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今回から、過去話編。
どうぞ、お楽しみくだされば幸いです。
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「魔世ー!」
赤い頬に、黒髪がよく似あう少女だった。
彼女は顔をあげて声の主を認めると、作業をしていた手をとめて、満面の笑みをもらした。
「杜彦!久しぶりじゃない!」
ぶんぶん腕を振り、彼女は走ってくる少年に声をかけた。
杜彦と呼ばれた少年も、にこにこしながら手を振り返す。
「今年は豊作、そうだろう?な?呉蓮兄が言った通りだ!」
「本当に、呉蓮さんはすごい力を持っているのね。尊敬しちゃう」
杜彦は、少女の持っていた木の実いっぱいの網かごを受け取り、歩き出す。
少女もその隣をゆっくりと歩いた。
「それにしても、どういう風の吹きまわし?いつもは御堂で待っているじゃない」
「いいんだ。今日は吉報があるから」
「吉報?」
きょとんと小首をかしげる少女に満足し、杜彦はにっこりと笑った。
「ああ!≪麗しき神々の使者≫に、おまえが選ばれたんだ!」
よかったな、と思いっきり笑いながら、杜彦はぽんぽんと彼女の肩をたたく。
≪麗しき神々の使者≫は、この国一帯でいちばん力のある人間が、神々に仕えにいくもので、何十年かに一度行われる催し物のひとつであった。
選ばれた人間は神に仕えるという大役を仰せつかるため、他の人間とはなかなか会えないという。
「まあ、めったに会えないのは残念だけど。でもおれなら、魔世のいるところに忍び込んでいってやるよ」
鼻をこすって照れを隠し、彼はさらにつづけた。
「きっと明日には、長老が来ると思うよ。だから先に伝えておこうと――魔世?」
ぎょっとして、杜彦は少女を凝視する。
見れば、彼女は喜びに笑みを浮かべるわけではなく、逆に真っ青になって震えていたのだ。
あまりのあり様に、杜彦はおどおどとして足をとめる。
「どうした?緊張することはないんだぞ?なんたって選ばれて――」
「杜彦は」
彼の言葉をさえぎり、彼女は言った。
「≪麗しき神々の使者≫の結末を、知っているの?」
そのまなざしはあまりに鋭く、冷たく、恐怖に揺れていた。
杜彦は動揺を隠すこともできず、びっくりして少女を見つめる。
「みんなそう……すばらしい役に選ばれたって。洗脳されているのよ。≪麗しき神々の使者≫には、後、永遠に会えなくなるというのに」
「まさか!」
ありえない、という気持ちを込め、非難がましく杜彦は魔世を見た。
しかし、少女の目にはうっすらと涙がたまっており、とても嘘を言っているようには思えない。
杜彦は震えだす手を押さえながら、奥歯を噛みしめ、唸るように声を落とした。
「それじゃあ、生贄ってことなのか?尊い存在であると言われている≪麗しき神々の使者≫は、生贄なのか?!魔世は――生贄に選ばれたって、そういうことなのか?」
こくこくと頷いて、少女は杜彦の袖をぎゅっとつかむと、倒れ込むようにしてよりかかった。
「呉蓮さんが言ってた……三年前のことよ。なぜわたしに教えてくれたのかわからなかったけれど。でも、今ならわかる――紅蓮さんは、わたしが使者に選ばれるって、知っていたのよ」
少女の肩を抱き、強く握る。
なぜ、なぜ、どうして、彼女が――。
あきらめていた。
だから、せめて彼女の幸せを願おうと決めていた。
なのに。
杜彦はさらに力を込めて彼女を抱きしめ、つぶやいた。
「渡さないよ。だれにも――神にだって」
山の御堂の裏庭には、細く長く伸びた木があった。
ときどき烏たちがやってきて、その細い枝にとまり、まるで黒い花を咲かせたような光景をつくるのは、すこし奇怪で不気味だった。
夏に近づいてきた季節。
風にもあたたかみが出て、すこしむわっとした気配を漂わせている。
呉蓮ははだけた利久色着物から片方の肩をむき出しにさらし、見るからに乱れた服装でぼんやりとその木をながめていた。
あぐらをかいたまま、ふっと短く息をはくと、ぐんと伸びをする。
今年も豊作。
きっと人々は神に感謝の意を示し、≪麗しき神々の使者≫を送ることだろう。
その蔑むべき行事を嫌いながらも、呉蓮は否定することができなかった。
突然、風が揺れた――彼はそれを感じ取り、ふっと目を細め、腰にさしている紅蓮の鞘に手をかける。
しかし、やがて笑みを浮かべると、そっと鞘から手を離して、ゆるく声をたてて笑った。
「なんだ、おまえか」
「呉蓮兄……」
草陰から現れたのは、十六ほどの少年だった。
あきらかに呉蓮よりも年上か、同い年くらいに見えるのに、彼は呉蓮を『兄』と呼ぶ。
血はつながっているわけでもない。
ただ、呉蓮はこの国で『敬われるべき存在』なのだ。
「≪麗しき神々の使者≫に、魔世が選ばれた」
少年は――杜彦はつぶやくように言う。
