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――また、夢をみた。
いつかと同じ……いや、すこし異なる夢。
ひたひたと響く。
足音?
まるで湖面に落ちた水滴が、波紋を繰り返すように響いている。
広がってゆく、なにか。
ひたひたと……。
これは夢か?
やたらはっきりとしている。
まるでだれかの意識のなかに入りこんだみたいだ――。
遊郭――目が痛いほど派手に着飾った女たちが、妖艶に舞っている。
そんな彼女たちの中心にいるのは、他とはまたちがう美貌と色気をもった女だった。
もう若い娘ではなかったが、彼女は威厳と言いようのない美に満ち満ちていた。
髪を結い上げ金の簪を頭につけ、化粧で肌は白く唇は赤い。
口の端のホクロがちらと艶やかさを見せる。
まぶたの上は紫に彩られ、彼女の妖しい瞳がいっそう際立っている。
男はお目当ての遊女を見つけ、満足そうに笑った。
「久しいな、華虞殿」
女はすこし首を傾げただけで微笑したが、あとはなにも言わない。
さらに男は言った。
「忘れたとは言わせないよ。なんなら、あんたを買って寝てやってもいい。そうすれば、いやでも思い出すかな……」
「……忘れてたわけじゃないわぁ。そんなこと、口が避けても申せませんよぉ。うちはただ、そちらのボウヤには、まだこの遊びは早すぎると思ただけですぇ」
女はにこりとして、独特なしゃべり方でそう言い、男の隣で半ば隠れるようにして立っている子供に目を向けた。
男はそちらを見やり、興味なさそうに肩をすくめた。
「ああ、こいつは客じゃねえ。ま、用心棒ってとこだ。おれは四六時中、命を狙われているからね」
「ふふ、そうでしたのぉ。ほな、その子うちの弟にでもなりますかぃ」
「冗談……こいつは手放すにはおしい」
男はそう言うと、子供の頭をがしりとつかんでかきなでた。
子供は驚くほど大きな眼をし、肌の色は浅黒く、口はとても小さい。
模様の入った服に手を通しているが、どことなく地味で闇に溶けて見えなくもない。
派手好きの男とは正反対に見えた。
まだ十かそこらであろう。
女は男に寄り、すねてみせた。
「かわええ子ぉ連れてんのねぇ。うち、最初は女の子かと思たわ。ねぇえ?まさか夜中も、この子供をそばに遣えさせるぅつもりぃ?」
金に見える髪を揺らし、男は笑う。
「もちろん。御前も、おれの命を狙う刺客かもしれないだろ?」
「あら、失礼だわぁ」
たがさほど心外な様子もなく、女は誘うように男の肩に手をかける。
キツイほどの香が満ち、子供はびっくりしたように身を縮めさせた。
それからぽつりと、まるで人形のように言葉を発した。
「成彰さま、この方、妖怪みたいです……」
あまりに小さな声であり、聞き取りにくかったが、辛うじて耳のよい男――成彰はきちんとその音を拾っていた。
「ハハ、妖怪とは、それまた大層な……」
「本当ぉに失礼な子ねぇ。ボウヤ、名前は?」
気を悪くしたふうもなく女が尋ねると、子供はおずおずと答える。
「……嶺遊」
「そう。なら、嶺遊?うちが妖怪なら、この人は獣ですぇ。夜は狼みたいな野獣になるんよ。あんたかわええから、気ぃつけなはれ」
「な、成彰さまが……野獣?」
き難しそうに顔を歪ませ、嶺遊はしばし思案していたが、こくりと頷いた。
「――まったく、しょうもないことを吹き込んでくれるね。で……話なんだが」
女――華虞殿は承知したとばかりに深く笑った。
踵をかえし、店の奥へと誘う。
「どうせ静紅さんがらみでしょうに。大方、彼女から情報を聞きそびれたってところでしょう。殿方はいつもそう……」
垂れ幕をあげ、彼女は白いうなじを見せて振り返り、顔中に笑みを浮かべた。
「いいですぇ。お入りなさい……楽しみながら、お話しましょか」
ぞくぞくとした優越感と興奮が彼を取り巻き、いいようのない狡猾な手段を思いついた。
女は賢いのに限る――特に華虞殿は察しが抜群にいい。
成彰は口の端を引き上げると、薄く笑ったまま嶺遊を引き連れて彼女に導かれていった。
――淡い色が揺れる。
目に映える、梔子色。
視界は開けた。
再び場面は変わり、今度はひとりの男――正任がいた。
なんだか浮かれない様子で、暗く沈んでいる。
しかし、次の瞬間に彼女に気づいてぱっと顔を輝かせた。
「千深!」
