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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第六部 鴉の少年
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******



「わたしね、呉蓮さんが好きなの」


そう言われたのは、いつだったろう。

そのときにはすでに、彼女に心を奪われていた。





呉蓮が杜彦のもとへ帰ってきたのは、翌日の真夜中のことだった。

杜彦がいつになく神妙な面持ちで彼をじっと待っているのに対し、呉蓮はいつものようにゆったりとした足取りで、顔には笑みさえ浮かべていた。

「まだ起きていたのか」

「寝ていられるかよ」

フンと鼻をならし、じろりとにらむ杜彦をよそに、呉蓮はふっと笑うと、縁側の隣に腰掛ける。

「……今からわたしがすることは、禁忌だ」

唐突だった。

なにかと思えば、呉蓮は笑みを消し去り、いやに生真面目な様子でこちらを見つめてくる。

やや気おくれしたものの、杜彦はごくりと生唾を飲み込むと、静かに頷いた。

呉蓮はそれを確認し、またいつもの柔らかな表情に戻ると、そっと異色の眼を細め、静かに口をひらく。

「わたしが話すことは、絶対に他言してはならぬこと。さすればわたしはこの命を枯らし、おまえや村人たちの身体を八つ裂きにし、消し去らねばならない……言っていることがわかるか?」

鳥肌がたつ。

ああ、本当にこの人物はただものではないのだと改めて知り、杜彦はわずかに身震いした。

だが、引き下がるつもりはさらさらない。

自分には、大事なものがある。

なにを犠牲にしたって、守りたいものがあるのだから。

「わかった。呉蓮兄の言うことは、掟にそむくことなのだろう?」

少年がキッとした目つきでそう言うの聞くと、彼は満足そうに口の端をあげて、こっくりと頷く。

「ああ。わたしが話すことは、禁忌。そしてこれを今から耳にするおまえも、また掟破り――命の保証はない」

「それでもいい」

それでも、魔世さえ守れれば――。

杜彦は小さく手を握り、力を込めた。

この決意だけは、揺らがないと、自信がある。

呉蓮はどこか楽しそうに声をあげると、遠くを見つめながら、そっと話し出した。




その土地には、その土地の神様がいる。

昔から、そうだった。

ただ、それを神と呼びはじめたのは人間で、もともとは『ヌシ』と彼らは呼んでいたんだ。

命というものは、様々なものに与えられている『時間』だ。

無限ではない。

いつしか、朽ちてしまうし、けれど、その有限を延ばしていくことは罪ではないと、彼らは思っていた。

土地にも命がある。

『ヌシ』の命が尽きれば、その土地も死んでゆく。

人間がこの土地で生活していこうと決めたとき、『ヌシ』は気づかなかった。

自然の生き物の感覚はゆるやかで、いつも気づくのが遅いから、たとえ人間たちが彼らを傷つけていたとしても、それに気がついて怒り出すのはだいぶ後になってからだ。

それに彼らは根が優しく慈悲深いから、なかなか怒りはしないのだろう――ただ、一度その怒りを発すれば、人間などひとたまりもないのだが。

人間が『ヌシ』に気づいたときも、『ヌシ』は人間には気づいていなかった。

ただ、彼らには守り人がいて、守り人は人間をどう扱おうかと頭をひねっているところだった。

駆除すべきか、共存すべきか。

それは大いなる問題であった。

ただ、人間たちは『ヌシ』を『ウジ』と呼んで祀った。

そうして『ヌシ』を敬う人間を見た守り人は、人間を生かし、共存させてやることに決めた。

――それがそもそも、間違いだったのだ。

調子にのった人間どもは『ヌシ』の生命イノチを削り、とうとう滅ぼしてしまった。

『ヌシ』の怒りは深く、人間たちが後悔したとて、とうていおさまるはずもない。

人々は『ヌシ』に――『ウジガミ』に生贄をささげることで、怒りを緩和しようと試みたのだった。

強力な怒りの力ばかりとなり、本体をなくし、滅んだ『ヌシ』のその怒りだけは生きつづける……それを緩和するため、人間は彼らのなかから生贄をささげる。


そうやって今まで、つづいてきた。

そして、それを見守るのは、守人――希少な能力チカラを持った、イキモノだ。





それが、呉蓮。

『ヌシ』の守り人のひとりである。



「だから、生贄は絶対だ」

呉蓮は生真面目な顔で言う。

震えだす少年に構わずに、つづける。

「そして生贄を選ぶのは、人間じゃない――守人だ」

杜彦は息を殺す。

呼吸の仕方など、忘れてしまったように。


つまり、魔世を選んだのは、呉蓮だというのか?

