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まるで地獄絵図。
だれか助けて、という叫びが、そこいらじゅうに充満しているよう。
バタバタと人間が倒れていき、うめき声で溢れかえる。
喜助が去った今、この場は騒然としていた。
だれもかれもが、なんのためにかわからず、ただただ刀を振るった。
殺らなくては、殺られる。
それだけが彼らを動かす原動力だった。
「大丈夫か」
地面に転がる黒い塊に近づき、トカゲはうろたえる。
頼りにしていた柱をなくしたような感覚に、彼は焦っていた。
化け物には、化け物を――そう思っていただけに、一瞬で味方の化け物がやられたのは衝撃的だった。
『もう……無理だ』
か細い声で蒼於が答える。
それがさらにトカゲをあわてさせた。
どうすればいいのか、皆目わからない。
ただ目の前の戦場を、見つめるしかできなかった。
「どうすれば……」
「危ない!」
不安にきょろきょろと頭を動かしたそのとき、強い声がかかる。
何事か理解する間もなく、矢が降り注いできた。
「――ちっ」
刀で何本か切り落とすが、何本かは腕を貫く。
焼けるような痛みにつづき、鈍い痛みが襲う。
「大丈夫かっ」
先ほどの強い声の主――正任が駆け寄ってきた。
「はやく行け。夜桜さまはすでに宮へ下がった。ここはいいから、おまえは夜桜さまをお守りしろ」
「ああ、すまない」
利腕をやられたこともあり、トカゲは素直に頷くと、ふらふらと立ち上がる。
思ったよりも傷は深いようだ。
トカゲが歩き出すと、正任は力なく横たわる烏に目を向けた。
「この烏も、一応手当てしよう……静紅!」
髪を一本に束ね、動きやすい身軽な格好をした女がやってくる。
「この烏を、宮まで。おまえもそこで待機していろ」
「あなたは……?」
「おれは、まだ戦う。宮は成彰さまのものだ。何人たりとも、侵入はさせない」
女は瞳を不安げに揺らした。
「でも……」
『おまえは、成彰の駒だろう』
蒼於の小さな、けれど鋭い声が女を射止めた。
ぐっとつまり、彼女はさらに瞳を揺らす。
「わたしは――正任!」
最中、切り裂くような悲鳴をあげる。
正任の後ろに、切りかかってくる人影を見たのだ。
刃は彼の頬をかすめ、そのまま下ろされ、脇腹を軽くこすった。
痛みに顔をしかめたものの、すぐに彼は応戦し、敵を切り捨てる。
「正任!大丈夫?!」
「平気だ。それよりはやく、行け」
彼の額に汗が流れ、やせ我慢に笑うのを見て、女はついに耐えられなくなった。
「わたしは!わたしは成彰さまの駒じゃない!わたしは、あなたの妻です」
叫ぶように言うと、彼女はさらに涙をこぼしながらつづける。
「あなたのいるところに、わたしはいます!もう、いやです。離れたくありません」
あっけにとられる正任をよそに、彼女は彼の唇を奪った。
「苦しいの。あなたに忘れられることが、苦しくて仕方がない。静紅であることは、もういやなの。ただの千深に戻りたい」
ここは戦場――しかし、言わずにはいられなかった。
涙はとめどなく彼女の顔を濡らし、落ちていく。
彼女は一度強く彼を見すえ、口を開いた。
「あなたは、わたしを憶えてくれているでしょう?成彰さまの術よりも、強く愛してくれるでしょう?」
正任の瞳が揺れる。
そのなかで、小さな葛藤のような渦が巻いていた。
やがて、その瞳が定まり、はっきりと彼女を射止める。
「……千深?やはり、おまえは千深……そうだろう」
「正任……さま」
声を揺すり、彼女はうろたえた。
信じられなくて。
幸せすぎて。
「おまえは、おれの千深だ。おれの大事な妻だ……静紅じゃない」
次に言った正任の言葉は、強くはっきりとしていた。
思わず涙ぐみ、ほほえむ千深に、正任は応えるように彼女の肩を強く抱いた。
幸せだった。
たとえ、こののち、この身が朽ち果てようとも。
『裏切りだ……静紅。おまえは……ただの人形だ』
刺すようなまなざしで、息も切れ切れに言う烏に、千深は我にかえった。
裏切り――それは彼女の愛する者の命が危ういことを示している。
それだけは、許せないことだった。
急に怯え出す彼女だったが、正任はけろりとしていた。
術が解け、成彰に従う必要のなくなった彼にとって、成彰など怖くはなかった。
そして、すべてを理解した。
「トカゲが……あいつが、成彰との繋がりだったのか。あいつが、夜桜さまを裏切ったのか」