彼は駆け寄ると、彼女の肩を激しくゆすった。
「どこにいたんだ、心配しただろう!」
彼女は悲痛な面持ちでしばし彼を見つめていたが、やがてゆっくりと言葉を落とす。
「わ、わたしは――千深じゃない……」
はじめ、正任はなにがなんだかわけがわからないみたいだった。
怒ろうとしたが、ふと思うのだ――この、目の前にいる女の顔……見覚えがないな、と。
「わたしは、静紅。千深なんて、いなかった……」
正任はしばし沈黙していた。
目の前が見えていないらしい。
それからぽつりと、納得するように頷いた。
「ああ、そうだ。千深じゃない……彼女はこんな顔をしていない……あんたは、静紅だ」
「そう、よ」
震える声を必死で隠し、彼女は愛しい者に、腫れ物にでも触るかのように、様子をうかがいながら口を開いた。
「わ、わたしは、あなたの世話係。とても信頼してくださってる……そうでしょう?」
彼女の問に、正任はぼんやりと頷いた。
「ああ、とても信頼している」
暗示にかかったことを確認し、さらに畳みかけるがごとく、彼女はつづけた。
「なんでも話してくれるわね?どんな些細な情報でも……」
「ああ、もちろん」
「そしてあなたは、成彰さまに忠誠を誓うわね?あなたの主は夜桜ではなく、南の国の成彰さま……」
「ああ、そうだ」
今にも泣き出しそうに見えたが、なんとか彼女は感情を殺して言葉を呑み込んだ。
「……では、どこか邪魔にならない部屋にいって、情報提供してくださる?」
「ああ、いいとも」
もはや彼に正気などないかに見えた。
のろのろと歩きはじめる正任の背を追いながら、とうとう彼女はぽろぽろと涙をこぼしはじめた。
「……ごめんなさい……あなたは術を使わなくてもわたしを信じてくれた、ただひとりの人だったのに……ごめんなさい、正任さま」
その声はまるで虫が鳴くようなもので、男にはまったく届いていない。
それでも、彼に謝らずにはいられなかった。
「愛してたわ……わたし、あなたの妻になれて幸せだった。正任、わたし――」
「――千深?」
ふいに男は振り返り、きょろきょろと辺りを見回した。
目の焦点はあっていなかったが、それでもその声はしっかりとしている。
「千深?どこだ。お願いだ、帰ってきてくれ……おれにはもう、千深しかいないのに」
はじめ彼女はただ驚き、話し方を忘れたように呆然としていた。
まさか、自分のことは忘れさせたはずだったのに。
びっくりし、涙はとまっていた。
「千深……泣くな。千深、どこにいる……」
あてもなくさ迷うように、正任はしどろもどろしはじめる。
途端に胸に込みあげるものがあり、彼女は思わず駆け寄って最愛の彼を抱きしめようとした。
――が、そのとき、あの忌々しくも恐ろしい声が耳に蘇ってきた。
「あいつを始末しようか……おまえ次第だよ」
そう、自分次第。
愛する者を、生かすも殺すも、自分次第なのだ。
はたと立ち止まり、打ちのめされたように立ち尽くす。
「――大好きよ、正任さま。どうか、幸せになってね」
つぶやき、彼女は笑いながら泣いた。
そしてうろうろする正任のもとへゆき、触れるだけの口づけをする。
彼の目が見開かれた、その瞬間――
「千深はいない。消えたの。あなたはだれか他に愛すべき人がいる」
――彼女は彼の耳元でささやいた。
しっかりと、はっきりと。
暗示は効果覿面だった。
正任は頷き、再び歩を進める。
もう、迷いはない。
守るために、愛する人を、かけがいのない人を騙すのだ。
躊躇する暇はなかった。
彼女は涙を手の甲でぬぐうと、しっかりとした足取りで歩き出した。
――また場面がくるくると変わった。
忙しい。
軽く吐き気を覚える。
辺りは青空が広がっていた。
雲ひとつなく晴れわたり、清々しく心地よい風が吹いている。
頬をなでられ、髪は激しくなびいた。
ここがどこかはわからなかったが、心は軽く、重荷をおろしたような気分だ。
おれは伸びをし、ゆっくりと天を仰いだ。
二話更新しました!
・・・もしかしたら、まだまだ章とか部が増えるかも笑。。
成彰!
わたし、個人的にすごく書きやすいんですけど!
どうしましょう!!!(笑)
最近は夜呂くんが書きにくくて・・・
昔の幼い純情さが見えなくなっちゃって、アレ?みたいな。
みなさん、違和感ある登場人物とかいたら教えてくださいね。
それでは引き続き、よろしくお願いします。