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杉林。
ツンとした空気があたりをしめている。
春風もなく、ただ濃い木々の空気に満たされた空間を、おれはひたすらに走った。
すぐに息があがる。
山は奥に行けば行くほど薄暗く、足場は枝や倒れた幹のせいで悪くなる。
しめった土を踏みしめ、走った。
馬は捨てた。
邪魔になるし、追われやすい。
けれど後から考えてみれば、喜助相手逃れられるはずなんてないのだが。
おれは城を抜け出し、馬を走らせて逃げた。
そのうちに毒の効力が薄れ、頭は冴え、身体も軽くなった。
そうしてなんとか、逃げた。
喜助はすぐには追ってこなかったらしい。
すぐにでも追いつけると思っているのだろう。
だから遠回りをして、彼女のもとへ行くことにした。
西の国へ逃げたように見せかけ、南へ戻るため、馬を捨て、山道を使うことにした。
途中、ふと耳に聞こえてきた水音で、喉が渇いていることに気がついた。
音の方へ行くと、木々の間の剥き出しの岩肌が湿っており、ちょろちょろと水が流れていた。
喉を潤すと、また歩く。
頭のなかは真っ白だった。
しばらくして、とうとう身体は限界に達し、腰を下ろす。
止血はしたが、傷口はずきずき痛む。
情けない……
這いつくばるようにして生きているようで、そこまで執着してしまう自分が滑稽に思える。
ぐちゃくちゃに壊してやりたかった……
壊されたかったわけじゃあ、ない。
喜助をおびきだし、捕えて呪いを解かせるはずだった計画も、できなければ殺してしまおうと考えていた陰謀も、すべて無になった。
なんだか、すべてがどうでもよくなりはじめる……
「獅子だ」
出し抜けに、そんなすっとんきょうな声がした。
ばっと顔をあげると、目の前に十歳ほどの子供がふたり立っていた。
近寄る気配に気づけぬほど、疲れきっていたのかと思うと、内心ぎょっとした。
ひとりは紫がかった黒髪の、黒い眼をもったぼんやりとした表情の少年で、もうひとりは丸い目をした賢そうな顔付きをしているが、かなり怯えた様子の少年だった。
「だ、だめだよ。近づかないほう、いいよ――護然さまに怒られちゃう」
怯えた少年はおどおどしながら、必死でもうひとりの少年を引き戻そうとしている。
しかし、その黒い眼をした少年は動じることなく、じっとこちらを見つめてきた。
その黒い眼がしっかりと捕えてきたとき、おれはハッとした。
見覚えのある、その眼に。
「空弥、これは獅子ではない。人間みたいだ」
まじまじと見つめてくる瞳から、どうしても目が離せなくなる。
「金の鬣かと思ったのに……残念だなぁ」
「暗紫!はやく帰ろうよ!知らない人についていっちゃだめだよ!」
「怪我しているのに、ほったらかしでいいの?」
空弥と呼ばれた少年は思わぬ反撃につまる。
その少年――暗紫は、じっとおれを見、肩の傷を見つめた。
けれどおれには、どうすることもできない。
声すら出せなかった。
驚きが強すぎて。
疑いが確信に変わって。
暗紫――現幼皇の名。
こいつが、あいつらの子孫。
早良と沖聖の子供の、子孫。
その血を受け継いだ、人間……。
それが目の前にいるなんて、信じられなかった。
無意識に、そっと手を伸ばしていた。
どうこうしようとか、考えなんてなにもない。
ただ手を伸ばして届くならば、触れなくてはならないような気がした。
触れなければ、もったいない気がした。
けれどおれのその手は、子供に触れる前に動きをやめた。
「ほら!あれは鬼だって!」
すでに泣き出しそうになっている少年は、目を真っ赤にして暗紫と呼ばれたそいつを引っ張っていく。
暗紫は反抗したが、結局そばの大木の裏まで連れていかれた。
