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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第五部 鴉の覇者
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******



目をあけたとき、目の前が異様に明るくて驚いた。

暗闇しかないそこからまばたきした次の瞬間には、強すぎるくらいの配色に彩られた部屋に出た。

色とりどりの着物がところせましと並べられ、化粧の品や髪飾りが散乱している。

ぎょっとしたのも束の間、今自分が立っているのは彼女の部屋であると知った。

いつもきれいに整えられ、片付けられているはずの彼女の部屋が、今は見違えるほどに散らかっていたのだ。


――なにかあったのか?


不安が胸をよぎる。

しかし……


「ぐっ」

思わずうめき声がもれてしまった。

どくどくと腹から赤い液体が流れている。

熱く、ぬるぬるとする。


――行かなくては。

あいつに、会いたい……。


どこだろうと身体をひねった途端、自分の血液で足が滑り、その場に崩おれてしまった。

情けない。

もう立つことすらままならない。


……会えないのだろうか。

このまま、ひとりで死ぬのだろうか。



あいつが部屋に戻ってきたとき、血だらけで息絶えたおれがいたら、どう思うだろう?


泣いてくれるだろうか。

怖がるかな。


……迷惑はかけたくないな。



死ぬなんて、考えなかった。

自分がいなくなる……物理的ではなく、意識的に、自分というものが死ぬという瞬間、おれはなにを思うのだろう?

そんなこと、今までこれっぽっちも考えなかった。

ありえないと思っていたから。


どうなるのだろう?

魂となるのだろうか。

意識は残るのだろうか。

沖聖のように、ああやって愛しい者のもとへ来れるだろうか……?


――無理だろうな。

たぶん、そんな気がする。



はっと息を吸い、再び地に足をつける。

がくがくと視界は震える。

膝が情けないくらい笑ってる。

せめて、おまえの面影だけでも、見たかったんだ……。

「華虞殿……」

ぽつりとつぶやく。

それだけで、胸に熱い広がりが生まれる。

雫が湖面に波紋をのせるように、ゆっくりと、一瞬のうちに。


――ああ、もう……



「な……な、り……あき……ら……さま?」

ハッと顔をあげる。

幻聴かと思った。

けれど、たしかに見たかった顔がそこにあった……!


戸口に目をぱっちり見開いて立っていたのは、妖艶な女だった。

しかし、いつもは頭の上に結っている髪も、今日は飾られることなく下ろされている。

いつもは紅い唇も今は薄い桃色で、化粧もなにもしていない。

それが逆にうつくしく、儚さを伴わせていた。

「華虞殿」

その名を呼ぶ。

着飾っていない彼女を見るのは、はじめてかもしれない。

瞼が赤く腫れている……泣いていたのだろうか?


