4
******
がっくりとその場に座り込む。
そしてそのまま、頭を抱えた。
本当は、たぶん泣きたかったんだ。
ただ、どうしても――絶対にそれを認めることなんて、できなかった。
「お兄さま、やめて。お願いだから……もう、やめて」
肩で息をし、ふらふらしながら、子供はおれに近づき、そう言う。
まるで子供に慰められているみたいだ。
でも、わかってんだ。
早良はおれを想って止めているんじゃない。
そんなわけはない。
ただあいつが心にかけているのは――
「もう、あの人を苦しめないで」
早良はそう言った。
きっぱりと、強い声で。
その声はギラリと不気味な刃を見せて、おれを脳天から突き刺した。
ほら、やっぱり。
やっぱり、こいつはあいつしかみていない。
血の繋がった奴でさえ、おれから離れてゆくのだろう。
「……そんなに沖聖がいいか」
冷たい声が出た。
感情は静まり、ただ驚くほど冷めていた。
「ああ、いいさ。すぐにあいつと天に還ればいい!」
早良の頭をがしりとつかみ、力を込める。
痛みに歪むその顔を、笑いながら見ていた。
「だがな、おれのために働いてからだ。マヨナカを、その力をおれがいただいてからだ」
それから、復讐を果たしてやろう。
喜助を殺せば、呪いは解ける。
そしたら、もう渇きにうめくことはないのだ。
自由があるだけだ。
奪ってやるよ。
脳天気に暮らしているやつらに、思い知らせてやる。
「――本当の戦乱の幕開けだ」
ぶんと腕を横に振るだけで、ぼろぼろの子供は床に伏した。
もう動く力もないのだろう。
ぐったりとしている。
手についた血の塊をそばにあった布でぬぐい、そのまましばらくその赤をながめた。
沖聖を切ったときの師実の感触が、今でもこの手に残っている。
すっと銀のきらめきを振るだけで、鮮血の紅が宙を飛んだ。
その最期の顔は、まぶたの裏にこびりついてはがれない……。
沖聖の最期のあの瞳には、驚きや憎しみの色なんてなかった。
ただ、あれは哀しみの色。
同情のまなざしだった。
そんなの、気にしていなかったけれど。
どうして今、こうもあの瞳が痛く蘇るのだろう。
苛々、する。
なにかを、握り潰して、破壊したい。
めちゃくちゃにしたい。
それこそ、恐怖に泣き叫ぶ声が聴きたい。
きっとそれは、たまらない快感だろうから。
そばでいつのまにか気を失っていた子供を、ぼんやりとながめる。
浅黒い肌をした、異様に目の大きな子供。
はじめは男かと思った。
口もきけなかった。
それを拾ったのは、他でもない、早良の魂を引き継いだ子供だとわかったからだ。
うつくしい容姿だった早良とは比べ物にならないが、こいつはものの覚えだけは尋常じゃないくらいはやかった。
いつしか、小物なら倒せるくらいになり、おれのそばにおくようになった。
ただの道具。
嶺遊は最初から、ただの道具だった。
魂を引き継いだとは言っても、やはり早良と嶺遊はちがう。
“早良”の魂が戻れば、嶺遊自身の魂はさ迷い、もう二度とこの子供の身体には戻らない。
きっとしばらくすれば、天に昇っていくのだろうけれど。
羨ましいとさえ、思う。
身体に縛られないことは、ある意味自由なのだから。
ぼんやりしていたおれだったが、そのときはたしかに感じた。
ぞわりと、この世のものではないものに感じる恐怖と、それから思い通りにことが進んだことへのよろこび。
――きた。
振り返る。
そこには、ぼんやり白い影を背負った男が立っていた。
ぼかしをかけたように、その身体の輪郭ははっきりとはせず、まるで夢を見ているかのような錯覚を覚える。
彼は白い衣をまとっただけで、あとは髪も垂らしていた。
肌は蒼白く、それが儚げなうつくしさをたたえているようにすら見える。
――沖聖。
「早良の魂を、取り返しにきたってわけか」
できるだけ丁寧に言葉をはく。
高ぶる気持ちを抑え、じっと青年を見つめた。
しかし、沖聖はなにも言わなかった。
ただこちらを見つめかえし、哀しそうな、それこそあわれなものを見るような同情すら、そのまなざしから感じとれる。
「声が出ないってワケ」
苛々をなんとか抑え、皮肉る。
それでも沖聖は表情ひとつ、眉毛一本動かさなかった。
いつも、腹が立った。
師実だったころ、幼皇というものが、沖聖というものがきらいでならなかった。
だれにでもやさしく、地位に媚びない。
誇示しない。
本当にそんな人間がいるのか?
