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微妙に暗かった空が、東から徐々に白み、赤らみはじめる。
今の時分を知らなかったから、つい夜に近いのかと思っていたがそうではないらしい。
朝。
夜明けだった。
「こ、こやつがどうなってもいいと言うの?!」
夜桜は憤然と尋ねてきたが、それに答えたのは、捕われている夜呂だった。
「アンタ、相手をわかってないよ。喜助がおれなんかのために、わざわざ捕まるわけない」
「そんな……くっ」
「それに、加世をおびきだそうとしたって無駄。犠牲は仕方ないって、話し合ったのだから」
淡々と言う少年をにらみつけ、夜桜は平手で彼の頬をたたいた。
「黙りなさい。ええ、犠牲は仕方ないでしょう。ならばお望み通り、用なしには消えてもらいます」
夜桜は正任に目だけで合図する。
一瞬躊躇ったが、すぐに彼は刀を抜いた。
すらりと、無駄のない動作で。
「……高安は」
ぽつり、と夜呂は言葉を落とす。
「……アンタを待ってるよ」
正任の眼がひんむかれる。
それから正気を失ったように、感情を高ぶらせた。
「うるさい!おれは……おれは……」
「はやく殺りなさい」
夜桜が命じる。
正任は目を見開き、勢いよく刀を振り下ろした――
はやくこいよ。
貴様の大事な主人が、弟に殺られちまうぜ。
――カキィンと金属と金属のぶつかる音がして、刀はすんでのところで動きをやめた。
正任の刀にあたったのは、一本の矢であった。
「夜呂!」
現れたのは、弓矢を持った、男。
キリリとした顔立ちの、切長の眼をした男。
茶色みがかった髪を揺らし、息をきらせながらも、その瞳だけは鋭く油断なく光っている。
弓を構え、敵に向けていた。
「高安!」
夜呂が叫ぶ。
正任はそれを聞き、ついに刀を足元に取り落としてしまった。
ギリギリと目一杯矢を構えながらも、高安もまた、正任を見やる。
「動かないでくださいね」
そっと声がして、夜桜が息を呑んだ。
いつの間にか、彼女の喉元には小刀がそえられていた。
こんがり焼けた肌をした、にっこり笑顔の優男。
まさか、再び目にするとは。
「うわ、なに、この懐かしい顔触れは」
ゆっくりしなやかな動作や言動。
しかし、彼の動きひとつひとつには油断ならないものがある。
「虎徹……?なんでここに」
間抜けな顔で夜呂が男に問うと、彼はニコっと笑いながら応えた。
「ボクはただ、道案内のついでに加勢しただけですとも。報酬はたっぷりもらいすから、安心してください」
あきれ返る夜呂をよそに、虎徹は依然とニコニコしながらつづけた。
「なぁに。それより、自分の心配をした方が得策かと。なにぶん、アンタの従者は怒ってるから」
それは言うまでもない。
高安は親バカな気質があるようだ。
「そうだ!夜呂、帰えったらみっちり叱ってやる」
高安が目を敵から離さずに言う。
「だいたい、置き手紙だけで出ていくなんて、こっちの身にもなってもらいたいよ」
夜呂が解放された。
見た目よりも気力はあるらしく、高安など馴染みの顔を見た彼は笑顔になった。
「ひどい格好だな」
「大きなお世話」
高安の皮肉に頬を膨らませた夜呂だったが、すぐに照れくさそうに頭をかいて付け加えた。
「……ありがと」
『おい、そこの人間』
突然、空から蒼於が唸り、見上げる夜呂たちにつづけて言う。
『今なら、無事に逃がしてやる。だからさっさとこの場から消えろ』
「断る」
夜呂は烏をにらみつけた。
「加世の毒を狙ってる奴らを野放しにはできないね。それに、喜助を救出するのが目的なんだから」
そう言った夜呂にいちばん反応したのは、高安であった。
「喜助?あの屋敷の烏のこと……か?」
「あとで詳しく話すよ。それより、正任が……」
高安は呆然と立ち尽くす正任に目を向けた。
ふたりの兄弟は黙って、静かな驚きを迎えた。
「正任……なのか」
再会。
いいね。
運命は偶然にも絡まるものだから。
『お取り込み中に悪いが、おとなしくする気がないなら、消えてもらう』
夜桜が捕まっているにも構わず、蒼於の号令が唐突にかかる。
鷲や鷹、それから武器を持った人間たちがいっせいに踊り出た。
圧倒的に不利……そう思われたこの状況。
しかし、わかっていた。
気配があることを。
役者はせいぞろいってワケか。
頼もしいじゃないか。
どんどんおもしろくなっていけばいい。
おれはその頂上からすべてを見下ろしてやろう。
白い煙幕が敵陣に投げ込まれた。
小さな爆発音がして、姿を現す数名の生き物がいた。
「夜呂さん、大丈夫?!」
「遅れた、すまぬ」
加世と呉だった。
煤だらけになりながら、手足にいくつも傷をこさえてやってきた加世。
きっと必死だったのだろう。
――だれのために?
そして、加世の目がおれに止まる。
懐かしい気さえした、その目に。
驚きとうれしさにあふれる涙を止めることもせず、彼女はおれに駆け寄ってきた。
「喜助!」
まっすぐで、純粋な娘。
おれにはおまえがまぶしすぎた。
すこしの間だけだったけれど、加世と過ごした日々はとてつもなく愉快だったよ。
『加世、幼皇は?』
おれの問に一瞬彼女はきょとんとする。
「暗紫のこと?彼なら、今は山寺に預けてる」
『そうか』
一目見たかったが、まだお預けか。
残念に思っていると、加世が口を開いた。
「逃げよう。あたしたち、あなたを助けにきたのよ」
引っ張られる腕を振りほどき、かすかに微笑する。
『オレサマは人間じゃない。貴様に助けられる筋合いはない』
「黙んなさい!知ってるわ、そんなこと」
カッと怒る加世。
意地でもおれを連れて行こうと、再び手を伸ばしてきた。
それをかわし、距離をとる。
『まだおれにはやらなきゃならないことがある。邪魔するなら、貴様にだって容赦しない』
加世、一応おれはアンタを気に入っているんだぜ。
執着せずにいられるお気に入り。
加世はびくりと肩を震わせ、悔しそうに顔を歪めた。
おれのために、そんなに必死になる意味がわからない。
つくづく、おかしなイキモノだ。
『――だれにも、邪魔はさせない』
そう、だれにも。
復讐はまだ、終わっちゃいないんだ。
ニヤリと不敵に笑って、おれは地を蹴りあげた。