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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第三部 鴉の使者
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******






もう、むせ返るような芳香は、心地よいものになっていった。




目の前に現れたのは、闇色の髪をもつ女だった。

暗闇にも関わらず、彼女は自ら発光しているかのようで、ぼんやりと輪郭が浮かび上がっている。

ほとんど触れられるくらい近くにきたとき、やっとその眼を捕えることができた。


まるで、闇そのもののような、真っ黒な瞳。

烏の羽のような色をした着物を着て、すっかり闇の空間に溶け込んでいる。

まるで闇のなかからぬっと顔だけを出しているようだ。

きらりと耳のピアスが光り、揺らめく。



「……ひ……め……」

かすかに、やっとのことで言葉をつむいだ。

彼女はそれを聞いて小さく笑うだけに見えたが、やがて口を開いた。

「夜呂なのだね。本当に……しばらく見ない間に、背が高くなったな」

からかうような声音に少々ムッとしたものの、まだ驚きは去っていない。

丸々と目を開きながら、なんとか声を取り戻す。

「どうして姫がここにいるんだ?ここは――どこ」

姫はすこし考えていたが、やがて静かに答えた。

「ここは、わたしの世界だよ。わたしのほうが聞きたい。どうしてここにいる?」

「姫の世界?おれはただ、変な少年たちがやってきて――風にさらわれて……」

顔をしかめる。

やはりこれは夢で、目の前の姫はおれがつくりだした幻なのだろうか。

「風?――まさか、夜呂は喜助のところにいたの」

目を見張る姫に向かって頷くと、彼女は理解したようにほほえんだ。

「すごい。偶然だね。夜呂がいるなら、わたしもすこし安心だよ」

それから声を低め、かすかに目を伏せた。

「夜呂、世界は動いてる。争いに向かって、止めようがないほど動いてる。烏はもはや、黙っていないのかもしれない――きっと、わたしの力が足らないせいだ」



そこではじめて、姫が泣きそうなのに気がついた。

顔を背ける彼女に駆け寄る。



もう、おれは彼女の身長を追い越していた。

見上げるくらいだった視線は、今では見下ろすようになり、当時は見えなかった姫が見えてくる。

髪は乱れなく流れ、川のように潤っていた。


……甘い香り。



「わたしは、昔も今も、力がないの。やっぱり喜助がいなきゃ、なんにもできない。だけど――そうは思いたくなかった」

黒髪をふり、彼女は顔をあげる。

ぱっと芳香が散った。

「夜呂、今、烏たちの一部は暴走してる。たぶん、人間と手を組んだんだ……わたしには止められない」

「人間?いったいだれなんだ」

「確証はないけれど、南の国の人間だよ」


南国……

苦い思いが蘇る。

北国は南国によって滅ぼされたのだ。


成彰ナリアキラか」

ぽつりとつぶやく。

忘れもしない。



今、南国を治めているのは若き支配者・成彰だった。

若くして軍隊の大将に選ばれ、そのまま部下たちの信頼を得、王を倒し、果てには北国を滅亡させた張本人。

その才気ははかりしれず、今なお他国に恐れられる存在であった。

幼皇帝と争わないのが不思議なくらいであったのに。



最近……世界はバランスが危うかった。

昔は天下無敵の幼皇帝率いる西の国が頂点にあり、それに逆らわぬようにそれぞれ各国はいた。

負けなしの西国に歯向かうなどもってのほかであり、そもそも幼皇帝は寛大な人間で、他国を侵略しようとはしなかった。

よってまわりの北、南、東の国々は暗黙の了承のうちに成り立っていたのだ。

もちろん歴史上には西国も手に入れようとした輩がいるものの、彼らはすべて返り討ちにあっていた。

それゆえ長くは、うさばらしのように南、北、東のどれかで争うか、平和に暮らしていたというわけである。



しかしここ数年、そのバランスの均衡が崩れはじめた。

南の国に現れた若者――成彰だが――は、統率力に優れ、賢く、才気に溢れていた。

そんな彼は自ら南国の王権を奪い取り、北国まで滅ぼして手に入れたというわけである。


おれが今いるのは、北国の外れにある地域で、そこには成彰すら興味を抱かなかった僻地に近い。

権力にほど遠い場所――そこにおれは国を構えようとしたのだ。

まだ油断ならず、いつまた攻められるかわからないものの、とりあえずは北国と呼べる原型はできていた。




「今は我慢のときです。いずれ機会はくるでしょう。そのときこそ、奴らから北国を取り返す時だ」

高安に助言され、おれたちは徐々に仲間を集めていった――。





たしかに、世界は動いている。

幼皇帝の国をも食いつくそうとする南国の動きは目に見えているのだ。

いや、もしかしたら……西国が国を統一して手に入れようとしたのではないか?