彼女の命を差し出せと命じたのは、この目の前にいる男なのか……?

杜彦はハッとひとつ息を吐いて、なんとか自分を落ち着かせようと試みる。

怒りか、虚しさか、なにかわからない感情に呑み込まれそうで、自分が恐ろしかった。

そんな少年を、異形の守り人は感情のない目で見ている。

そしてやがて静かに、そっと口をひらいた。

「……たしかに、わたしは守り人だ。『ヌシ』さま亡き今、この土地でいちばん不思議な力を秘めているのは、人間が脅威と考えるのは、守り人という存在……だが」

いったん言葉を切り、じっと杜彦を見つめる目に力を込めて、呉蓮は言った。

「守り人はわたしだけではない」

杜彦は浅い呼吸を繰り返し、静かに頭のなかに彼の言葉を反芻させる。

そうでもしないと、理解が追い付かない。

落ち着け、と何度も自身に言い聞かせ、そうしてやっとのことで、言葉を紡ぐ。

「では……他にはだれがいるというんだ」

呉蓮の眼は、冷たい。

というよりも、どんな感情を彼が抱いているのか測りかねる。

それでも彼の口元だけは、ひっそりと笑みに歪んでいた。

「――カラスたち」




山の烏たちが守り人であるなど、信じられようか?

しかし、実際に呉蓮には不思議な力があるわけだし、その呉蓮の住まうところには烏たちが群がっている。

その光景を思い出し、杜彦は静かに震えた。


山の御堂、その裏庭、細い木の枝、そこには黒い花――烏が集う。


ぞっとした。

では、あの黒い鳥たちは、不思議な力を持ち、そうして何気ないそぶりで自分たちを観察していたのだろうか?

「いいのかよ。あの烏たちに、おれたちの会話は筒抜けだろう?」

恐怖を押し殺したせいか、幾分怒ったような声音になってしまったが、呉蓮は構わずに、軽く笑って応えた。

「構わん。奴らはわたしよりも力がない――だから日々、わたしに不満を抱いている」

「なんだって?」

呉蓮は唐突だ。

杜彦は彼の銀色の瞳を見つめながら、いったいこの男はなにを考えているのかと頭をひねった。

異形の少年は、目をとじて、また静かに口をひらく。

「……もし、わたしがおまえを助ければ――それはおのずと、魔世の命を救うということになるのだろうが――掟を破ることになる。絶対の条件を破ることになる。『ヌシ』さまの意向を断ったとされ、わたしは守り人の座を奪われるだろう」

目を見開き、淡々と語る少年を見つめ、杜彦はどんな顔をすればいいのかわからなかった。

まさか、自分のためにそこまでしてくれるというのだろうか?

「そうしたら、呉蓮兄は死ぬのか?力を失って……」

「いや、死にはしないよ。ただ、この土地での力を剥奪されるから、もうこの土地にはいられない……ただ、そうなると」

呉蓮の目が細まる。

軽く笑っているのに、なぜか言いにくそうに一回息を吐く。

それを見て、杜彦は彼が言わんとしていることがわかる気がした。

「そうなると――魔世は、わたしについてくるだろうな」


そんなの、わかってる。


「ああ」

杜彦はぶっきらぼうに言葉を落とす。



だれにも渡したくはない。

けれど彼女は、自分を求めることはない。

いつもいつも、その大きな力を求めている。



「それでもおまえは、魔世を助けたいというのか?」

「助けたい」

少年の答えは即答であった。

それだけは、揺るぎがなかったから。

ただ。

「でも、それでは呉蓮兄が損している。なんの得にもならないじゃないか」

ちょっと眉根を寄せ、そう心配する少年に、呉蓮はにやりと口元をあげた。

「幸い、おまえは魔世のことを好いている」

なにをいきなり言いだすのだろう。

杜彦は怪訝な顔をして、彼を見つめる。

「そして、幸か不幸か、魔世はわたしを求めている……」

「なにが言いたいんだ」

呉蓮がわからない。

自分が魔世に好かれていると気づきながら、彼は彼女をきらいだと言いきった。

なぜかは知らないが、まったく不可思議なことである。

呉蓮はにっこりと笑うと、おもしろそうに声をたてた。


「では、おまえもわたしについてくればいい」







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