胸が唸る。

切なさと苛立ちがわいた。


「だれが泣かせた?」

今の状況さえ頭から吹っ飛び、低く唸るように聞く。

彼女はびっくりとしていたが、やがてゆっくりと唇に弧を描いた。

「いつ来たんでぇす?うち、知らんかったぁなぁ」

ぱたぱたとうれしそうに駆け寄ってくる。

それはまだ幼い少女のようで、なんだか笑みがもれた。

華虞殿はすぐそばにくると、さらに笑みを落とす。

いつもどこか探れないような印象を与えていたが、なぜか今日は素直な気がする。

化粧の皮をはいだからだろうか、などと無粋なことをちらと思った。

「でも、うれしいわぁ……うち、アンタぁはもう来てくれなぁいかぁとおも――」

彼女の顔色が一瞬で変わる。

表情をなくし、やがてみるみるくもり、衝撃を受けたように目を見開いた。

――おれの腹部から流れる血を見て、震えていた。

「……な、成彰さま……そ……そんな……!」

ぶわりと涙が散る。

次から次へと、歯止めがきかなくなったかのように、彼女の目からはらはらと涙がこぼれた。

かすむ視界をなんとか堪え、おれは彼女に触れた。

その白い頬も、ふっくらと柔らかい唇も、見た目よりずっと指通りのよい髪の毛も……すべて愛しい、おれのもの。


「泣くな」


ささやく。

どうか、笑ってほしい。

「あ、あんたぁが!うちを泣かせてるぅのは、あんたぁのせい!」

彼女らしくない。

ぽかぽかと力なくおれの肩を叩きながら、まるで赤子のように泣きじゃくる。

年上のはずなのに、幼く見える。

頼れるはずなのに、脆く思える。

ずっとそばに、いたかった――。

「もう……なんでぇ、いなくならぁんでぇ!」


――あ。

ぐらりと揺れた世界。

力が抜け、彼女に寄りかかるように倒れた。

息が苦しい。

呼吸が荒い……。


――いやだ。

死にたくない。



おれをその場に寝かし、華虞殿は手をぎゅっと握った。

「おれは……もうすぐ、消える」

口に出した声は、思いの外か細い。

「時空の……歪みから、移動し、てき、きた……だから……たぶん、もう、もたない……」

この身体はもうすぐ消滅するだろう。

えぐられた腹部からは、大量の血が流れている。

華虞殿は震えた。

「あんたぁは、ばかだ!」

ぽたぽたと、彼女の涙がおれの頬に落ちる。

握られた手に、さらに力が込められる。

「うちはもう、あんたぁを忘れられぇない!」


そのぬくもりがあたたかくて。

なぜだろう。

目頭が熱い。



「愛してぇる」


――気づけば、涙が頬を伝っていた。


唇にあたたかく、そっと触れられる。

手をのばし、彼女の頭をぐっと引き寄せた。




……ずっと、寂しかったんだ。

呪いもすべて、人のせいにして。

ずっとわかっていた……おれのしていることは過ちだと。

けれど、今更引けなかった。

もう、なにをすればいいのかわからなかった。

心に空いた孤独の穴は、いつもおれを苦しめてた……。


――だけど。

いつの間にか、穴は埋まっていたんだ。

意地をはって見なかっただけで。


……華虞殿……おれは――




その瞳を見つめる。

吸い込まれてしまいそうだ……。


華虞殿はそっと目を細め、やがてゆっくりとその柔い唇を動かした。


「……ここには、あなたさまの御子がいますのに」


その言葉に、ハッと顔をあげて目を見張る。

女はただ自身の腹を押さえ、柔く儚くこちらを見ている。

聞こえた言葉を何度も頭のなかで反芻し、それがもたらす驚きに呆然とする。

そして、頭にある光景が幻のごとく映り、鮮明に蘇る……。


「――フユ」



口から出た言葉に戸惑ったが、次の瞬間には自分でも驚くほど穏やかな表情を彼女に向けていた。

「娘ならいいな」

ぽつりとつぶやく。

心は不思議なほど晴れていた。

「男は血生臭いだけだから。娘なら、ただ幸せになればいい」

いつしか口元を緩ませ、笑みを浮かべていた。

おかしなものだ。

死をまえにして、こんなに幸せだなんて。


なにもないと思っていた。

けれど、おれにはなにかがあったのだ。

遺してゆける、そんなものがあったのだ。


「成彰さま、うちはあんたぁが好きですぅえ」

華虞殿がはらはらと涙を散らしながら言う。

おれの手をとり、自身の腹にやさしくもっていった。


新たに宿る命。

おれの欠片もあるのだろう。

愛しく、苦しいほど胸にせまる――そんなものたち。

この心臓を熱くしてやまない、この感情を知った。


おれのこども。

華虞殿との、欠片……。

守りたい、と思った。

思ってから、彼女のまなざしがさめざめと思い出された。

――早良。

あいつも、守りたかったのだろうか。

沖聖という、愛しい者の遺した欠片を。


いつか子は大きくなって、力をつけて、考えることを知って……

抱きしめてやりたい。

この手で、力強く。


なあ、だめかな。

もう、無理かな?



華虞殿。

おれも、おまえが好きだよ。


口をぱくぱくと動かしてはみても、そこから聴こえるのは妙に儚く薄い息の音。

もはや声すら、出せぬのか。


熱い雫が頬を伝う。

これが涙なのだと、感銘に近い気持ちで思った。


きれいだなぁ。

目をあければ、涙に濡れた頬を赤らめている華虞殿。

瞳の奥にやさしい光が見える。


想像してなかったよ。

この命が尽きるとき、こんな想いをするなんて。

なぁ、思ってもみなかったよ。

涙がこんなにあたたかいなんて、はじめて知ったよ。



「なっ!成彰さま!」

引きつった声がする。

華虞殿がつかんでいたおれの手が、その指先がぼろりと砂になって崩れる。

さらさらと消え失せていく。

――ああ、時間だ。


ごめんな。

もうガタがきたんだ。

マヨナカの力は強大で、おれなんかがどうこうできるもんじゃなかった。

時空の歪みから無理矢理ここへきた身体は、もはやもたない。


けれど最期に、ここへ来たかった。

彼女の顔を見たかった。



「成彰さま……いやぁ……うちは……うちはあんたぁを愛してぇますぅ」



ふっと笑みが浮かぶ。

そっと手をのばし、彼女の髪に触れた。


「華虞殿」


かすれる声で、やっとささやいて。

おれは彼女に口付けた。


柔く、ただ、軽く触れるだけの。














ふっと目を閉じた世界は闇だ。

ああ、だけど。


知っているか?






……ふとあたたかさを感じて目を横にやると、きゅっとおれの手を握る者がいた。

浅黒い肌の、目ばかり大きな子供――嶺遊だ。


「おれを待っててくれたのか?」

驚いて問うと、子供はふっと柔い笑みを見せた。

「ありがとう」


逝こう。

ともに、天へ。




華虞殿、その腹の子を頼むよ。

どうか幸せにして。






――目を閉じた世界は、はてしない闇だ。

堕ちるのか昇るのかわからない、そんな闇に身を委ねる。


だけど、知っているか?






あたたかい心臓に、その渇いていた心臓に、今は熱い潤いの感情が宿っている。

それを感じて、ぎゅっと胸に手をあてた。






なぁ、知っているか?



闇だ。

死んだらそこには、闇が生まれる。


そして――見えるのだ。

光が、見えるのだ。





暗闇に輝く、あたたかい無数の光が――。








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