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紫陽花がすき。
薄紅色に染まる花。
濃紺もすき。
だけど闇色がすき。
落ち着くから。
わたしは耳に触れる。
固い感触…ピアスだ。
『これはお守りとして、人間が持ってた』
ふと、喜助の言葉を思い出した。
母さんと父さんが死んで泣いていたとき、喜助がくれたピアス。
「どこで手に入れたの?」
と尋ねると、喜助は不適に笑って、
『さっき迷い込んだ侵入者から』
と言った。
これはその侵入者のお守りだったのか……
淡い薄紫のピアスをながめ、わたしはゆっくりとさらに尋ねた。
「その侵入者ってどんな人?」
『小さい女のガキ』
女の子のお守り……
だれからもらったのかな?
どんな願いが込められていたのかな?
今は死んでしまったその少女に、わたしは想いをはせた。
ピアスを耳につけると、喜助は満足そうに鳴いた。
『姫には紫が似合うよ』
「ありがとう、喜助」
……――それからずっと肌身離さずにつけているお守りだ。
きれいなピアス……
わたしはため息をついた。
奥の間はひどく静まり帰っていた。
広い畳の部屋だ。
明かりはない。
まっくらだ……
立ち上がり、わたしは奥の間を退出した。
そこに長くいるべきではないことを知っているから。
奥の間からひとつ出た部屋に入る。
障子を開け、外をながめた。
雨がしとしとと降っていた。
屋敷はとても奥まったところにある。
山か、森か、よくわからない。
わたしはこの屋敷から出たことがないから。
屋敷はとても大きい。
烏たちはいつも自慢気に話しているのを聞いている。
『こんなに立派なお屋敷、他にないよね』
『ここに住めるなんて、幸せだね』
『これもすべて、主さまのおかげだね』
などと言っているのを、いつもこっそりと聞いていたのだ。
屋敷の中のことなら、わたしほど知っている者はいないだろう。
一番奥が『最奥の間』。
長い長い、暗い暗い廊下を歩いていくと、次の部屋がある。
そこが、『奥の間』。
それからは五つの部屋があり、また廊下を歩いていくと、さらに何十もの部屋がある。
どこも同じような部屋だ。
最奥と奥の部屋以外は、だが。
烏たちが使えるのは、いちばん表にある、何十もの部屋。
といっても、めったなことでは部屋は使用しない。
烏たちはたいてい、外の木や屋敷のそばで寝ているから。
だから、部屋を使うのはほぼ、わたしひとり。
けれど、『最奥の間』はめったなことでは使わない。
そこへ訪れることさえ、容易ではないから。
……さて、どうしたものか。
わたしは雨をながめながら思った。
喜助はきっと、明日の夕方には帰ってくるだろう。
人間に見境のない喜助のことだ。
屋敷に人間がいるとわかれば、怒るかもしれない。
反射的に食ってしまうかもしれない。
どうしようかしら。
どうやってふたりを認めてもらおうかしら。
屋敷の主とはいっても、喜助は兄だ。
他の烏のようにはいかないだろう。
それに、喜助にきらわれたくはない。
もしかすれば――食われるかもしれない。
わたしの制止など聞かずに。
そうなれば、わたしはふたりを守れない。
……それもさだめなら。
わたしは受け入れるしかないだろう。
その日の夜。
ぼんやりかすむ満月をながめていると、ふと、気配を感じた。
……勝手に動くなと言ったのに。
わたしは気配のほうへ歩を進める。
白い馬が、小さく嘶いた。
そばには、茶色の浴衣に身を包んだ男が立っていた。
「高安、勝手に動くな」
わたしは男に呼びかける。
夜呂と高安には、部屋をひとつ与えていた。
烏たちからすこし離れた、いうなれば『真ん中の間』である。
彼らはあまり奥に来ないほうがいいし、それに烏たちからも離れたほうがいいだろうから。
そこはなにもないが、広い上等な部屋である。
それに、着るものもやった。
高安が今身につけているものも。
無地だが、茶色の上品な生地のものだ。
それは喜助が持ってきたものだった。
盗んだのか、または侵入者から奪ったのかわからないが、そういう品物はたくさんあった。
喜助曰く、戦利品。
「胸糞悪い」
そのことを話すと、高安はそう言ったが、着るものがないよりはマシだろう。
そんな茶色の浴衣に身を包んで――高安は振り返った。
ザアッと風がざわめいた。
「……砌さまが――夜呂の兄が言ったんだ」
高安は白馬に目を戻し、何の前ぶれもなく話しはじめた。
「その人は、とにかく優れていて、おれなんて足元にも及ばなかった……」
そんな人が言ったんだ。
『夜呂を頼むよ』
と……
「最初で最後の、あの方との約束だ。おれは破るわけにはいかない」
白馬をなでていた手をとめて、高安ははっきりとわたしを見た。
「――夜呂だけでも逃がしてくれ」
……まったく。
変わった人間だ。
夜呂も高安も互いのことを考えて……
同じことを言うなんて。
わたしは高安に顔を向け、それから夜呂に言ったこととまったく同じことを言った。
「それはできない」
高安の顔が怒りに歪んでいく。
どうして?
どうして睨む?
「…命の保証はあるのか」
ゆっくり、唸るように彼は聞いた。
「ない」
と言った直後、わたしは地面に倒され、鋭い枝が首につきつけられた。
高安がすばやい動きで、わたしに襲いかかったのだ。
油断した。
枝は今にも首を貫きそうになる。
また、わたしの命は彼の手の中……
しかし――
「やめておけ、高安」
彼の命はわたしの手の中。
「ここはわたしの屋敷。わたしを殺せば、夜呂もお前も命はない」
「……っ」
高安は憎々しげにわたしを睨む。
それから非常にゆっくりと、枝を下ろした。
「賢明な選択だね」
ことさらにせせら笑って、高安を見やる。
嫌悪のまなざしが飛んでくる。
逆らわない。
逆らえない。
だってここはわたしの屋敷。
修正内容
夜呂の兄に名前をいただきました。
序章に加筆と目次をつけました。
また、第一部や第一章など、つけさせていただきました。
また、ご指摘があったので、内容に加筆あり。
中途半端なときに修正してしまってすみません。
今後とも、よろしくお願いします。