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二話一挙公開!
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幼皇と同じくらいの歳の少年を抱きかかえるように連れて、正任とひとりの女が戻ってきた。
「千深、空弥を夜桜さまに」
正任が言うと、千深と呼ばれた女はいそいそと出ていき、夜桜に少年を渡す。
ぐったりとしたその少年は、どこか面影が加世に似ていた。
たぶん、弟なのだろう。
少年を見る加世の表情は、とても切なそうだった。
「空弥を渡してください」
じとっとにらみながら加世は言い、夜桜は躊躇うことなく少年を彼女に渡した。
息はあり、どうやらこの空弥とかいう少年は眠っているだけのようだった。
「明日の昼には目が覚めるでしょう。心配はいりません」
夜桜が言い、加世がほっと息をつく。
そんなふうに安心したのもつかの間で、すぐに夜桜の不気味な笑い声が響いた。
「ふふふっ。ばかな子ね。愚かですよ、加世殿」
「なにがですか」
「あなた、これからどうするつもりです?そんな幼子ふたりとそこの少年を連れて逃げる気ですか?確かに少年は武術にもたけているようですが、あなたは犯罪者として、反逆者として一生を隠れて暮らすのですよ?」
確かに形成はあまりいいものではない。
油断なく辺りを見回しながらそう思った。
加えておれは、当の目的すら果たせそうにないのだ。
まぁ、真に幼皇帝が黒幕ではないことはわかったが。
「夜桜さま、あなたはただ幼皇さまを……暗紫を利用しているだけ。あたしは彼に自由をあげたいんです!幼皇さまの望みなら、あなたは口出しできないわ」
きっぱり言いきった加世だったが、夜桜は鼻先でフンと笑うだけだった。
「具図ね……それならば、これからはわたくしが幼皇の名を名乗ればいいだけ」
さっと衣を翻し、堂々と不適な笑みをつくりだす夜桜。
それはあまりに黒すぎて、本気で身体が震えるほど、冷たい笑みだった。
そしてなるほど、と同時に思う。
幼皇なんて所詮は形――その存在があればいい。
明確である必要などどこにもないのだ。
本当の幼皇がだれなのかなんて、そんな真実などないに等しいのだ。
どれが幼皇の血筋なのかなんて、そんなものは関係ないのだ。
もしかすれば、ずっとそうだったのかもしれない。
なにも知らない連中は、「幼皇」の名は代々親から子へと受け継がれるものだと思っているだろう。
しかしその実態はちがう。
権力を手にしたいがばかりに、幾度となく暗殺すら繰り返されてきたのだろう。
「彼は……この少年は、だれなんだ」
気づけばそんなことをつぶやいていた。
夜桜はくすりと声をもらし、じっと不安そうに顔を歪ませ、手を胸のあたりで握りしめている加世を満足そうに眺めてから、こちらを向く。
加世も唇を噛み締めて、夜桜をにらみつけた。
その場の空気は実に重く、陰湿だった。
しんと静まりかえり、だれひとりとして言葉を発することなく、ただただ彼女の唇の動きに目を張り付けていた。
遠くのほうで、祭りの賑わいの声がする。
ここの空気と比べ、まるで別世界。
加世の顔はさっと青みがかり、その瞳は不安に揺れている。
まるで、神のお告げが、判決が、今から下るというように。
彼は――目のまえのこの子供は、何者なのか。
この子はなんのために、ここにいるのか。
利用されただけなどとは、思いたくもなかった。
加世もそれを感じていたから、きっとワラにもすがるような思いなのだろう。
そんなことをよそに、夜桜は残酷にもニンマリと笑って言葉を落とす。
これが血のかよった人間の言うことか?
