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悲鳴……絶叫が響く。
ただ意識のすみでそれを聞いていた。
こんなことって……
姫――おまえはおれを憎まなかったんだな。
憎しみこそがおまえを救う最大の武器であったというのに。
それを選んだか、おまえは。
破滅の道を選んだ姫は、もうその存在をマヨナカさまに奪われてしまった。
愚かな姫。
なんで憎まなかったんだ……。
叫びは止んだ。
姫はがっくりと肩を落とし、うなだれるような格好で座り込んでいる。
しかし、次にはバッと顔をあげ、ニヤリとほくそ笑んだ。
『ついに手に入れたか』
姫――姫の身体に入り込んだマヨナカさま――は、にやにや笑いながら立ち上がる。
さもおかしい、と言うように、彼女は肩を揺すった。
『フフ。心地ヨイ。コノ娘ハ染マリヤスイ』
『屋敷……いや、貴様と契約を交した娘だからな』
『満足ダ。コレデコノ世界ハ――我ガ手ノ内』
女は黒髪をバサリと振って、優雅なしぐさで歩きはじめた。
光はないのに、彼女の顔は青白く、ほんのりと発光しているように見える。
黒い衣をまとった娘。
闇に気に入られた、あわれな姫。
『約束ダ。解放シテヤロウ』
にっとして言うと、女は指を自身の口へと向ける。
やがてその指先からほのかな光が生まれ、黒光りしたものが口から浮き出てきた。
丸く歪んだ、朧な魂――沖聖の念。
『持ッテイケ。我ハシバラク、コノ娘トノ同調ニ専念スル』
姫のなかのマヨナカさまは言うや否や、衣を翻して立ち去った。
おれは手の上に浮かぶ、彼の魂を見やる。
やはりそれはあたたかだ。
ずっと闇のなかでさ迷っていたこの魂……やっと自由にできたのだ。
うれしさが込みあげる。
おれは口もきけなくなった沖聖にほほえみかけた。
昔の自分に戻ったようでこそばゆい。
なんだか、だれにもこなせないような命令を果たしたときの気分に似てる。
沖聖に「よくやった」と誉められているような。
『今、還してやるからな』
ささやき、おれもその場をあとにした。
空に、濃紺の雲がたれこめていた。
空の青よりも色濃く染まったその雲は、強靭な意志を思わせるような、そんな雰囲気を持っている。
時は夜になりかけていた。
『おまえには似つかわしくないな』
ぽつりと沖聖に話しかける。
彼には朝日の入りはじめた静かな早朝か、星々のきらめる宵に昇ってほしかった。
今は半端な時間のような気がして、おれは沖聖の魂の解放を渋り、とりあえず時が移り行くのを黙って眺めていた。
沖聖は、おれが持ってないものをたくさん持ってた。
富も地位も栄誉も、それから慈悲の心も。
彼のすべてが、おれにとっては光だったんだ。
彼に認められたくて、彼のいちばんでいたくて、おれはどんなことだってできた。
苦しみだとか、そんなものとは無縁だった気がする。
ただ、アンタがいてくれればよかったんだ。
アンタが幸せに笑ってくれるならば。
沖聖……。
夜空に星がまたたきはじめる。
鳥は普通、暗いと目がきかないもので、鳥目と言われているが、屋敷の烏たちには無縁な悩みだった。
屋敷の烏は、闇こそ、真の居場所だからだ。
ぼんやり浮かび上がる沖聖を見る。
彼は夜空にぽっかりと浮かぶ、月のような存在。
『先に逝って。あとで必ず、おれも逝く』
揺らぐ魂をそっと手放す。
きらめく星に向かって、迷うことなく昇れるように。
今宵の月は、泣きたくなるほど、うつくしかった。