第一章 由縁
やっとここまできたな、という気がします。
鴉の少年の冒頭の詩(?)は、鴉の姫と同じ時期に書きました。
本当に長かったです・・・
では、いよいよ第六部です。
読んでくださる方、本当に感謝しかありません。
よろしくお願いします。
では、どうぞ!
~カラスノショウネン~
夕焼けに消える翼。
きっと今宵は満月だろう。
弓矢をひいていざゆこう。
流れ星に祈る誓い。
鴉の子を愛しくと。
鴉の少年、願うだけ。
【第一章 由縁】
******
あ、夜?
ちがう。
これは黒……底知れぬ、黒。
「暗紫」
――だれ?
ぼくを呼ぶのは、だれ?
「しっかり、しろ」
夜呂の声だ。
変な余韻を残して響く、夜呂の……。
「こっちだ」
やさしく響く、夜呂の声がする。
それに導かれて、ゆっくりと足を進めていく。
いつも、なんだかぼんやりした中にいた。
あまり現実に実感がわかなくて、ただ『そこにいる』だけで、生きているとは言えないと感じていた。
だけど――。
加世がきて、夜呂がきて、なんだか世界は色を為して輝きはじめたんだ。
そう、思えたんだ。
いつも心に重くのしかかっていたものが、あっというまにきらきらし出したんだ。
夜呂はすき。
加世もすき。
高安もすき。
本当は夜桜たちのことだってすき。
だって、ずっとぼくのそばにいてくれたもん。
ぼくが行かなくちゃ――。
なんだかそんな気がしてならない。
ひどく惹かれるのは、なぜだろう。
どうしてこんなに、切ないんだろう。
「おれが、おまえを連れていくからな」
あたたかな声が響く。
姿の見えない夜呂に向かって、こっくりと頷いた。
ぼくを連れていって。
鴉の屋敷まで。
ふと目をあげると、女の人がぼくを見下ろしていた。
目はなだらかな丘を描き、唇にはゆったりとした笑みを浮かべている。
「――不思議ぃな人だぁね」
ふふ、と笑い声をたてて、その人はぼくの手をぎゅっと握った。
「うちとあんたぁを、導いてくれぇた」
つられて、前に顔を向ける。
そこには光と闇があった。
「なんで、一緒に来ようと思ったの?」
夢のような、ぼんやりした感覚のまま尋ねる。
女の人はちょっと戸惑ったような表情をしたけれど、すぐに、柔く笑った。
笑ったというよりは、泣きそうな顔に見えたけれど。
「……いちばん大切なものを、追いかけぇたくて」
言っていることがわからなくてきょとんとしていると、その人は目を背けて、遠くを見るように夢現のような調子で言った。
「愛しい人と、繋がっていたぁくて……あんたぁは、うちと成彰さまぁの、絆だから」
よく、わからない。
たしか、夜桜が、成彰は敵だったって言ってた。
言ってたけど、よくわからない。
大人の考えることは、いつもよくわからない。
喧嘩しないで、みんなで話し合って、仲良くすればいいのに。
加世みたいに、やさしい人だってたくさんいるのに。
夜呂はえらい人だけれど、夜呂も戦っている。
仕方ないってみんな言っているけれど、本当は夜呂は戦いたくないんじゃないかな。
よくわからない。
女の人はまた、ゆっくり笑うだけ。
でも、いいや。
わからなくても、いいや。
それでいいような気がした。
「……あなたぁは、鴉の姫に会ったことぉがおあり?」
ふいに、女の人がぽつりとこぼす。
見上げると、穏やかなふたつの眼がじっとこちらを見つめていた。
なんだか恥ずかしくなって、パッと顔を背けてから、小さく首を横にふる。
夜呂はよく、「姫」ってつぶやいていた。
とても大事なんだろうなぁって思ったけど、ぼくにはよくわからなかった。
大事にされることも、大事にすることも、よくわからなかった。
もっとずっと小さいころから、たぶん『大事にされていた』けれど、いつも陰からぼくのことを悪く言っていた。
今でも、耳に残っている、たくさんの言葉――幼皇という、名だけの地位の上で優遇されるぼくに、みんな不満を抱いていたんだ。
『大事にされている』のはわかってた。
ご飯も床も衣服もなにもかもが最上のものがそろっていたし、決して不自由することなんかなかった。
みんなぼくより年上なのに敬語を使い、敬称し、いちばんいい暮らしをしてた。
――だけど。
それがうれしいことではなかった。
本当は感謝しなくちゃいけないことだってわかっているけれど、やっぱり、『大事にされる』ことが嫌で仕方がなかった。
不自然だったから。
「……ぼく、本当に来てもよかったのかな」
うつ向きながら、ぽつりとこぼれた疑問。
その雫は、静かに静かに落ちて、波紋を広げていく。
「夜呂はね、鴉の姫が大好きなんだ。本当に助けたいって思っていたんだよ」
――だけど。
「あなたぁは、ちがうと?」
その問いに、小さく頷いた。
本気で姫を救おうと思っていない――否、思えないぼくには、彼女を助けにいく資格があるのかな?