「とにかく隠れなきゃ。見たいなら、安全な場所で見ればいいのに」
「近くで見たい!あの金のお日さまのような髪色、見たことないもの」
ふたりの子供の会話は筒抜けだった。
それでも隠れているつもりなのかと、失笑する。
ああ、けれどおれももっと近くで見たい。
あの闇のような瞳――そっくりだ。
ふと声をかけようかと思いたった、そのときだ。
風が一瞬ざわめき、すべてを止めた。
濃い濃い森の空気に色濃く刻みつけるそいつの気配は、いやというほど知っている。
――きた。
遠く茂みから、その暗闇から目だけを異様に光らせて。
人型と烏の混合状態のそいつは現れた。
『見つけたァ』
ニタと口を横に広げて、奴はおれを見つけた。
木々をかきわけ、どんどん近づいてくる。
葉を踏みしめ、毛散らす。
伸びて邪魔な枝をポキリと折る。
まるで進む道に邪魔になる者は容赦しない、というように。
そう、まるでおれみたいだ。
野望に向かって、ただひたすらに破壊して生きてきたおれみたいだ。
喜助がまるでそんなこれまでのおれを体現しているようで、目が離せなかった。
しかし、頭の片隅の冷静な部分は、一刻もはやく逃げ出せと警鐘を鳴らしている。
それなのに、身体は言うことを聞かない。
動かすことすら、億劫で。
『狡猾な貴様には、お似合いな墓場をつくってやるよ』
顔がはっきりと見える位置までくるころには、喜助の姿は人型に変わっていた。
そばにダラリとしている男――おれの側近だった男だ――がひっついていたが。
喜助は顔をしかめ、泥を取るようにそのくっついていた男を蹴った。
男は仰向けになり、白目を剥いた死顔が露になる。
ああ、滑稽だ。
喜助は無言でそう笑った。
おれもああなるのか、そう思った。
そのとき――
「お兄!」
それまでびくびくしていた少年が、明るい声を発した。
大木の裏から顔をひょっこりと出し、ぱっと目を輝かせている。
先ほどまでの怯えや警戒はなく、うれしそうに飛び出してきた。
「やっぱりお兄だ!」
にこにこして駆け寄る子供に喜助は目をやる。
おれから注意がそれた。
『空弥か。どうしてここに――』
「だれ」
確信が、絶対的になる。
それは衝撃を持って降り注ぐ。
喜助は声を発したその少年を見て、動きをやめた。
ただその少年――暗紫に見入る。
やはり奴は、沖聖の血を受け継ぐ者。
よくも滅びず、つづいてきたものだと感心すらする。
ただ愕然と子供を見つめる奴を目の当たりにして、喜助の弱味は今も昔も変わらないことを改めて知った。
喜助の弱味は、いつも沖聖だ。
奴はそいつのためにしか動かない。
たぶんきっと罪の意識にさいなまれているのだろう……自分は沖聖を裏切ったと。
愚かだと思う。
そしてそんな愚か者から呪いを受けたおれも、馬鹿だ。
『貴様、名は……?』
そろそろと、喜助が暗紫に手を伸ばした。
おれが触れられなかった、そいつに。
一瞬躊躇してから、そっと。
――今だ。
逃げるなら、今だ。
足を動かす。
力をめいっぱい振り絞って。
ただたどり着きたいと望んだその場所へいくまでは、絶対に力尽きてやらない。
最後にその顔を見たいと、そう思った。
追ってくる気配はなかった。
たとえ逃げ出したことに気づいたって、喜助のことだ……沖聖との繋がりの方が重要だろう。
走る。
ひたすら、歩くようなはやさでもなお、進みつづける。
あいつに会いたいと、強く思うのはどうしてだろう。
あいつしか残されていないと感じるのは、なぜ。
「なぁにを泣いてるんでぇ?」
ふいに彼女の声が頭に響いた。
ああ、あれははじめて会ったときのことだ――。
あいつは他の男に抱かれた直後だった。
乱れた髪を雪のような白い肌にたらして、紅い唇をにっと歪めていた。
ホクロが艶やかな彼女の魅力をひきたてていて、思わず目を奪われた。
