第二章 襲撃
第二章です。
剣とか弓とか目玉食いとか笑
登場するかな?
しないかな?
【第二章 襲撃】
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まっくらだ。
「――だ」
声がする。
「――お前は――だ」
苦しい。
「――逃げろ」
助けて。
やめて。
殺さないで!
『人間がいる』
『――だ』
夜呂と高安が屋敷に来たとき、烏たちが言った言葉が耳から離れない。
――だ。
――さまだ。
――マヨナカさまだ。
マヨナカ?
だれのこと?
疑問に思ったけれど、わたしはそれほど気にかけなかった。
でも、なぜ今それが頭に蘇ってくるのだろう。
それにしても……ここはまっくらだ。
どうして?
苦しい。
首が絞められるみたい。
逃れることはできないの?
だれか――
『姫』
声がした。
ガラガラ声だ。
なつかしさに包まれる。
あたたかいものが、わたしの目の端から流れた。
たぶん、涙というものの類。
と、そのとき、左手に鋭い痛みが走った。
そして、瞬間――わたしは戻ってきた。
『バカやろー。なにやってんだ、姫!』
喜助はわずかな怒りをこめて、漆黒の翼をばさばさとはためかす。
わたしは痛みに顔を歪めた。
喜助がわたしを正気に戻すため、手を嘴でかんだようだった。
血がすーっとしたたっている。
きょろきょろと辺りを見回す。
ここは屋敷の奥の間だ。
最奥の間の、いちばん近くの場所。
『お前、この先に行こうとしてた。おれがいなきゃ、お前は今頃この中さ』
喜助は最奥の間を示して言った。
――最奥の間。
決して入ってはいけない。
それが最後、一生闇とともに生きる。
そう言われてきた。
だからわたしはこの部屋には入ったことがない。
否、一度だけある。
――主になった瞬間だった。
闇とともになる瞬間に。
「喜助」
なんとも言えなくなり、わたしは烏を見つめた。
まっくろの、どこまでも深い瞳がわたしを捕えて離さない。
きれいな喜助……
喜助は烏のなかでいちばんうつくしかった。
汚れない翼も、闇より深い瞳も、その賢い頭も、不死身というさだめも、すべて他の烏とは比べ物にならなかった。
喜助は主にふさわしい。
それなのに、わたしは喜助からそれを奪った。
『姫、姫……』
喜助は同情とも怒りともとれる、なんとも言えない響きで鳴いた。
顔をあげると、そこには厳しい目の喜助がいた。
かすかに殺気すら感じた。
『この屋敷――人間のにおいがする。凛から聞いてたけど』
頷く。
「うん、ごめんね喜助」
バサリと羽音を響かせ、喜助は笑った。
『いいよ、別に。それよりも、侵入者をどうにかしよう』
侵入者――夜呂と高安の部下だろうか。
命じたのに、烏たちはそいつらをほうっておいたのだ。
その侵入者がこの屋敷へ近づいてくることは、自然なことだ。
この屋敷はうつくしい。
それに、生き物を酔わせる。
……汚らしい。
人間ごときが、勝手にこの屋敷に押し入ろうとするなど言語道断。
今、屋敷はわたしのせいでおかしくなっていた。
屋敷とわたしはひとつだから、わたしの心理状況や体調が屋敷に影響を与えるのだ。
この調子では、危険だ。
≪闇≫が勝手に動き出すかもしれない。
早くどうにかして侵入者を殺さなければ。
わたしが思案していると、ちょっと苛立った様子で喜助が吠える。
『吉乃!凛!』
すぐに二羽の烏が登場した。
いつも、そのすばやさには目を見張る。
『屋敷は今不安定だ。あのバカな烏どもが姫を陥れようとした――罰はあとでする。それよりも今は、収集に向かってくれ』
きびきびとした調子で喜助は命令した。
いつもの自由気ままな彼ではない。
才覚、とでもいうのだろうか。
統率力のすぐれた烏である。
吉乃と凛が空へ飛びたつと、喜助はわたしに向き直った。
『姫――殺す?』
わたしは喜助を見つめる。
夜呂の顔が脳裏をよぎった。
どうしてだろう。
わたしは喜助に殺せと命じることができない。
いつも簡単にできていたのに。
『姫、殺さないの』
促す喜助に一瞬たじろいだが、口をついて言葉が出た。
「わたしが殺す」
そうだ。
彼らはわたしを裏切ったんだから。
