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鴉の子  作者: 詠城カンナ
第三部 鴉の使者
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第二章 芳香




【第二章 芳香】







******








暗闇だった。

なにもない。


高い木々が茂り、ひっそりとした空間を作り出している。

時は昼時なのに、明るく照っているはずの陽の光はひとつも入ってこない。

まるで真夜中のように、真っ暗なのだ。

ここは杉山。

ツンとしたにおいのなかで、彼女は立っていた。



『黄祈よ』

ふいに、朗々とした声が響く。

それは木々に反響し、やがてめぐりめぐって彼女の耳に届いた。

彼女はすぐに明るい表情になって、声の方へ顔を向ける。

クレさま!』

少女の声は明るい。

鈴の音のような、ころころ転がる、耳に心地よい声音だ。

昔から烏らしくないと言われたが、別に構わなかった。

大好きなふたりの兄はそれを誉めてくれたし、なにより愛する人にも可愛がられた声だからだ。


『今日はなにをしてきたんだい』

ふっと彼女の隣に降りたって、彼は言った。

ちょうど十四、五歳くらいだろうか。

少年は利久色の衣を着、短めの袴をはいている。

腰には紅蓮の鞘をおさめ、銀鼠色の髪を揺らす。

赤い顔の、緑色の眼をカッと見開いた、鼻の高い顔をした面をつけ、烏の羽でできた扇を手にしていた。

はたから見れば、異形――しかし、彼からはどこか神々しさが感じられた。



『呉さま、今日は村の子供たちから、木の実をもらいました!みんないい子たちです。やっぱり、呉さまの村の子供たちはかわいいです』

少女はにこにこと言う。

この少女もまだ十三、四歳くらいだろう。

彼よりも一回り小さく、薄墨色の髪の毛をふたつに束ね、淡い狐色の小袖を着ていた。

ただ、彼女の額には、赤い爪痕のような痣がみっつ入っていることが、どこか格別な雰囲気をかもしだしているようだ。



『呉さまのおかげで、毎日楽しいです。呉さまも、一緒に山を降りればいいのに』

少女の言葉に、少年はかすかに苦笑する。

『いや、わたしはいい。幼子は苦手なのだ』

年のわりに落ち着き、どこか長く生きた様を思わせる少年に比べ、少女は年相応の明るく、好奇心に満ちた表情をしている。

『呉さま、だめですよ。あたしたち、夫婦なんですから』

すこし眉を寄せた彼女を、少年はいとおしく思った。




少女の名は黄祈。

今は少年――彼女の夫である――の力で人間の姿をしているが、もとは立派な一族の烏だ。

以前出会った山の神である天狗にみそめられ、めでたく嫁ぐこととなった。

山天狗――名を呉という。

彼も人間の子供の姿をとっているが、もう百年近く生きている、れっきとした天狗だった。

人間が好きな嫁のために、彼女を人間の姿に変えて、毎日村におりることを許可していた。

ふたりは仲むつまじく、やがて子供に烏天狗を授かることになるのだが、それはまだ先の話だ。




『ね、呉さま』

黄祈は甘えた声を出し、少年のつけていた怖い面をとる。

そのしたには、うつくしい顔がある。

銀色の瞳をした、黄祈の大好きな人の顔。

ふふっと満足そうに笑い、彼女は呉の首に腕をまわす。

愛しさに、溺れそうだった。


しかし……そんな甘い時間も長くはつづかないようだ。

呉はさっと目を光らせ、神経を尖らせる。

黄祈も抱きつくのをやめ、静かに耳をすませた。

それは山の主だからわかる、わずかな悲鳴だった――なにかくる。

『この気配は、烏だ』

つぶやく呉に、黄祈も頷いた。

『うん。でも、烏だけじゃないよ。もっと、大きい鳥があとからくる……』

目を見張り、彼女は天狗の衣にすがりついた。



――血のにおいがする。



呉は安心させるように頷くと、さっと高い木の枝に飛び乗り、すぐに気配のほうへ去っていった。

残された少女はただ呆然と、かつての仲間が死なないことだけを祈った。




……こんなことははじめてだ。

嫁いでから、ときどき一族のだれかが遊びに立ち寄る程度だったから。

兄さんたちも、たしか屋敷から出れないはずだった。

かすかな胸騒ぎを覚えながら、黄祈は静かに夫の帰りを待った。




やがてしばらくすると、かすかな葉のこすれる音がして、松の枝が頭上からわさわさと落ちてきた。

ハッとして見上げると、呉が堅い表情のまま、一羽のぐったりした黒い鳥をかかえているのが目に入った。


『呉さま!それは……』

絶望的に叫ぶ彼女に、天狗は口を開く。

『まだ息はある。すぐに薬草をもってきてくれ』

言われるまでもなく、少女は駆け出す。

止血のための葉や、薬草などをもって、黄祈は彼のもとへ戻る。

小さな岩の上に烏をのせ、呉は布で止血しているところだった。

烏は羽がちぎれ、赤黒く染まっている。

あまりの光景に、彼女は吐気を覚えた。


『呉さま、なにがあったんですか』

呆然と立ち尽くしながら、黄祈は尋ねた。

呉は薬草を傷口にあてがいながら、チラと少女を盗み見る。

『……鷹や鳶だった。わたしの領域に入ってからは、追い掛けるのをやめたが……あれは、操られている動きだったな』

浅く息を吐き、意識のない烏を見やる。

生きているのが不思議であった。

『たぶん、この烏は、なにか用があったんじゃないか?それをよく思わない奴がいて、きっと刺客を向けてきたのだろう』

てきぱきと手当てをつづける呉と話しながらも、黄祈は傷ついた烏から目が離せなかった。



烏は――黄祈の知り合いだったのだから。



『この烏は、姫さまや喜助さまの側近です』

か細い音で言うと、呉はかすかに顔をしかめた。

『だとすれば、この烏を狙ったものは、案外姫君の近くにいるのかもしれないよ。そうでないなら、情報が漏れすぎだ』

心臓が痛い、黄祈はそう感じた。



喜助と馬があわなかったのはだれか?

屋敷で唯一、喜助に反抗を見せたのはだれか?

それはまちがいなく、彼女の兄であった。



『凛、ごめんね……』

涙をたらしながら、黄祈は烏につぶやく。

もしかしたら、自分の兄がこんなひどいことをしたのかもしれない。

一番上の兄は少々、暴力に走る傾向がある。

理想のため、自身の正義のためならば、犠牲など仕方ないと考える奴なのだ。

それにもし、鷹や鳶などといった大物を操れるのだとしたら、それはきっと次男の力かもしれない。

頭がきれる次男は、他の鳥からもかなり尊敬されていたのだ。

それに彼女の兄上たちは、やや残虐なところがあった。




『……呉さま、あたしに暇をください。あたし、いったん姫さまのところに――屋敷に戻ります』

意を決して言う。

反対されるかと思ったが、予想外に呉は頷いた。

『わかった。護衛をつけてやるから、はやく出発しなさい』

その言葉を聞き、黄祈はバッと身をひるがえし、一瞬のうちに烏の姿に戻る。

やはり額には、赤い爪痕のような痣のある、うつくしい烏だ。

呉は柔く笑み、烏をなでる。

『気をつけて。この傷ついた烏のことは、まかせていいから』

『ありがとう、呉さま』

烏はにっこりと笑うと、勢いよく地を蹴りあげる。

屋敷まで、天狗のおこす風にのればすぐつくはずだ。





どうか、この不安がただの勘違いであるように祈りながら、彼女は陽の光まで飛び出していった。






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