「――さあ?捨てられていた赤ん坊だったんじゃないかしら?」
ハッと少女が息を呑むのが聞こえた。
もしかしたら、卒倒するのではないかと思い、彼女に目を走らせたが、当の本人は冷めたまなざしを夜桜に向けているだけだった。
なにかが、少女のなかで変わったのだ。
瞬間的にそう直感した。
そしてたぶん、そう直感したのはおれだけではないらしい。
また彼も戦慄し、わずかに後退したのを見逃さなかった。
彼――片目を包帯でぐるぐるに巻いている男――は、表情のなかった顔をやや崩し、焦りの色を伺わせていた。
「さあ、満足ですか、加世さま?」
そんな変化にも気づかない女は、ニタニタと笑いながら、一歩少女に近づく。
見かねて包帯男が口を出したが、彼女はいっこうに構わなかった。
「トカゲ、どうかしたのか」
男の異様な様子に動揺したのか、正任がささやいた。
「いや、なんだか――嫌な予感がする。今の毒サソリは、危険だ」
油断ない声音に、正任は目を見張る。
毒サソリとは、加世のことだろうか。
たしかにおれから見ても、加世の様子はおかしかった。
あれほど激情していたのにも関わらず、今は冷めきった目で夜桜を見つめていた。
まるで感情のない人形のようだ。
「暗紫、あの人のところへ行って」
やさしい口調で、しかしどこか逆らえない余韻を残して、加世は言った。
幼皇もとい暗紫は操られるように、とことことおれのそばまでくる。
「あなた、この子たちを頼めるかな」
視線は夜桜に向けたまま、彼女が静かに言う。
「いいよ」
承諾し、おれは幼皇であった少年の手をとり、加世の弟を担ぎあげる。
さすがにふたりともを抱きかかえてどうこうできるほど大柄ではないが、逃げるならば最悪、幼い子供ふたりくらいはなんとか担いでみせようという覚悟をした。
ただ、もし敵が反撃に出てきたときは、やはり不安だ。
なにせ、加世の弟は眠ったままである。
その場合、自分が盾になるほかあるまいと、心のなかで小さく苦笑した。
「あらぁ?逃げられると思っているの?無駄よ。わたくしには、力があるから」
くすりと笑み、夜桜はさらに加世との間合いをつめたが、加世はやはり動かない。
夜桜はいったん歩をとめ、その黒すぎる眼を細めて言った。
「あの烏の化け物、どうするかしら。わたくしね、昔から烏がだいきらいなの。ズタズタに切り裂いて、鍋で煮て、それから山の獣たちに食わせてやりましょうか」
「ならばあたしは、その前にあなたを毒の餌食にします」
なんと、冷たい声なのだろう。
加世は思わずたじろぎたくなるほど、凍った声音でそう言った。
その眼にも、もはや感情は見て取れない。
不安になってなにか声をかけようと口を開きかけたその時――
おれはすばやくふたりの子供を肩に担ぎ、脇にかかえ、飛びずさった。
なにが起きたのかなんてわからない。
ただ、本能的に……幼いころより叩き込まれてきた反射により、行動をとったまでだ。
頭よりも先に、体が動いてしまったのだ。
加世に声をかけようとしたそのとき、彼女はいきなり手を腕に上げ、手にしていたなにかをすばやい動作で床にたたきつけた。
途端、水しぶきがあがり、白い煙がすごい勢いで飛び出してくる。
薬玉?