「わたしがこの屋敷から出た奴らを殺すから。他の雑魚は喜助が食べていいよ」
満足そうに烏は鳴いた。
喜助が飛びたったあと、わたしはひとり奥の間にいた。
最奥の間が近い……
目を閉じると、そこには闇。
闇が広がっている。
血のにおいがする。
わたしの記憶は過去へと運ばれた。
十年前。
母さんと父さんは殺された。
わたしをかばったから。
当時はまだ、みんなに認めてもらえなくて、わたしは屋敷がいやになった。
だから屋敷から抜け出した。
はじめての探険のようで、心は躍った。
屋敷の外にはなにが広がっているのだろう。
しばらく歩いていると、背後で音がした。
振り返ると、鎧に身を包んだ、ふたりの人間がいた。
「ガキか」
「まずいな、顔を見られた」
なにやらこそこそと話す人間。
大柄な男の人間だ。
わたしは怖くて、体が動かなかった。
やがて人間のひとりがわたしに手を伸ばすと、首を捕えた。
「悪いが、死んでくれ」
ぎゅうぎゅうと音がして、わたしの首を絞めはじめた。
目がくらむ。
声が出ない。
心臓が激しくなる。
……助けて。
意識が朦朧としてきたとき、羽音を聞いた気がした。
かすむ視界のなかで、母さんの翼を見た気がした。
叫び声のなかで、父さんの声を聞いた気がした。
首の力がゆるみ、空気が肺に入ってくる。
わたしは…意識を手放した。
目を開けると、喜助の黒い眼がわたしをのぞき込んでいた。
それからすぐに、血のにおいがした。
母さんと父さんは殺されていた。
ふたりの人間も死んでいた。
『こいつら、武装してたからな。おまけに毒矢なんてもってやがったから……』
血の海が広がっていた。
人間たちがそれぞれ血まみれで倒れ、そのそばには二羽の烏が無残に死んでいた。
黒い羽が散らばっている。
血の海に染まっている。
目の前が、まっくらに――否、まっしろになった。
死んだ……
母さんも父さんも死んだ……
わたしのせい?
わたしをかばったから?
「いやだ……死なないで……どうしよう、喜助ぇ」
泣いているわたしの顔を凝視して、やがて彼は言った。
『覚悟をしろ。屋敷の主になる覚悟を』
「でも、喜助は……」
バサリと羽を広げて、喜助はわたしの言葉を遮る。
いたずらな笑みを浮かべ、喜助はわたしに顔を寄せた。
『おれはまだ自由でいたい。遊んでいたい。だから、姫、お前が主になれ』
――わたしは主になった。
最奥の間を知った。
あの闇を知った。
だからわたしは主になった。
ぞくりと悪寒がし、わたしは目を開けた。
こんなに長くいるんじゃなかった……
急いでわたしは奥の間をあとにした。
今すべきことは、過去に誘われることではない。
今いるべきところはここではない。
わたしは、屋敷を出なくてはいけない。
夜呂と高安を殺すために。
刀を手にとり、わたしは屋敷の外に出た。
烏たちがうるさく鳴いている。
『姫ー』
聞きなれない声がした。
だれだろう?
一回転して、烏が舞い降りた。
「朱楽!」
彼女の姿をみとめ名を呼ぶと、朱楽はにやりと笑った。
『なんだ、正気に戻ったんだ』
「うん。喜助に助けられたんだ」
『へえ。つまんないのぉ』
まばたきをして、朱楽は興味なさそうに顔を寄せた。
わたしは朱楽がどうも苦手だ。
朱楽は力があるのに、それを使おうとしない厄介ものだった。
予見の力があったのだ。
彼女は昔から、わたしにも喜助にも屋敷にも無関心なのだ。
話もつまらなそうにする。
だから、めったなことでは顔を合わせることはなかった。
その朱楽がわたしに会いにくるなんて、どう考えても不自然だ。
「戦わなくていいの?」
わたしが尋ねると、朱楽は二、三回まばたきしてから言った。
『なぜ?アタシはこっちの方がおもしろいよ』
こっちの方?
わたしのことだろうか。
首を傾げていると、朱楽はまた二、三回まばたきした。
彼女のくせだった。
『うん。今くるよ』
だれが?
という問は、わたしの口から出ることはなかった。
そのまえに、背後で気配がしたのだ。
じっと見つめる。
茂みが揺れ、そしてそこから人影がのぞいた。
まっくろな髪、そして、吸い込まれるような瞳――浅葱色の衣が揺れていた。