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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第四部 鴉の王
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******








『コッチダヨ』






意地の悪い、声。

虫唾が走る。

こんな奴に、姫を渡したくはなかった。

いや、本当は渡したくて仕方がなかった。


はやく、はやく、と急く気持ちを押しとどめて。





その方はそこにいた。

身体はなく、ただぼんやりと黒い霞がかったようなものが漂う。

なにも知らない人間ならば、きっとただ黒雲が闇のなかで浮かんでいるように見えるだろう。

もっとも、この深い闇のなかで目が見えればの話だが。



『連レテキタカ』

マヨナカさまはうれしそうな声を震わせた。

やがてそれは人間の手の形をとり、姫を愛しそうに撫でる。

虫唾が走った。



『コノ入レモノハ壊レナイダロウカ?』

高ぶる感情をどうにか押し殺して、おれは口を開く。

なるたけ不快感を口に出さぬよう気をつけて。

『大丈夫だよ。これは長い間屋敷の主を努めたんだ。不足はない』

『ソウカ。ナラバイイ。サッサト、ソレヲ渡セ』

うやうやとうごめき、黒いぼんやりとした霞はさっと手をのばしてきた。

それを肩でかわして、おれは姫を抱きしめたまま距離をとった。




『何事ダ、喜助』

『いや、待て。そう焦るな』

まだ、やらない。

そう易々と渡せない。

『取引しようぜ、マヨナカさまよ』




おれはずっとこいつのためにやってきた。

苦しみではなかったけれど、確実になにかを失ってた。

人間の最期の念がたっぷりつまった目玉を喰うごとに、その闇の念をマヨナカさまの一部にするごとに、おれはなにか冷たいものを取り込んでいるようだった。

彼らの最期の苦しみや嘆き、憎しみ、それから懐かしさや愛しさ……そういう感情を、まるで自分のことのように感じられた。

そうして沖聖との思い出を、あの彼との最後の記憶を胸に刻み込む。


やがておれは生きている人間の目玉まで喰うようになった。

生きている人間の目玉には恐怖がたっぷりある。

それは美味だった。


そう、たとえば……翠冷の目玉、とかな。

あいつは目の前で妹を殺されたから、信じられないくらいの怨みの念がつまってた。

屋敷に侵入した人間は烏に襲われるのがふつうだが、おれは翠冷を生かした。

例外だったが。

たぶん、期待していたんだ。



恨め、怨め、ウラメ……


そうしておれを追ってこい。

おれは逃げも隠れもいない。

ここにいる。



――奴はおれにたどりついた。

半分おれの方から行ったようなものだが、あいつとは偶然出会った。

運命かもしれない。

思ったとおり、翠冷は怨みを忘れてはいなかった。

あのまなざし――鋭く、冷たい、憎々しい目。

きらいじゃない。

あの憎しみに満ちた眼は、たまらなかった。





『取引キ?オマエ、ダレニ向ッテ口キイテル?』

『その言葉、そっくりそのままお返しするぜ』

笑みがもれる。

とめどなく、たまらなく。

『貴様は姫の身体がなきゃ復活できない。まだ微力な闇に過ぎないのさ』

カカカと笑ってやると、マヨナカさまはあからさまに不機嫌になった。


『契約違反ダ』

『ああ、別にかまわないね。おれは不死身が飽きてきたし……』

おれは姫を足元に下ろし、懐から小刀を取り出して、それを彼女の首に押し当てる。

『さあどうする。取引きするか、しないか』



黒い靄はうらうらと揺れていたが、やがて理不尽だというように唸ってから、やっと承諾した。

すべて、うまくいった。




『おれからの要求は、沖聖の魂の解放だ』



沖聖、今、自由にしてやるから。

言っただろ?

