2
******
「カラス」
ぼやけた視界で、たしかに聞いた。
加世の声は、たしかにそう言っていた。
――すこしほどまえ。
涙目になりながら、加世が屋敷から無事走ってきた。
彼女たちと屋敷をさらに離れ、ひとまず人気のないところで一息つくことにした。
「どなたか知りませんが、本当にありがとうございました」
肩で息をしながらも、彼女は明るい声でそう言った。
弟を抱きとめ、脈をはかり、ほっと息をつく。
それからちょこんとそばに座っていた少年にも目を向けた。
「暗紫、怪我はない?」
少年はこくりと頷く。
「そっか……ねぇ、暗紫?あなたのご両親は、幼皇さまの位につかれたことはある?」
加世は暗紫の肩をつかみ、やや強い口調で尋ねた。
自然に空気がピンとはるような気がする。
「わからない。ただ、よく憶えてないんだよ。夜桜がいつもそばにいたから」
頭をふって、ただ暗紫はそう言った。
騙されていたとも知らず、ただ利用されていたともわからず。
この子供に、なんと説明すればよいのだろう……
おれも加世と同じく、言葉に詰まるだけだった。
「ねぇ、もう“幼皇さま”ではなくなってしまうけれど、それでもいい?」
どこか願うような、そんな声で加世は言った。
暗紫は暗く、光のない眼をすっと彼女に向け、ただ感情も見せずに頷いてみせた。
「……おれの国へくるといい」
気がつけば、口から勝手に言葉が落ちていた。
言ってから、さらに意思は強くなる。
きょとんとしてこちらを振り仰いだ加世と暗紫に向かって、もう一度きっぱりと言う。
「だから、おれの国で生きればいい」
顔を煤で汚した少女と、うつくしい衣をはおった少年が、じっとこちらに見入っている。
それからややあって、半ばほうけた調子で加世が口を開いた。
「本当?あたしたち、あなたの国で生きていけるの?……あなたの国王は、それを許してくれるかしら」
加世の顔がくもる。
やっと彼女の反応のおかしさを理解した。
「その心配はいらないよ」
「そうかしら」
加世はぎゅっと眉根を寄せる。
「だって、仮にも幼皇さまの国を敵にすることになるのよ?暗紫を幼皇さまだと主張したって、信じてもらえるはずもないわ」
首を激しくふり、彼女はうなだれる。
「うまくいきっこない。あなたに迷惑をかけるだけよ……」
はぁ、と深く息をはき、彼女はまっすぐにこちらを見上げた。
そこでハッと思い出す。
おれはまだ、なにも言ってなかったのだと。
ニッと笑みをつくり、おれは加世に笑いかけた。
「加世、おれたちはアンタたちを歓迎するよ」
怪訝そうな少女の顔。
そこにさらに深く笑みを見せる。
「おれは夜呂――今なき亡国の王族の生き残りだよ」
瞬間、少女の目に驚きと希望の光が宿った。
目を見開き、食い入るようにこちらを見つめる。
「まだ小国ではあるけれど、おれたちは加世たちを見捨てない。来いよ」
そう言ったか言わないかの間に、加世の目からぶわっと涙がこぼれはしめた。
ずっとはりつめていた緊張の糸が、やっとゆるまってくれたように。
「夜呂は皇子さまだったんだ」
ぼんやりと、しかしニコッと笑って暗紫は言った。
自分の地位も、生まれも、この子は知らないのかもしれない。
そう思うと、やはり胸がはりさけそうだ。
「暗紫もおれの国へこい。空弥を兄弟か友人だと思えばいい」
頭をかきなでてそう言ってやると、少年は従順に頷いた。
こんな状況ではあるが、なんだかわくわくし、胸は躍った。
自分の考えがとてもすばらしいことのように思えたのだ。
運命――鴉の屋敷の姫と出会ってから、なんだか好意を持てる言葉になっていた。
偶然も必然も紙一重であり、少しの選択の違いでまったく違う道に進むことだってある。
運命は、自分で切り開くものだろうか。
それとも、神が手引きしたものだろうか。
宿命とも、またちがう気がする。
ただ、出会いという運命は、とても大切な気がするのだ。
姫との出会いで、おれのなかのなにかが一変したのはたしかだった。
それと、繋がり。
祖国を滅ぼした裏の顔を探ってきてみれば、なんと屋敷の烏を知る人物と知り合えた。
高安の弟を見つけた。
姫にそっくりな女も……
どうも、この一連の出来事には、もっと深いなにかがありそうだ。
偶然にしては重なりすぎている。
なにか、大きく逆らいがたいなにかが、導いてくれたのではないか?
おれがこの国にくることは、なにか意味をなしたのではないか?
