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「きすけぇー」
仔猫のような、ふにゃふにゃした声。
必死でガラガラ声を出そうともがく。
子供はにこっと笑いながら、なんの疑いもなくおれに笑顔をむける。
本当の親と離れ離れにさせた張本人に、子供は汚れない無邪気な笑顔で近づいてくる。
良心なんてないから、ちっとも気にしないけれど。
逆に馬鹿だな、と嘲笑うけれど。
この餓鬼だけは、手放すわけにはいかない……。
「きしゅけー」
両手をのばし、子供は見上げる。
黒い髪をバサリと揺らして。
今年、どうやらおれは“ヒトガタ”の時期らしい。
人間のぺたぺたした肌に嫌悪しながら、黙っておれはその子供を見ていた。
「きすけ、お腹へった。なんできすけ、黒くないの」
女の子供はそう言いながら、おれの髪をぱっとつかんでは放し、もてあそぶ。
表情なんかないおれ。
そんなもの、とうの昔に忘れてしまった。
だからうまく笑えないし、顔は妙に引きつるのだ。
とは言っても、表情を変える必要などないのだが。
「きすけ、いやなんだね。わかった。やめるね、ごめん」
ハッとして子供は言うと、しょんぼりと肩を落とし、腕を後ろにくんでもじもじしだす。
どうやら、この子供はわかるらしい……
おれの心情を、感じとれるらしい。
なんだかおもしろくなり、慣れない手つきながらも子供の頭を撫でてやる。
子供は縮こまり、しかし心地よさそうに喉を鳴らした。
漆黒の髪をした子。
長くのばして、烏の羽のように見立てればいい。
きっとうつくしくなる。
気高く、この烏の屋敷の主たるべく育つ。
いや、育ててみせる。
『ヒメ』
つぶやくように呼ぶ。
久しぶりに人間だった自分の声を聞いた。
子供は満面の笑みで応え、肩を揺する。
「きすけ、すき。だーいすき」
――いずれ、この子供は気づくだろう。
おれが向けている顔が、ただのやさしさではないということに。
そうしたら、どうするかな。
憎むだろうか……この子は。
姫はややおっかなびっくりといった調子で、横目にこちらをうかがうと、思いきっておれのあぐらをかいた上に飛び乗った。
目的を果たした彼女は満足そうな声を出し、やがてうれしそうに身体を揺らす。
……いつか、この子から笑顔は消えるだろう。
きっと思い切り笑えないほどの悲しみや苦しみを味わうかもしれない。
徐々に現実の世界を知り、その暗闇に身を委ねなくてはならなくなる。
そんなとき、彼女はやはりひとりぼっち。
おれは彼女の味方じゃない……
それを知ったとき、この姫はどうするだろう。
子供の白く、柔らかな頬に触れる。
ふわふわとして、羽毛よりも柔らかく、あたたかい。
姫はいつしかすやすやと眠りに落ちていた。
足が重みで痺れる。
――この子はきっと、泣かない。
唐突におれは思い知った。
なんの邪心もなく眠りこける子供を見つめながら、ハッと理解したのだ。
理由なんてわからない。
ただ、それはあっというまに、しかしすんなりと呑み込める真実だった。
この子供は、きっとどんな裏切りに合おうと泣くことはしないだろう。
自身の運命を知ったとしても、動揺することなく受け入れるだろう。
そうして彼女は心を放ち、虚空の烏のようになる。
姫は、ひとりぼっち。
ああ、ならばせめて、恨んでくれればいい。
身を引き裂かれるほど傷ついて、そしておれを恨めばいい。
そうすれば、彼女はこの“役目”を降りられる……
『矛盾してる』
ふっと自身を嘲笑う。
空は黄昏に染まっていく。
おれはだれよりも姫の幸せを祈りながら、だれよりも姫の不幸を喜ぶ。
姫を屋敷の主にしたいと思いながら、姫を解放したいと考える。
矛盾だらけだ。
きっと、おれの存在も矛盾だらけ。
おれは矛盾なしでは生きられないのかもな……。
姫は安らかな寝息をたてて、その身をおれにまかせる。
小さいころ、泣いていたおれを、沖聖はよくなぐさめてくれたっけ。
そうして泣き疲れたおれを、やさしく寝かせつけてくれた――。
涙は出ない。
どんなに懐かしく、切なくても。
あたたかい子供のぬくもりをじっくりと感じながら、空が黒紫に濡れていくのを眺めた。
『姫――泣くことを忘れてはいけないよ』
そっとつぶやく。
それが、自分の本心であることを信じて。
以上で追憶はおわり・・・かな?
あ、素敵なイラストをもらいましてw
見たい方は本館にいけば見れますので、どうぞv
またよろしくお願いします♪