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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第五部 鴉の覇者
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******



烏の屋敷をこの目で見るのははじめてだ。

木々がだんだんなくなり、空けた空間が広がるころ、そこに姿を現す屋敷。

砂塵をひいた岩のある庭、そこを越えた奥にひっそりとその屋敷は建っている。

木造の、高く広くゆったりと構えるその秀麗な様はうつくしく、思わず息を呑んだ。


けれど、不思議かな。

そんなうつくしい建物なのに、どこか禍々しさが漂っている。

それこそ、黒々と目に見えるように、その気配は屋敷を包んでいた。



――マヨナカさま。

今、行きますよ。



「手に入れてやる」


舌舐めずりをし、足を進める。

生き物の気配のない、その屋敷へ……。






ガタガタガタ……。

そんな不協和音が地鳴りのように低く唸っている。

端から見ればしんと静まりかえっている屋敷も、なかへと足を進ませるにつれ、不気味な音の広がりを見せた。

屋敷は内側から崩壊しはじめていた――。

奥にいけばいくほど、黒い底知れぬ闇が濃くなっていく。

手を伸ばし、捕まえようと迫ってくる。

本能が警鐘を鳴らした。

だが。


――退くわけにはいかない。

おれはずっと求めてた。

奴の力を欲していた。

今更あきらめるだなんて、そんなこと考えもしない。

なんのためにやってきたのか……そんなこと、重要じゃないだろ?

今迷えば、今までのことすべてが水の泡だ。

おれは野望のため……脅威の力のために、やってきたんだ。

どんなものを犠牲にしたって。

すべて、そのために。





『ククク』

はっと顔をあげる。

辺りは、真っ暗闇に包まれていた。

突如変貌した周りの景色――まるでちがう次元の空間にいるようだ。

闇のなかに存在する“意識の世界”……そこだった。


『ククク……おまえも、喰うてやる』


笑い声が響く。

ぞわりと冷汗がわく。


『旨そうな匂いがするゾ?喰ッてヤル……差し出サれタ生け贄ダァ!』


歓喜にいななく声は冷たく地を這い、心臓ごと身体を恐怖に震わせて響いてくる。

来る――奴だ。


「!」


突如、突風が吹き荒れる。

屋内だというのに、まるで嵐の海上のような凄まじさで風が四方八方から吹雪く。

冷たい水を散らしながら、鋭い刃のように襲ってくる。


『キャハハハハハ』

声は笑う。

愛くるしい乙女のように、やがて地を揺らす鬼のように。

『ヒィ、ヒヒ……ククッ、アハハハハ』

木霊した声は空間に反響し、耳を犯す。

頭はキンキンと痛みを訴え、思わず吐気がしてきた。

恐れたくなどないのに足は震え、立っていられなくなる。

目をとじて今すぐにでも逃げ出したかった。


『可哀想ナ坊ヤ。闇ニ捕ワレ動ケナイ?』

うるさい!

『愚カデ無様ナ成彰ァ~!師実ノ魂ィイ!スグニ喰ウテヤルヨォ』

黙れ黙れ黙れ!

『フフ……本当ノ名ハ?オ、オマエハ……ナァーンダァ?』

やめろっ!

『ダレダァ?オマエハ、ダレナンダロゥ?』


――ナメるな。


震えるだけの足を踏ん張り、力を腹の底に込めて立ち上がる。

気持ち悪くて、苦しくて、たまらない。

「出てこいよ……マヨナカさまよぉ?」

挑発的に闇をにらみつける。

汗がどっと身体中につたった。


やがてそこに姿を現したのは――半分化け物になりはてた少女だった。

赤黒い衣に身を包み、長い漆黒の髪をたらした少女。

白く細い手足は力なくのばされ、よろよろと闇から出てきた。


ああ、惨めなものだな――烏の姫よ?