そう思わずにはいられない。
それに、その考えはまったくちがうというわけではないだろう。
なぜなら、加世も暗紫も、自分がいなかったらどうなっていたかわからなかったからだ。
恩をきせようとしているのではない。
ただ、加世や暗紫たちとの出会いは、なにか運命を感じたのだった。
「ここで会ったのも、なにかの縁だ。それに――」
一度言葉を切り、少女の瞳をとらえる。
知らずに喉はからからで、額には一筋の汗が流れた。
「……それに、知りたいんだ――喜助のことについて」
少女の瞳は大きく開き、かすかに震えた。
すると、わなわなと体を震わせはじめたが、次にはぎゅっと力を込めてそれをおさえつけ、彼女は低い声で言った。
「喜助のこと、あなたはどこまで知っているの?」
ちょっと考えてから、はたとつまる。
おれはどこまで知っているのだろう。
喜助は烏で、屋敷の姫の兄で、それから特異な能力を持っている。
彼――と言ってもいいのかわからないが、あの烏は人間の言葉を話し、多少残酷な面も持ち合わせていた気がする。
けれどおれから見てみれば、姫や仲間をたいそう大切にしていることがわかった。
だから喜助に感じた恐さは、恐怖というよりは畏怖の念に近かった気がする。
そうして昔のことを考えていると、自然に顔はほころび、胸に懐かしさが込みあげてくる。
おれはニッとして答えた。
「よく、わからないんだ。ただあの烏は姫の大好きな兄で、多少怖かったってことは言えるよ」
「――烏」
おれの言葉に、加世は少し目を伏せた。
まばたきした睫毛の下の瞳が、暗闇に光る。
彼女は自身にいい聞かせるように何度かつぶやいてから、やがてゆっくりと話しはじめた。
「……あたしが最初に出会ったとき、彼は並外れた運動神経をしてました。驚くくらい人間離れした男だと……そう思いました」
目を上げ、加世は貫き通すようにこちらを向く。
そこには勢いの炎が宿り、迷いはないように見えた。
「はじめて見たとき、喜助は――人間でした」
一瞬、痛い沈黙が流れた。
喜助が人間?
おれの知ってる喜助は烏のはずだったが。
「あたしは、彼が烏だってことが信じられませんでした。あなたは……喜助の烏の姿を知っているのね」
頷く。
まさか、喜助は人間だったのか?
本当は人間で、烏は仮の姿なのか?
そしてすぐにちがう疑問と不安が頭をもたげてくる。
ならば、姫は?
姫の人間の姿はどうなのだ。
あれが仮の姿で、真の姿は烏だったのか。
だから姫は屋敷の主なのか?
まさか。
姫はあの屋敷で唯一の人間だったはずであり、喜助はそれを承知ではなかったのか。
「喜助はなんなんだろう。あたし、知らないんです。喜助は……喜助は……」
途端、ぽろぽろと彼女は泣き出す。
オエツをもらしながら、両手に顔を埋めた。
「喜助がどうかしたの」
彼女の肩に手をかけて尋ねる。
なんだか言いようのない不安に駆られた。
そしてそれは――彼女の次の言葉で真実になってしまった。
「喜助が死んじゃった」
ぼろりとこぼれた言葉は、おれの目の前で異様にはじけた。
反響し、ぐわんぐわんと頭のなかを駆け巡る。
喜助が、死んだ?
まさか。
不死身じゃないのか?
姫は……
姫は知っているのだろうか。
詰め寄るおれに、加世は泣きながらひとつずつ丁寧に起こったことを話してくれた。
喜助との偶然の出会い、毒造りのこと、トカゲというものと喜助の謎の関係、夜桜の言葉、それから――サミラナという唄語らいのこと。
すべてを聞いて、さらに頭は混乱し、一方では妙に納得した。
ここには、複雑で深く暗い、関係があるのだ。
その繋がりは、まだ明確ではないのだ。
夜桜はもしかすれば……姫の妹なのかもしれない。
あれほど似ているのだから、確かだと思われた。
それにトカゲとかいう男の妹のピアスは、姫にいき渡ったのだと思う。
ほぼ直感だが、そんな気がした。
わからないのは、夜桜たちの思惑だ。
その魂胆がなんなのか、根にどんな思いを持っているのかわかりかねる。
幼皇帝の治める国は、確かに最近急成長を遂げていた。
おれの国だってそれに巻き込まれたようなものだ。
おれたちの国であった北国を滅亡に追いやった南国は、幼皇帝の国・西国の支配下なのだから。
そこに見え隠れする、噂の“魔女”。
これは、だれの操作なのだ?
