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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第六部 鴉の少年
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******




たとえこの地を追放されようと。

たとえこの先苦しみしかなくとも。

たとえ神から裏切られたとしても。


彼はそれを絶望と思うことはないだろう――決して。


不敵ともとれる笑みを浮かべて、呉蓮は自身の羽織っている着物に指を滑らせる。

いつでもさらりといい肌触りの、決して汚れることのない着物。

錆びることのない、刀。

そして皺を増やしては年をとることのない、老いない身体……。

どれほどこうして過ごしてきたのか、時間の感覚が彼にははっきりとわからなかった。

呆けていれば、すぐにでも杜彦はその命を枯らしてしまいそうだ、と思う。

自分と彼の時間はちがう。

自分にとって一瞬の出来事であったとしても、杜彦にとっては長い年月になってしまうのだから。

呉蓮はふいに、自嘲的な笑みをもらした。

――決して人間になど揺さぶられることなどないと、信じて疑わなかった。

そんな自分が今、たったひとりの少年のために禁忌を犯そうとしている。

これは恋とか、友情だとか、そんなものではないとわかっていた。

ただ、目が離せない。

そしてこのまま、ただ時間ばかりを過ごすことに飽き飽きしてきたのもまた事実。

だったらいっそ、かき回してやろう。

そして、自分のお気に入りの人間を救うことは、どれほど快楽的なのだろう――?

呉蓮は今、いつになく満たされた気分であった。




烏たちが守っているもの、そして自分が今まで護っていたもの……それがなんなのか、呉蓮自身計りかねるのも事実。

神とはなにか?

力か?

力であることは確かだ。

確かに自分はその力の意志を護ってきたのだから。


いつか杜彦は言った。

『人を不幸にする神なんて、神じゃない』

呉蓮は汚れない純粋な瞳でそう言った少年を思い出し、含み笑う。

彼には決して言えないが、『人を不幸にする神などいない』というのは人間の傲慢なものだ。

神と人間が崇めるのは、人にとって都合のいいものばかりだ。

畏怖の念を抱いて奉るのは、人が勝手に決めたものばかりだ。

人は人間にとって善いものを神だと崇め、強大な力を恐れて神とする。


神とはなにか?

力か?

では力とはなにか?

力をもった人間ははたして神か?

アヤカシか神かそれとも……



「化け物、か」



半ば自嘲的に笑い、呉蓮は立ち上がる。

烏たちは自分を疎んでいた。

けれどそれは『力があるから』ばかりが理由ではない。

呉蓮は頼りないほどに人間に肩入れしていたのだ。

生贄もなるたけ邪心を持った人間を選ぶよう仕向けていたし、なにより烏たちが心底きらう『あの子』を逃がそうとしていたから。

烏たちは呉蓮を疎んでいたし、きらっていた。

けれどなかには、それと同じくらい好意を持っていた烏もいたのだ。


「鴉の王よ……いずれこの地は変わってゆくだろう……おまえたちにもそれが悟ることができたなら」

『約束通り、人間を知ってやろう』

呉蓮のつぶやきに、どこからともなく飛んできた大きな黒い両翼を広げた烏。

その烏はひどくしわがれた声で応じると、ひとつカァ、と鳴いた。



おもしろい――呉蓮はついと笑うと、その言葉を飲み込む。

力より自分はもっとも頼りなく、不確かなものを選ぶのだ。

なんと浅はかで愚かで、甘美な選択だろう。


このとき、彼は気づいていなかったのだ。

神の力にも匹敵するものがあることを。

目にも見えない、不確かなものは、たしかに大きな力を秘めていた。









魔世に「逃げよう」と伝えたとき、彼女はなんとも言い難い表情を浮かべた。

予想もしていなかった反応に杜彦が戸惑うと、少女はチラとごまかすように笑う。

「ありがとう。でも、無理よ。神さまに逆らうことなんてできないわ」

杜彦の腕をやんわりと拒絶し、彼女はふるふると頭を振る。

「逃げちゃいけなかったのよ。それはズルイもの」

「生きたいと思うことがズルイはずないだろう?どうしたんだよ!」

せっかく呉蓮にも協力してもらえるのに。

杜彦はぐっと奥歯を噛みしめ、なおも食い下がる。

「おれが助けるよ。絶対助ける。生きようよ……」

「悲観しないで、平気よ」

魔世は柔らかい笑みを浮かべて、杜彦のうなだれる顔をのぞき込んだ。

「わたしは神さまの一部になるの。そうして、ずっとこの土地にいるのよ……呉蓮さんに、守ってもらいながら」

最後のほうは、声が震えていた。


悲しみに?

