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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第三部 鴉の使者
35/100

長くなったので二話にわけてみました★







******






甘い香りがする。

一瞬鼻をつくにおいがして、それからぶわっと甘い香りが辺りを覆った。



いつの間にか夜はあけようとしているようで、かすかに東の空が白みはじめている。

彼方は赤く、そこから順に色をつむいでいく。

紫の空から、こちら側はまだ暗い。



かつての幼皇帝の住まいであった屋敷は、かすかな焦臭いにおいをこちらまで漂わせて燃えている。

その明かりだけが、妙に赤く、その場の人々の顔を染めていた。

遠くではまだ、人々の騒ぎ声がしていたが、ここはまるで別世界。

ちょうど屋敷から離れ、村から離れ、人気のない開けた空間が広がっている。

向こうに見える山道を走れば、近道を通って国境を越えることができるはずだった。




しばらく沈黙がその場を支配した。

音はなく、息もなく、ただ静寂のような、静かな苛立ちと殺気と狂喜だけがあった。


『なんのつもりだ、黄祈』

沈黙を破ったのは、夜桜の足元に降り立った烏だった。

背を丸め、朗々と響く、冷たい声だった。

『――なんのつもり?そのままそっくりおかえしするわ』

今度は少女が言った。

加世と同い年くらいの少女は、淡い黄色の小袖を着ており、額にはみっつの痣のようなものがある。

暗紫を守るように仁王立ちし、すごい剣幕で烏をにらみつけていた。

おかしなことだ。

いろんな意味で、混乱してしまった。


まず、彼女はだれだ?

この烏はなんだ?

おれたちは烏の敵なのか?


