5
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「百戦錬磨の魔女がついているからね」
――光。
ああ、遅かった。
今さら気がついたところで、どうしようもないのだから。
声は高らかに笑い、夜空の星々の内にはじけた。
身体からは震えあがりそうなほど恐ろしい笑い声が溢れだし、心臓は歓びに躍っている。
止まらない――止められない。
すばらしい!
こんなに気持いいことはない。
狂ったように笑いながら、おれはその場を去った……。
――助けて。
姫、死なないで。
たしか、三年前も同じ想いをした。
姫がそばで弱っていき、たまらなく悲しかった。
しかし、今度は、おれの手の内で弱っていった。
……やめてくれ、やめてくれ……。
おれの身体も心もいうことをきかず、まるでだれか他の人間のもののように感じられた。
だれか……
『少年、戻ってこい』
――だれ?
『油断した。わたしたちは、まんまと騙されたってわけだ』
――なんのことだ。
『いいから、はやくこちらに来い。もう戻れなくなるぞ』
指先が、じんわりとした。
熱くて、痛くて、悲しくなった。
声は光のある方向から響いてきており、まぶしさに直視できなかった。
――でも、このまま姫を放っておけない……。
後方では、動かなくなった姫がいるはずだった。
おれが、手にかけたんだ。
恐ろしさに震えだし、声もなく泣く。
まちがいない。
今度ばかりは、助からないだろう。
数年前は、喜助がそばにいてなんとかしてくれた。
けれど、今回はそんな彼すらそばにはいないのだ。
もはや希望などなかった。
暗闇に取り残されたまま、ぼんやりとする。
いつしか闇に蝕まれてしまいそうだ。
それでもいい。
姫を殺した自分など、たとえその意思がなくともあやめてしまったことにかわりがない自分など、どうでもよかった。
生きている価値など、ないのだ。
『さぁ、戻ってこい』
声は再び朗々と響く。
――無理だよ……そう言おうとしたそのとき。
おれの口から、勝手に言葉が飛び出した。
「うるさいな、邪魔をするな」
おれはさらにつづける。
「貴様、山の天狗だろう。烏が言っていた」
『おまえこそ、とんだくわせ者だったってわけか』
「どうとでも言えばいい。すべては計画どおりさ――毒サソリに目をつけたのも、おれが最初だった」
ニヤリと笑み、自身の手を見つめる。
「……あの娘は、非常に役にたった。喜助にとどめをさしたのは、あやつの毒の威力だったからな……そして、こいつも」
言った次の瞬間、手が勝手に動いて、おれ自身の首に手をかけた。
途端、息ができなくなる。
はたから見れば、自分自身で首をしめているのだ。
頭がぼうっとしてきたそのとき、声がどこからか――おれ自身のなかから――響いてきた。
「これでやっと終わる……」
声は異様に美しく、余韻を漂わせる。
しかし、もはやおれにはなにも考えることなどできなかった。
意識が遠のきかけた、そのとき――。
『退け』
突風が吹きずさみ、ぶわりと体は飛ぶ。
意識を手放す瞬間、たしかになにかがおれのなかから出ていった気がした。
『――起きたか』
暗闇で響いていた声の主が、ほっと息をこぼしてこちらを見ていた。
頭はまだよく動かず、体は言いようのないほどだるい。
目覚めたおれを見て、声の主――呉と呼ばれた少年だった――はほっと息をつき、唸るように言った。
『正気のさたじゃない……あやつは狂喜に溺れている』
やがて、視界がはっきりし、その場がよくよく見えてきた。
どうやら、廃れた建物のなかにいるようだった。
湿っぽい空気が漂い、充満し、お世辞にも快適とはいえなかったが、なぜかその湿っぽい不快さが生きていることを実感させてくれた。
おれは薄布の上に寝かされており、額には濡れた、ハッカのようなにおいのする葉を置かれており、鼻のなかがつんとなっている。
辺りはまだ暗く、かすかな光が木製の壁の隙間からもれ入ってきている。
どうやら木でできた古い小屋のようなところにいるらしい。
「ここは――」
どこ?