アンタには暗闇は似合わない。

安らかな眠りが似合ってるよ。

光に満ちた世界にいくがいい。

おれのことなんて、忘れてしまってかまわないから。



『姫を取り込んだら、アンタは沖聖の魂を解放する。約束だ』

『承知した』



小刀をしまい、もう一度姫に目を戻す。

長い睫毛が瞳をおおい隠し、白い肌に漆黒の髪がかかっていた。

繊細で、透明で、気高く、うつくしい姫。


おれはおまえを犠牲にしたなんて思ってないよ。

後悔もしてない。

ただ運命に任せ、任せながら自分で道をつくっただけ。

姫、運命はいつも足元に転がってるもんなんだ。

それを拾うも捨てるもそいつ次第だし、選ぶのも自分なんだ。

おれはおまえの運命に、良くも悪くもすこしばかり手をかしたに過ぎない。


さあ、選べ。

それとも、おまえが運命に選ばれるか?





奇跡みたいだった。

おまえと出逢えたこと、奇跡だと思った。

おれの心はいつも冷めていたけれど、烏の王は虎狼の心を持っていたけれど、姫に触れて心地よかったんだ。

あたたかく、苦しかった。

沖聖に求めてたものが、姫にはある気がしたんだ。

恋だとか、家族愛だとか、そんなのに比べられないほど大きい、無償の愛。



許してなんて言わない。

ただ、すこしばかりさみしいだけだ。



おれはかつてのおれになるから。

烏の王に、なるから。


この心が揺れぬよう、まっすぐに進めるように。





姫を抱えあげ、おれはそのまま彼女をマヨナカさまに放った。

黒い闇の靄は、獣が餌にたかるように、姫にのびていった。








……姫の身体が黒い煙に侵食されはじめるのを、おれはじっと眺めていた。

じわじわと姫を取り込み、それは大きくなる。

はじめ、そいつは姫を確かめるように触っていた。

入れ物の質を確かめるように。

それから満足したのか、そいつは姫の身体に溶け込むように入りはじめる。

正直、気味が悪かった。



姫はこのまま、魂をマヨナカさまに取り込まれ、身体をあけ渡すことになるだろう。

これで完全に屋敷の主が現れるというわけだ。

闇を力に持つ、烏の屋敷の主……

そいつはいったい、なんのために存在するのか?




姫が闇に呑み込まれるのをぼんやりと眺めていると、頭には走馬灯のように彼女との思い出が流れていった。

木の実とりに行ったこと、烏いじめを発見したこと、赤ん坊の烏をなだめたこと、紫のピアスをあげたこと……

思えば、いつだって姫は好奇心旺盛で、明るい娘だった。

屋敷の主になってからも、彼女はよく笑っていた。


いや、ちがう。

すこしずつ、彼女から笑顔が消えていったんだ。

派閥があり、辛さもあり、陰で起こる陰気な出来事に姫はうんざりしていた。


――彼女は独りだった。


おれを過剰に頼りはじめ、どこか自分から一線を引きはじめた。

真夜中には、夢で人間の母親の子守唄を聴いたらしい。

彼女はいつだってさみしかったんだ。



あれは、たしか南と北の国が戦争をはじめたころだっただろうか。

おれの留守中に、人間がふたり屋敷にあがっていた。

いやな予感はしていた。

なにか、なにかがあったと。


そいつらが屋敷を出ていった日、おれは彼女の指に光る銀色の指輪を見て、ぞっとした。

姫が、屋敷の姫ではなくなったように思えたのだ。

案の定、屋敷はときどき姫から離れるようになった。

そうして気がつけば、マヨナカさまは徐々に力を取り戻しつつあった。




――そのとき、黒い影がうめいた。




姫、沖聖……

どうかこの執着を赦して。

いつからか――沖聖を疑ってからか、烏になってからか、目玉を喰ってからか、姫と出逢ってからか――わからないけれど、おれはそれに執着してた。

なになのかはっきりとはつかめず、ただ漠然と望んで求めていたものだ。

ただ、わけもわからず、失いたくなかった。



そう、すべては……




だれかの寵愛を得たいから。











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