まだ逆ならわかる。

烏の長である喜助を傷つけた夜桜たちに、烏が仕返にきたのだ。

それを止めるべく、人間の少女がやってきた――しかし、実際はちがう。

なぜか人間の見ず知らずの少女が暗紫をかばい、烏をきらっている夜桜の味方をするかのように、一羽の烏がやってきた。

これはいったい、どういうことだろう。



『馬鹿天狗の嫁にいっておかしくなったか。愚行だ、やめておけ』

烏がひときわ冷たい声で言った。

『呉さまを悪く言わないで!許さないわよ』

少女はじとっと烏をにらみつづけながら、やがて生真面目な声音で宣言した。

『姫さまの名において、蒼於、あなたを連行します』

それを聞くなり、烏は眼を細めて、思いきりあざ笑うかのような冷笑を浮かべた。

『できるものなら、やってみろ』


事はすぐにはじまった。

突風が、烏と少女を包み込みはじめたのだ。

しかし、驚いたのはおれたちばかりではないようで、鋭くにらみあっていた烏と少女も顔をあげた。

体勢を整える。

すばやく場を離れ、加世のもとへと駆けつけた。

ややあって、突風ははじまりと同じに、すぐに消えた。

しかし、今度はまたちがう人物が、烏と少女の間に立った。


不思議な、神秘的なうつくしさを持つ少年だった。

淡い銀鼠の髪色に、真っ赤なすごい形相の、鼻の高い顔をした面をつけた少年は、すっとまっすぐに烏を見た。

手には烏羽でつくられた扇を持っている。

『おまえ、妹の話くらい聞いたらどうだ』

その少年からは、朗々とした声音が出るようだ。

彼を見て、烏と対峙していた少女はぱっと顔を輝かせた。

『呉さま!』

少女はたたっと駆け寄り、彼のななめ後ろへつき、うれしそうに顔をほころばせる。

それは先ほどまで烏をにらみつけていた少女と同じ人物だとはとても思えないような変わりようだった。


『フン。おれたちは、おまえがだいきらいなのさ。殺してやりたいくらいにね』

『兄さん、それは聞き捨てならないわね。呉さまとあたしは結婚したんだから、そんなふうに言わないでよ』

憤慨する少女をしり目に、烏はすこしも悪びれず、さらに皮肉な笑みを浮かべた。

『おまえは異端だ。玄緒兄がいくらおまえを可愛がろうが、知ったことじゃない』

『そんなこと――!』

『黄祈』

激しく言い争う少女に、呉と呼ばれた少年はさっと制止の声をかける。

途端に魔法にかかったかのように、彼女は口をつぐんだ。



「な、なんなのです……?!あなたたち、だ、だれ……」

その場が静かになったためか、弱々しい夜桜の声は響いた。

彼女は烏の後ろで、これでもかというほど目を見開き、驚きを隠せずにいる。

動けないのか、身体は震えながらその場にとどまっていた。

「夜桜さま、大丈夫です」

ふいに、トカゲの異様に美しい声音が言った。

その声は自信に満ち、どこか喜びを含んでいるようで、なぜか不安を覚える。

なにかが、おかしかった。

夜桜はまだなにか言いたげだったが、きゅっと口を閉じて、烏を見下ろす。

その目には恐怖しか映っていない。



――なにかひっかかる。

この焦燥感のようなものはなんだろう。



漂ってきたのは、甘い香り。

鼻をつき、感覚が麻痺しそうなほどの芳香。


……どうしてみんな、平気なのだ?

この香りに気がつかないのか?



今やむっとするほど、甘ったるい香りは辺り一面に広がっており、その濃さに軽く目眩がするほどだ。


先ほどから匂いはあったものの、加世の薬かなにかだと思っていた。

けれどそれは、まるで烏か少女にのせられてやってきたかのようで、濃厚な甘い香りが空間を包み込んでいる。



頭が鈍くなるような、そんな気がした。






少女は今だ烏とにらみあっていた。

烏も油断なく目を走らせている。

それに比べ、少年はどこか柔らかな印象を与えていた。

そんな彼が、あきらめたように肩を軽くすくめると、打って変わって冷たい声で言った。

『いったん引こう、今は目立ちすぎる』

少年は言うや否や、さっと身を翻していた。

それには少女もおれたちも、ましてや烏でさえ反応できなかった。

すぐに突風があおり、次ね瞬間には、身体は宙に浮き上がり、手足からは力が抜けていった。

なにが起こったのか。

しばらくはわからず、ただ呆然とされるがままで風に身を預ける。

風は音もなく現れ、少年や少女だけではなく、おれたちまでも飲み込みながら天にのぼってゆくようだった。

きっと烏や夜桜たちから見れば、まばたきした瞬間におれたちの姿は見えなくなっていたことだろう。




甘い香りに、洗脳されそうだった。







次に目を開けたとき、そこは暗闇だった。

ぎょっとして、すぐに寝惚けている頭を働かせる。

はじめはなにも思い出せなくて、ただ驚きと不安だけが胸を占めた。

「だれか……」

声を出す。

しかし、それはか細かったにも関わらず、この空間には何十倍にも広がって響いた。

立ち上がってはみたものの、足裏の感覚すらおかしい。

むせびかえるような、甘い香りが辺りを占めていた。


ここはどこだろう。

ぼんやりする頭をふりふり、なんとか思い出そうと努め、やっと不安が確実になってきた。

たしか、風に運ばれるような形になったはずだ。

「加世?」

そばにいるかもしれないと思い声をかけたものの、帰ってくるのは自分の声だけだった。

暗闇は広がる。

狭いのか広いのか、高いのか低いのか、その空間はどんな感覚すらない。

漂うような感覚で気持悪くなるのを我慢しながら、辺りを見回す。

やはりなにも見えなかったが、警戒は怠らない。

――と、そのとき。

かすかに呼ぶ声がした。


「――ろ」


それは闇のなかに呑み込まれた。

ひやりと背筋に汗が流れる。

何事かと思いながら様子をうかがっていると、次にははっきりとした声が響く。

「夜呂」



――呼ばれた。

たしかに声は、おれのことを呼んだのだ。

びっくりしたのを表情には出さないようにし、声のした方向に目を向ける。

目を凝らしてはみたが、無駄であることは明白であり、ため息をこぼして身構えた。

「夜呂……夜呂なの?」



その声に、目を見開く。

心臓が高なり、息がつけなくなる。




うそみたいだ。


これは夢なのか?







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