ふいに、くすりと忍び笑いが聞こえた。
びっくりして見上げると、女の人は紅い唇をゆるゆると引き上げて笑ってた。
「そぅねぇ。鴉の姫も、不敏だぁわ」
――やっぱり。
やっぱりぼくは、来るべきじゃなかったんだ。
もっと他に、力の強い人が……。
「でも、それぇなら、うちも同じですぇ?」
ぎゅっと手を握られる。
白い手なのに、思いの外あたたかで戸惑う。
「うちぃの動機は姫さんにしたぁら、不純かもしれなぁい。うちはただ、あんたぁについていたいだけなんだから」
ふっと目を細めて、女の人はさらにつづけた。
「でも――行かなくちゃ、と思ったぁんでしょ?」
――行かなくちゃ。
ハッと顔をあげる。
そうだ、ぼくはつき動かされた。
行かなくちゃいけない気がしてた。
「それなぁら、全力で助けぇる――そうでしょ?」
強く頷いたぼくに、女の人はさらに笑みを深めた。
「……うちの名ぁは、華虞殿」
「ぼくは暗紫」
そう、行こう。
ぼくは鴉の姫を助けるんだ。
幼皇のときにはできなかったことをするんだ。
もう、影に怯えることは嫌なんだ。
「ふたりとも、こっちだ」
ふいに夜呂の声が響く。
夢まぼろしのような暗闇に満ちる、ほのかな明かりを見る。
ぼくは行くよ。
夜呂の声に導かれながら――。
『ニンゲン』
「わ!」
一瞬、世界ががわりと変わった。
いきなり目の前に、深い黒の眼が現れた。
続いてバササという羽音が聞こえたかと思うと、三羽の烏がぼくらを見下ろすように飛んでいた。
頭上をぐるぐる旋回しながら、烏たちはガラガラ声で歌う。
『山の奥にいくな』
『鴉の子にさらわれる』
烏たちはさらにつづける。
『暗がりへいくな』
『鴉の子に食べられる』
これは――ずっとまえ、宮の庭で童たちが話しているのを聞いたことがある。
烏の山の噂があるって。
不気味で怖い、言い伝え……。
『屋敷に近づくな』
『鴉の子に殺される』
そしてとびきり、響く声で烏は歌った。
『二度とは戻ってこれなくなるぞ……』
歌い終わると、鳥たちはガラガラと笑いながら、さらにはやしたてるように旋回していく。
徐々に闇が黒くなっている気がして、思わず顔をしかめた。
『ニンゲンがきた、きた~!マヨナカさまを引き連れて、ヨウコウさまがやってきたー!』
『烏は消えた。みんな喰われた』
『それじゃあ連れていくゥ?』
『マヨナカさまが壊れちゃう!壊セ壊セ!』
女の人――華虞殿は着物の袖で鼻や口を覆うと、小さく眉をひそめた。
「……ひどい臭ぉいやね」
鼻をつくのは、肉の腐ったような気持ち悪い異臭だった。
耳鳴りもするし、息をすることすら躊躇われるほどの悪臭で、たちまち気分は悪くなる。
「怖ぁい?」
華虞殿はふふっと笑ったようだった。
すごいと思う。
この凄まじい状況にも悲鳴をあげるわけでもなく、ぼくを照らしてくれるみたいに、気遣ってくれる。
「夜呂、いなくなっちゃったね」
「もう声も聞こえない。うちたちぃが、後は行くしかないのでしょう……」
こくんと頷こうとしたそのとき、ふいに頭上から羽音が聞こえた。
見上げると、先程なにかを言って旋回していた烏たちではない、他の烏――麗しい漆黒の翼をはためかせた烏がいた。
『我は、夜呂を受け継ぐもの。鴉の使者』
嘴をぱくぱく動かしながら、その烏はよく通る声で言った。
『我についておいで』
ぼくは華虞殿の手を引いて、暗闇のなか、不思議と発光している烏に従った。
どんどん、闇の奥へと進んでいく……。
夜呂の代わりの烏は、尋ねてもいないのに、これ承知とばかりに話しはじめた。
『今、屋敷は大混乱です。きっと、もはや普通の道では行けぬでしょう。時空がねじまがっているのです』
烏は淡々とつづける。
華虞殿は烏が口をきいても驚かないみたい。
ぼくもそうだけど。
『鴉の覇者が、マヨナカさまを打ち砕かんとしたのでしょう。ですがやはり、敵わなかった』
ぎゅっと、ぼくの手を握る華虞殿に力が込められる。
見上げたけれど、彼女の表情はよく見えなかった。
『鴉の姫はマヨナカさまに呑み込まれ、死者の狂気で囲われています。もはや烏の屋敷など、マヨナカさまの強大な力の一部となってしまった……ただひとつ救いなのが、鴉の王も姫のそばにいるということです』
「鴉の王?」
『はい。我らが一族の長であります。我らは彼には逆らいません。彼に絶対服従を誓いましたから』
烏は声の調子を、いくらか嬉々とさせた。
『我らは彼を慕っているのです。我らのすべては、王にあります――決して、マヨナカさまにではなかった』
ずいっと、光をはらむ烏を見上げる。
この烏は、なんでこんなに話をしてくれるんだろう?
マヨナカさまって、どんな人なのかな。
本当に悪い人なのかな……?
『王もそれに気づいてくだされば。彼が鴉の娘と過ごした時は短かったですが、確実になにかを変えてくださったと思うのです』
頭上をゆく烏の声は、やさしかった。
よくわからないけれど、胸をぎゅっと切なくさせる。
やがて烏は、ゆっくりと言った。
『聞いてくれますか――我らが一族と、マヨナカさまが人間であったころの物語を』