だから辰迅は二重スパイで……。


「姫、今成彰はどこの国を狙っているかわかる?」

考えにふけっていた顔をあげ、尋ねると、姫はすこし思案したあとで言った。

「……たぶん、東ではないかしら」

ということは、やはり西国が裏にいる可能性があるかもしれない。

手足となる南国に北と東を滅ぼさせ、最後には南国をすら取り込もうという。

だから、急成長を遂げている南国をほっといているのではないか?

……だが、わからない。

それは勝手な妄想であり、ただ単に南国は西国を最後に狙っているのかもしれない。


「なぁ、烏が人間と手を組んだって……どういうことなんだ」

烏は人間がきらいだとばかり思っていたのに。

だいいち、口を利く烏をそんじょそこらの人間が受け入れられるのだろうか。

「……うちの烏はすごく利口なの。ずるがしこいって人間は言うけど」

言葉を探るように、彼女は話しはじめた。

「わたしのもとにくる情報は、すべて烏たちからもらっている。戦のことだって、喜助に影響された烏たちが人間の目玉を食いにいったからわかったこと」

ああ、だから南国が東国を狙っているとわかったのか。


たしかに、屋敷の烏はまとまりがあり、やはり賢かった。

それにたぶん彼らは――冷徹さももっているのだろう。



「夜呂、戦争がはじまるよ。大きな、手におえない戦争が。自然も動物も人間も巻き込んで……」

「この世界を巻き込んで……?」


姫の黒い瞳に悲しい光が宿った。

一瞬、泣いているのではないかと疑うほどに。


「そう。もともと、人間の戦に烏が――動物が介入するということは、必然的に自然も巻き込むということなんだ。烏は賢いからこそ、自然を使う。自然がいちばん恐ろしいから……」


それはつまり、烏は地を利用するということなのだろうか。

自然を、武器に。


「そして自然を介入させるということは、神々をも巻き込むということ」


彼女の声音は、空間に反射してこだました。

それは不思議な響きを保ちながら、ようやくおれの鼓膜へ届き、脳をガンガンと揺さぶる。



――神々を巻き込む――



なんて、愚かな。

神を人間の武器にする――それは畏敬の念を忘れてはいやしないだろうか。



「山の神、川の神、地の神……自然とともにあり、まつられる力たちは、問答無用で加わるんだ。烏を遣うということは、そういうこと」


それが、人間の行為の結果?

どうしてそこまでして、人間は争うのか。


掌にじんわりと汗がにじむ。

喉は砂漠のようにかれ果てていた。




「……姫、おれ……」


――どうすればいい?

