみたいだった。
真っ黒い髪に瞳。
そしてややあってからニカッと笑った姿は愛嬌があった。
口からのぞく八重歯を見て、それがさらに警戒を解くにはふさわしいんじゃないかと、頭の隅で思った。
『小僧』
その男の人は、ぼくをそう呼んでガシガシと頭を撫でる。
見上げれば、不思議な雰囲気を纏っていた彼は、その黒い瞳をじっとこちらへ向けてきた。
「……あなたの名前は?」
なにか言わねばならぬ気がして口走るように尋ねると、男の人はさらに深く笑う。
『――喜助』
きすけ。
口のなかでつぶやき、舌の上でその名を転がす。
喜助……そうか。
ぼくに呪いをかけたのはこの人だったんだ。
それが解ったけれど、恐くはない。
逆になんだか、ほっこりとした気分になってしまうからおかしなものだ。
それから獅子を追うことを断念した喜助は、空弥とぼくを護然僧侶のもとまで送ってくれた。
それから数日、ぼくらは喜助と過ごした。
彼はいつもニカッと笑ってとりとめのない空弥の話を聞いていたけれど、決して自分からなにか話そうとはしなかった。
それから――ぼくに触れようとしなかった。
まるであのときの獅子みたいだ。
金色のきれいな髪をした獅子のような男の人も、ぼくに手を伸ばしては触れることに躊躇っていた気がする。
まるで喜助もぼくを壊れもののように扱うから、ついつい焦れて文句を口にした。
すると彼は一瞬驚いたように目をぱちくりし、だけれどすぐに軽く笑って言った。
その笑みはいつも見せるニカッとしたものとはちがっていて、なんだか変な感じがしたのだけれど。
『オレサマは、貴様に罪悪感があるのさ』
喜助は遠くを見るような目でぼくに顔を向けた。
その黒い瞳にぼくは映っていない。
『……罪の意識が強すぎて、貴様を汚してしまいそうになる……あの娘のように、壊してしまうんじゃないかと、怖くなる……』
ぼんやりと言葉を落とす喜助は、なんだか危うい雰囲気をはらんでいた。
それによく、わからない。
喜助はなにを言っているんだろう?
だからぼくはまた口走るように言葉を発したんだ。
特になにか考えたわけではなく、言葉が勝手に口をついて出たのだ。
「その娘って……喜助の大切な人なの?」
黒い……どこまでも深い闇のような喜助の瞳が、大きく見開かれる。
ぴりり、と周りの空気が変化した。
『……貴様は……ぼんやりしているただの子供ではないのだな……つくづく――』
――おまえたちはオモシロイ。
喜助はそう言うや否や、ニッと口角を引き上げて立ち上がる。
びっくりする間もなく、そのまま頭をガシガシ撫でられた。
『オレサマは目を背けちゃいけねぇんだな……姫のそばにいてやらねぇと』
最後のほうはつぶやきに等しかった。
ねぇ喜助?
その“姫”っていうのが、喜助の大切な人?
――そう問いかける隙も与えず、彼はさっさと歩き出す。
どうしたものかとあわてて立ち上がるけれど、喜助は拒むように再度振り返り笑った。
『ついてくるんじゃネェぞ。オレサマは、オレサマの在るべき場所に帰るんだ』
そうしてぼくがなにか口にする前に、さっと黒い鳥に姿を変えて飛び立ってしまった。
最後に、『貴様には赦してもらえねぇだろうがな』という言葉を残して。
もし。
もしもう一度喜助に会えたなら、ぼくは言ってやりたいことがある。
許すも許さないも、喜助が決めることじゃないんだ。
それにもし、喜助がぼくに悪いことをして、そしてそれを反省して謝ってくれるなら――ぼくはそれを許してあげよう。
ぼくだって幼皇だもの。
寛大な心を持たなくちゃ。
いつもぼんやりしていた。
それは外からの刺激に極力反応しないため。
いつもビクビクしていた。
それは内側の自分がとてつもなく怖かったから。
ぼくは、“ぼく”のなかに、なにかがいるのを知っていた。
だからね喜助。
そんなに自分を責めなくていいんだ。
もし喜助が罪の意識に苛まれているなら、それはお門違いというものだ。
だってぼくは知っているから。
ぼくのなかの“なにか”は、ぼくがここへ――鴉の屋敷へくることを、たいそう喜んでいるのだから。
「……きすけ」
やさしく、呼びかける。
暗い暗い暗闇で、ひとりうなだれる姿が痛々しい。
今や姿を変えたその“モノ”を抱きかかえ、泣くことすら赦されずにいる彼の姿が悲しいんだ。
大丈夫。
後悔なんかしないで。
ぼくはちっとも怒っていないし、恨んでいないんだから。
ぼくは怖くなんてない。
ぼくは拒絶なんかしない。
たとえぼくが、マヨナカさまの“封じ”となり、この身を捧げることになったとしても。
大丈夫。
大丈夫。
だってこれがぼくの使命。
だってこれが、ぼくが生まれてきた理由なんだから。