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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第五部 鴉の覇者
59/100






******




「なぜ憎いか。そんなの、嫉妬だよ」


徐々に反応しなくなっていく嶺遊に話しかける。

むなしいかな。

けれど、なにか満たされたような錯覚が生まれる。



「おれはね、力が欲しいわけ。雑魚はいらない。だから、うらやましいんだよ」

にこっと笑う。

けれど、嶺遊はぽかんとしていて、その瞳はガラス玉が濁っているように、光を失っていた。

「鴉の姫ってさ、ムカつくんだよね。なにも知らない、呑気な女。信じることしか、しないんだろうね」


はやく始末すればよかった。

マヨナカが目覚めるまえに、はやいとこ。

喜助も許せない。

けれど、マヨナカも疎ましい。



沖聖……なぜあいつは、だれからも愛されるのだ?

師実だったころ――沖聖を殺して、喜助から呪いを受けたあのころ、おれには野望があった。

力が欲しかった。

なぜ人に頭を下げなくてはならないのか、わからなかった。

確実に自分より器の小さそうな主人に従うことは、我慢ならなかった。

だから、すべてを奪ってやると。



なに不自由なく暮らす奴らがだいきらいだった。

横暴?

そんなんじゃない。

なにも知らない、力だけをこれみよがしにつきつけて、それで満足している奴ら。

ヘドが出るね。



妹は……早良は実の兄であるおれよりも、ただの小僧に過ぎない沖聖を選んだ。

疎まれるのには慣れた。

ただ、やはり憎いだけ。



力を手に入れよう。

そして解放されたい。

なにもかも、この手に。




「すべてはうまくいっている」

嶺遊はついに力なく倒れた。

これはもうすぐ目醒めのときが訪れる前兆だ。

「今度はおれのために働けよ、早良」



成彰として生まれ、南の国を奪い取った。

それと同時に、長年かけて西の国の事情を探ってきた結果をもとに、夜桜と友好な交渉を築いた。

トカゲや静紅を忍ばせ、常に内部の情報を把握していた。

北の国もすぐに略奪できたし、障害はないに等しかった。

この世界が手に入るのも、時間の問題なのだ。

南も北も西もすでにおれの統括地。

東は未開に等しいが、すぐに堕ちるだろう。


ともすれば、邪魔はただ、あの山だけ。

鴉の屋敷のある、あの山。

人間の世界に、化け物がでしゃばる必要はない。


すぐに握り潰してやる。

その両翼をもいでやる。





「……にい……さま……」

突如、その声で我にかえる。

いつのまにか――ことは済んでいた。

早良が、嶺遊の身体をもって目覚めたのだ。

目の丸々とした子供が、怯えたまなざしをこちらに向けていた。

膝を丸め、縮こまり、ぶるぶる震えはじめる。



「やぁ、久しぶり」

その怯えようがおもしろくて、にっと笑う。


我が妹、それから、おれの先祖――早良后。

ようこそ、この世へ。



「あ……あなた、は、お兄さまね」

怯えた、けれど恨みを込めた眼で彼女はこちらを見た。

「いかにも、そうだよ。よかったよ。あいつよりも、はやくに目醒めてくれて」

喜助よりも先に、おれのもとにきてくれて。



にっこりと、やさしく笑ってやる。

ずいぶんとこんな笑い方はしていなかった気がする。

まるで相手を思いやっているような、心から穏やかに喜んでいるような、そんな偽りの笑みを、唇の端にのせて。

「……なにを、したいのですか」

嶺遊――いや、早良は油断なくこちらをにらみつけてくる。


やはり、彼女は賢い。

賢いが、愚かだ。

浅いよ。



「なんのつもりか、だって?愚問だよ、おまえは何様のつもりかな」

彼女の瞳が恐怖に見開かれるそのまえに、そっと頬に指を這わせる。

動けなくなった人間を見るのは、きらいじゃない。

所詮、どんなに時間がたったって、人間の根本は変わらない。



早良が兄である師実に恐怖を抱き、逆らえなかったように、おれにだって逆らえない。

愛する者を殺されてさえ、裏切ることはできなかった。

それは、師実が彼女を恐怖で縛っていたからだ。

沖聖亡きあと、早良は自分の子を守るため、実によく働いた。

実によく、兄の機嫌をとっていた。


根に憎しみを抱きながら、彼女は兄のために働いた。

それはすべて、子共をおとりに、早良を恐怖に縛りつけたから。

すべて師実の手のなか。

そう、おれの祖先であり、おれの記憶であり、おれ自身。

身体は滅んでも、魂と記憶だけは、ずっとつづいていたから。



それはあるとき、他者から羨ましがられるだろう。

しかし同時に、永遠の飢えと渇きに溺れることになるのだ。

もう、すべてが闇に堕ちていく。

染まっていく。