「ああ、知っているよ。三年前から、知ってた」
呉蓮は相変わらず笑みを浮かべながら――しかし、眼は冷たい光を帯びて――言う。
十五くらいに見えても、やはり彼はちがうのだ……杜彦は改めてそれをひしひしと感じ、怖気づくまえに言ってしまおうと、再び口をひらいた。
「なんで、魔世なんだよ。魔世は、どうなるんだ!」
「知ってどうする。どうにもできないのに」
「おまえが!」
カッと頭にきて、杜彦は少年の胸倉につかみかかった。
宝石のような、不気味でうつくしい銀色の瞳をにらみつけ、杜彦は唸る。
「おまえが、魔世を選んだんだろ?おまえが、魔世を殺すんだ――どうして……!」
しかし、彼は少年の問いには答えず、冷たくにらみ返して口をひらいた。
「手を離せ」
「うるさい!俺の質問に答えろ!」
呉蓮は口角を引き上げ、皮肉っぽい笑みをつくった。
「口のきき方に気をつけろ。わたしが何者か、皆が言っているだろう?」
ぎゅっ、と唇を噛みしめ、いったんは引き下がったかに見えた。
が、杜彦はさらに強くつかみかかり、吠えた。
「神か?お前が、神か?!」
呉蓮はなにも言わない。
すさまじい形相で、杜彦はさらにつづけた。
「そんなの、おれは信じない――魔世は渡さない……人を不幸にする神なんて、神じゃない!」
銀色の瞳が細まる。
冷たい光を帯びて、杜彦はさすがに怯え、肩を縮めた。
神の怒りをかったのだ――しかし、後悔はしていない。
魔世はだれにも渡さない……強くそう思い、彼は目をぱっちりとあけて、にらみ返してやった。
――が。
ふってきた声は穏やかで、なんだか嬉しそうであった。
「そう、神じゃない。異形なだけで、不可思議な力があるだけで、すべてを支配し得る神とは言えない……」
拍子抜けし、杜彦はつかんでいた手の力を抜いた。
あろうことか呉蓮は、銀色の髪を揺らしてくすくすと笑いはじめたのだ。
「おまえ、おかしいだろ」
あきれてそれしか言えなかった。
そんな杜彦の黒い瞳を見つめ、呉蓮はまた、小さく、いたずらっぽく笑った。
「だからわたしは、おまえが好きなんだ」
彼は杜彦が物心ついたときから、今の姿であった。
聞けば、父のときも、祖父のときも、今の姿であるという。
人は彼を生き神と呼び、畏れ、敬った。
山奥にある御堂と呼ばれる屋敷に住まう彼はたしかに神々しく、杜彦も気軽に接しているつもりでいても、やはりどこか倦厭してしまうときがあったように思う。
ただ、他の人々よりは、気兼ねなく接していた。
まるで兄弟のように、幼馴染のように、親しくなっていった。
「どうすればいい?」
杜彦は空を仰いで寝そべる呉蓮に問う。
彼は銀色の髪を指先でいじりながら、ゆっくりと口をひらいた。
「言っただろ。わたしはおまえが好きだって」
「意味わかんねぇ」
つかみどころがない。
その好きの意味だって、よくわからない。
なにをふざけているのかと、杜彦は苛々してきた。
「わたしは、おまえが好きだ。そういう、変に遠慮がないところや、本当は恐いのに、意地を張ってくる愚かなところとか」
くすくす笑いながら、呉蓮は身体をおこし、そっと目を細める。
「勇気があるって言えよ」
「まあ、そうとも言えるが……ところでわたしは、魔世がきらいだ」
急に空気が冷たくなる。
あまりに唐突だったので、杜彦は面喰ってしまった。
なにも言えずにいると、呉蓮は笑みを消してつづけた。
「――きらいだが、おまえは魔世が好きなのだろう?で、わたしはおまえが好きだ」
「……なにが言いたい」
目に力を込める。
やはり彼は只者ではないのだ。
空気がびりびりと肌を刺す。
呉蓮はやっと、笑みを浮かべた。
「だから、おまえを助けてやろう」
闇夜に浮かぶ星がうつくしい。
その光を求めて、幾人が手を伸ばしたことか。
そして、幾人がその無情さに嘆いたことか。
杜彦はひとり、夜空を仰いで寝そべっていた。
自分の力のなさを、これほど憂いたことはない。
いつも、手を伸ばせば届くと思っていた。
ぎゅっとつかんだ光は、二度と自分のもとから去らないと信じて疑わなかった。
……いつからか、その光は自分ではない、他のだれかを求めていると知った。
知ってしまってから、自分が見えなくなった。
笑顔でいるのがつらくなって、けれど離れることすらできなかった。
だから――いっそあきらめてしまおうと。
敵わない相手だからこそ、その光の幸せを願おうと……。
「魔世」
ぽつりとつぶやく。
それだけで、たったそれだけのことで、胸に光が灯る。
熱を帯び、揺れて、どうしようもなく狂おしい。
こんなに好きなのに。
なぜ叶わない?
こんなに愛しいのに。
杜彦は浅く息をはくと、目をつむった。
光は力を求め、力は闇を求め、闇は光を求める――。
ぐるぐる回って、そして、きっとだれの幸せをも願わずに。
今はただ、信じて待つことしかできない……。
杜彦は再び、深く自分の無力を呪った。