第二章 寵愛
いよいよダーク感が・・・たっぷりだといいな。
【第二章 寵愛】
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以前、こっそりと姫が言った。
「喜助って、なんだか高安に似てる」
高安?と思って首を傾げる。
それから、そいつはたしか夜呂とかいう小僧の従者だったことを思い出す。
姫はケラケラ笑いながらつづけた。
「不服?でもね、なんだか似てるのよ。鋭い感じだとか偉そうなところだとか……それに、護ってるところだとかね」
『護ってる?いったい、オレサマがなにを護ってるって言うんだ』
意外に思って尋ねたが、今度は姫がびっくりする番だった。
それも、自分で言った言葉の理由がわからなくてだ。
ちょっと顔をしかめてから、姫は唸りながら考え込んだ。
「うーん。高安は夜呂という主を守っているの。だけど喜助は――」
おれは、なにを守っている?
「――わたしではないわね」
くすりと笑って口の端をあげながら、しかしその眼だけはしっかりとこちらを見て、姫はそう言った。
一瞬ギクリとする。
してから、そんな自分に苛々する。
『おれは姫を守っているだろう。なに言ってんだ』
わざと心外そうにうそぶく。
ガァガァ鳴きながら反論を繰り返し、心のなかでは焦りながらほっとする。
「わかった、わかってる。喜助はちゃんと、主のわたしを守ってくれてるね」
姫はあやすように笑う。
――そうだよ、姫。
おれは姫の味方じゃない。
姫を守っているわけじゃない。
姫は勘がいいし、賢い子。
ああ、いいぞ。
ぶるりと奮える。
姫、姫、おまえはおれの予想を越えればいい。
想定外に動けばいい。
それがおまえを救う、ただひとつの方法だから。
『ああ、あの男……昔のおれたちにそっくりなんだ』
くくっと含み笑いながら、夜呂と高安を思い浮かべる。
かつての沖聖と自分のような関係だ、と笑いながら。
『あいつ……』
そして、あの男を思い起こす。
暗闇のなかで、姫に手をのばしたあの男――金色に見える髪、揺るぎない自信のある瞳、唇の端をあげてつくる笑み――すべて、そっくりだった。
野望に燃えながら、どこか暗く、陰気で、ずる賢い男――師実の魂を引き継いだ男。
あいつは今、ひたひたとその手を伸ばしはじめている。
なにものも恐れず、食いつくそうと。
あいつ――成彰が狙っているものは、まさしくマヨナカさまだろう。
『思い通りになどさせない』
おれは貴様を許さない――そう、言ったはずだろう?
逃さない。
貴様はずっと苦しんでいればいい……。
呪縛からの解放は、させるわけにはいかない。
ああ、おもしろい。
そうして今度はすべてオレサマの手の内。
成彰――否、師実よ。
貴様は昔も今も変わらない。
自身がすべてを握っていると思い込み、己の愚かさに最後に気づく。
貴様にすべてはわたさない。
せいぜい、その場で踊っていればいい。
見ててやるよ。
貴様の無様な泣き顔を。
ひたすら眠りについている姫を見やる。
まだ先は長く、暗闇の道はつづいていた。
姫を抱えながらもの思いにふけり、歩いていたが……
いつの間にか足を止める。
黒髪が風もないのに揺れていた。
ずっとだれかに依存してる?
執着している?
いや、ちがう。
おれはなにかを待っているんだ。
歩をやめ、そっとその場にあぐらをかいて座る。
遠い昔幼い姫にやってやったように、おれは彼女をそこにのせる。
『……憶えているか、姫』
その黒くうつくしい前髪をなでながら、おれは口を開いた。
『おまえがはじめて笑った日のこと。泣いた日のこと。おれは忘れたことなんてなかった……』
きれいな姫。
人間でありながら、烏の屋敷の主を努める姫。
気高く、気品のある女――
おれとおなじ、居場所のないイキモノ。
姫。
おまえ、いつになれば目覚める?
ここでいきなり目を覚まして、おれを罵ってくれればいいのに。
いっそ、この首をしめてくれればいい。
今はヒトガタ……
人間のおれには、烏のときほどの力もないんだ。
なぁ、姫……?
『――ッどうすればいいんだっ!』
姫にすがりつく。
ああ、こんな感情なんてほしくなかった。
いらない。
捨てたはずなのに……
慈悲だとか、情けだとか、そんな生温いものは必要ない。
ただぞっとするだけ冷たい鋭さがほしい。
冷酷なまでに切り捨てられる神経でいたい。
だからいやなんだ、ヒトガタは。
いつも脆くなる。
それに――
姫のそばは、沖聖の隣のように、居心地がよかった。
息をはく。
そろそろ行かなければ――?
ふいに目に入ったそれに釘付けになる。
姫の耳にきらめく、赤い、ピアス――。
なぜ、赤?
『――あいつか』
ふふっと口のなかで笑う。
ああ、あいつの赤だ。
あの人間の小僧と、いつの間に接触したんだ?
……なぁ、姫。
おれは虎狼の人間なんだぜ。
おまえをめちゃくちゃにしてやろうか?
おまえの大事なそいつを、マヨナカさまに捧げてやろうか?
そうすれば、おまえは必ずおれを憎む。
そうして人間に戻る。
なぁ、いい考えだろう?
「喜助の笑顔はいつも無邪気ね」
いつか、加世が言った。
ささいな会話のなかで、そう言った。
「八重歯を見せて、こう……ニカッと笑うのよ。だからみんな、警戒せずに安心してしまうんだわ」
ああ、加世?
おれはそれを聞いて、心のなかであざ笑っていたんだ。
なるほど、笑顔は騙す武器になりえるのだ、と。
彼女は汚れをきらう人間だった。
ひたすら光を求める少女だった。
まぶしすぎて、ときどき目がくらんだ。
加世、貴様こそ、明るすぎる笑顔だった。
おれは今、その笑顔すら、握り潰そうとしている。
きっと彼女は泣くだろう。
それでも――
おれは止まることを許されないから。
背けるはずはないから。
ただ、ひたすらに堕ちるだけなんだ。
顔をあげ、姫を持ち上げ、立ち上がる。
深い、深い闇に向かっていこう。
怖くなどない。
そこは本来、懐かしい場所。
イキモノが安らげる、真の場所。
『姫、おまえはだれにも渡さない』
胸が軋む。
人間の心が剥がれて。
どうか、許して。
もうすこし、おまえに執着することを。
彼女の耳にきらめく赤をにらんで、おれは強く願った。
彼女に自由になってほしい――そしてその反面、彼女を手放したくない。
好かれたい反面、憎まれたい。
矛盾を抱えて生きている。
それはきっと、烏の王としては不覚だけれど。
おれも真実を知りたいから。
行こう。
――最奥の、本当の間へ。