運命に従って死んでいればよかったものを。

そんな機会はたくさんあっただろうに。


『オマエモ喰ワレニ来タカ、人間』

少女のものとは思えぬ不気味な声がその唇から落ちる。

カタカタと笑いながら、彼女は顔をあげて眼を見せた。

――黒い、闇に抱かれた眼を。

瞬間、すくむような悪寒がした。

目があった……それだけで、闇に呑まれそうになる。


これが、マヨナカの力!


「さっさとくたばれっ」

刀をすらりと抜き、構える。

あいつを……あの女を殺せば、器は壊れる。

そうすればマヨナカの力は行き場をなくし、放出する――そこをおれが奪うはずだった。

そうする、つもりだった。


――なのに。



『姫に触れるな!』


唸るガラガラ声に、耳障りな羽音を響かせ、そいつのおでましだった。

怒り狂ったようにたけりながら、黒き翼をもったそいつは突如闇に現れた。

眼だけを異様に光らせ、黒光りする羽をはためかせながら、赤黒い衣に身を包んだ少女のそばへと降り立つ。

笑いたくなるほど、憎いやつ。

「また邪魔をするのか――喜助」

烏はにやりと目を細めた。

『言っただろ?貴様だけは、赦さない』

まるでマヨナカをかばうように翼を広げる烏。

――だが。

「所詮、おまえはそこの女に情がわいたというワケだ?」

『なに?』

嘴をカチカチ鳴らして唸る烏をあざ笑い、おれは刀を舐めあげる。

「その女――こいつですぐに殺してやるよ?そうすればおまえも楽に死ねるだろう?」


そう、こいつは言ったんだ。

――姫に触れるな、とね。

マヨナカさまではなく、姫……とね。



「喜助、おまえの執着、おれがぶっ壊してやるよ」

言うや否や、おれは躊躇うはずもなく、烏に切りかかった。

黒い翼がバサバサと舞う。

刀は弧を描くように振るわれる。

闇にただ、そんな異常な光景だけが浮かんでいた。




『フフ、喜助ェ。空腹ダ。ハヤク喰イタイ』

どれくらいそうしていただろう。

喜助の嘴を避けた直後、耳元で不気味な声が響いた。

しまったと思ったときはすでに遅く、おれは少女に押さえ込まれるようにして倒れていた。

普段ならば、造作もない行為――少女の手を振り払って切り倒すという行為すら、できなかった。

身体はだるく、動けない……知らぬ間にマヨナカの力にあてられ、蝕まれたらしい。

不覚だった。

「やめっ――は、離せ化け物ッ!」

『黙レ……スグニ何モワカラナクナル……コノ屋敷ノ烏タチノヨウニ』

にやっと眼を歪めて笑う少女――ゾッとした。

どうりで屋敷はもぬけの空なわけだ。

マヨナカが、すべての烏を……屋敷の烏を喰ったのだ。

生け贄だったのだ。


気味が悪い。

吐き気がするほど。


「がっ……ハッ……ッぅっ」

突然、腹に鋭い痛みが走る。

見れば、女の指が深々とおれの身体に食い込んでいた。

「……あ……?」

わけがわからない。

びくびくと手足が痙攣する。

『フフフフフ……血ダァ』

にんまりと笑い、黒い瞳を細める。

烏の羽のような漆黒の髪をバサリとはらい、女はその白い指をおれの腹から引き抜いた。

途端、痛みと熱さが襲う。

死にたい――そう思ってしまうほど。


『喰ッテヤルゾ、人間……コノ力ノ糧トナレ!』

女の顔がぐにゃりと歪む。

口を大きくあけ、体内から闇がどろどろと流れ出てきた。

『姫っ……』

喜助が女の背後につっ立っているのがチラと見えた。

どこか苦しそうに眉を潜めながら。



――おれは、死ぬのか?



かつて烏の姫であったその身体はぐにゃぐにゃと歪な形をなして溶け出し、湿った衣がおれの顔に落ちた――血の臭い!

ああ、そうかと理解する。

女の着ていた赤黒い衣――あれは血の色だったのだ。

屋敷の烏をむしりとって喰ったときに浴びたかえり血だったのだ。

儚げな少女の仮面を――いや、その器を手に入れた化け物は、たらふく黒き鳥を腹に納めたにちがいない。

――玄緒のように。



おれも、ああなるのか?