「沖聖の魂を、呼んでほしいんだ」

「お兄さま!」

「おれのために、働いてくれるよね。おまえのためなら、あいつはすぐにでもくるだろ?」

咎めるような早良の叫びを無視して言う。

丸々した眼を揺らし、彼女はただおれを見つめることしかできないようだった。

「おれは解放されたい。この呪いを、破壊してやる」


無言を承諾と受け取り、おれは子供の頭をかきなでた。

さらさらした髪の感触が指に伝わる。

まるできれいな絹の布を、汚れた手で触って傷めつけているような、そんな気分になった。




「……今、沖聖はマヨナカという化け物のなかにいる。死者の嘆きを集めたような、そんな化け物だよ」

動揺を隠すために、言葉を落とす。

おれらしくもない。

「そこから、おまえの力で沖聖を呼んでほしい。あいつの魂が手には入れば、烏の化け物がきっと血相変えてやってくる」

「では、沖聖さまの魂をおとりに、呪いを解かせるおつもりですね」

長年かけて集めてきた情報をもとに立てた計画を話すと、早良はいつの間にか無表情の鉄仮面をかぶって応じてきた。

「そうだよ。呪いは、呪いをかけた奴にしか解けない。これしか、方法はない」

「そうですか」



これしか、もうないんだ。

求めてやまないはずなのに、求めているものはまるで空っぽで。

不安にさせないでくれ。

ただ未来に掴むものが、潤いであると信じているのだから。




「お兄さまはかつて、呪いをよろこんでいましたよね」

ふと、思いついたかのように早良は言う。

眉をひそめて見やると、大きな瞳がふたつ見つめかえしてきた。

「はじめは恐怖におののき、わめいていらっしゃいましたわ。けれど、呪いが魂の不死身であると理解できるや否や、大よろこびだったではありませぬか」

たしかに。

師実は、自分の記憶が、その魂が永遠に継続するものであると知ると、踊りだしそうなくらいよろこんだ。

馬鹿な烏だと嘲った。


しかし、どうだろう。

得てみたものは、永遠の苦しみでしかないのに。




「……お兄さまはいつもそう」

早良はため息まじりに、しかし鋭くまっすぐにこちらを見つめたまま言った。

「結局、あなたがほしいものはすべて、空っぽのガラクタなッ――」

気づけば、子供を殴り飛ばしていた。

まるで時間が制止したように、その瞬間ひとつひとつがゆっくりと目の前に横たわって流れていく。

カッとなった――そんな感情に似ている。


今すぐに目の前の口を塞いで黙らせたかった。

拳をおもいっきり引き、容赦なく頬にめり込ませた。

女を、しかも子供をこんなに力を込めて殴ったことはない。

子供は軽く飛んで、床に転がった。

うつ伏せに倒れたまま、しばらくピクリともせず、しまったという思いが駆け巡る。

彼女を心配したのではない。

彼女が息絶え、魂がなくなることを心配したのだ。




「――う、うぅ……」

うめきながら、それでも子供はのっそりと顔をあげた。

口のなかが切れて、唇の端から血がしたたる。

頬は赤く、そして内出血により青い痣ができはじめていた。



「なにを、動揺しているのです」

淡々と、彼女は殴られなどしなかったが如くつづける。

思わず目を見張った。

「なにを恐れているのです。殴ったとて、なにになりますか。わたくしはすでにあの世の人間――痛みなど、ありませぬ!」



そんなわけ、ない。

ないだろうよ。

魂をあの世から戻し、この世に戻したのだから。



「殴ればいい。何度でも言いましょう――あなたは愚かだわ。どうしてわからないのです。こんなことをしたって、力は手に入らな――」


柔らかい感触を潰す。

赤が舞う。

痛みに歪む顔が好きだ。

うめき、嘆き、命乞いをすればいい。

それをあざ笑ってやる。




「あのとき、わたくしはあなたに協力しなければよかった。ちゃんと言ってあげればよかった」

殴られても、またむくっと起き上がる早良。

人形のように、痛みなど感じないかのように振る舞って。

けれどやはり、殴った肌はあたたかい。

蹴った感触は柔らかい。

切ったそこから、赤が飛び出す。

生きているあかしが、これみよがしに転がる。



「兄さ……まが……求めているものは……なんでもない、ただの――」

容赦なんてしなかった。

頬を殴り、腹を蹴り、腰に帯ていた短刀でひっかいてやった。

それでも、彼女はガンとして助けを求めない。

荒い息だけが、静寂にやけに響いて、地を揺らす。




肩で息をしながら、おれは子供の頭をがっしりとつかんだ。

「おまえは、おれがなにを求めていると言うのだ」

「ただ――」


彼女の声は、ひどく強く見えた。

彼女の声は、ひどく残酷に聞こえた。




「ただ、死を」










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