恐怖に?

いや――喜びに。


愕然として、杜彦はしばらく顔をあげることができなかった。

おそらく、今、彼女の顔は晴れやかで、幸せに満ちていることだろう。

ああ、どうしたって彼女は自分なんかよりあいつを選ぶのだ。

それが悔しくてたまらない。

自分はいったいなんなのだ。

なんのために恋敵に願ってまで彼女を救おうとしたのか?

なら、もういい。

彼女が望むなら、いっそ神の生贄となってしまえばいい。

そうすれば呉蓮は神を裏切ることもなく、魔世は永久に恋い慕う者のそばにいることができるのだ。

ただ悲しむのは、自分だけ……嘆くのは自分だけなのだ。

杜彦はガタガタと震え出す足をなんとか踏ん張り、ひとつ呼吸する。


「おれ、ここを離れるよ」


声は冷たく震えていて、自分のものではないみたいだった。

「……杜彦?」

「ちがう場所で生きていくんだ――呉蓮兄も、一緒に」

まっすぐに彼女を見つめる。

不思議そうに見開かれていた眼は、今や驚愕に染まっている。

ずるいことだってわかってる。

けれど――。

「呉蓮兄から誘ってくれたんだ。一緒に、別の場所で生きていくんだ」

杜彦は唇を噛みしめた。

そして思わず目を背ける。

自分が仕掛けたとはいえ、少女の顔が苦悶に歪んだところなど、見たくはなかったから。

「……知ってたわ」

「え」

白く冷たい指が自分の頬をなでた。

びっくりして顔をあげると、いつの間にか近づいていた魔世の顔がそばにあり、杜彦はあからさまに顔を赤くする。

少女はうろたえる少年に構わず、彼の頬に指を滑らせながら、再度口をひらいた。

「なにもかも、わかってた。わたしには不思議な力があって、だから呉蓮さんはわたしをいやがるだろうってことも」

杜彦の顔をそっと包むように、彼女は手を広げる。

「わたしは知ってた。あなたの気持ちも、最初からすべて……だから教えてあげる」

そのまま少女の腕は少年の首に回された。

「わたしには魅力があるの。不思議な……人間ではないものを惹きつける力が。わたしはヌシさまたちを惑わす存在なのよ」

魔世は一瞬、苦しそうに顔を歪めたが、すぐににっこりとして杜彦の顔ににじり寄る。


そう、彼女には不思議な力があった。

力が開花すれば、いずれヌシさまを惹きつけ狂わせ、烏たちを支配することも叶わず、村は崩壊するだろう――彼女がそう告げられたのは、十歳のころだった。

呉蓮は言った。

そうすればおまえは死なねばならない。

だから、死にたくないなら力が開花する前に村を出ろ、と。

しかし魔世は村を出なかった。

呉蓮と離れたくなどなかった。

彼ほど美味そうなアヤカシはそうそういまい……。


魔世には欲があった。

いつか呉蓮をものにして、いっそヌシを狂わせて、力をいただいてしまいたい。

そうだ、屋敷の主になろう。

烏たちを従えて、人間どもを遣ってやろう。

貧しい暮らしなんてしないですむ。

我慢なんかいらない。

自分の世界をつくりたい!


だから……≪麗しき神々の使者≫という名ばかりの生贄に決まったとき、焦りを覚えた。

まだだ。

力が開花するにはもうしばらくかかる……。

そうだ、あいつを使おう!

自分に惚れている、杜彦を使って生きながらえよう。



「……だからおまえも」

魔世はケタケタと笑いながら、そっと少年の顔をのぞき込む。

「わたしの一部となれ」


――そうして、呉蓮を、呉蓮の力を取り込もう!



まずい――杜彦がぞわりとし、あわてたときにはすでに遅かった。

桃色の艶やかな唇が迫り、動くことなどできなかった。

逃げようと伸ばした腕は無残にも少女にとらえられ、唇をふさがれた。

杜彦は混沌とする意識のなかで、声を聴いた気がした。

必死で自分の名を呼ぶ、やさしい声を。

それがだれのものなのか、はっきりとはわからない。

呉蓮か魔世か自分自身か……。


ただ、ただ、涙が出て。

杜彦は意識を手放した。







鴉の子・第六部・第一章を、

【苦悩】→【由縁】に変更しました。



お久しぶりです。

本当に長々と凍結状態、すみませんでした!

これからはちょくちょく更新できるだろうと思われます。

どうぞ最後までお付き合いくださるよう、よろしくお願いいたします。



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