だから、奪ってやろうと、壊してやろうと、そう思った。
おれ自身がのぼりつめるためにも。
ああ、けれどまったく満たされない。
それもこれも、すべてあの化け烏の呪いのせいだ。
あいつが――
「成彰さま」
ふいに、声がかかった。
御簾の奥の出入り口の奥のほう、影になっている辺りから声が聞こえた。
緑の履物を履いた足が見える。
「なんだ。今はここへ近づけるなと、言ったではないか」
怒声を静かにあげる。
側近か。
なぜこうも、家臣は役立たずばかりなのか。
「すみませぬ。ただ、急用でございまして」
淡々と、その人物は言う。
一向に影から姿を現せる気配もない。
チラと目を走らせるが、沖聖はただ黙って横に転がる子供をながめているだけだった。
早良は動かない。
舌打ちをし、家臣に近寄る。
なにが急用だ。
さっさと終わらせて、おれにはやることが――
「ッ!!!」
痛みが、左肩を撃つ。
焼けるような感覚に襲われ、反射的に飛びのいた。
沖聖や早良になんてかまってられない。
ただ、目の前の人物に集中する。
「なんの真似だ、おまえ」
腹が立つ。
こんなときに裏切りなど、許されるものじゃない。
「報復に参りました、成彰殿」
家臣だったそいつは、ただ手に、先に赤い血のついた槍を構え、うっすらと口元に笑みを浮かべていた。
にらむが、ひるむ素振りも見せない。
いつもならば、家臣たちはおれに恐れをなしていたはずなのに。
恐怖で縛りつけ、逆らえないようにしていたはずなのに。
奴は、先ほどまでそばで仕えていた側近だった。
裏切るほどの力量を、度量をもった奴じゃない。
ならば、なぜ……?
「ほ・う・ふ・く、ですよ。なんてったって、恨みは尽きねぇからなぁ」
声が、ちがうのに。
ちがうのに、わかる。
こいつは側近じゃない――側近の身体をかりた、化け物だ。
「小僧、沖聖を返してもらうぜ」
にっと笑う、そいつは。
「貴様の妹も、一緒に」
ほら、やっぱりきた。
すくなくとも、おれの読みだって外れちゃいない。
負け惜しみに似ているけれど、それでも。
「いつの間にいるんだよ、てめぇは」
不覚にも負ってしまった傷口をおさえながら、薄ら笑いを浮かべて言う。
それに呼応するように、そいつもニッと笑った。
「いい最期になるぜ、貴様は」
いや、ちがう。
おれは絶対に、死なない。
この渇きを、潤すまでは。
「それはこっちの台詞だよ」
笑みを浮かべて。
そうやって、あざけってやる。
おまえなんか、だいきらいだ――喜助。
最近短めでしたが、今回はたっぷり更新できた感があります笑。
いつも読んでくださる方、本当にありがとうございます。
3/28を持ちまして、【鴉の子】を書き始めて(公開しはじめて?)一年がたちました。
それをこの間思い出して、ひとりおぉ〜と(笑
長かったような、短かったような・・・
長く更新できなかった期間もありましたが、ノリに恵まれ、ここまできたな、と。
はじめ考えていたよりかなり長くなってしまい、いろいろありますが、ここまで続けてこれてよかったです。
あ、まだつづきますよ。^^
それではまた、よろしくお願いします。