唸る正任に、千深は小さく首を振る。
「夜桜さまも、所詮は裏切りから権力を手にしている。もう、宮には、信じられるものはないわ……」
「ならば!なにを信念に、支えにすればいい」
唇を噛みしめ、正任は声を荒げた。
途端、傷口がうずく。
「とにかく今は、宮に戻りましょう。わたしはあなたと生きたい。お願いよ」
『なにが生きたいだ。おまえなど、成彰に始末されるだろうに』
皮肉を込めて笑う烏。
正任は一瞥し、刀を烏に向けた。
「黙れ。もう騙されない。成彰にも、千深は渡さない」
「正任さま――」
「いたぞ!宮の人間だあ!」
「捕まえろぉッ」
突然、湧いたように敵が現れた。
準備する間もなく、取り囲まれ、矢が放たれる――。
矢が放たれようとした、そのとき。
「下がれ!こいつに手出しは無用だ」
顔をあげた千深と正任の前に、ひとりの男が立っていた。
茶色の髪を揺らした、端正な顔の男。
正任は驚きに顔を歪めた。
「貴様に……助けられたくなど、ない!」
歯を剥き出して唸る弟を見、彼はため息をこぼした。
「いいから、傷をみせろ。強がったって、大切なものは守れない」
「なにを――」
「護りたいならば、周りを見ろ。最善を知ることが、おまえにはできないのか」
高安は、ちらと千深を見てほほえんだ。
「弟を守ってくれて、ありがとう」
戦闘は、その行方は、決着に近づいていた。
宮方は混乱に陥り、圧倒的に夜呂たちの戦力の方が勝っていた。
かくして、宮方は降服した。
傷つき、降服した人間たちの手当てを、夜呂方は惜しみ無く施した。
加世は薬籠を持ちながら、戦場跡を歩き回っていた。
傷つき、動けなくなった人間はいないかと探っていたのだ。
パチパチと火が散る。
焦臭さが漂っており、建物が何軒か焼けたようだと確信する。
血生臭さに顔をしかめながら、彼女は倒れている人間に声をかける。
宮に近づくほど、力尽きて倒れる人間は多かった。
ふと、ひとりの男が目にとまった。
仰向けになっていたので、胸が上下に動いているのが見える。
いそいで駆け寄ると、それがトカゲであることがわかった。
ひどい怪我だ。
顔や足に火傷を負い、切傷もすくなくない。
「大丈夫?」
あわてて薬を取り出し、手当てを開始した。
「……サソリ?」
ふいに声があがる。
片方だけの目をぼんやりと開けて、彼は加世を見ていた。
彼は手当てしている少女を憎々しげに見やった。
「……やめろ」
加世は怪訝そうに眉根を寄せる。
すると、トカゲは再び口を開いた。
「おれはもう、いい」
「なにを――?」
「復讐は、果たしてしまえばなんの価値もないんだ……」
弱々しかった。
加世にはなぜか、彼が泣いているように思えた。
唾を飲み込み、加世は手を動かし、彼の火傷に薬を塗りはじめた。
「ええ知ってたわ。復讐なんて、価値のないもの」
作業を進めながら、彼女は言う。
彼女も泣きたかった。
一族が滅び、もう恨むことしかできないと、そう思ったこともあった。
しかし、気づいたのだ。
それはあまりにも、悲しいことだと。
トカゲにも、わかってほしかった。
「殺せ。妹が待ってる」
にらみつけ、やはりうつくしい声でトカゲは言った。
加世は唇を噛みしめた。
「あなた、ちょっと黙りなさい。あたしは毒をつくるのだけが存在価値じゃないってこと、教えてあげるわ」
救ってみせる――彼女は、そう心のなかで言った。
荒れた地。
かつての華やか、雅やかな、宮。
黄祈は飛んでいた。
はやる気持ちは抑えられそうになかった。
ただ、どうしようもなく、不安に駆られていた。
ひとり屋敷の様子を調べにいった彼女は、そこで驚愕の事実を知ったのだ。
すぐにでも、夜呂たちに知らせるため、休みもせずに飛んでいた。
やがて、戦場あとに立って後始末をしていた、彼らが目に入る。
「黄祈!」
黒い目の少年――夜呂が気づき、声をあげた。
烏は泣きそうになりながら、開口一発に告げた。
『屋敷が!姫が!!!』
闇が広がる――。
きっと、だれもがそれを痛感するだろう。
なんとなく、気づいていただろう。
世界が動いている。
――暗闇に向かって。
*第四部 完*
これにて、第四部は終わります!
お疲れ様でしたぁ〜♪^^
ちょっと展開はやかったかな、と。。
後々修正していきたいですね。
お次はいよいよ、あの方視点!
ずっと書きたくて、前から書いてて・・・
次の目標は「涙」です。
では、次回まで、どうも。