口から言葉がこぼれそうだった。

今、世界は漠然と争いへと向かっている。

けれど、おれになにができるというのだろう。

亡国の、なんの力もないおれに。



姫は、なにも言わなかった。

ただ、目を離すことなくこちらに向けていた。


――闇に虜になった少女――


そんな言葉がすらりと浮かんでくるような、闇色の瞳だった。




やがて漆黒の髪をふり、彼女はきびすをかえした。

「……もう、時間だ」

「姫――ッ」

思わず手が前に出てしまう。

彼女の肩をつかんでから、あわてて後退さった。

甘い芳香が、ぱっと揺らいだ。

「ここに長居をしてはいけない。夜呂、帰りなさい」

それは有無を言わせない声だった。

たじろぎ、なにも言葉にできない自分がもどかしかった。


姫は、幻滅したのだろうか。

おれが泣き言を言いそうになったのが、わかってしまったから……。

だから、怒ったのだろうか。


「おれは……」

なんて様だ。

言葉が出てこない。

三年前から、成長していない。

むしろ後退した気さえする。

力がほしい。

この手に、大切なものを守っていけるような……。

すくなくとも、がっかりさせることのない、なにかが。




もう一度、姫を見る。

やはり黒い瞳には迷いなどないかに見えた。

「夜呂、わたしもがんばるから」

ふいに言われた言葉に驚く。

闇のなかからでも、光を見い出すような瞳は、油断なく光っていた。


……弱音ははいたっていいんだ。

人間だもの。

どのように立ち直り、進もうとするかが大切なんだ。



ハッと気がつき、うれしくなる。

「姫、おれもやるよ。なんとかする。争いは滅びしか生まないから」

にこっと笑うと、彼女もかすかにほほえんだ。

「もういくよ。どうやって戻れば――」


言った途端、ぐらりと身体が揺れた。

目はかすみ、激しい頭痛に襲われる。



痛い、痛い、痛い!

心臓がえぐられるように痛み、吐気がし、目を開けていられなくなった。


苦しい……

息ができない。

頭がまわらない。

なんだ、これ。


心臓が痛い……





「夜呂!」

倒れたおれに、姫が駆け寄ってくるのがわかる。

すぐ近くに姫を感じた。

甘すぎる香りが鼻を、頭を刺激する。

うっすらと目を開けると、そこには闇をたたえた女がいて、こちらをのぞいている。


――殺セ。


なにかが、ぷつんと途切れた。

意識はかろうじてあるものの、もはや身体はおれのものではなかった。

勝手に腕が動き、姫の細くて白い首をつかんだ。

手に力を込める。


高揚した気分でいっぱいになり、満足感に支配される。

自分の手のなかで、女はもがき、苦しんでいる。

おれはそのまま立ち上がり、手を高く掲げた。

女の足は地を離れ、バタバタと暴れていたが構わない。

甘い、甘い、香りが広がる。

光悦感に満たされ、思わず笑った。



――途端、この甘い香りの源を知った。

……女の耳に輝く、光を帯たピアスだった。

ピアスからは甘ったるく、濃く、酔わせる香りがむんむんと放たれ、おれはそれに思う存分溺れた。



身体も、心も、おれのものではない。

ただ意識だけがあり、気持悪かった。

だれかの心のなかに入り込んだみたいだ。




「ん……ぅぅっ――かっは……」

手のなかで、細い指がおれの手から解放されようともがく。

おかしなことだ。

そんな非力では、なにもできないというのに。

「――ゃろォ……ゃ、め……て」

女の眼からは涙があふれていた。



ああ、たまらない。

何度この日を待ったことか。

待ちわびて、狂ってしまいそうだった。



「恨むなら、あんたの烏の化け物を恨みな」

おれの口から、残酷な響きをした声が出た。

それからふと、強く香る源のピアスに目をやり、にらみつけた。

「・・・・・・妹の仇だ。それをおまえが付けていることが、腹立たしい」

姫は顔を歪める。

すでに力は弱くなる一方で、充分な抵抗すらできていない。


「――き……貴様――ッ」

「さよなら、愛しいお姫さま」



おれは言うや否や、ぐっと手に力を込めた。

ぎゅうぎゅうと音がして、細い首にとどめをさす。

苦しみながらこと切れる人間を、これほど愛しいと思ったことはない。

動かなくなった女を見て、おれは高らかに声を出して笑った。




動く、世界が。

もう邪魔をするものはいない。


復讐ははたし、力はすぐそこにある。



甘い香りに酔いながら、笑う。




手を離して女を地にふりおとし、嘲笑って見やった。

女の頬には、一筋の涙のあとがあった。


そこでふと気がついた――おれも泣いていたのだと。




あわてて拭い、目を閉じる。





――世界が、動く。









姫登場♪

三年ぶりの再会のふたりです。

でも、夜呂くんが・・・

ピンチですね。。

こ、こんなはずじゃなかった〜汗


「芳香」の暗示、わかっていただけたでしょうか?

後にちゃんと原因はわかりますので!笑


成彰はずっと出そうと思っていた人物だったので、今回名前だけでも出せてよかったです☆


まだ続きます。

よろしくおねがいします!


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