とっさに距離をとり、建物から飛び出す。
脇にかかえた幼皇がかすかに声をあげたが、かまってられなかった。
白い煙はもくもくとあがり、あっという間に屋敷を包みこんでしまい、さすがに祭に参加していた連中も何事かと寄ってきた。
深い夜は、満天の星。
地上の騒ぎなんて関係なく、人間に興味すらなく、ただ星々は輝いていた。
まずいな……
ふと我にかえり、周りを見渡す。
仮にも少年は幼皇だ。
だれかが彼の顔を知っているとは限らないが、なにか騒がれてはまずい。
それにたしか、加世は毒を扱うらしかった。
もしや、今広がっているこの煙も有毒なのかもしれない。
「暗紫、煙を吸うなよ」
ささやくように少年に言い、騒のどさくさにまぎれて逃げる。
加世が気になったが……今は仕方がない。
――焦るより、冷静になれ。
高安の教えが響く。
気を静め、とりあえず騒ぎの屋敷とかなり距離をとった木の陰で少年をおろした。
幼皇もとい暗紫は、かなり忠実におれの言葉を守っており、両手で口を覆って煙を吸わないようにしていた。
やがて少年は眠っている加世の弟・空弥に近づき、心配そうに彼の顔をのぞきこむ。
「死んだの?」
少年は見上げ、ぼんやりとそう尋ねた。
首を横にふり、おれもかがみこむ。
「いや、眠っているだけだよ。加世の弟らしい」
「ふうん」
さほど興味もなさそうに、暗紫はゆっくりと視線をおれから空弥にずらす。
この子にも、聞きたいことはたくさんあるのだ。
当初の目的であった辰迅のことも含め、謎は増すばかり。
ただ、後悔はしていない。
高安を出し抜いてまでここへ来たことで、予想以上のごたごたに巻き込まれはしたものの、そのおかげで再会できそうだ。
「加世、大丈夫かな」
ぼそりと、ふいに暗紫がつぶやいた。
先程とはちがい、いくらか不安そうな声だ。
なだめるように、少年の頭に手を置く。
「きっと平気だよ。加世は生きるために、こんなことをしたんだから」
そうだ。
不安はあるし、彼女のことは心配だった。
それでも、彼女は生きようとしていた。
そう言っていた。
だから、自身を犠牲にするようなことはないだろう。
やがて、屋敷のほうでさらに騒ぎの声が大きくなった。
火事だ……
とりあえず、再び空弥を抱え、暗紫の腕を引き、さらに屋敷から離れる。
敷地をはやく出たほうがいいだろうが、やはり加世の安否が気にかかった。
「戦でも、火事はおこるのかなぁ」
暗紫は燃え上がりはじめた屋敷を見やり、特になんの感情もなく言う。
それからゆっくりこちらを見上げ、まるで子供が父親に尋ねるようなしぐさでつづけた。
「前にね、家臣のひとりが言ってたんだ。戦で城を燃やせば、奴らはイチコロだって。ぼく、こっそり聞いちゃったんだ」
ケラケラ笑いながら、少年は繋いでいた腕を軽く揺すった。
「ね、その家臣も、もういないんだ。辰迅って言うんだけどね」
――ここか。
心臓が唸る。
ここか、と唸り、確信する。
やはり辰迅は幼皇帝の国の使者だったのか。
まんまとうちは、滅亡に追い込まれたわけだ。
苦々しい思いで唇を噛み締める。
「辰迅は他の国を騙して、滅ぼしたって、夜桜が言ってたよ。すごくうれしそうに」
暗紫の言葉に、感情が高ぶる。
――父上を、兄上を、手にかけたのはこの国か。
夜桜が、憎い。
姫に似ているから、なお憎い。
愛しい姫の顔で、なんて残虐な女。
こんなにだれかを憎いと思うのははじめてだった。
「ねぇ、人を騙すことは、おもしろいことなの?」
ハッと我にかえる。
見ると、少年は濁らない眼でこちらをじっと見つめていた。
この子は、なんて哀れな。
正しいことも知らず、慈しみも知らず、ただ利用されるだけに生かされてきたんだ。
それでもその純粋な、真実を知りたい、教わりたいという志だけは廃れていなかったのか。
泣きたくなった。
そしてやはり、この子を利用していた女が憎らしくて仕方がなかった。
「お星さま、きれいだね」
おれの答えを待たず、少年は視線をずらし、空を仰いでそう言った。
そこにはなんの汚い感情もない。
ただ、きれいだ。
星はきれいなのだ。
「大切なのは、だれかを想う心だよ」
震える声で、それしか言えなかった。
ただ明星ばかりが、そんなおれをあざ笑うかのように輝いていた。