闇に捕えられて……また、永遠を生きるのか?



『アー……喜助ェぇえ……ワタし……わぁあっ』


はっと目を見開く。

どろどろ闇のなかで、かすかにその声がした。

なるほど、まだマヨナカは完全に姫をのっとれていない、ということか?




死にたくない。

まだ、いやだ。


腹が熱い。

目眩がする。

息がうまくできない。




――それでも。





――ウチはアンタぁの味方ですぇ?――



……おまえが、いるなら。






「うあぁぁあぁっ!」

あらん限りの力で女を振り払い、いっぱいに腕をのばして刀をたぐりよせると、まだ原型のある顔に刃をつき立てた。

マヨナカはすばやく避けたが、おれの刀はいまや歪に曲がった女の耳を――そこについていた、赤いピアスを切った……。


その、瞬間。


『あああああああああ』

女は絶叫した。

『姫ぇっ!』

聞いたこともないような動揺した声で喜助が叫ぶ。

がくがくと地は震え出し、空間が歪む。

『ひっ……姫!姫!』

遠くで喜助の悲痛な声が響く。

見ると、烏の黒い翼が漆黒の衣の袖に変わり、頭がぐんとのびて人間が現れる。

喜助は人型になって、狂気の最中にある烏の姫に手をのばしていた。


「くっ」


力を込めれば、どくどくと脇腹から血は流れる。

くらっと頭が傾ぎ、血が足りないのは明白だった。




――死ぬのか?

おれは、ここで、このまま……?




『待テェ……』

くん、と足を取られる。

手をのばした闇に倒され、包まれる。

『おいていかないでぇ……わたしは……喜助ぇ……』

声は微妙に変化していく。

まるで、獲物を逃すまいとうめく化け物と、ただ寂しさから逃げ出したいとする少女がともに溶けあっているように。

相入れない、ふたつが。


『ここだっ、姫!』

人型になった喜助は真っ青なまま、顔を覆う女に駆け寄った。

彼女の髪はいまだ闇に混じり、おれの足を捕えている。

「――っ」

逃げられない。

侵食されはじめた身体……取り込まれるのも、時間の問題か。





――華虞殿……。

どうして今、おれはおまえを思い出しているのだろう?

どうして今、こんなにも悔しく、泣きたくなるのだろう?

実の妹を傷つけたときも、権力欲しさに若き男を蹴落としたときも、まったくなかった感情……。

トカゲや静紅のときですら、利用しようとしか思わなかった。

嶺遊ですら、道具としか見なかった……はずなのに。



いつからだ?

いつから、胸の苦しみを覚えた?


欲望のためだ、野望のためだといい聞かせて、おれはなにがしたかった?

死にたいのか、死にたくないのか、わからなかった。


そう、いつも心は冷え冷えとしていて……。

ふと見下ろした掌には、なにもなくて。

振り返ったおれの道には、空っぽの栄光しか転がってなかった。

なにも、残っていなかったんだ。


だから、苦しくて。

苦しくて、苦しくて、苦しくて。


――飢えていた。

あるはずの感情の渇きに、飢えていた。




――ウチは、なにがあっても、あんたを待ってぇる――





永遠なんて、ないのだと知る。

ずっと消えることなくあった呪いは、消えつつある。

なぜかそれが、はっきりとわかった。



「か……ぐ、でん……」

その名をつぶやく。

どっと押し寄せる感情に、歯止めがきかない。



どうか、どうか。

もう一度あいつに、会いたいんだ。



消えかかった身体、砂と化して闇に葬り去られるおれの身体。



まだ、もつよな?

もうすこしだけ。

どうか。




ぐっと唇を噛み締める。

ここはマヨナカの作り出した空間だ。

時空もなにもない、歪な空間――ならば。



もう一度、会いたい。

残された力をすべて使ってでも。




この感情の行き着く先を、この心で追いかけたいんだ。










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