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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第四部 鴉の王
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******







揺れる波間のよう。

それは冷たく、鳥肌がたつ。

身の毛もよだつような恐ろしさのなかで、幸か不幸か、彼女は目を醒ました。






まっくらだ。

いや――ちがう。

姫はぼんやりと開けた目を険しくさせて、辺りの状況を確認しようとした。

身体は鉛に沈められたような、大岩に押し潰されているように、信じられないくらい重い。

それでも姫は頭を振って意識をはっきりさせた。




――喜助?





そこには、怖いほど無表情な喜助がいた。

こんな彼は今まで見たことがない。

父母が殺されたときも、玄緒たちが反乱を起こしたときも、夜呂たちを無事に帰してやりたいと申し出たときだって、こんなに冷たい眼をしていなかった。

冷たい――というよりはむしろ、なにもないと言ったほうがいいかもしれない。

冷たさすら越えた、無が広がっていた。

姫は一瞬、彼が死んでしまったのかと疑ったくらいだ。




――きすけ。

そう呼ぼうとして、ハッとする。

自分の状況をはっきりと理解した。



――呑まれている。


今や、姫は身体すべてと顔のすこしが、黒い靄のようなものに包まれていた。

それはすこしずつ姫の身体に入り込んでいるようで、身体の感覚は鈍っている。

先ほどからの身体のだるさの原因を知った姫は、ぞっとした。

ぞっとしてから、どうして喜助は助けてくれないのだろうかといぶかった。



「きすけ」



名を呼ぶ。

いつも真っ黒い翼に覆われた兄。

横暴なところもあるし、無神経だけれど、なにより皆のことを考えられる、長にふさわしい烏。

姫の頼れる、たったひとりの存在と言っても過言ではなかった。



「きすけ。たすけて」



舌がうまく回らない。

それでも懸命に呼んだ。

その名を信じて。




彼と目が合った。

焦りはじめた心に、姫はかすかに希望を見い出した気がして、内心喜んだ。

しかし、次の瞬間――それは砕け散った。



『姫が意識を取り戻した』

ぽつりと彼は言い、再び瞳に暗い陰を落とす。

何事かと考える暇もなく、姫を取り囲む靄から声があがった。


『オ目覚メカナ、我ガ君』

度肝を抜くような、恐ろしい声。

低くはない。

無邪気な子供のような調子でその声はつづける。

『今カラオマエハ我ガ入レ物トナッテモラウ。喜ブガイイ』



――冗談じゃない。

頭が急に冴えてきて、姫は目を見張り、あわてて手を喜助へと伸ばす。


「喜助!助けて!手をかして」

しかし、伸ばした腕は虚しく宙を切るだけだった。

「き……すけ……?」




――どうして?




途端、恐ろしい予感が頭をよぎった。

疑いたくなんてない。

だが、もしかして……。



結果は知れた。

喜助は前髪をはらうと、にやりと口元を引き上げた。

目だけは笑わず、じっと彼女を見すえて。


『姫。それはおまえの仕事だ』






愕然と、姫は彼の言葉を聞いていた。

――仕事?

闇に巣食われるのが、わたしの仕事?

闇に侵食されながらも、ただ信じて疑わなかったひとりの存在。

それが今、ガラクタも同然に崩れさっていく。


悲しいだとか、悔しいだとかいう感情は追いついてこず、ただ「なんで?」という疑問だけが切実に胸に迫ってきた。

呆然として喜助を見やりながら、じわじわと姫を蝕む感情は、「さみしい」――それだけだった。




――喜助ははじめから、わたしを兄妹だとは思ってくれていなかったんだ。

真実だけが、裸体のまま目の前に転がっている。

――今までのことは、このときのために仕向けたものであり、すべて演技だったのか。

名もつけようのない感情が胸を締めつけ、息苦しさを感じる。

闇の靄に身体をのっとられるということよりも、姫はただ形を為さない、そのあやふやな感情に衝撃を受けていた。




『なぁ姫。オレサマが憎いか』

唐突に喜助が言った。

せせら笑いを浮かべながら、のんびりとした調子で、姫から目を離さずに。

「に……くい……?」

『そうだ。おれに裏切られるなんて、衝撃的だろう?悔しくて悲しくて、おれが憎いだろう?』


にやにやとそう言う喜助を、姫は理解できなかった。

今自分が抱いている感情が、この唐突に湧き出た感情がなんなのか知れない。

しかし、喜助の言う憎しみともまたちがう気がするのだ。

ただその種を決めかねて、姫の心のなかでうごめいている。

さみしさに似たこの感情――憎しみではなかった。




『怨め』

喜助は強い口調だった。

そのまっくろな眼も、鋭さに拍車がかかったようだ。

冷たく凍ったとがった氷の剣のようなその視線に、姫は身をすくめる。

なにかもわからぬ感情が、悲しみに形を変え出して涙をこぼさせる。

ぶわっと目からあふれる涙は、無情にも姫から視界を奪った。


『そうだ。悔しいだろ。悲しみのなかに、憎しみがある。それはマヨナカさまの源――貴様にぴったりだろう』



姫は口がきけなかった。

ちがう、と言いたいのに、口は動かない。

喜助は誤解している。

そして自分は誤解されたまま闇に身体をのっとられるのかと思うと、切なくて仕方がなかった。




――無理だ。


わたしは、このまま消えたくない。

身体を失ったわたしはどうする?


……約束があるのに。

夜呂との約束が、まだあるのに。





ふっと、彼の顔が蘇る。

――わたしの耳には、赤がある。

彼の赤いピアスがともにいてくれる。


『姫、おれを憎め』



再度彼はそう言った。

強い意志を感じさせる声音で。





――喜助。

無理だよ。

わたし、まだ知りたいことがある。

やりたいことがある。


約束がある。


だから……







「き……すけ……わたし――」

『黙レ』


闇が唸った。

身体に、切り刻まれるような激痛が走る。



「いやあああああぁぁぁあぁああぁ!!!」





彼女は絶叫した。

そして、ついに姫は闇に支配された。



胸にひそむ、その感情の正体もわからないまま。











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