薄紅の着物ははだけ、水々しい肌があらわになる。
恥じらいに頬を染めることもせず、むしろ見せつけるようにそいつは笑っていた。
「うち、たった今仕事終わったんよぉ。なんなら、アンタぁのお相手もしてあげますぅよ?」
癖のある変なしゃべり方だ。
だが、逆に魅力的に聞こえた。
「おれの渇きを、癒してくれるならね」
にっと挑発的に笑ってやると、彼女はさらに唇を横に広げた。
血を塗りたくったような、真っ赤で艶やかな唇。
おれは彼女を買い、椿の間という奥の部屋で、寝た。
そこで、彼女は再び言った。
「アンタぁはさっきから、なにを泣いているんでぇ?」
なぜか心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚え、一瞬きつく彼女をにらみつけた。
しかし、彼女は表情ひとつ変えなかった。
「アンタぁの欲望は、たぶんとぉっても単純なことなんだぁと思うわぁ」
妖艶に、笑う、女。
喰われる、そう思った。
「――うち、もうアンタとぉは寝ない」
唇を引き離し、女はにやりとした。
「泣いてぇるアンタは、興冷めだぁよ」
ああ、なんだ。
こんな女、はじめてだ――。
それから度々、その遊郭に通った。
享楽に似ている快感。
もう寝ないと彼女は言ったけれど、金を積めば仕事上断れない。
いやがるかと思ったが、彼女はただおかしそうに目を細めるだけだった。
「もう寝ないと、言ったぁのに」
「おれは認めてないよ」
ただそのときだけは、満たされた。
忘れることができた。
――自分は決して満たされないということを。
通っていくうちに、女のことを知った。
名前は華虞殿。
幼いころ、金に困った両親に遊郭に売られたらしい。
遠くの移民族の血が混じっているらしく、それでどことなくしゃべり方に癖があるようだった。
その女は情報を手に入れることに関しても長けていた。
遊郭には様々な情報が流れてくる。
そこでおれは静紅を拾い、夜桜の国の情勢を知り、動かした。
華虞殿は、よく働いた。
おれのものだと、そう思っていた。
――勘違いだった。
深く混ざり合うような口づけを、彼女は他の男とも交していた。
そのまま肩を抱かれ、奥の部屋へ入っていく。
知っていたはずだったし、驚く必要もなかったんだ。
彼女は遊女で、仕事をしているに過ぎないのだから。
それでも……おれは他の女と寝る気にはなれなかったし、他の男が彼女を抱くなんて考えられなかった。
だから買った。
華虞殿の一生分を。
金は腐るほどあったし、ちょうどよかった。
また満たされたような気がした。
おれには、なにもない。
なにも残ってない。
城を手に入れたって、国を支配したって、なぜか満たされないのは呪いのせいだ。
野望は尽きることなく、潤うことを知らない。
もう、なにもないんだ。
これはすべて、呪いのせいか……?
「華虞殿……」
そっとその名をつぶやく。
彼女だってまがいものかもしれない。
それでも今は、それにすがるしかないんだ。
おれはただの客にすぎない。
わかってる。
けれどそれじゃあ満足できない。
――なぜ?
その疑問を、知りたい。
だからどうか、もうすこし時間がほしい。
まだ、終わるわけにはいかないんだ。
せっかく準備してたのに消しちゃって再度やりなおししました(涙。。
後半はノッてきました笑
カグデン出てくると、成彰もノリノリです♪爆
前回の第二章1と今回の2は、喜助視点でも書きたいなぁと思っちゃいました。
せっかくの沖聖との再会ですもん。
会話はしていないけれど……ちょっと考えるところがありますが、今回は成彰くんなので。。
鴉の子は人称変えたほうがいいかなとチラと思ったのですが、とりあえずこのまま強行突破したいと思います(汗><
それでは、よろしくお願いします!