「喜助はまだ、死んでない」
ややあってから、いやにはっきりとおれは言った。
「毒をつくったのが加世なら、きっと喜助を救えるのも加世だ」
口の端をきゅっとあげてやると、彼女のこわばっていた表情もいくらか和らいだ。
たぶん、彼女だって喜助が死んだなどと思ってはいないのだ。
……思えないのだ。
「おれは、北国の王の息子だったんだ。それが数年ほど前に、南国に滅ぼされた――裏切りがあったんだ。落ち延びたそのときに出会ったのが、喜助の妹の姫だった」
おれも語り出す。
ひとつひとつ、真実を見失わないように。
「父を殺したのは、信頼を置いていた部下だった。そして――これは先程知ったことだけど、その部下の背後で糸を引いていたのは、どうもこの西国らしい」
「幼皇さまの?!」
加世もびっくりし、深刻そうに顔を曇らせる。
「暗紫じゃないことはたしかよ。暗紫は政治や戦と無関係だから」
「それは承知してる。きっと背後にいた――あの夜桜らが、なにかしようとしてるんじゃないかな」
加世は頷き、しばらく眼下の暗紫を見つめた。
彼はずっとおれたちの話を、興味なさそうに聞いていたのだ。
ただ放心状態だっただけかもしれない。
話を聞いていたのかすら、わからなかった。
しかし、次の瞬間、仰天してしまった。
すっくと立ち上がり、澄んだ声で暗紫が口から言葉を発したのだった。
「烏を助けに行こう。今のうちのほうが、きっといいよ」
迷ったのは、一瞬だった。
ちらと加世と視線を合わせ、次には頷いていた。
喜助を助けだそう。
なにがどう動いているのかわからないが、それでも。
――しかし、そう思い立った次の瞬間には、ねっとり響く声がした。
身を震わせ、ぞっとする声だ。
「逃がしませんわ」
はっと振り返ると、いつの間にか、夜桜、トカゲ、正任が立っていた。
顔には煤やら汗やらが見えたが、みないちように興奮しているようだった。
一歩進みでて、夜桜は言った。
「毒サソリ、貴様の行為は幼皇に対する侮辱であり、反逆である」
じとっとにらみつける。
彼女はなおもつづけた。
「貴様が暗紫を連れだした時点で、その子供には幼皇を名乗る資格はなくなった。今はわたくしが幼皇……真の支配者」
にっと笑むと、黒い瞳は細くなり、赤い唇は横に広がった。
妖怪を見ているようで、心なしか冷や汗が流れた。
――しまった。
このままでは、不利だ。
こちらは少女と子供ふたりで、あちらは女と強者の男がふたり。
簡単に逃げられそうにない。
分が悪すぎだ!
「あたしたちをどうする気です」
強気にも、加世は威勢よく言ってのけたが、夜桜は答える気がないのか、すぐに冷たい眼になった。
そしてそれが合図だったとでも言うように、いっせいに銀色の刃物を闇夜に輝かせて、ふたりの男が襲いかかってきた。
ふっと身をかわし、すぐに加世の腕をとり、暗紫をひっぱって空弥と一緒に伏せさせる。
間一髪で攻撃をかわし、体勢をたてなおした。
しかし休む暇はもちろんなく、次々に鋭い刃先がふってくる。
よけて、加世たちをかばい、よける。
息もつけなかった。
――隙はある。
人間なのだ。
高安を思い出し、ふっと息を吸うと、一気に前に出た。
男の脇腹に重たい拳を食らわせる。
正任はうめき、前のめりに倒れた。
今度はその横から、旋風のような突きが繰り出された。
トカゲはそのまま横に刀を流しにかかり、おれはあわてて屈んでそれを避ける。
前髪がハラリと数本宙に舞った。
――しまった。
おそかった。
はじめから彼らが狙ってたのは、おれではなかったのだ。
トカゲが口をニヤリと歪めるのを見て、はじめて気がつく。
彼はおれに攻撃をしながら、片手で懐から小刀を取り出し、おれが屈んだと同時にそれを投げたのだ。
おれの後ろにいた、人間に向かって。
弟を抱きかかえ、暗紫と手を握っていた加世は、ハッと目を見開く。
「よけろ!」
必死に言い、すぐに彼らの元へ走ろうとしたが、それはトカゲの鋭い一撃に寄って阻まれた。
刀の柄で、頭を強打されたのだ。
チラッと熱い星が目の前をちらついたと思ったら、次の瞬間気がついたら、おれは地面に膝をついていた。
もう小刀は迷うことなく、まっすぐに獲物を目指していた。
加世に……否、闇色の少年に向かって。
銀にきらめく光を帯び、それは暗紫の心臓に向かって一直線に走る。
風のごとく。
――よけてくれ。
まるでそれは、時間が止まってしまったかのようだった。
暗紫は無表情でそれを見ていた。
その小刀が彼の心臓に突き刺さる――そう思った、そのとき。
びゅっと小さな竜巻のようなものが起こった。
まばたきした瞬間、投げられた小刀は地に横たわり、いきりたった少女が暗紫の前に立っていた。
「……カラス」
意識のはっきりしない頭で、加世の声だけは妙に響いた。
そこに立っていたのは、見まちがいなく人間の少女であった。
烏……?
ひそかに眉根を寄せると、いつかのように頭上で鳴き声がした。
ガァガァと鳴く鳥が、一羽舞い降りたのだった。
まるで加勢にきたとでも言わんばかりに。
しかし――舞い降りた先は、夜桜の足元だった。
なんだか、まだまだ続きますが・・・
私のなかでは、これは初めもっと短くて、最後まで流れは考えてました。
しかし、加世やらトカゲやら喜助が暴走して(笑)
夜桜サンまで出てきて・・・
なにやら、まだまだ続きそうですね。
もう私のなかではたくさん考えてるんですが、なにぶん更新が遅くてふがいない。。
がんばります!
ここまで読んでくださり、ありがとです!
まだ続くのでよろしくお願いします!