そう問おうとしたとき、戸がばっと開け放たれ、一気に明るい日光が部屋を満たした。
『呉さまぁ!薬ができました』
驚いて起き上がる。
まぶしさに、目を細めた。
『黄祈、閉めろ。まだこの人間に、光は強すぎる』
少年の鋭い声に、あわてて少女は従い、あとからついてきた三人の人間も小屋のなかへ入れた。
少女はろうそくに火をともし、辺りは柔らかな灯で橙色に包まれる。
「夜呂……大丈夫」
恐々口を開いたのは、少女の後ろから入ってきた三人のうちのひとり、加世だった。
彼女は手に丸い白色の粒を持ち、それをこちらに差し出した。
うながされるままそれを飲み込んだが、無味だった。
やがてはっきりしだした頭のなかで、恐怖が蘇ってきた。
――姫。
「……おれは……どうして……」
だれに問うでもなく問うた。
答えなど期待していない。
なにが起こったのかなんて、わかりたくもなかった。
「夜呂、まず、先に言わせて。後でじゃ、言う機会もないだろうし……」
ふいに加世が言い、おれの前に進み出てきた。
隣には、眠っていたはずの弟・空弥を従えている。
彼は血色もよくなり、元気そうだった。
「見ず知らずのあたしたちを助けてくださり、本当にありがとうございました。このご恩は、決して忘れません」
「あ、ありがとう、ございます!」
加世と空弥は深々とひれ伏した。
改めて言われると、なんだかこそばゆい。
「気にしないで。おれだって、助けられてる」
先程加世からもらった丸い粒は薬だった。
おれはにこりと笑った。
『――さて、では、本題に入ろう』
空気が変わる。
加世たちはさがり、暗紫と並んで座っていた。
どうやら、三人はすでになにやら話を聞いたらしい。
少年に目を向ける。
彼は面を取り外していた。
その顔はたとえようのないほど、不気味なほど美しかった。
『わたしは、呉。天狗である。そしてこれは黄祈、わたしの妻であり、真の姿は烏だ』
「――では」
『察しのとおり、わたしたちは喜助の味方』
一旦一息つき、呉はつづけた。
『わたしたちは、屋敷の主である姫君から要請を受け、喜助救出に向かったのだが……烏の一部が、暴走をはじめたのだ』
「そのことなら……」
そのことなら、姫も言っていた、そう言おうとして、ハッととどまる。
おれは――姫を、この手に、かけた。
この手で、息がとまるまで。
『……おまえは、操られていたのだよ』
静かな、思わずやさしい、と錯覚してしまうような声音で彼はさとした。
『香りを使ってね。おまえには、甘い芳香が漂っていたのではないか?』
ハッと顔をあげる。
あのむせかえるような甘い香りは、操るための道具だったというのか?
だからおれにだけ、匂いがわかったのか。
『すっかり油断していたな。西国には、ちゃんと噂があったというのに』
……噂?
めまぐるしく作動する脳内で、ひとつ当てはまることを思い出す。
道案内を頼んだ、虎徹という男――彼が言っていたではないか。
彼は情報屋としては、かなり腕がたつのかもしれないと、ちらと考えた。
――西国には、魔女がいる――
幼皇帝には、魔女がついていて、その背後をしっかりと守っている。
魔女は……
『だれだと思う』
おれの心を読み取ったかのように、呉は唐突に尋ねてきた。
その眼は、冷たく、鋭く研ぎすまされた刄のようだった。
『あら、呉さま。そんなの一目瞭然よ!』
それまで黙っていた少女・黄祈が、あきらかに場違いな明るい声で意見した。
『魔女なんて、ひとりしかいなかったじゃない。夜桜って女に、決まってるわ』
――夜桜。
たしかに、一理ある。
あの人の尋常では当てはまらない様は、なんとなく理解できる。
ただ、不思議さで言うならば、あいつもまた負けてないと、かすかに思いついた。
そして、あのときの声が、耳の奥で連鎖した……
「これでやっと終わる……」
あのときは頭に血が通わなくて、よく考えられなかったが、今ならばはっきりと、手にとるようにわかる気がした。
あの声は、覚えている。
耳に焼きついている。
顔をあげ、少年に向かって口を開いた。
「……トカゲだ」
黄祈も加世たちも、あっけにとられて目を見開いていたが、少年だけは満足そうな微笑を浮かべ、頷く。
――トカゲ。
あの不気味なほど美しく響く声音は、あの男のものだ。
まちがいなく、はっきりと。
トカゲが、魔女。
そう噂される存在。
実質的な幼皇帝は夜桜で、その配下と見せかけていた下僕は、実は権力者を支える影の支配者だったにちがいない。
百戦錬磨の幼皇の魔女は、トカゲだったのだ。
怒りと悔しさに、唇を噛み締めて顔を歪める。
憎らしい男の顔が、ありありと目の前に浮かんできた。
あいつは、さぞかし手をこまねいていたことだろう。
なにも警戒することなく、わざわざ敵陣にやってきたおれを見て、ほくそ笑んでいたことだろう。
甘い誘惑の芳香を漂わせ、なにも気がつかないおれに満足したのだろう。
自分がきらいだ。
敵の罠に自分からはまってしまったように思われて仕方がない。
自嘲的な思いで、おれはだれにともなく言った。
「おれはあいつに――まんまとしてやられたってわけか」
ここで二章は終わります〜★
次はいよいよ、三章へ突入!
今年はありがとうございました!
来年もがんばるので、どうぞ根気ヨク読んでやってください♪